博斗は、いままでの自分の生涯のなかで最悪の葛藤のなかにいた。


第二の神官怪人は退けた。

神官のコアはあとひとつ。

神官怪人はもはや恐れるに足らず。

ピラコチャも充分太刀打ちできうることがわかった。


それにもかかわらず、まるで勝算は見えず、博斗の意識は深い底無し沼のなかへどんどん沈んでいく。


あの、マヌの圧倒的な力を見たことが大きい。

マヌの心には迷いがない。

破壊と権力と憎悪がマヌのすべてだ。


対する博斗達には、わずかでも心に迷いがあってはいけない。

はからずもシータの登場によってそれがわかった。


いまの、迷いのある博斗は、マヌに勝つことは出来ない。

博斗には、持続する憎悪や闘争心はない。

爆発的に、圧倒的な密度をもって一瞬、力を突き上げることは出来るだろうが、それにはきっかけが必要だ。大きなきっかけが。


博斗は廊下を歩いた。

どんなに思考が混乱していても、自分はキャップとしての責務を果たさなければならない。


昨日はあまりのショックに、博斗自身なにもすることが出来なかった。

遥達へのサポートも、もちろん出来なかった。

自分が思い悩んでいるのと同じかそれ以上に、遥達は苦しんでいるのではないか。


このくそひどい状況にありながら、今日は学事日程で、三年生の卒業式が組まれている。

生徒会の会長である遥は、卒業生への送辞のために式に出席する必要がある。


遥が、きちんと送辞を果たすことの出来る精神状態にあるかどうか。

博斗はそれを判断しなければならなかった。


生徒会室にはいつもの四人がいた。

四人も、昨日の出来事にショックを隠しきれない様子で、だいぶ沈んでいた。

だが、そこに遥はいなかった。


「わたし達もショックでしたけど、きっと、遥さんがいちばん悩んでいると思います」

由布にそう言われ、博斗は、遥の教室に向かった。


教室で、机に座って窓の外を眺めている遥を見い出した。

「机に座るのは、あまり行儀がよくないなあ」


はじめて遥が振り向いた。

どんな落ちこんだ顔をしているだろうかと思いきや、遥の顔は、しっかり引き締まっていた。


「博斗先生は、知っていたんですね?」

「知っていたよ。最初から知っていたわけじゃないけどな」

「そうですか…」


「彼女の名誉のために言っておく。彼女は、時期が来れば必ず自分の正体を打ち明け、仮面も自分から捨てるつもりだったんだ。だが、自分の意志に反して…」


「わかってます」

遥はうつむいた。

「隠していた自分をさらけ出すのが、どんなに恐ろしくてどんなに勇気のいることか、あたしにはよくわかるし、みんなだってよくわかっているはずです。みんなそういうのを乗り超えてきたんだから」


遥は顔を上げて博斗を見上げた。

その眼から涙がこぼれた。

「だからこそ、助けてあげたいです! あたし達の力で取り戻したいです、彼女を!」


博斗は遥の肩を叩いた。

「ありがとう、遥君。誰よりもいちばんつらいのは君だろうにな…」


遥は、泣きながら笑った。

「でも、あたしが悩んだり苦しんだりしたら、みんなの士気に関わりますから。あたしの役目はそれなんだって、わかってます。あたしは、みんなを引っ張る牽引車ですから、絶対にガッツを捨てません!」


「よし。よくそこまで言い切った」

「卒業式ですから、ちょっとぐらい泣いてるほうがいいと思いません?」

「は、はははっ。ごもっとも」


「あたし、卒業式に行かないと。みんなも一緒に参加させて、仕事させます。こういうときは、健康的に体を動かさないと!」

遥は、鉄砲玉のように教室から出ていってしまった。


静かな教室に一人残された博斗は、ここにきて強靭な意志を見せてきた遥を少しうらやみながら、遅れて教室を出た。

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