相模県箱根町 湯本温泉

「…ねえねえ、まだ起きないの? あの…疲れていたら、無理に起きなくても良いけど、早く起きてくれないと、頬っぺたスリスリしちゃうよ^^」


 ここは…? ああ、思い出した。往路の交通で無意識に疲労が蓄積したらしく、旅館の客室に着くや否や、布団に倒れたまま寝ていたようだ。、幼馴染みの十三宮とさみやめぐみが居て、私の顔を楽しそうに見詰めている。同じ和室には、姉の十三宮とさみやひじりが正座で茶菓子と対峙し、洋室の椅子ではもう一人の姉、十三宮とさみやいさみが涼んでいる。私は暫く、仁さんの笑顔と無言で見詰め合っていたが、聖姉さんは、私の目覚めもすぐに察したようだ。


「お疲れは取れましたか? 夕食まで時間が御座いますので、お禊ぎに参りたいと思います」


「皆で一緒にお禊ぎする!」


 私はもう慣れたが、「国語」あるいは「言霊」とでも言うべき概念に価値を見出す彼女ら…特に聖姉さんは、しばしば回りくどい言葉遣いを決行する。「」を「」に自動変換するのも、その一例である。


「温泉なんて久々ね。着替えの下着はどこに入れたっけ?」


 その点で勇姉さんは、良くも悪くも分かり易い言動が平常である。



「ねえねえ、次はこっちに入ろうよ! お湯が湧き出て来て、体に当たるのが気持ち良いんだよ! あ、お外にも行こうね! それから、温室!」


 温室? ああ、サウナか。仁さんは()常に好奇心を働かせており、1回の旅行、一度の温泉だけでも、興味関心の対象を次々と発見しては、眼を輝かせている。気分次第で庖丁やなた、神社では仕込み杖(刀が入っている)を、彼女は可憐の顕現であり、純粋に微笑ましい。ところで、サウナの熱源ってどうなっているのだろう?


「あれはラドンRnの同位体、トロンTn元素よ。51.5秒ごとにトリウムThに壊変するんだけど、その時に放射線が発生する。どうでも良いけど、サウナってフィンランド語らしいわよ」


 宗教学を探究し続け、自らも若くしての神官を務める聖姉さんに対して、勇姉さんは政治・軍事及び理系に強い傾向がある。


「夏なのに東京は毎日雨だったけど、相模も曇っているね。天空が真っ白だよ」


 は、の谷地形に立地している。私達の眼前には、緑豊かな斜面が迫っていて、夏らしく虫の鳴き声が聴こえる。その先はに連なり、上のほうには霧が掛かり、やがて白く曇った一面の空模様へと至る。思えば、あまり積極的に意識した事がなかったかも知れないが…。


「例え観光といえども、自然の中に身を置くと申しますか、そのような経験から、私達が感じ取るべき事は多いですね」


 思った事を先に言われた。また、ようだ。聖姉さんの近くでは、如何なる悪巧みであれ、それを考える行為は避けたほうが良い。


「何か悪戯でも謀っているのですか?」


 この通り、すぐ露見する。


「…あれ? 今、お空が急に光らなかった?」


 が、にわかに声を大きくした。


「この時刻、天候…流星群は見えないはずよ。あるいは…」



 その後、夕食の刻限。


「選ばれし使徒様方、お待ちしておりました。今夜のお食事は、こちらです。お飲み物は一覧にございますが、お買い得なのはやはり、相模湾のかと…」


 この女性は、須崎すざきグラティアGratia優和ゆうな、とりあえず現段階では、姉さん達の盟友であり、「」はの司祭である事を述べておく。彼女が用意した色紙に、既に決まった献立が書かれている…のだが、勇姉さんはそれが気に入らないらしい。


「なんなのよ、このメニューは? …日本語って複雑怪奇ね。はあ…気に喰わない。自分が食べる物くらい、自分で決める! 私の運命は、私自身で切り開くのよ!」


 勇姉さんが中二病から脱却できない間、聖姉さんは献立の料理内容に見入っている。


「そういった比喩表現をも含めて、言の葉なのですよ。言霊には力があるゆえ、婉曲するという技法が意味を持ち得たのかも知れませんね。この料理は…あ、これはお姉ちゃんにも作れそうですね。お二人は、飲み物どれになさいますか?」


 ああ、そうだった。飲料を選択しなければ。私は…そうだな、これにしよう。「仁さんは、どれにする?」と言いながらを向いたら…。


「…めぐちゃんは…おねんねする…」


 は、まだ若い体をこの世に残したまま、意識だけ夏影の彼方に旅立っていた…仁さんは()礼儀正しい少女である。


「須崎さん、とやらも良いですけど…正直飽きて来たんで、そろそろ何か、新しい商品を開発しませんか?」


「そうですね…いかんせん私は、専門が海洋学なので…あ、勇様は航空工学でしたっけ? それでしたら…シャトルか宇宙エレベーターに積んだ水を回収して『』なんてのも良いかも知れませんね!」


 そんな話をしながらも、とりあえず飲食しようと思って、を起こそうとしたら…。


「これが桔梗ヶ原ききょうがはらで、こっちが磐梯…」


 は、いつの間にか起きていたが、食卓に届いた信濃の葡萄ジュースと、会津の清酒を融合し、を創造していた。案外美味しそうな香りがしない事もないが、毒味見どくみは成人後にして頂きたい。



 客室からは、早川の流下が聴こえる。河床に複数の段差が設けられているため、元来の河川よりも騒がしいのだが、この場所においてはさほど不快でもない。


みやこに住んでいると、あんまり気付かないけれど、虫さんの鳴き声って、時と共に変わるんだね!同じ町でも、朝と夕方と夜と、別の事を言っているのが聴こえる…」


 が、お茶を飲みながら景観を視聴している。多くの戦災に明け暮れる歳月を過ごして来た私達にとって、こうして心身に余裕を感ずる時間を持つ事は、掛け替えなき機会なのだろう。特に人間は、心の拠り所、あるいは逃げ場と言うか、精神的価値を探し求める存在だと聖姉さんは言っていたが、確かにそうなのかも知れない。


「あら、覚えていてくれたのですね^^」


 姉さんの反応に微笑みながら、なおも曇り続ける天空を仁さんと共に見上げると…。


「…あ! また空が光ったよ! 厳霊いかずちかな?」


 今度は私の眼にも、明白に見えた。だが、落雷にしては随分と静謐だ。答えは勇姉さんが導いた。


「あれは伊豆の反射よ。いや、今はもう『反射』とでも呼ぶべきかもね。伊豆には昔から、鉄鉱石を放射熱で大砲に溶錬する遺跡があるけど、世の中には変な事を思い付く人が居てね、その技術を一体化させたのよ」


 「」と「」を、一体化? それって、まさか…。


「そうよ。の。増幅させたエネルギーを、電磁波光線として放出する…まあ、レーザー兵器みたいな物ね。主導しているのは多分、堀越ほりごえさん達でしょう」


 堀越ほりごえあおい、称号は国司「駿河守するがのかみ」。駿河県令と駿河旅団長を兼任する、の軍閥である。十三宮家の古くからの守護者であり、人民共和国時代には、独裁政権の宗教迫害に抵抗し、幼き姉さん達を守り抜いた。現在は、日本帝国東京政府に忠誠の態度を取り、彼らの信任を得る事で、かつて「静岡県」と呼ばれていた伊豆・駿河・遠江の自治を担っているが、十三宮教会の意向に沿った言動も多く、実態は聖姉さんの傀儡である…などと説明したら、姉さんに怒られそうな気がしない事もない。


「…怒りませんよ?」


 それは良かった。だが、堀越駿河が「」などと言う新兵器に手を出した理由は?


「軌道上にはまだ、あのわ。それが稀に、の。それの迎撃よ。見た感じ、さっきのも多分そうね。『』が国連に禁止されたから、その代替よ」


 「Anti小惑星Asteroid隕石MeteoriteCannon」とは、その名の通り、地球に飛来する小惑星や、その破片である隕石を迎え撃つために開発された機構であり、ロケット弾道ミサイル及び電流加速レールガンの技術を集大成したような代物であった。しかし、当時から実用性に疑問が向けられていた上に、ため、国際連盟によって縮小・廃絶の方針が決議されている。なお、であり、そこにはまた、アメリカ本土を核攻撃するという意図もあったようである。


「…まあそんな感じで、次世代兵器はレーザーみたいな傾向なのよ。それに堀越さんは、ゼロ戦を発明するような親戚の親戚らしいから、反射砲で隕石を撃墜するイデアideaを国民軍に売り込んで、それを地元に誘致するくらい、不思議じゃないわ。でも、ほかにも目的はあるでしょう…ねえ、聖?」


 平和主義者()である聖姉さんは、戦争とか軍事の話に不快感を示す事が多い。当然ながら、そういう方向に話題を誘導したがる勇姉さんに対しては、尚更である。


「勇…私が碧様に『』の裁可を授けたのは、あれが平和利用だと私に約したからです。剣を抜くとは、一言も伺っておりません! 碧様は、私の前で己を偽る事など御座いませんし、魔の邪気も感じませんよ?」


「それは飽くまで、の話。でも、には? 伊豆は聖と須崎さんの、静岡は堀越さんの、事実上の領土でしょ? 沼津は微妙だけど、どうせ仁に分家でもさせるんじゃない? 尾張の津島つしま長政ながまさは少し怪しいけど、まあ今は同盟国ね」


 聖姉さんの側近である津島つしま長政ながまさ、称号は国司「三河守みかわのかみ」。堀越駿河と同じく、十三宮家とは昔からの縁だが、十三宮の威を借り、その力を我欲に悪用せんとしたため、堀越・須崎らと対立し、堀越碧に暗殺され掛けたが、当時の聖姉さんに生命を救われ、以後は十三宮教会に協力的である。現在は、旧体制時代の「愛知県」に当たる尾張・三河を支配する軍閥だが、相変わらず堀越駿河とはあまり仲が良くないらしい。稀代のオカルティストでもあり、某所にて「」を運営し、その手の情報に詳しく、人脈も豊富だと言われる。全身火傷を包帯で覆い、漆黒のベールから片目だけを現し、皇帝に対してさえ敬語を使わぬ「黒魔術師」だが、その割に言動は冷静的確で、私達を助けて下さる一面も有する。


「駿河旅団は、アメリカの州兵みたいな『地方公務員』で、堀越さんの指揮で動かせる。その堀越さんは、聖の傀儡よ。そして、伊豆反射砲とか言う新兵器を掌握した今、ここ箱根は無論、小田原もすぐに陥落させられる。ついでに、大森や浦和にも飛び地があるしね。聖、なのよ。あとは東京に入城して…」


「それってつまり、姉様が天下を…」


「いえいえ、お姉ちゃんに権力者なんて向いていませんよ…万一それが可能だとしても、私達が覇道に走るべき理由は? 法王様を戴く東京国府は、天主Deusの義を体現しておられます。この上、無益な戦乱を引き起こしてはなりません」


「だから、将来の話だって言ってるじゃない。今は良いの。でもいつか、動くべき時が来るかも知れない。例えば…東京がクーデターで『』に乗っ取られたりとか? それにね、聖。、何ものよ。確か生月島いきつきしま?平戸の辺りだったかしら…どっかのが、私達と接触する機会を窺っているらしいわよ。敵か味方かの識別を含めて、ね」


「はあ…なぜのですか? ヨハネ騎士団ならば分かりますが…」


「肥前って事は、かな? じゃあ、姉様と同じような受難を耐え忍んで来たのかも?」


「そうね。須崎さんなら知っているんじゃない? ま、一寸先は闇だし、色々と想定しておくべきよ。のが歴史の教訓。それに、仁が生まれてが死んだ時、そしてこの子と出逢った時、誓ったでしょう? 私達は百年後、千年後の未来を見据えて、必要ならば残酷な運命にも立ち向かうって。聖…あなたの眼に、百年後の日本は、世界は見えているの?」


「あの日の祈りを忘れた事などありません。信じた未来は、必ず守り抜きます。ですが一握の不安もあります。果たして私達は、本当に平和を築く事ができるのか? そして、私達が生きたこの時代を、後世の方々はどう評価なさるのか? その全てを見通す事は…」


 せっかくの旅行が、あの反射砲とやらと、更に勇姉さんの邪推で、やや深刻な雰囲気になってしまった…と思った時、が、パンドラの箱に希望を見出したような顔で立ち上がった。そして再び、私を見詰めて微笑んだ。


「大丈夫だよ! だって私達は、ずっと一緒だもん! 聖姉様と勇姉様、あなたと私…皆が清き明き心を胸に抱く限り、神様も私達と共に居て下さる! もし間違ったり、壊れてしまった時は、何度でも建て直せば良い…私はそう信じるよ! ね?」



 あの年の夏を思い出すたびに、私は推し量る。彼女達の眼には、百年後の世界が映っていたのではないか…と。

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