Enda

@ashida

Prologue

 怒涛の水量が轟音と共に滝壷に吸い込まれていく。落差が百メートルもあろうかという巨大な滝壷付近では、吐き出される水量に押し潰されそうな感覚が襲う。

『ふむ……使えるか?』

 滝壺から数十メートル程離れた岩場に立ち、ハルはそんな事を考えていた。巨大な滝からの飛沫のせいで、岩肌は大きく抉られ地面はぬかるみ、十メートル先の視界もはっきりしない。この場所であっても、身に纏う(まと)バトルドレスは滝の飛沫で、水を被ったようにぐっしょりと濡れていた。


 その時、ハルがピクリと眉を上げて、どこまでも続く深い森に視線を向けた。

「……元達を突破したか」


 深部部分から木々をなぎ倒す破壊音が徐々に近づいてくる。力任せに駆けているのか、破壊音は次第に耳をつんざく音に変わった。 


 ガァァァアアアガガガァァ


 体長十メートル級の生き物が鬱蒼とした木々を吹き飛ばし、森から飛び出してきた。剥き出しの牙、ギラリと縦に入った瞳孔、ごつごつとした毛のない身体、そして額に深い芥子色を讃えた宝玉が爛々と輝く。この世界の頂点に君臨し、総して「獣」と呼ばれている生き物だ。苔が生えるぬかるむ岩場をものともせず、一気に滝を横切っていく。

『元か』

 獣の右腕が切り落とされ、大量の血が滴り落ちていた。その断面は木の根元程の大きさで、繰り広げられたであろう死闘を顕著に物語っている。

『致命傷にはなっていない……が、かなり体力を消耗している。良い頃合いだ』

 立ちはだかるハルの事など、全く目に止まっていない。腕を斬り落とされた怒りから、我を忘れているのだろう。耳を塞ぎたくなるような荒い雄叫びを上げ、意識は森の外に向いている。

 しかし獣が滝を通り過ぎた刹那、その巨体は一瞬にして滝壺に弾き飛ばされた。獣が着水したのと同時に、波のごとく大量の水が周囲を襲う。

 獣の巨体を弾き返したもの、それは光輝く「光の盾」だった。周囲に降り注ぐ荘厳な音は、鬱蒼とした森に心地よい風となって吹き抜けていく。神々しいまでの光の盾は、獣を悠に超える巨大なものだ。

「ここまでだ」

 盾の背後に、腕を上げるハルの姿があった。足元には、幾重にも連なった文字と共に、魔法陣が術者を守るか様に浮き上がっている。ハルがスッと腕を下げた瞬間、光の盾はその形を消した。

『ここを突破されたら、この先の点在する集落が壊滅する。何としてもここで阻止する』


 ギアァァァァギャェェャァアァアッァギギャァア


 獣は滝から吐き出される水量によって押し潰され、滝壺の中で悶え苦しんだ。

「ふむ……やはりこの程度の滝では駄目か」

 ハルが冷やかな視線を向けた時、獣の怒涛が空気を揺らした。水圧に体が慣れたのか、悠々と滝壺に立ち上がると一歩を踏み出す。

 巨体に弾かれた大量の水は、波のように襲い掛かってくる。ハルは飛沫で濡れた長い栗色の髪の毛を払うと、そのまま片手を上げた。同時に光の盾が出現し、襲い来る滝壺の水を悉く凌ぐ。

『しかし……』

 情報を遥かに上回る成長具合に、軽い溜息が出てしまう。契約を交わしたときよりも、宝玉の色が濃く深みを帯びる。

『成長が早い。恐らくリストに上がった後に、いくつかの狩りを経験したのだろう。全く厄介な生き物だ』

 光の盾は闇に属する獣に対して、かなりのダメージを与える事が出来る。触れただけであっても多少の体力を奪う事が可能だ。しかし滝壺から這い上がる獣に、魔法によるダメージなど一切感じさせない。


 ギ……


 獣はその時初めて、眼前の小さき生き物の存在に目を止めた。芥子色の瞳に黒く縦に入った瞳孔を妖しく一度光らせる。

「用心深い奴だ。宝玉も深い色彩になるわけか」

 この世界の頂点に居ながらにして、その用心深さに失笑が浮かぶ。こちらの動向を窺うように、上半身を左右に動かし、ゆっくり一歩ずつ近づいてくる。

「ここで阻止する……か」

 滝の轟音で掻き消される事を見越して、ボソリと呟いた。

「この世界、「Another world」の扉を開けて……もう四年だ」


 ガキン!


 鈍い金属音が、感情ない声を耳触りと言わんばかりに響き渡った。


 ガギン! ガギィーン!!


 片腕を失ってもなお失われない破壊力で、盾を壊さんと執拗に打ちつけて来る。無表情で片手を上げて光の盾を形成しているハルは、獣の姿に視線を上げた。

「この私が、こんな化物と対峙する事になろうとは……な」

 獣が大きく腕を振り上げた刹那、光の盾がその存在を消した。殺戮という名の快楽に目覚めた獣がこの瞬間を逃す筈もない。ニヤリと口角を引き上げると、牙をむき出して襲い掛かってきた。

「……届け 世界の叡智」

 目に余る獰猛さだ。しかし全く臆することなくハルの呟きが落ちると、いくつもの眩い位の魔法陣が掌から溢れ出した。そのまま腕が上げられると、獣に向かって大小の魔法陣がなだれ込んでいく。


 グギャ……?


 獣が身体に触れる魔法陣に気付いた時には、時すでに遅い。


 ギギギィィィィギギイィ


 見えない力に四肢が縛り上げられ、一切の自由を奪われた。それだけではない。抵抗する体から、急激に体力が失われ、その脱力感に獣が低い唸り声を上げる。

 

「元」

 大木の枝の上で体格のいい男が背丈程の長い剣を肩に携え、獣を上から見下ろしていた。体つきから前線で戦う戦士だと見て取れる。

「遅いぞ」

 ハルから、鋭く睨み付けられた元は、ばつが悪そうに頭をボリボリと掻く。しかしその心情は穏やかではなかった。獣を取り逃した悔しさよりも、手を焼いた獣を難なく食い止めているハルとの力の差が悔しかった。

『まぁいいや、これからだ』

「わりぃ、腕一本持っていく代償でこっちもかなりヤバくてさ。爺さんに治してもらってたら、遅れを取っちまった」

 そうニカッと笑って、背丈程ある剣を難なく振り落とす。しかしふと獣に視線を向けると、瞳を細め小さく息を吐いた。

「終わらせよう」

 ハルが放った短い言葉に、元は獣を見据えガッと枝を蹴り上げる。

「おうよ!!」

 おおきく振りかぶった剣に森の光が集まっていく。凝視する獣の瞳に一筋の光が映し出された。

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