第7章 麗しき姫君-14

 元は窓から差し込む朝日の光に、目を細めた。結局一睡も出来なくて、ベッドの中でマンジリとした時間を過ごす。

「はぁ」

 嫌に成る程、いつも通りの朝だ。しかし中々起き上がる気になれない。何度目かの寝返りを打った時に扉の向こうから気配を感じた。

「出発するぞ」

 しびれを切らしたハルが部屋の扉をノックする。そろそろ来るだろうな……分かっていながら起き上がれずにいた元は、渋々「あぁ」とだけ呟いた。


 半分近く昇った太陽の光は刺すほどに眩しい。ハルは元の肩に腰を降ろした後、眉間に皺を寄せてしかめる表情を一瞥して、ボソリと声を落とした。

「少し寄りたい所がある。ギヴソン、隣国まで行ってくれ」

「は? 隣国て、うぉっと」

 その言葉を待っていたかの様にギヴソンは一直線に駆けた。スピードが一気に加速し躍動する筋肉は更に勢いを増す。周りの景色が霞んで見えた。

「ちょ、ちょっとハル! どういう!?」

 焦りを含んだ声に、ハルは流れる髪の毛を耳にかけた。

「カラーの親父が言っていた通り、隣国は一度獣に襲われた歴史がある。それからだな、あの国が獣に対して異常な警戒心と恐怖心を抱くようになったのは。しかし軍事国家の自負心からか、若しくはエンダ相手に金を落としたくないのか、カラーを頼ろうとしない」

 突如始まった独り言に、元は怪訝そうに耳を傾けた。ハルは真っ直ぐと前だけ見据え、ただただ言葉を繋ぐ。

「今回のハッテン・ボルグの策略は、そんな隣国の状況を利用したものだ」

 ギヴソンは幾重も築かれた砦を軽々と飛び越えていく。風を全身に受けながら、元は未だこの行動の意図が掴めず、ちらりと視線を向けた。

「で、その隣国に何しに行ってんの?」

 二人の間に一瞬沈黙が走ると、元は溜息交じりに唇を尖らせる。

『全く、大事な事は言わねぇんだから』

「これ位はしておかないと」

「へ?」

「…………後味が悪くて仕方がない。王家の行いは許される事ではないが、城下町の民くらいは守ってやろうと思ってな」

 そう言葉にして、何処かバツが悪そうに少しだけ視線を流す。しかし続けざまギヴソンに制止を促し、その走りを止めた。城に程近い小高い丘で、元はぐるりと周囲を見渡す。

 ハルの言葉通りだ。城は獣の襲来に備え、何重にも深い掘りと幾つもの高い塀に守られている。しかし離れた城下町に目を向けてみれば、打って変わって質素な塀がちらほら立っている程度だ。王家の価値観が見て取れて、元は胸の奥に苦いものを感じた。しかし何よりも、

『守る!?』

 ハルの言葉は元を驚愕させた。ハッテン・ボルグの行く末など一片の関心すら抱いていない、少なくとも元はハルをそんな人間だと思っている。基本エンダは、民を救うべく狩りに向かう。しかしハルの狩りへの意識はただの経験値稼ぎでしかない。それでも一緒に旅を続けられるのは、結果民を救うことに繋がっているからに過ぎなかった。

「ギヴソン、吠えてくれ」

 感情なく放たれた言葉と同時に、ギヴソンがスッと息を吸って、低く響く怒涛を周囲に轟かせた。その咆哮に、城が騒然となる様がここからでも伺い知れた。元はその光景を不思議そうに眺めていたが、ふと閃いた様に眼を大きくした。

「あっ、昨日あれから……?」

 強固な城を眼下に置きながら、ハルは事何気に呟く。

「あぁ、ギヴソンを連れてハッテン・ボルグの使者として直談判してきた。婚約の申し出を断り、加えてギヴソンを国の守獣として示した」

「ギヴソンに恐れて……了承した?」

「今回の事が発覚すれば、ただでは済まん。つまらん時間稼ぎだが、やるだけの価値はあるだろう」

 民との接触を極力避けるエンダの言葉とは思えない。何故ハルがここまで拘るのか不思議でならなかった。呆けた表情を浮かべていた元は、ハッと我にかえる。

「……時間稼ぎって?」

「この地で最大の王国、ションズガーデンの第二皇子を皇婿として迎えるまでだ。歳の近い王子がいるらしい。ションズガーデンはこの地を統治する巨大な王国。隣国の王と言えど、手が出せる家柄ではない。ハッテン・ボルグの家柄、国の豊かさ、そして姫の美しさだ。遅くても数日以内に話がつくだろう」

 元の脳裏に儚げな姫の姿が目に浮かんだ。強引なハルの事だ。ここまでの話を一気に進めてきたに違いなかった。

「お姫さんは?」

「勿論、即決だ。今まで数多くの縁談を断ってきたらしいが選択肢はない。……結局王家の柵(しがらみ)から逃れる事は出来なかったという事だ。

 心配するな。ションズガーデンの王子は頭が良く、人徳者だという噂だ。いい王になるだろう」

 ハルの言葉に、元の顔が何故か赤くなる。その感情の名も分からないまま、大きく手を振ると慌てて言い返した。

「心配なんてしてねぇーし!! ど、どっちにしても、この国の王より数千倍もいいだろうしな」

 そう言うと、元は僅かばかり気が晴れたような表情を浮かべる。やっと見せた安堵の表情にハルは頷くと、人知れず小さく口角を上げた。


「……それで?」

 ナレータが腕を組んで、静かに佇んでいる。オォサワとゴンタは、小さく縮こまり、もじもじと指先を絡めた。互いに体をぶつけ合い、ナレータの前に押し出している。ドンと押されたゴンタが、ずんぐりした体を小さくしながら、答えた。

「えっと……ちゃ。ゴンタはオォサワと二人で、毎日ここで張っていたっちゃ。あの獣を従えるエンダ達が出発するのを、ずっと見張っていたっちゃ」

 ゴンタはオォサワの腕を掴んで、前に押し出す。オォサワは眉間に皺を寄せてゴンタを睨んだが、直ぐにナレータに身体を向けると、ヒョロリとした体をくねらせた。

「そうゥッス。俺達は毎日張っていたッス。それこそ観光もせず、食事も取らず……」

 二人で顔を見合わせ、頷きあう。二人の様子に、ナレータは目を細め、いやに平坦な声のトーンで、言葉を繋いだ。

「そう、御苦労だったわね……?」

 よもやナレータから、ねぎらいの言葉が出るとは思っていなかった二人は、安堵の表情を浮かべた。ホッとした表情を浮かべ、互いに顔を見合す。しかし次の瞬間、ナレータが地の底から響く様な言葉を発したのだ。

「だったら、どうして、この、檻に、あの、獣が、いないのかしら?」

 もはや迫力などという言葉で、片付けられるものではない。オォサワが無意識に、ゴンタの腕を掴みながら震える声で答えた。

「いや、ホンの十時間……いや、一時間? うつらうつらしていたら、獣の姿が無かったッス」

「そうっちゃ、大体交代で番をしようと提案したゴンタの意見を、オォサワが聞かないから逃げられたっちゃ!」

 オォサワは額に指を押し付けながら、口を尖らせた。

「はぁ? それはこっちのセリフッス。大体ゴンタがお腹一杯食事をするから、眠くなって……まんまと逃げられたッスよ。何かって言うと飯だ、飯だって! ゴンタはもう少しダイエットした方がいいッス」

 額に置かれた指を払いながら、ゴンタが反撃の言葉を発する。

「今そんな話は関係ないっちゃ。それを言うなら、オォサワだって、ヒョリョリとして頼りないっちゃ。もっと鍛えた方がいいちゃよ!」

「ゴンタに言われたくないッス! この腹! 何すか?」

「止めるっちゃ、このアバラ……!」

 その時だ。二人の会話に割り込む様に、鈍い音が響いた。二人の体がビクリと跳ねる。ナレータの鞭がしなやかに、地面を叩き付け、深い溝を作っていた。恐る恐る目を向けるが、太陽の逆光になり、垣間見る事は出来ない。しかし二人はよく理解している。ナレータの機嫌は究極に悪い。

「それで? どうして、あの黒い獣が、檻の、中に、いない、の、か、し、ら?」

「「ひぃぃぃぃ」」

 オォサワとゴンタは抱きあい、悲痛な声を上げた。



 元達は、ハーデスス海(二つ目の海)を越える為に、ギヴソンを走らせ目的の船場に向かっていた。

「あ~疲れた……」

 海を越える前に一体どれだけの狩りに臨んだのだろう。隣でぼやく元など気にする事も無く、ハルは遠くに目を向けている。

「良かったのか? 見届けなくて」

 元の肩に乗っていたハルが珍しく、声を掛けてきた。問いながらも、その目線は前を見据えたままだ。

「え……?」

 突然の問いに、正直何の事かピンと来なくて、首を捻る。しかし言葉の単語から、ハッテン・ボルグの事を指しているであろう事を察した。このタイミングで聞いてくるのが、何ともハルらしい。

 元の表情はごついゴーグルの下で、実際の表情は分からない。ぼりぼり頭を掻きながら、素直に今の心境を吐露した。

「あ――――――、分かんねぇー。何が正しくて正しくないのか、俺の中で結論が出やしねぇんだ。

 王国がやった事は、当然許されねぇし、こんな事は二度と起きてはなんねぇ。勿論起きない様にしなければいけねぇとも思う。同志達の為には、俺達が協会に報告するべきだ。……だが、それだけじゃー片付かない、善悪だけじゃ説明出来ない。すっきりしねぇんだ。頭の中、いろんな奴らの感情や思念がギャーギャーうるせぇ。

 ズリィけど俺は、襲われて命を落しかけたが死ななかった。今の俺には、もうこれだけで十分だ。……今はそう思っているんだ」

 そう言うとフゥーと、小さく息を吐いた。襲われてからずっと燻っていた感情だ。やっと言葉にする事が出来たと、少しだけ胸のわだかまりが晴れた気がした。

『そっか。俺、聞いて貰いたかったんだな』

 そんな事を思ったりもする。ハルはずっと先の海を見据えながら、

「そうか。当事者のお前がそう言うなら、それで良いんじゃないか」

 そうとだけ答えた。

『仕方がない。この世界の民を傷つけられないのと同義だ』

 ハルはあの場に居合わせたエンダ全員の苦悩を思い返していた。この世界の人間と同じであろうとは思わない。しかし、感情までもコントロールされている事を思うと、気持ちのいいものではなかった。ハルが押し黙ったまま、眉間に皺を寄せた時、元の低い声が切れ切れに紡がれる。

「……それに、あのアッサムっていう騎士は……逃げも隠れもしねぇよ」

 王国に、身も心も捧げてきた男の姿を思い出す。王国の罪を全てその身に落とし、自ら協会に赴く姿が脳裏に過った。

「やっぱり、この世界の民には、極力係っちゃなんねぇな。残って見届ける事も、俺らには出来ねぇんだから」

 ハルは何も答えなかった。隣国の思惑が外れた事が唯一の救いであって、後味の悪さは今までの類を見ない。多数のエンダが民に襲われ命を落とした事実も、半端に係って、何一つ見届ける事が出来なかった現実も、二度と忘れる事はない……苦いものが込上げる感覚に、元はゴーグルの下の瞳を細めた。



 元は船の甲板に出て、塩気を含んだ風を受けて居た。元の短いブラウン色の髪が、風に揺れる。船首には二十メートル近い獣が、波を飲み込みながら広い海原を駆けている。

 この世界の船の原動力は、船など一飲み出来そうな海の獣「海竜」だ。名前の如く、竜そのものである。どのように飼いならされているか不明で、エンダ達が海を越える橋渡しとなっていた。


 天気が良い船出で、頬に当たる海風が心地良い。

『はぁ、俺が望んだ事は、何一つ叶わずじまいか。……むしろ状況は、何倍も悪くなったよな』

 今回の契約でパーティ全体が散々な目にあった。これから先、元が契約を選択する機会が巡ってくる可能性は低い。

 フェンスの手すりに手を掛けながら、海竜が進む方向に向かって、視線を飛ばした。

『結局、縁(エニシ)は手に入らずしまいか。……縁は人を選ぶというからな。俺の実力だったという事か。ちぇ、悔しいよな』

 海を超えた場所では、どんな世界が待ち受けているのだろう。エンダは獣を狩ることでしかこの世界に存在価値を見い出だせない。進むしかない道だ。それでも元は、まだ見ぬ世界に想いを馳せるのだった。


第7章 麗しき姫君 終わり

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