第4章 始まりの地-4

「目立ってきたな。一旦町から離れるぜ」

 元の提案で休む間もなく、一行は町を出た。確かにギヴソンに対する畏れからか町は静まり返っている。獣を狩る事が生業である筈のエンダ達ですら、物影に隠れる始末だ。トラウマにならなければ良いが……元は同胞達の恐怖が浮かぶ表情に心底申し訳ない気持ちになった。

 

 一行は町から少し離れた小高い丘に上り、どことない世界を見ていた。「息、出来るようになったか?」そう問われる声に、ハルは全身に風を受けながら小さく頷く。頬を撫でる柔らかな優しい風が何とも心地よく、日差しは木漏れ日のように暖かい。

「つい先程まで、この受ける風すら苦痛でしかなかったのに、な」

 元は扉を開けて直ぐ、始まりの地に連れて来られた。全てが異なる世界で、孤独と苦痛に耐えなければならない状況など到底理解が出来ない。しかしエンダに成って漸く落ち着いた表情を見ると、始まりの地に連れて来て良かったと、心から安堵する。元は一度目を閉じ、そしてハルの掌中のタロに視線を移した。

『ここからスタートするには、この上ない状態の良さだ。まずレベルは問題ないだろう。能力に対する抵抗もなさそうだし。そうすると……お別れなんだな、タロ』

 元は安心しきったように寛ぐタロに、優しい眼差しを向けた。ハルに駆け寄る相棒の姿を見て漸く決心がついたのだ。熱い思いが元の胸を締め付け、目頭が熱くなるのをグッと堪える。

『いや、お前が幸せならば、それでいい……。ハルだったら、安心してお前を預けられるってもんだ』

 この場所を選んだには訳がある。ハルにタロを託した後、ギヴソンに乗り込み颯爽と駆けて行けば、多少なりとも記憶に残る別れになるのではないか……そんな僅かな期待があっての事だ。己のさもしい考えに、元はガックリと肩を落とす。

 

「……頼みがある」

 二人が同時に同じ言葉を発した。この地に着くまで、脳内でシュミレーションを繰り返していた元は、想定外の展開に動転するほど驚いた。

「え? っと。あの、お先にどうぞ?」

 そんな元とは対照的に、ハルが真剣な眼差しで言い放つ。

「旅に同行させてくれ」

「は?」

 いつもは口数が少なくボソボソと話すハルが、やけにはっきりした口調で言葉を繋ぐ。タロを託す事しか想定していなかった元は、言わんとしていることが瞬時に理解出来なかった。そんな元の心中など気にも止めていないのか、感情が欠落した声は更に言葉を繋ぐ。

「私は、恐らくヒーシャに成った。既に使用出来るであろう回復魔法の原則が、自分の体にある事が分かる。しかし、所詮救うための能力だ。私が望んでいた力には程遠い……が、この力を最大限まで、しかも短期間で引き上げたい」

「ば……馬鹿! 連れていける筈がないだろ? レベルが違いすぎる。低スキルの回復魔法位で、何に成れたってんだ? おいおい~何か勘違いしているんじゃねぇ? 俺達の使命は獣を狩りこの世界の民を救う事だぜ。自分の能力開発の為じゃねぇぞ。そもそも絶対死ぬし。能力を高めんには、それなりの努力や経験が必要なんだよ!」

 意図せずこの地に飛ばされた元は、直ぐにでも海を渡るつもりだった。協会の言葉ではないが、世界は獣の脅威に晒されているのだ。こんなレベルの低い獣しかいない土地で、悠長になどしていられない。そんな怒号など気にも止めず、ハルはぐいと一歩詰め寄った。

「勿論本気だ。進めば進むほど獣が強くなるのならば、先に進んだ方が民の為になる。一石二鳥だ」

 自論を当然の様に押し付けてくるハルに、元はグッと息を飲む。しかしここで引く訳にはいかない。

「だから……無理だって。生き抜く事が前提だから。それって、俺に守ってもらうのが目的だろ? 低スキルのエンダは、この町から地道に戦っていくしかねぇんだよ。そうやって皆、次の海を越えられるようにになるんだ。そもそも俺がここにいるのは例外中の例外で、本来だったら自分の力で生きていくしかねぇんだよ。出来ねぇからって、人を頼るなんて虫が良すぎるぜ」

「……昔はそう思っていた。大切なのは過程なのだと。辿り着くまでにどれだけの努力を行ってきたのかだと、……いや、今でもそう思っている。そうあるべきだとも。しかし、それでは私が望む結果は得られない。もう一秒も無駄にしたくない。これが一番近道なんだ。元が言う事もよく分かるが、今はそのルールに従う事は出来ない。しかし私一人では、今直ぐに元の戦うレベルまで辿り着けない。正規のルートで行けば、恐らく元が辿ってきた倍以上の時間がかかるだろう。それでは、遅いのだ。分かってくれ。私は強くなりたい」

 

「頼むから俺の話を聞いてくれ」

 畳込める様に向けられる言葉の羅列に溺れそうだ。ハルの表情は頑なに無表情のままで、一歩も退くものか……そんな強い意志を感じさせる。元はギリリと歯を鳴らした。

 二人の間を優しい風が通り過ぎ、ハルの髪を揺らしている。その髪の間から垣間見える決意が、元を突き刺す。今や元の心臓は、ドクドクと大きく高鳴っていた。

「強くって……おめぇヒーシャじゃん。ヒーシャが戦える筈ねぇーだろ? 癒してなんぼだろ? あのなぁ、おめぇが、前線で戦っても勝てるわきゃねぇじゃねぇか。攻撃一つ出来やしねぇよ。同じレベルの奴らと組めよ! 癒しまくって強くなんじゃないの? ヒーシャって。……戦士の俺だって、弱い獣から戦って時間掛けて、少しずつ強くなったんだよ。近道なんてねぇんだよ……そうやって、俺はここまで来たんだ」

 そう説く度に元は少しずつ悲壮感が襲った。眉間に皺を寄せる元を一瞥しハルは言葉を繋げた。

「今まで伝えてくれた事は、分かっているつもりだ。今のままでは、明日にでも死ぬかもしれない。でも、死なないかもしれない。それに賭けたいのだ。ムシがいいことも、分かっている。いざとなったら捨ててもらっても構わない。お願いだ。元が戦っている場所まで連れて行ってくれ」

 元はグッと言葉に詰まった。切々と訴える言葉の端先が、いちいち心に突き刺さるのだ。この地に着くまで、必死に生きようとする姿が脳裏に過る。

「捨てるって……」

『そんな事、俺が出来ないって分かってて 、こいつ!』

「……何をそんなにあせってんだ? 俺がここにきて一年ちょっとだぜ。たった一年じゃねぇか? んで、こんな獰猛な奴を使えるようになるんだよ」

 そう言いながら、元はギヴソンを指差す。

「てか、ごめんだよ、用心棒みたいな事!」

 その最も至極な言葉にも、ハルは真剣な表情を浮かべたままだ。元の怒涛と、ハルの淡々とした物言いは、実に対照的で温度差がある様に見える。しかし次の瞬間、ハルの表情に一片の必死さが垣間見れた。

「何度でも言う。私を元が戦う場所まで連れて行ってくれ。それから先は、別行動だ。この通りだ、頼む!」

 これ程までに必死な姿を、今まで見た事が無かった。感情が高ぶる仕草を見せたのは、出会った時以来だ。それ以外は、何を考えているか分からない程、無表情、無関心を決め込んでいた。

『こいつ……ちょ、しつけぇ!』

 どれ程、怒鳴っても諦めないハルに、元の中で諦めに似た感情が浮上する。

『受け入れなかったら、こいつは一人で絶対に無理をする』

 そう思いながら、天を仰いだ。それは、自分の限界を理解していていながらの無謀……。そして、それを分かっているが故に、拒絶する事が出来ない自分も……。

 

 元は最後の期待を込めて叫ぶ。

「あーもう!! お前、超ムカつくんだよ! 一人で世界の苦悩を背負ってます、みたいな顔しやがって! 何なんだ、理由を言え、理由をよ! 皆、洗礼を受けたら使命感で意気揚々とするか、能力を受け入れられず体が拒絶して苦しむか、どっちかなんだ。何を抱えているんだ。聞かねぇ限り、動けねぇ。海を越える度に半端なく獣は強くなるんだ。あそこは俺でもギリギリ勝てるかどうか……。自分の身すら守れねーお前を連れていく事は、俺にとっては相当な賭けなんだ。そのリスクを負うだけの、理由があるんだろう? 俺には聞く権利があるはずだ!」


 互いが一方通行の主張を続け、全くの歩み寄りを見せない。そんなエンダ達のやり取りには、全く興味がないギヴソンは、面倒くさそうに丘の上で横になっている。タロといえば両手に組まれたハルの掌に、ちょこんと乗って事の成り行きを見守っていた。

『もう、一か八かだ。くそ、こんな真剣な奴を打ち捨てて行くなんて出来ねぇ。でも、お荷物抱えて戦って、果たして生き延びる事が出来るか……。聞いて納得する内容だったら仕方ねぇ。連れて行くしかねぇ』

 元はたとえ短い期間でも、一緒に戦う意義を見出したかった。強さを求める理由に共感をしたかったのだ。ハルは一瞬言葉に詰まったが、体を固くしながらもその視線は元を通り越し、遥か先を見据えて漂う。

「私は決して、己の不幸を嘆いている訳ではない。私は真実が知りたいのだ。何故この世界に呼ばれたのか。ここに来る為に犠牲にされた事、策略、全てが知りたい。今はこれしか言えない。今どれ程重要な事を決めようとしているのかは、分かっているつもりだ。しかしどのような結果が待っていたとしても受け入れる。……頼む! 私に利用されてくれ」

「利用されてくれって……」

 放たれた言葉に、元はがっくりと肩を落とした。


第4章 始まりの地 終わり

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