9
博斗を引っ張りながら、望はずんずんと進んだ。
「ど、どこまで行くんだ、望?」
廊下を進むと、すっと建物を抜け、再び昨日の中庭に出た。
「ここならいいでしょう?」
望は、辺りを見回した。とりあえず辺りに人影はない。
「ねえ、博斗。おかしいのよ」
「おかしい? なにが?」
「たとえば…」
望が言いかけたとき、博斗は、視界の隅から光るものが飛んでくることに気付いた。
「危ないっ!」
博斗は望の肩を抱いて地面にしゃがんだ。
しゅっと音を立てて、医療バサミが植え込みの下の地面に突き刺さった。
博斗は望をしゃがませたまま、やや体を起こすと、ハサミの飛んできた方向に目を凝らした。
「誰だ! こんな真似しやがる奴は!」
建物への非常口に、ぬっと背の高い男が現れた。
「ぎょっ、お前、昨日のリンカーン!」
インターンはにやりと笑い、両手を胸の前に出した。その手にはきらんと輝くメス。
「お前達を『治療』する」
「なんのつもりですか、石巻(いしのまき)さん!」
望が詰問した。
こいつの名前は石巻というらしい。
って、この際そんなことはどうでもいいのだ。博斗は、インターン石巻の目に、尋常ではない光を見い出していた。
「あいつ正気じゃないな」
「え? なに、どういう…な、なに、この空…!」
博斗に顔を向けようとして視線を上に向けた望は、空がインクを垂れ流したような赤紫色になっていることに気付き絶句した。
その視線を追い、博斗も、空の異変を見てとった。
「望、逃げるぞ! こいつはただごとじゃない!」
博斗と望は中庭から、別の入り口を伝って再び建物に戻った。
「待て~!」
後ろからインターンの追ってくる声がする。
かと思うと、バタンとドアが開き、別の医者が現われ、二人の前に立ちはだかった。
「見つけた~。逃がさない~」
医者に続いて、患者らしい人間達までぞろぞろと続いてる現れると、博斗達のほうを向いた。
「ぎょぎょっ! こ、ここはいったいなんだっ?」
必死に走った博斗達は、ロビーに戻ってきた。しかし、そこらじゅうの医者、患者、看護士達が、獲物を見る狼の目で博斗達に向かってきた!
「逃げるぞ、外に!」
と言って博斗は出口の自動ドアに向かったが、ドアは自動では開かなかった。
手と足でなんとか力技で開こうとしても、やはりドアはさっぱり開かない。
それどころか、外の景色さえ見えていない。透明なガラスの自動ドアの向こうは、赤紫の気色悪い空間だ。
「博斗、助けてっ!」
望が悲鳴を上げた。
振り返ると、さっきの骨折男が、黄色い目をして、松葉杖を振りかざし望を狙っていた。
松葉杖は、見た目よりずっと頑丈で重いと聞いたことがある。
駄目だ! 間に合わない!
「折れるなよっ!」
博斗は左手で手首を押さえながら、右腕を望の前にかざして松葉杖の一撃を受けた。
音はほとんどしなかったが、予想よりはるかにきつい痛みが手首にやってきた。
「いまだ!」
博斗は左手で望の手を引き、再び走り出した。
「博斗、手は大丈夫なの!?」
「うるさいな、お前が大丈夫なんだからそれでいいよ!」
望は黙ってしまった。
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