第6話「目が覚める」

 翌日目覚め一番でハクタが起こしに来るのを待たずにヤーは部屋から出て一階の食堂へ向かう。

 大きな足音はハクタを無理矢理夢から引きずり起こすのには十分で、寝ぼけまなこで降りていくヤーの背中を確認して、気付かれないように追いかける。


 相手は女性であるとはいえ、二人きりという状況に護衛役としては警戒しておきたい場面だ。とりあえず話の冒頭だけでも聞いて、安全と判断できればミカがいる部屋に帰る予定だ。


 少女と少年という性別の違う護衛相手が二人という仕事に、疲れでも溜まっているのかハクタはここ数日夜に目覚められない気がした。

 いつもだったら雨が降り始めれば気配で起きられたものの、昨日とその前の大雨の時は瞼を開けることもできなかった。

 終いにはミカが部屋に出ていたことに気付かなかったのだから大失態と言える。気を引き締めないと思いつつ、マリの手を引っ張って行くヤーを見失わないように追う。


 ヤーは宿屋の裏手、裏口と森の中間部分を選んだらしい。裏口付近には身を隠せる場所がなかったため、森の藪の中に身を潜める。

 仁王立ちで自分を見据えるヤーにマリは怯えた顔をしている。しかし一向に遠慮せずにヤーは開口一番に爆弾のような発言を投げた。


「マリはどこから来たの? この村に滞在する目的など洗いざらい吐きなさい!!」


 思わず藪から飛び出てヤーの口を塞ぎそうになった意思を抑え込んで、ハクタは身を潜め続ける。

 もう少し捻った会話から迫っていくものかと期待していればど真ん中直球の発言に、肩が重くなった。


 マリは目を丸くしたかと思えば、すぐに赤くなって慌てはじめる。

 今の疑問の中に顔を赤らめる要素などあったかとハクタは脱力した態度で眺めていた。


「あ、あの、皆には秘密……ですよ?」

「はぁ?」

「だって田舎の村って噂が広まるの早いから、し、しかも私の事情は、あれなんです!!」

「な、なによ?」

「か、駆け落ち……の準備なんです」


 開いた口が塞がらないヤーと、思わず藪の中で音を出してバランスを崩しそうになったハクタ。

 そんな二人の様子も気付かずにマリは顔を赤らめつつ、しかし嬉しそうに話し始める。





 月すら恥じて姿を隠すような闇夜の下で、赤いカーテンを揺らして窓辺に現れた美しい銀髪の青年。


 仮面舞踏会の装いを想定したかのような煌びやかながら重厚な色合いの式服を着ているその姿は王子。

 白い手袋をした左手を伸ばしてきた時、青年と視線で交わした会話はまるで夢の中の睦言。


 誘われるがまま窓から乗り出し、月と太陽が姿を現す前に森の奥へと姿を消して、二人はただ見つめ合う。

 言葉はいらなかった。青年の優しい眦だけで充分なほど愛に包まれていた。


 寝巻き用のドレスが汚れるのも気にならないほど、その視線と愛に夢中で走り続けた。

 途中で強い雨が降っても身が火照るほどの恋はいつしか愛が混じって恋愛に。


 しかし青年は頼み事を告げてから口づけ一つだけ残し、雨露に濡れる森の奥へと消えた。

 家に戻れない、ならば近場にある村に身分を隠して彼を待とう。そう決心して明かりの灯る賑やかな宿屋の扉をノックした。





 途中から胃もたれを起こしていたヤーは、眉間に皺を集めつつ簡単にまとめる。


 つまりは一目惚れをした挙げ句に何も知らない相手にホイホイついて行った結果の居候、というだけである。


 藪に身を潜めるハクタも胡乱気な目で途中からは聞き流す程の阿保な話だ。しかしマリの目は本気の意思を宿している。

 盲目的で熱がついた感情は少女を浪漫という水槽の中へ浸すには充分らしい。頭まで浸かったせいで何がおかしいのかわかってすらいない状況だ。

 マリは顔を赤くしたまま、思い出に浸りながら熱に浮かされたように話し続ける。


「だから、目的と言われても……偶然この村で彼を待ち続けているだけで、家とは無関係なことなんです」

「そのさ、彼の名前とか、屋敷を持つほどの家柄なら名字や屋号とかあるんじゃないの?」

「彼は視線だけでしたので。だから私は曇天の貴公子って呼んで」

「ああうん。そこはもういいや。家について簡潔に」


 これ以上惚気られたらたまったもんではないとヤーはマリの想い人の会話についてはあっさりと切る。

 なにより視線だけで会話という時点でなにも情報は出てこないと判断した。そんなろくでもない相手の頼み事も気になるが、それには惚気話を乗り切る体力が必要である。


 朝飯もまだなヤーにとっては惚気話を耐えきる自信はなかった。そこで話の端々で引っかかったマリの家柄を追求することにしたのだ。

 仮面舞踏会や赤いカーテンの窓辺、ドレスという言葉選びからマリはそういった世界に慣れていると感じたのだ。


 カーテンに派手な色を使うのは貴族や富豪、仮面舞踏会を想定という言葉は実際に参加した人間にしか出せない言葉である。

 なによりその場の情熱に任せて駆け落ち騒動というのは、どう考えても一般家庭で家手伝いするしっかりした女性にはあり得ない話だ。


「だ、誰にも言いません?」

「言わないわよ。アタシは潔白さえ知れればいいの」

「家は西のカルディナという貴族です」


 あっさり告げられた有名貴族の名にヤーは思わず直立したまま倒れそうになる。

 西の貴族カルディナ、ユルザック王国でも有数の伝統ある貴族で、歴史上において王族に嫁いだ娘もいるほどの名誉ある家柄だ。

 王族と血縁を結んだ背景から一定の領地も任されており、しかしその地位に驕ることなく安定した統治を続けているはず。


 貴族の娘が東の小さな村、このヘタ村で宿屋の手伝いをしているという現状に卒倒しそうになったのだ。

 本来なら国中に手配を回されるのではないかと思ったが、伝統ある家柄の娘が駆け落ちという不祥事を隠したいために公にしていないのかと推測した。


 名字を知ったことにより、マリがマリエル・カルディナという名前であると判明した。

 ヤーは相手が貴族の娘だと把握しても態度を崩さずに追及を続けると決めた。


「一昨日、豪雨の深夜にマリはなんで宿屋に? アタシが理解している範囲じゃアンタは宿屋にいなかったはずなんだけど」

「あ、そ、それは彼が」

「彼が?」

「雨降る前に家に来て……宿屋に向かって起きてるお客さんがいたら、寝るように手配して欲しいって」


 本当は寝間着姿で恥ずかしかったけれど、彼の急な頼みだからとマリは頬を染めて照れながらもスカートの布地部分を掴む。

 詳しく聞いて行けばいつもと変わらない優美な姿で窓を軽く叩いて現れたらしい。そして急いでほしいと頼んだようだ。


 マリはそのため寝間着で身も整えていなかったが、慌てて宿屋に向かって裏口から人を起こさないようにはいったらしい。

 女主人に何か聞かれても忘れ物をしたと言えば良いし、客はつい最近王都から来た新規のお客様だから不審に思わないだろうと判断したという。


 宿屋に辿り着くと同時に雨が降り出して帰れなくなった矢先、二階の廊下から声が聞こえたので灯りを持って上っていた。

 そして起きていたヤーとミカを見て、眠れないようなら飲み物などを提供すると声をかけたのだ。


「いつも、彼と会ってるの?」

「毎日って程じゃないですけど、雨降る前の曇り空の夜に少しだけの逢瀬を」


 ヤーは話に出てきた曇天の貴公子が怪しいと睨み始めた。同時にマリは利用されているという疑惑が膨らんでいく。

 なにしろ仲間だった場合、ここまで話すのは利益にならないからだ。意味がない上にどうぞ怪しんでくださいと告げていると同意義だ。


 重要な内容は隠しているかもしれないし、わざと注目を他へと向けさせているように情報操作をしているという疑いもある。

 だが身分であるはずの貴族の家柄やどうでもいい惚気話を広げる辺り、疑いをかけるのも馬鹿馬鹿しくなってしまうのだ。


 頭の悪そうな少女を恋という操り糸で自由に動かしている、そんな印象をヤーは抱いた。


 同時に膨らむのはなぜ西の貴族であるカルディナ家の娘をわざわざ東のヘタ村まで連れてきたのか、その謎が残っている。

 他の企みを感じつつも、これ以上は朝飯前に聞くものではないと判断して、ヤーはお礼を言ってマリを宿に戻らせた。


 裏口から宿屋に入っていくマリを見届けてから、ハクタはヤーに気付かれる前に入り口側から宿屋に踵を返した。

 宿泊している部屋に向かう。ミカが起きてベットの上に座っているのを確認して、立ち上がらせて朝飯を食べに行こうと連れていく。


 ミカは変わらない表情のままハクタの手に引かれながら歩いていく。ハクタは気付かなかったが、口が言葉を出そうとして失敗するように開閉を繰り返していた。




 ヤーは朝食を欠片も残さず平らげて、ミカの手を掴んで鬱蒼と茂る森へと大股で向かう。

 引き摺られるように連れていかれるミカを哀れに思いつつ、ハクタは周囲に気を配りながら二人を追う。


 森に生えている木は枝を大きく広げ、青々しい葉の裏には吸いきれなかった水滴が今にも地面に落ちそうだ。

 村の境目として区切るように乾いた土と泥の地面が線を描いている。濃厚な緑の匂いにむせ返りそうなほど空気すら違う。

 しかし潤っているはずの森の中には一切生き物の気配がしない。虫の演奏会も行われていないようで、不気味なほど静かである。


 ヤーは森の手前でミカの手を離す。どう動くかを見るために無言で目尻を上げる。

 睨みつけられているが表情一つ変えずにミカはゆっくりとした、それこそ眺めている相手が首を動かした方が早いと言わんばかりの動きで、森を見回す。

 そしてこれまた手を引っ張って連れていきたいほどの緩い速度で歩き始める。ヤーは歩幅を合わせてついていく。


 おそらく今ミカの中では二つの意識が反発ではなく、統合して体を動かそうとしているのだと推測する。

 つまり前世の意識、太陽の聖獣レオンハルト・サニーとミカの目的が同じなのだ。しかし言葉に整えるのができないので動きで示すしかないのだろう。

 言語を他人と一致させるのは難しい。もし語尾や口調、一人称から違えばそれだけで言葉は出すことが出来ない。


 だからどんなに鈍間で遅くてもミカの動きに合わせるしかない。それがヘタ村の問題を解決する一番の近道とヤーは考えていた。


 三十分後。ヤーはあまりの苛立ちにその場で足踏みするほど怒りを隠さなかった。

 ミカの動きは鳥が無警戒に近寄るほどで、早くこの問題を解決したい短気なヤーからすれば、尻を蹴飛ばしたいほどの速度である。


 ハクタも欠伸を噛み殺しつつもミカとヤーを眺めていた。充分寝たはずなのに、まだ眠いのかとハクタ自身が欠伸の行動に驚いていた。

 それでも日々鍛錬しているのでいざという時は動きは鈍らないだろうと、努力を自信へと繋げていく。

 むしろ怖いのはミカに何かあった時の友人の制裁である。穏やかな笑顔のまま何をしてくるか、考えるだけで背筋が震えた。


 そんな二人のことを気に留めた様子もなく、ミカはとある木の前で立ち止まる。幹の太い、しかし捩れたような育ち方の歪な樹木。

 ヤーは幹に何か仕掛けでもあるのかと思ったが、ミカは屈んで地面をゆっくりと掘る。ハクタが代わりにと近付いたが、片手で緩やかに制止される。

 ミカは顔色一つ変えずに、爪の中に泥が入るのも気にかけずに掘り続け、そして泥の下から現れた木製の蓋つき小瓶を取り出す。


 親指サイズの小瓶には濁った光が明滅を繰り返しており、ヤーにははっきりと視えたがハクタには空の小瓶にしか見えなかった。


 ヤーが正体を確かめようと手に取る前に、ミカが今まででは考えられないほど早く、手の力だけで小瓶を割る。

 瞬間、割れた瓶の隙間から溢れた光が空気に溶け込み消えた。だがヤーとハクタは息苦しさを覚える。酸素が一気に濃くなった時と症状が似ていた。

 必要ないとミカが握り潰した小瓶の残骸を掘った穴の中に落とす。硝子の欠片となった小瓶には赤い血が付着している。


「ミカ、お前血が……」

「うん。ちょっと痛かった」

「それだけで、すむ、は……は?」


 返ってきた声に驚いてハクタは最後まで喋ることができなかった。ヤーも目を丸くしている。

 ミカは普通の少年のような身軽な動作で立ち上がって、膝についていた泥を手で払いのける。その目は生気が宿っている。

 そしてすぐに先程とは違う、少し速い歩き方で別の木に向かう。まるで今にも止まるのを恐れているような行動だ。


 だが手からは血が流れ続けている上に、久しぶりに声を聞いて驚いたハクタは血の出ていない手を掴んで引き止める。


「ミカ! お前意識が、正常に!?」

「あー、えーっと、ごめんハクタ! 急がないと俺また……だから走るよ!」


 考え事をするように目を上に向けた後、苦い表情を浮かべながらミカは手を振り払って走り出した。

 五年間、ハクタや女中の導き以外では基本自分から動かなかったミカが、自らの意思で行動している。その事実にハクタは言葉も出なかった。

 ヤーも口を開けて驚いていたが、それどころではないと慌ててミカを追いかける。またミカは次の樹木の根元に当たる部分を掘って、小瓶を取り出している。


 それも手の力で割り、投げ捨てて次の場所へ。それを三度ほど繰り返してから、ようやく立ち止まる。


 ミカの片手はもう血だらけで、血が固まった傷口もあるが、鮮血がしたたり落ちている。零れた血は地面に染み込んでもすぐ乾いてしまう。

 広い森の外周四分の一ほどの距離。その間に不可解に埋められた四つの小瓶には精霊によく似た、だが違う何かが封じ込められていた。

 それが空気中に溶け込むたびにハクタとヤーは息苦しさを覚え、ミカはどんどん動きを活発化させていった。


「ま、まだ半分も、どうしよう、どうしよう。これじゃあレオとまた喧嘩になる!」


 広い森を眺めて誰かの名前を呟いて慌てはじめるミカに対し、久しぶりに生き生きとしている姿を見て密かに感動しているハクタ。

 だがヤーは目の前でことごとく研究対象を破壊された上に、わけのわからない現象に遭遇して怒りが爆発する。


「ミカ!! アンタ少しは説明とかしなさい!! あの小瓶は!? レオって誰!? というかなんでべらべら喋ってんのよ、大馬鹿王子!!」

「わわわ、ごめんって。えっと、ヤー、だよね。改めて俺は第五王子のミカルダ……」

「説明」

「う、うん」


 和やかな笑顔で自己紹介をしようとしたミカに対し、ヤーは真剣な顔で説明をするように求める。

 鬼気迫る気配に圧倒されてミカは何度も頷いて、どこから説明しようかと首を色々な方向に動かしている。

 ハクタとしては馬鹿王子というのを訂正したかったのだが、一気に押し寄せた変化に複雑な感情が入り混じり、何も言えなくなった。


「えっと、前にヤーが言っていた俺とレオの意識が反発してるっていうの、あれ半分正解」

「……レオって、太陽の聖獣レオンハルト・サニーのこと?」

「うん。俺もヤーが推測をたてるまで誰かわからなかったけど、そうみたい。俺とレオは五年間ずっと喧嘩してたんだ」


 ミカはどう言えばいいか戸惑いながら、支離滅裂な説明を始める。

 まるで十歳くらいの子供がなんとか大人に説明しようと慌てている姿に似ている。



 

 太陽の神殿を冒険していた時に、太陽が真上に来たタイミングで聖獣の間に入ったんだ。

 そうしたら太陽の精霊がぶわーって俺にぶつかったと思ったら、俺の中で何かが吼えたのを感じた。

 咆哮はどんどん反響して大きくなって、俺の意識は咆哮に塗りつぶされるみたいに消えそうになって――。


 けれど怖くかった。だから俺も咆哮に対して、大声を出して掻き消していたんだ。それがレオとの喧嘩。

 五年間ずっとそうやって意識の方に全霊を傾けていたし、レオも俺の体を動かそうとしていたみたいだからそれを止めての繰り返しで、動けなかったんだ。

 だけれど五年間その声を聞いていたらさ、遠吠えというよりはなんか哭いているような、懺悔している感じ。


 で、ハクタとヤーと一緒にヘタ村に行くことになって、ヤーは怒っているしハクタは俺を心配しているし。どうにかしなくちゃと思って、移動の一ヶ月レオに話しかけたんだ。

 まずは名前。自己紹介して、どうして吼えているのかを聞いた。そうしたら少しだけ止めて、死んだことが受け止められなかったって。

 太陽の神殿で跡継ぎを決めたのはいいけれど、それでも死の事実が辛くて悲しくて生きたいと願って叫んでいたんだって。


 そこまで理解した辺りで、俺はレオの姿がようやくわかった。金色の獅子でさ、目が橙色の炎みたいな奴なの。

 俺はレオと呼ぶことにして、色々話しかけていたんだ。でも太陽の力が強い時や、月の光がある時間帯はレオはずっと吼えているんだ。


 なんか月の聖獣が死んだことに対して謝るみたいに、哭くの。そうすると俺も負けないように大声を出すしかなくて、喧嘩再開になるんだ。


 だから雨が降っている時は少しだけ動けたのに、月が出るとまた喧嘩だから怖かったんだよな。

 でもレオはこの村に何かを感じるらしくて、わずかだけ意気投合して体を動かすことに成功したんだ。言葉は出せなかったけど。


 森を見るとさ、なんか精霊に近いけど違う物がずっと視えていて……精霊っぽい気がして気になっている。

 するとレオがあれは精霊の均衡が崩れたことによる発生する魔素、瘴気とも言うもの、だって。誰かがわざとこの村の精霊のバランスを崩しているみたい。

 で、どうすれば元に戻せるか聞いたら、森に結界に似たのがあるから、その小道具を全部破壊すれば徐々に戻っていくかもしれないって。


 でも魔素って精霊に酷似しているけれど正反対みたいで、レオはそれを浴びると眠くなるみたい、というか気絶するみたい。


 だから俺が壊すからレオは眠っていてもいいよ、って説得して小瓶を割っていたんだ。けれどレオが起きるまでに全部片付けないと、またレオと喧嘩になってしまう。

 なんか魔素は精霊の均衡を崩すみたいで、レオも情緒不安定に陥って正気が保てないとかなんとか。

 ちなみに人間にも毒だって。超濃度の精霊みたいなもので、昔の「国殺し」っていう病気みたいにあまり体に取り込まない方がいいって。


 


 と、そこまでミカが説明した辺りでヤーは目の前のずっと笑顔で話す阿保面に脱力した。

 王国機関所属の天才精霊術師のヤーですら知らなかったあらゆる事実に、ただでさえ珍しい「獣憑き」のさらに珍事な事例。

 それを世間話のように語るのだから、もうどう反応すればいいのかわからないのだ。


 ハクタは説明の聞き役をヤーに任せ、ミカの血が出ている手の処置をしていた。

 自前の包帯と血止めの軟膏を取り出し、ガラスの破片を注意深く抜き取りながら繊細に治療していく。

 話し終わる頃には皺ひとつない綺麗な包帯がミカの手に巻かれていた。


「つまりこの村の異変は人為的ということでいいのね?」

「うん。でもレオが言うには人の手にしては結界の方式もやり口も精霊術と似て非なるものらしいよ」

「ねぇ、その聖獣の意識を表に出せないの? そいつと会話した方が早そうだわ」

「えー……と、そうすると俺の意識が消えちゃうかもしれない……かも」


 少しだけ目を逸らしてミカは苦笑しながら呟く。それは一大事ではないけれど困ったことを聞かれたような反応だ。

 だかハクタにとっては一大事どころが、今までの事が泡になりそうな呟きであり、不穏な気配を滲み出す。

 その気配に気づいたミカが笑っていた顔をひくつかせ、横で治療していたハクタの顔を見上げる。


「どういうことだ」

「え、えっと……十年弱の俺と千年単位のレオの意識じゃ質量が違うというか、本来なら目覚めるはずのなかったレオが起きたせいで魂が不安定で、レオの後悔が強いせいで今にも俺を押し潰しそうみたいな……うん、うん……」


 真正面からハクタの顔が見られなくなったミカは目を全く別の方向に逸らしつつ、少しずつ小さくなっていく声で説明をする。

 生きた年月、二つの意識によるせめぎ合いで魂が消耗、死者の後悔、それらがいくつも重なっているためミカはレオに意識を譲れないのだ。

 理性的に判断しているのではなく、本能で太陽の聖獣レオンハルト・サニーに今の状態で意識を渡してはいけないと感じている。


 太陽の聖獣レオンハルト・サニー、レオはなにかを後悔したまま死んだ。魂は転生し、それが宿ったミカは十年間で自己を作り上げた。

 もし赤ん坊の時にレオが意識を目覚めさせていたら、その時点でミカという意識は消えてレオという意識がミカの体の主になっていた。

 しかし十年とわずかしか生きていないミカの意識を乗っ取るくらいは、千年単位の寿命を持っていた聖獣のレオからすれば容易い。


 だから意識を譲らないようにミカはずっと奮闘していた。そのため体を動かすことができなかったのだ。


「ヤー。どうすればレオってやつを消せる?」

「落ち着け、過保護。貴重な獣憑きによる聖獣の意識を消すなんてもったいないわ!!」

「それでミカが消えたら意味がない」

「だからってレオの意識を消してもダメ!」


 ヤーは精霊術師の立場から貴重な転生した聖獣の意識を尊重する。しかしミカを蔑ろにしているわけではない。

 だがハクタは五年間ずっと守ってきた友人が消えるかどうかの瀬戸際で、また人形のような動きしかできない可能性が大きい。

 お互いに譲れないと睨み合う二人を眺めつつ、ミカは何度も森の方を見る、というよりは視る。


 小瓶はおそらくあと十二個。四分の一程度しか壊していないため、森の中では精霊の均衡が大きく崩れて淀んだように漂っている。

 結界は特定の精霊を集めて閉じ込める類の物。ミカは説明することはできないが、それがどの精霊でどうすれば解放できるかは知っていた。

 人間の内部に入り込んだ精霊の異変にも気付けるミカの目は、ヤーよりも確かに優れていた。


 問題はヤーのように言葉に変えてわかりやすいように語る。それが難しい。結局は自分で動くしかない。


 レオが意識を取り戻す前に結界を構成する部品である小瓶を全て壊す。ミカは二人を無視してこっそりと走ろうとした。

 しかし通りかかった農夫の老人が三人に向かって声をかける。


「おめぇさん達、森の奥は行っちゃいかんよ。あそこには神様がいるらしいってんでよぉ、村人も森には滅多に入らんべ」

「神様……ってミカ。俺が護衛役ということを忘れて一人で行動しようとしたな」

「う、ご、ごめんなさい」


 強い意志が宿る瞳に射竦められて、ミカは肩を落として動きを止める。一人で行動するのは難しいと改めて悟る。

 気を取り直して話しかけてきた老人へと振り向く。村の方でも年寄りの部類に入る高齢の男性だ。

 夏に陽射しが残るこの季節には欠かせない手拭いで、頭髪が消えた頭を拭いている。髪がなくても頭から汗が流れ落ちるようだ。


「おらのじっちゃんが、確か神様のさらに上みたいな名前の文字が彫られた石板があるからって、なんか怯えてたんだべ」

「神様のさらに上? どんな名前よ、それ」

「ああ、ちょい待ち。今思い出すべさ……えーっと、神カミかみ……」


 何度も神という名前を連呼する老人の声に、ミカは身の内から湧き出てくる声に肩をすくませた。

 まだ目醒めないと思っていた意識が、老人の出す言葉に反応するように次第に大きくなっていく。そして咆哮が意識を埋め尽くしていく。

 青ざめていくミカの様子に気付かない老人は思い出した名前に安堵するような声で、言い放つ。


「ミカミカミ!」


 その単語を耳に捉えたのを最後に、ミカはまだレオと意識での喧嘩を再開することになり、人形のように動かなくなった。

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