第5章 生業-3

 ハルが前髪に落ちた雫を払った。

『こんな小せぇ体のどこに獣を前にしても怯まねぇ、強固な精神があるんだ? ……百戦錬磨の戦士(おれ)ですら、一瞬恐怖を感じることがあるって言うのに』

 無表情のまま獣を見据えるハルに、いつも畏敬の念が浮かぶ。如何なる状況に陥ろうとも、まるで静かな水面の様に平常心を保つ。あたかも生まれた時から、戦闘に携わってきたかの様な精神力なのである。


 ハルの能力は、他のエンダ達のそれとは全く違う。戦士とヒーシャの根本的な違いだけではない。もっと根底の部分で大きな違いがあるのだ。

『ヒーシャの事は全く分からないが、術者としての能力は別格じゃねぇ? 他のエンダと旅をしたのは、初期の頃だけだったから比べようがねぇけど……。ハルの魔法に時々鳥肌が立つんだなぁ。何ていうか……戦士であれば、獣が切られた事に気づかず絶命する様な、一片の無駄がない美しさというのかなぁ』

 正直、筋肉馬鹿の元には、回復魔法に優れている能力は大変心強い。しかも、倒すべき獣の殆どが、闇に属する類いの為、ハルの補助魔法は有効に機能した。しかも強力にだ。出会った頃には、ハルがここまで成長するとは思いもしなかった。

『術の発動時間の短さ、ましてや術の影響力も相当……てか、センスがいいんだよな』

 しかしこれは経験を積めばどうにでも成る話かもしれないので、特段珍しい事ではないのかもしれない。

 他のエンダ達と絶対的に違うのは、獣を感知する能力を兼ね備えている事だ。一キロ地点では気配を、五百メートル以内になると、その性質と大体のレベルまでを感じ取る事が出来るらしい。神出鬼没に出現する獣を感知するのだから、この広い世界において驚くべき能力といえる。

 

 元がハルと旅を始めて、数か月が経過した時の話だ。一つの狩りを終え、立て続けに別の狩りに向かってギヴソンを走らせていた。

【おぃ~大丈夫か? 獣から受けた傷、まだ完全に回復してねぇンじゃ?】

 ハルの白い肌に、汗が浮かび上がっているのが見えた。ハルは追われる様に狩りを繰り返し、受けた傷が癒える間もなく次の狩りに赴く。

【たく、無理しやがって】

【無理などしていない。まだ行ける】

 エンダは通常狩りを終えると、得た報酬で数週間位休むものだ。狩りで受けた心と身体のダメージを癒し、また次の狩りに向かう生気を養う。そうやって命を繋いでいるのだ。

【それがこいつは~。休むのは、ホント限界にきた時のみ。十回に一回位だもんなぁ】

 右手は元に添えられているが、左腕はダラリと垂れ下がっている。珍しくタロが元の肩に乗っているのも、肩を脱臼したままの体を気遣っての行動だ。

【肩の脱臼位、魔法で治せよ】

 口酸っぱく言っても、返される返事はいつも同じだ。

【魔力が勿体ない。体力と違って魔力は回復が出来ないからな。極限まで追い詰めるからこそ、開花する能力もある】

【……だから、エンダの目的は……】

【何度も言わせるな。進化を遂げ続ける獣に対抗出来るのは、エンダが成長する他ならない】

【へいへい】

 こんな持論に元を巻き込みながら、魔力・体力ともにカツカツになるまで、ハルは狩りに明け暮れた。

 

【ハル!!】

 元の一瞬の隙をつき、獣が地面を這いながら、ハルに向かって襲い掛かった。トカゲの様な風貌の獣は、異常に発達した牙で無慈悲に襲う。

 荒野に砂埃が立ち上がった。トカゲの様だとはいえ、その体系は悠に三メートルを超える。獣の半分足らずのハルなど、攻撃を受けたらひとたまりも無い。

 ハルは左腕を押え、しかし目線は獣をジッと見据えたままだ。先程元に施した回復の魔法によって、魔力は一欠けらも残っていない。

『元が獣に追い付くまでに十秒か……。ふむ、このままでは死ぬな』

 目前に迫る死神にも、不思議と精神は落ち着いている。その死を回避する手札を全て使い切ったハルは、襲いくる獣の牙を正面から見据えていた。

『しかし……殺気がだだ漏れだ。これでは……』

 鋭い牙に目を向けて、冷静に分析を行っていた時だ。獣の殺気が手に取る様に感じた。

『これでは、軌道を読んでくれと言っている様なものだ』

 獣が「ガフン」と口を大きく閉じた。元の位置からはハルの姿を確認する事が出来ない。

【て、て、てめぇー!! よくもハルを――――――――】

 元は怒りに、剣を持つ手が震える。こめかみに血管を浮き上がらせながら、仇を取るべく剣を構えた。その時だ。獣がもう一度、口を大きく開けた。

【あれ、あ、ハル!!】

 獣の背中越しに、攻撃を寸でで回避するハルの姿が見えた。獣からしてみれば、何故捉えられないのか不思議な位だろう。その紙一重の防御に、元ですらは低く唸る。暫し見惚れていると、ハルの不機嫌な声が低く響いた。

【早くトドメを刺せ】


 

『たくさぁ、何その能力……。そんな力、聞いた事も無い』

 その時以来、獣から迸る殺気が、手に取る様に分かる様になったと言う。お陰で狩りの精度が上がり、パーティは更なる負担を強いられる様になった。

 加えてその記憶力だ。村や町に立ち寄る度に、終日書物所に籠る。そうやって得た知識を、額の前で本をめくる仕種で、情報を呼び出す事が出来るらしい。胡散臭い話だが、光が浮き出るように文字が見えるのだと言う。そこに、自分の経験を上書きしていると言うのだ。

 

 しかし、そんな特殊な能力故か、はたまた強くなりたい一心からか、如何せん無理をし過ぎる。息も絶え絶え、町に駆け込む事も多く、何度死にかけたか分からない。

 獣を前に引かないハルを、元は見捨てる事が出来ないのだ。そうやって二人は、何とか受けた依頼を片づけていった。

『いつになったら、心穏やかに暮らせるようになるんだろう』

 そう眼前の獣を見据えながら、声に成らない嘆きを吐く。ハルと一緒に狩りを続ければ、ろくな死に方は出来ない……そう思うのに、気がついたら別の狩りに向かって、ギヴソンを走らせていた。

 

「気付かれた」

 ザッツケルオンの異常な興奮を感じ取ったハルが、ボソリと呟いた。ザッツケルオンの嗅覚は伊達じゃないらしい。気付かれた……そんな状況でも、その声はとても平坦だ。死にかけていても、レベルが低い敵の前でも、ハルの精神は何も変わらなかった。

「ちったー、焦りやがれ!」

 元はギヴソンから飛び降り、手綱を離した。縛り付けて、戦いに巻き込まれないようにする為だ。ギヴソンは毛色の違う獣から一目散に離れ姿を消した。戦えない事もないだろうが、獣同士が戦う時は食料の奪い合い、その時だけだ。人間の為なんかに、危険を冒す筈はない。

『こいつにも、これだけの危機回避能力があれば……』

 そう嫌みと少しばかりの心配が入り乱れる感情で、真下に視線を落とした。そんな、元の心配など気にも止めていない。ハルはじっと胸に手を当ててタロのぬくもりを確かめている。

「もう少し、我慢してね」

 優しい声が呟かれる声に応えるように、「クン……」と鼻を鳴らし地面に降り立ち、安全な場所を目指し駆けて行く。本当は一時も離れたくない筈なのに、足手纏いにならない様に場所を離れるのだ。タロの(元には見せない)聞き分けの良さと、ハルの(元には言わない)優しい声に、

「その優しさ、少し位は俺にも向けてくれよ」

 言っても嘆いても無駄な言葉を、ブツブツと吐いてみたりするのだった。

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