第四十一話「散歩する学生」文学怪人ムー・ヘンリー登場

第四十一話「散歩する学生」1

「さあ、目を開けなさい」

母なる声が聞こえ、僕はゆっくりと目を開いた。


僕の前に立っているのは、ほとんど黒のこげ茶色のマントですっぽりと身を包んだ背の高い男だった。


「さあ、目が覚ましたね。ではさっそくお前の晴れ姿を総帥にお見せしなければ。よいですか、お前は確かに神官怪人ではありません。しかし、いままでに蓄積したノウハウを充分に生かした強力な怪人なのです。お前の脳には、古今東西のあらゆる文学作品の知識が詰めこまれています。その知識を総動員しなさい。そうすれば必ずスクールファイブに打撃を与えることが出来ます」


僕は、口を開いた。

「かしこまりました。ホルス様」


だが。

僕の心は穏やかではなかった。


「打撃を与えることが出来る」とは言ったが、「勝つことが出来る」とは言わなかった。

はじめから、僕は捨て駒なのだ。おそらく。


それも仕方のないことだ。

それが、僕の生まれついての定めなのだから。


人はどうして生まれ、どうして死ぬのだろうか。

こうして死にゆくためだけに生み出される僕のような者に、なにがしかの価値はあるのだろうか。


…どうも、僕には、過剰すぎる思考回路が存在するようだ。

その、あらゆる文学作品の知識とやらが詰めこまれているためかもしれない。


「さあ、ついて来るのです。さっそくお前を総帥にご紹介しなければ」


「わかりました。ホルス様」

僕は言った。

ホルス様は僕の母と言える。父は、これから会おうとしている人物――マヌ総帥だ。


「さあ、行きますよ、怪人ムー・ヘンリー」


ホルス様が僕の名を呼んだ。

そうだ。僕の名はムー・ヘンリー。文学怪人ムー・ヘンリー。


文学の肩書は伊達ではない。

ホルス様の言う通り、僕の頭の中には、ムーから現代の日本に至るまでありとあらゆる世界の文学作品の情報が詰まっているのだ。


ホルス様は廊下を進み、僕はその後に続いた。

湿っぽい臭いのする廊下を抜けると、僕たちはいきなり広間に出た。


玉座には、僕の父と言うべき男が眠るように座っていた。


はじめ僕は実際に、眠っていると思った。

だが、ホルス様と僕が、ほとんど足音も立てずにひそやかに進み、広間に足を一歩踏みいれると、彼は眼を覚まし首を持ち上げた。


「新しい怪人が出来まして、総帥にお目通しを」

総帥は眼をあげた。

銀色に輝く瞳が焦点を僕に合わせた。人間の眼ではない。


もっとも、それを言い出せば、僕とてもちろん人間ではない。


四肢は人間のまま、ただ、僕がムーの怪人であるという証明のために、ぴったりとした青の戦闘服をまとっている。


体は僕の特殊能力の源泉である。

そのデザインは日本で有数の知識の宝庫である広辞苑を元にしたそうだ。

頭部も一冊の本。

僕はあまりこんな自分の格好が好きではない。


真に知恵あり賢明な人間は、自らの才能をこれみよがしにひけらかしたりはせずに謙虚であるべきだと思う。


真に知恵あり賢明な人間は、天才的な行動を、当たり前のように成し遂げる。

それがすごいことだと意識させずにすごいことをあっさりと成し遂げてしまう。

それが実力というものだろう。


故に僕は、自分の力のシンボルを誇示するようなこのスタイルはあまり好きではない。


そうだ、総帥やホルス様と別れて陽光市に行く頃には、人間の姿を借りるとしよう。

実際、人間の世界で行動するには、そのほうが明らかに適切だ。


総帥の声は深く、直接手を伸ばされているようだった。

しわがれた老人のそれにも聞こえるが、しかし永遠とも思える若さを秘め、真意をこれとはつかみとらせない魔力のこもった声だ。


並大抵の意志の強さではこの声に逆らうことは出来ないだろう。


そもそも、総帥の偉大な力のことを思えば、逆らおうなど考えることすらそもそも馬鹿げたことだ。


総帥はすべてを意のままにすることが出来る。

大地も、天空も、そして、地上人には不可能な、人の心を思うがままにすることさえ。


僕のみたところ、ホルス様もピラコチャ様も明らかに総帥に毒されている。

毒されているとは善悪の価値判断の議論ではなく、すでに自分自身を見失って―見失わされて―いるという意味でのことだ。


だが、僕の記憶では、幹部は四人いたということになっている。

あと二人はどこに行ったのだろう。

総帥の意に逆らうようなことをしたのか? それとも?


総帥が言った。「名乗れ」


僕は顔を上げ、総帥の魚っぽい顔を見た。

見た瞬間、視線を剥がすことが出来なくなった。

総帥の視線は僕の瞳を通じて視神経に入りこみ、そして僕の作られたばかりの脳髄のなかまで舐め回した。


自分のなかに別の誰かの意志があるという感覚に僕はぞっとしながら、乾いた唇を開いた。

「文学怪人、ムー・ヘンリー」

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