EPⅥ×Ⅷ【年の差《age×difference》】

 渡されたチラシを片手にユイレンは呆然としていた。しかしサウザンドの勢いの良さに慣れているリリカルなどは、魔術についてさらに教えるのに必要な準備を始める。曇り空のせいで重苦しい空気を放つギルドホール、その威圧が広場にまで伝わっていた。

 クイーンズエイジ1411にギルドの統治のために建てられた建設されたギルドホール。完成はクイーンズエイジ1439であり、いかに当初からギルドの統治を最優先されたかわかる歴史だ。シティ・オブ・ロンダニアの特別行政の場としても使われており、内部には地下礼拝堂などがある。

 ロンダニア大火の際に大部分が消失しているが、日々増えるギルド申請や依頼について業務内容が追いつかなくなったため、総合ギルド【大樹の根幹】は大樹の館ギルドツリーを建物の裏側に建造した。地下礼拝堂を経由して二つの建物を行き来できる仕組みにもなっているが、手続き上の関係で大樹の館関係者は地上に一度出てからギルドホールを訪ねなくてはいけない。


 しかしギルドホールの広場などは大樹の館関係者が自由に使っていいと言われており、リリカルはここでユイレンに魔術について教えていた。シティ・オブ・ロンダにはロンダニア内部であり中心地でもあるが、その性質上から自治体でもあり、ロンダニア市長もいるほどだ。

 コチカネット警察ヤードとは別にロンダニア市警察ポリスも抱えており、事件が起きたならばロンダニア市警察が解決する手筈となっている。ただし稀にお節介なコチカネット警察が事件に出くわしてしまい、手を出すこともある。その際はコチカネット警察所属の者が管轄外で勝手な行動をしたと怒られる決まりだ。

 ギルドホールはそんなロンダニア市長が仕事の場としても重要視する建物であり、ロンダニア市警察の警備も厳重である。ユイレンが狙われていると聞いたリリカルが、ならばシティ・オブ・ロンダニアで一番安全な場所であり、なおかつ魔術を学ぶ広さがあるギルドホールの広場を選んだのは理に適っていた。


 ちなみに総合ギルド【大樹の根幹】であるギルドリーダーのアドランス・バトラはこの業務を二分化された状態を嫌っている。簡単にまとめると手間が多い案件、面倒な仕事、その全てを大樹の館の業務に振り分けられているからだ。ギルドホールからはこう言えばいい。我らはシティのために最適な割り振りを行っているだけだと、市長の口から定型文を使えばそれで終わりなのである。

 実際にギルドに関する仕事全てを、総合ギルド【大樹の根幹】が担当するのは問題ない。ただし市庁舎の役割を持つギルドホール側でも市民からの信頼を得るという名目でという状況が気に食わないのである。

 その依頼に不備があれば総合ギルド【大樹の根幹】の責任問題になる。渡した側であるギルドホールは見て見ぬ振り。良い御身分だと、今日もアドランスの判子を押す力が増すものだ。さらにはギルドの代表として重要な場ではロンダニア市長が市民の前に顔を出す。元犯罪者であるため強く言えないアドランスの疲労が色濃くなるのも仕方ない。


 しかし下働きとなりつつある総合ギルド【大樹の根幹】の形振り構わない業務態勢のおかげで、ギルドは今や大きな信頼を得ている。生活に根深く張り巡らされ、緑鉛玉の富豪ヴィクトリア・ビヨンドの働きもあってか順風満帆であった。

 そのためリリカルがギルドホールの広場でなにを行おうが強く言う者はいない。過労死寸前リーダーを支える副リーダーの『化け物モンストルム』少女という肩書きも、多少は功を奏しているのかもしれない。だから彼女が土と水を捏ね合わせて泥遊びのような行動をしていても、しかめっ面を浮かべるしかないのである。

 ユイレンは蛸のトオが入っている桶を抱えながら、リリカルが目の前で泥遊びに興じていることに首を傾げる。確か魔術について簡単に教えてもらえるはずだったのだが、途中でサウザンドが賑やかな足音と共に来たかと思いきや颯爽と去ったのも併せて混乱は続いていく。


「よし! 下準備完了! じゃあ見ててねー」


 呑気な様子で泥を地面に塗したリリカルは、泥から三歩ほど離れる。両手を伸ばし、気軽な様子で指揮に似た動きをする。よく見れば泥を捏ねていたはずの手に汚れはない。ユイレンがリリカルと泥のどちらに注目すればいいのかと迷う前で、泥が波打ちながら自在に動き出した。

 まるで造形して固めていたチョコが溶けていくのを逆再生で眺めるような、歪な光景。そして目の前に現れたのは木の根が人型になったような、奇怪な植物人形。せめて手の平サイズならば可愛いかもしれなかったが、いかんせんユイレンと同じくらいの大きさであることが恐怖割り増しという難点だ。


「はい、恥ずかしながら僕の本体の……えー、十倍スケールサイズ?」

「え!? ええ!? だってリリカルさんは目の前で普通の人間っぽい、うええええええ!?」

「この姿は実は植物と泥に色彩した上で魔術で何重にも厚塗りコーティングした姿だよ。あ、衣服はおじさんプレゼンツ! 本体から意識は魔術で移し替えてるけど、壊れると意識は本体に戻る仕掛け付き」

「魔術って自由すぎませんか!?」


 目の前にいる愛らしい少女の姿が、奇怪な植物が作り上げた泥人形だということが判明する。その事実に驚愕したユイレンは桶を片手で支えながら、空いた片手でリリカルの肌を触れていく。どう触っても人間の肌のように柔らかい質感。見抜けと言われても難しい話である。


「だっておじさんの仕事を手伝うには本体は動き辛くて。ま、そんな感じでさ……魔術はなんでもできるんだよ。でも僕だと土や泥はいいけど、火に関しては苦手なんだよねぇ。つまり『化け物モンストルム』によって得意不得意はあるんだ。吸血鬼なんかは血を使って空を飛んだりできるらしいよ」

「じゃあ人魚だと水が得意……ってことですか?」

「そうそう! 多分、水と音かな。歌声に魔力を乗せて人を狂わせられるみたいだし、そこらへんも本人の使い方次第かなー」


 喋りながら泥を操り続けるリリカル。おかげで十倍サイズの奇怪な植物を模った泥人形がパワフルかつダイナミック、それでいてリズミカルにブレイクダンスを踊っており、ギルドホールの警備員が凝視している。とりあえずあの呪い人形みたいな泥が走り始めたら撃つ覚悟はできているようだ。

 まるで呼吸するように魔術を扱うリリカルに、ユイレンは尊敬の目を向ければいいのか苦笑いを浮かべて誤魔化すべきかわからなくなる。基本的な問題として『化け物モンストルム』の魔術基準を知らないのである。リリカルが凄いのか、それとも普通なのか。その判断さえもできないくらいだ。


「ただ魔術って使いすぎるとお腹が減るんだよね。僕は本体の方が栄養豊富な土とか蜂蜜とか綺麗な水とかで補えるけど、ユイレンみたいに肉体持つタイプだと食事量が多そう」

「万物に魔力が宿るから、それを補給するために食材に内包された魔力を口にするということですか?」

「おー! ビンゴだよ! それもこれまた色々別れて来るんだけどね。僕の場合は本体が植物だから、食べ物が難しいだけで肉体というか……体はあるんだよ。逆に魔力で体を作っている『妖精モンストルム』みたいなのは食事でもいいし酒とか、その……精えゴニョゴニョ……体液ごにょりむる」


 急に顔を真っ赤にして口ごもり始めたリリカルに対して、ユイレンは泥なのに表情を再現できるのも魔術の一つなのだろうかと感心する。もしかしたら保湿乳液がなくても肌の乾燥を防ぎ、鱗を見せないようにできるのではないかと気付く。むしろ今まで思いつかなかったのか不思議なくらいだ。

 ただし問題は一つ。魔術とは結局なんなのか。どうすれば使えるようになるのか。真剣に考えたいのだが、泥人形が今度はフラダンスからのリンボーダンスを始めてしまったので、どうしても意識を逸らされてしまう。踊らせる必要性とは、そんなことさえも気にかかるくらいだ。


「まあ! あれだよね!! 好き嫌いは誰にだってあるしね!! あはははは!! でも一番効率的なのは人間の血肉らしいけどね」


 大声で口ごもったのを誤魔化したリリカル。その直後に小さく呟かれた言葉はユイレンの思考を止めるのに十分な威力が込められていた。桶の中にいたトオが妖しく蠢く。銀色の瞳を輝かせて警戒する。


「特にユーナおばあちゃんみたいな、魔力を生来的に多く保有できる人とかね。でも『僕達モンストルム』って揃いも揃って人間が好きだからさ……相当思考が行き過ぎないとそうならないんだけどね」

「相当って、なんですか?」

「愛しすぎて食べちゃいたい、とか言うやばい奴もたまーにいるんだよね。むしろ逆なことが多いかな……食べてほしい。一緒になってほしい。同じ体で生きて……なんて。無理な話なんだけどね。だって人間が好きなのに、人間やめろなんて変な話。万が一に縋っても、その先に愛した人間はいないんだ」


 少しだけ寂しそうに微笑む少女に対して、ユイレンは胸の奥に嫌な鼓動が鳴るのを感じ取る。わかるのだ。一緒になってほしい、そのために自分の体が必要なら食べてもいい。だけれどそれは大好きな相手に限定される話だ。そうだとしても気味の悪い話ではあるが、ユイレンは理解できてしまう。

 ルランス貴族のミッシェル・グロリアーレ。彼に食べてほしいとは考えない。嫌いにはなれないが、身体を差し出したいとは思わない。しかし、もしも、カローリャがそれを望んだならば。きっとユイレンは拒否できない。むしろ逆だ。


 


 明るく元気なカローリャが自分と同じ人魚に。自分を理解してくれる。それを思うだけで嬉しさで頬が綻ぶ。だけれどもし本当に人魚になってしまえば、その瞬間に人間のカローリャへと抱いていた感情が消えてしまう恐怖もあった。

 歓喜を覚えたユイレンは自己嫌悪する。何度でも自分自身を嫌う。友達であるカローリャに自分を食べてなど、狂気の沙汰だ。だというのに思考の片隅では、そうなればいいのにと願っていることも否定できない。

 この感情が愛という形だとすると、怖くて体が震えてしまう。誰も愛したくないと思ってしまう。しかしユイレンは誰かを知ってしまった。優しくしてくれる人間が傍にいる。その幸せを手に入れたことが怖くて仕方ない。思考の迷路にはまりかけた頃合いで、リリカルの声が耳に届く。


「と言っても『僕達モンストルム』の血肉って魔力が偏りすぎているから、多くの人間は死んじゃうから食べてなんて駄目だよ。一回くらいは『僕達モンストルム』はそう考えて大失敗するから。そりゃもう悲惨」

「すっごい軽いノリで言われましたけど、おかげで吹き飛んだような気がしなくもないような気がします!!」


 あまりにも当然のように、さして重くもない声音で軽快な口調と共に注意されたユイレンは、悩んでいるのが少しだけ馬鹿らしくなってきた。頭の片隅には残っているものの、あまり真剣に考えなくていい問題程度には片付いた。

 とうとう泥人形が謎の儀式のように五体投地を始めたので、少しずつ警備員が蒸気機関銃を片手に近寄ってきていた。どう受け止めても市庁舎に向けて呪っているようにしか見えないからだ。そしてユイレンも否定することはできないくらい、泥人形の動きは怪しかった。


「リリカルん。そろそろ泥人形の動き止めんと危ない感じやで」

「およ? あ、つい踊らせるの楽しんじゃってた。えい、泥に戻れー」


 大樹の館から建物の外側を周ってギルドホールへとやって来たカナンの声に反応し、リリカルは両掌を地面に叩きつけるような仕草をする。するとあっという間に泥人形は潰れて、ただの泥になってしまった。目の前でいきなり呪いの踊りを披露していた泥人形が消えたことに、警備員は肩を跳ねさせた。

 そして機械仕掛けの車椅子ギミックチェアに乗ったカナン、それを押すバロック、両名の姿を視界で捉えてから、警備員は改めて泥を注視する。十秒くらい睨んでから、もう動かないと判断して通常業務へと戻っていく。ユイレンは静かに安堵の息を吐いた。


「それでユイレんは魔術使えそうなん?」

「あ。忘れてた。いやー、説明が多くてねー。じゃあさ、早速だけど歌ってみて。心を込めてさ」

「え?」

「人を惑わす人魚の歌声。時には灯台よりも明るき標。誰かを想う人魚の歌声には魔力が宿る、なんてね」


 突然歌えと言われても、歌の類などユイレンは知らない。把握しているのは音程だけで構成された曲だけ。きっとアかラでしか表せないその曲を口遊むことで、魔術が使えるようになるのか。わからない。けれどユイレンは息を吸い込んで、いくつかの音程を出す。

 誰かを想う。貴族に追われてカローリャと共に来たロンダニア。色々な人間と会った気がするし、まだ出会っていない人間も多い。すれ違う人々の表情一つ逃したくないのに、あまりにもここは人間が行き交い、目が足りないくらいだ。

 そういえば魚眼用眼鏡のおかげでカローリャの笑顔が鮮明に見えるようになったのだと、心が弾む。美味しいお菓子に温かい紅茶。自分の正体。それはきっと海の底では手に入らなかった物。もっと欲張ってもいいなら、まだ足りないと求める。


 歌い終わって、恥ずかしくて閉じていた瞼を上げる。広場を埋め尽くすように人が集まっていることに、ユイレンは目を丸くした。気付けばリリカルがユイレンとはぐれないように体に抱きついているくらいだ。

 そして盛大な拍手が送られて、ユイレンは困惑するしかない。人間を想って歌うだけでこんなにも集まるものなのか。しかし確実に腹の虫が空腹を訴えようと鳴こうとしている。魔力を込めた歌声で人々が反応を示したのだと、実感が湧かないまま理解した。


「すげーな、姉ちゃん! もう一曲聞かせてくれよ!!」

「こりゃライバル登場……にもならないな。シェーナはもう少し歌練習した方がいいな」

「なによ、エリックの意地悪!! 見てなさい、絶対いつかあれくらい歌ってみせるんだから!!」

「素敵な歌声。これ良かったら食べて。焼きたてのパイ。心のこもった良い声だったもの、お礼よお礼」


 老若男女問わずに集まった人々から賛辞の言葉や贈り物を受け取るユイレンは、気恥ずかしくてハトリから貰った帽子で顔を隠す。同時に嬉しすぎて泣きそうになるくらいだ。こんなにも人間に褒められたことなど一度もない。少しは自信を持っていいのかも、と幸せに包まれる。

 そして十分かけて人々は去っていき、残ったのは誰かの帽子に大量の紙幣や銅貨。横に置かれた白い手布ハンカチの上には食べ物。服装が乱れたバロックは、手櫛で髪を直しながら周囲を見回す。リリカルも大量の人に囲まれたことによる息苦しさから解放され、何度も深呼吸している。

 泥人形のはずだが呼吸は必要なのかとユイレンが不思議がる中、ずっと抱えていた桶からトオが声を出す。それはユイレンが思っていた以上に厳しい言葉と声だった。


「調子に乗るんじゃないよ。奴らは馬鹿な娘の魔術で惑わされたんだ」


 棘のように突き刺さる言葉。しかしそれは事実だった。足元にある帽子の中に詰め込まれた異常な金額。そして山のように盛られた食べ物。どう考えても、あんな単純な歌で与えられるような量ではない。自覚もなしに使った魔術で、自分の功績だと浮かれそうになったことに釘を刺されたのだとユイレンは少しだけ落ち込む。

 結局ユイレンが愛されたわけではない。魔術による人魚の歌声。それに誰もが惑わされただけだ。しかし顔を俯かせるユイレンの眼前に、焼き立てのアップルパイが差し出される。リリカルが笑顔で集まった人々から貰った食べ物を手に取ったのだ。


「トオおばちゃんの言う通り。けどユイレンが歌って報酬を得たのも事実だよ。だったらそれを味わうくらいは罪じゃないさ。ほら食べよう。焼きたてが一番美味しいんだから」

「ありがとう、ございます」


 差し出されたアップルパイを手に取り、一口齧る。新雪を踏んだ時に似ている触感と、甘酸っぱい味が舌に広がる。温かさに涙が零れた。しかしそれは白く、広場の石敷きにぶつかると硬質な音を立てた。リリカルは驚いてユイレンの涙を拾い上げる。

 それは真珠だった。市場で売れば良い値段が付くほど上等な物だ。自分の涙を初めて見たユイレンも目を丸くする。今まで泣きそうになったことは何回もあったが、涙が出たのはこれが始めてだからだ。小粒で、指の爪よりは小さい。しかし素晴らしい光沢を伴った真珠が人魚の涙だった。


「う、噂には聞いてたけど本当だったんだ……」

「……人魚は水中が基本だからね。水中で水を流しても泡となる。泣いた証しを残そうと、そういう仕組みだとは聞いたことがあるさね」


 素っ気ない調子で呟いたトオの言葉に、そんなものかとリリカルは納得する。なんと言っても『化け物モンストルム』の範囲は広い。自分自身の特性に従う者も少なくはない。ただし十字架に弱い、などの弱点は消えていることが多い。そういった弱点は大体『別世界の化け物レリック』の話なのだ。

 吸血鬼だって血を吸うのは当たり前だ。人魚が水の中にいるのも。環境に合わせた変化は必要だ。涙を零すのが生きていく上で必須事項ならば、確かにその証しは別のへと変換する。基本的に涙が必ずしも透明な水の滴である、というのは『化け物モンストルム』全てに適用されない。


「……ユイレンの涙は綺麗だね。はい、大事にね」

「え?」


 手渡された真珠に疑問の声を上げる。滑らかで冷たい質感。人間のように熱く脆い涙とはなにもかも違う。これが人魚の涙だとして、どうしてリリカルはユイレンに手渡したのか。


「涙って心の一部が剥がれ落ちた物なんだって、おじさんが教えてくれたよ。心の形は知らないけど、その色と熱さは涙を見ればわかるんだって……枯れた熟女を口説き落としてる時に聞いたよ、けっ」


 後半の苛立ったような声は気になったものの、ユイレンは思わず微笑む。人間は時に『化け物モンストルム』では考えられないようなことを思いつく。それを愛おしいと思うのは、きっと自然な感情だと微笑ましくなる。

 そして苛立ちを表すかのようにリリカルの触覚に似た二本の寝癖が左右に揺れ動く。泥人形だからこそ髪が動くのかと、その仕組みにようやく気づくユイレン。魔術とは便利でありながら、もしかして自覚していない部分でも効力を発するのではないかとユイレンは考える。

 あまりにもリリカルは表情が豊かで、顔も赤くなるし髪も感情を表すように揺れる。そしておそらく本人はそれに気付いていない。ユイレンの歌だって自覚もなく人を集めてしまった。つまりは魔術は無意識でも使えてしまう物だということに行き当たる。


「あの……魔術ってもしかして当人の感情に左右されて、考えをそのまま形にできるんですか? さっきのだと歌を媒介にしていたとか」

「大正解だよ!! 凄い! 人魚だと水で槍も作れるだろうし、他にあるはずだから……あとはトオおばちゃんに習った方がいいかも?」

「トオさん」

「……わかってるよ。生きるために必要なんだろ? でも忘れるんじゃないよ。魔術は感情に左右されやすく、無意識でも発動しかねない。いずれわかるだろうけどね」


 用心深く呟いたトオの言葉には実感が込められていた。まるで体験したことがあるように。そうするとトオも『化け物モンストルム』であるはずなのだが、ユイレンには該当する名前がわからなかった。化け蛸というにはあまりにも普通な蛸に見える。

 だからといって普通の蛸は喋らないし、魔術も使わない。長年一緒にいたはずなのだが、考えてみればトオについてはなにも知らないことにユイレンは気付く。無知でも生きていくのに困らなかったからだ。過去の愚鈍な自分を呪いたいくらいである。


「そういえば……私は昔から変なのを目にするんですけど、トオさんはわかりますか?」

「変なの?」

「えっと……空に咲く刹那の火の花みたいな……時折目に浮かぶんです。見たことない物が。最近はカローリャちゃんと会ってから特に、火の花が目に彩るんです」


 瞼の裏にまで焼き付くような鮮烈で色彩溢れた火。それが放射状に広がって、まるで花のように大きく咲くのだ。ロンダニアに来てから花は幾つも目にしたが、火の花だけは見たことがない。洞窟から顔を覗かせても、夜空にあるのは月や星。雲が花のように咲くとは思えなかった。

 何度かトオにも話そうとは考えていたが、その正体が掴めなかったユイレンは気に留めないように努めていた。しかし今ならば自分が『化け物モンストルム』であること、魔術は無自覚の内に使ってしまう事態があるのも知った。

 ならば目に浮かんだ空に咲く火の花も魔術の類なのではないか。もしかして幼い頃から無自覚に使用していたのではないかと疑惑が出てくる。しかしトオは予想外にも返事に困ったように、触腕で丸い頭を掻いていた。心当たりがないのかとユイレンが焦った矢先である。


「それって未来視じゃない? 人魚の中でも使えるのはわずからしいけど、未来を見通せるっていうやつ」

「未来……?」

「うん。だってどう聞いても花火でしょ? それならサウザンドのおばさんが渡したチラシに書いてあるもん。明日咲くよ、火の花が」


 ユイレンは慌ててリリカルが手にしていたチラシを覗き込む。ダムズ川、特にシティ中心に繰り広げられる花火大会。今回は和国の職人も呼んでいるため、普段では見られない鮮やかな色の花火が空に広がると宣伝しているほどだ。

 明日。今まで見たことがない物が目に浮かんでいたのは、いつかユイレンが目にすると予知した映像だったからだ。おそらくカローリャと出会わなければ、ロンダニアには来なかった。そしてこの時期でなければ花火大会に遭遇しなかった。

 無自覚の内に使っていた魔術。だとすればもっと確かな方向へと使えるのではないかと期待する。なにせ火の花の美しさをユイレンは知っている。弾けた炎があんなにも色鮮やかになるとわかったのは、その火の花が視界に映ったからだ。


「おい。歓談中悪いが、カナンは何処だ?」


 しかしユイレンの思考はバロックの声によって途切れた。先程の歌によって人々が集まった際にはぐれたことに、ユイレンとリリカルは気付いていなかった。バロックは何度も周囲を見回し、機械仕掛けの車椅子ギミックチェアの軋む音が聞こえないかと耳を澄ませていたが、一向に姿形を捉えられない。

 魔術については一旦中止し、安全性を考慮して三人と桶に入った一匹という一団で行動する。するとロンダニア市警察が数人集まっている小路があり、困った様子の彼らに遠慮せずバロックは突き進んだ。警官を掻き分けていくバロックの背後で頭を下げながらリリカルとユイレンはついていく。

 そして石畳の上に横倒しになった機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを見つける。多少暴れた痕跡も残っており、車椅子の一部が壊れていた。現場保存のことも気にせず、バロックは小路の隅に捨てられている丸まった紙片を拾い上げた。躊躇いなくそれを広げ、舌打ちする。


「ユイレン、借家ギルドホームに帰るぞ。ユーナ達にこのことを知らせる」

「え!? あの、なにが……」


 戸惑うユイレンの肩を引き寄せたバロックの表情は、いつもの悠々とした彼女の態度からは豹変していた。今にも脂汗を流しそうな程に緊迫した焦りを感じさせ、肩を掴む手の力は痛いほどだ。リリカルはロンダニア市警察の警官に持ち主であるカナンの名前を伝え、残りは大樹の館にいるであろうアドランスに尋ねるように指示する。


「カナンがさらわれた。犯人は……あのルランス貴族だ」







 リリカルとユイレンを連れて帰ってきたバロックの報告に、ユーナは頭が痛い思いをしていた。花火大会開催を一方的に告げ、またもや返事も待たずに移動してしまったサウザンドの自由奔放さに振り回されたというのも原因の一つだ。

 ちなみにサウザンドが来訪した後、明日は花火大会で大逢博物館も臨時休業になると暇を伝えにロゼッタも借家に来ていた。いつものように穏やかな様子で占術札タロットカードを栞代わりに挟んで読書に勤しんでいる。


「カナンさんがさらわれて、明日は花火大会で、カローリャさんの将来設計が曖昧な上にユイレンさんもきちんと魔術を習っていない……問題だけが山積みですわね」

「いやいや! アタシはやればできるもん!! 今だって少し常時型できるようになったし、あと少しだよ!」

「その呑み込みの速さは評価しますわ。バロックさんが慌ててるのは珍しいですわね。普段だったら必要以上に事件現場を見ていきそうなものなのに」

「吾輩は通常運転だ」


 普段と変わらないことを主張するバロックだが、先程から部屋中を歩き回っている。どう考えても落ち着いていない。しかも何度も同じ机の脚に引っかかっては転びそうになっている。注意力散漫どころではないほど、いつもとは異なる様子だ。

 ちなみに似た勢いで部屋中をうろつき回っているのがアルトである。小声で何度もあの馬鹿探偵と呟き、こちらは何度も違う椅子の足で躓いて転びそうになっている。相手は人魚とはいえ人の形をしたユイレンを食材と認識している相手だ。探偵の頭脳とかを珍味扱いで食べる可能性がないとは言い切れない。


「ったく、コージがいないとまとまらねぇな、相変わらず。はい、注目。まず第一にヤシロ、調査してこい。ただしカナンを救おうとか考えるな。相手の居所と次の行動を把握しろ」

「……殺さなくていいんだな?」

「殺すな、殺すな。どうせお前が罪悪感に押し潰されるだけだ。次にカローリャとユイレンはそれぞれの目的に向けて集中。小生とリリカルが補佐する。トオ……さんもそれでいいよな?」

「構いやしないよ」


 ジュオンが落ち着きのない二人を放置しながら次々に指示を出していく。本来ならばここで人助けギルド【流星の旗】のギルドリーダーであるコージが精神的支柱となってまとまるのだが、今は明日の花火大会に向けての激務に追われているため借家に帰ってくる可能性は零に近い。

 だからといってユーナやアルトでは事態が散らかるだけであり、二人もそのことに関しては自覚している。ヤシロは指示を出すのに慣れていないし、他は基本的に指示を待つ側である。となるとジュオンがコージの代わりとして適度な指示をまとめるしかない。

 冷静という性格でもなく、頼りがいがあるわけでもない。しかし焦って判断を誤るのが少ないのである。少なくとも今揃っているギルドメンバーの中ではまだ常識人の部類に入るため、コージも頼りにしているくらいだ。


「他は待機! 特にナギサちゃんとアルトとバロックは動くな!! 家事はチドリがやれ、補佐としてユーナもな。ハトリは……まあ雰囲気作りに勤しんでくれ」

「じゃあボードゲームでもしましょうかしらん? それともカードゲームが御所望? ふふ、ヤシロくんならきっと素敵な結果を持ち帰ってくれるはずだものん。ほらほら、バロックさんもアルトくんも座って座ってん」


 ハトリな優雅な誘いにより、部屋を歩き回ることを止めた二人は居間のソファに座る。ついでにナギサも動いて家具を壊さないようにと、ハトリがさり気なく手招きする。見せかけなのではなく、本当に心の底からヤシロの有能さを信頼しているが故に、ハトリは穏やかな様子でゲームを持ちかけたのだ。

 四人のためカードゲームを始めたハトリ達を尻目に、ヤシロは執事としての仕事服である燕尾服を着たまま影の中に消えた。元暗殺者としての行動力やカナンの匂いによる追跡など、ヤシロ一人でできることは多々ある。それなら心配いらないだろうとユーナは渋々と立ち上がり、人数分の夕食準備にとりかかるチドリの手伝いへと向かう。


「ロゼッタはリリカルの代わりに大樹の館に電報。明日くらいまでリリカルは借家に滞在するから、本体の世話を抜かるなとでも伝えておけ。その後はそうだな……というのはできるか?」

「オーケー。超楽勝。じゃあロゼッタは電報打った後はのんびり本を読んでるね。ミディアくんはどうする?」

「俺っち? うーん、寝てるかな」

「その武器の点検だ。あと仕組みについて軽くカローリャに教えとけ。カローリャ、ミディアに少し説明を受けてくれ」


 一人だけサボろうとするミディアに対してジュオンは溜め息をつきながら工具箱を渡しつつ、カローリャへと声をかけた。嫌そうな表情を浮かべたカローリャだが、ジュオンには白魔法に関して世話になっているため、嫌々といった様子で近付いてミディアの武器を眺める。

 見かけは巨大な長柄鎚だ。しかし柄の内部に仕込まれた引き金により、平頭から蒸気が噴出する仕組みである。まるで刀を鞘から抜くように柄を動かせば、十通りの引き金。そして鎚内部の蒸気機関には柄を鎚に押し込むことで、球頭から蒸気が噴き出して擬似的な飛行が可能となる。

 十通りの引き金は同時に三つ押すと銃に使う鉛玉、二つで蒸気の弾、一つだけで蒸気を吹きだして鎚を叩きつける際の推進力などに変換する。ただしカローリャは説明半分で胡乱な目で虚ろな表情を浮かべていた。


「とりあえずカロリャっちは、柄を鎚内部に押し込むと飛べること、引き金を一つ引けば蒸気が噴き出るのを覚えてくれればいいよ。どうせ銃弾出しても誤射しそうで怖いし」

「悪かったわね……アンタさ、アタシに似てる女の子でもいたの?」


 からかうように笑うミディアに対し、少しだけ真面目な声で尋ねたカローリャ。ずっと気になっていたのだ。彼が自分を甘やかしていると言われた時から。カローリャ自体はそんな心当たりはないのだが、妙に引っかかる。

 そしてカローリャからの問いに、ミディアは少しだけ困ったように悩む、その後寂しそうに笑いながら小声で呟く。ただ苦々しい響きを伴った、思い出すのも辛いような声音だ。


「昔、妹がいた。カロリャっちとは……気が強いところと髪型が似てるかな。いつかは俺っちを楽にしてやるってのが口癖で、その度に俺っちがお前を裕福にするんだよって言っても聞かねぇのなんだの」

「……それで?」

「ある日、自分ならこれくらいできるって煙突掃除の仕事を引き受けて……死んじまった。よくある話だよ。貧しい子供には当たり前な……馬鹿な話さ」


 それ以上はミディアは言葉を続けなかった。黙々と蒸気機関内臓大鎚スチームハンマーをできるところまで解体し、細かな埃を取り除いて機械油を差していく。銃弾の装填も整え、丁寧に取り扱っていく。カローリャはそれを静かに見ていた。


「……馬鹿じゃないわよ。兄のために頑張ったんだから、アンタだけでもそう言っちゃ駄目よ」

「でもさ、俺っちが引き止めれば良かったんだ。危ない仕事は止めろって」

「アタシに似てるって言ってたわよね? そんなんで止まる妹だったの?」

「……いいや、反発して走って出ていっただろうな」


 解体した柄の部分を拭くのを止めて、ミディアは遠い目をする。無駄だったかもしれない。それでも考えるのは、今も生きていたかもしれない可能性。何度後悔してもやりきれないが、振り返ってしまうのは生意気でも可愛い妹だったからだ。


「だからさカロリャっち。無茶したら駄目だぜ? 命ってのは誰でも一つだ。白魔法はその命を長く延ばすこともあれば、短く縮める危険性も少なくない。カロリャっちがいなくなると、ユイっちが悲しむからな」

「……そうね。肝に銘じておくわ。ミディアが泣くのはいいけど、ユイレンが涙を流すのは駄目だわ」

「えー、まさかこの空気でそう言われるとは……」

「だってアンタはアタシがいなくても平気でしょ? そうじゃないとアタシが困るの。だからアンタは元気に呑気に笑って生きてればいいの。はい、これで終わり。お話ありがとね」


 そう言ってジュオンの方へと向かったカローリャの背中を見ながら、ミディアは虚を突かれた表情のまま考える。素直でない少女の、率直に似たような、どこか天邪鬼な言葉。思い当たるとすれば簡単なこと。

 思考をまとめるためにも蒸気機関内臓大鎚の整備を終えた後は静かに組み立てていく。少しでも誤作動が起きないように順序を間違えないと気をつけながら慎重な手付きで配置していく。そして元の姿に戻った大槌を眺めながら、まとまった考えを思わず口に出す。


「あれ? 俺っち……もしかして慰められたの?」


 振り返ってもカローリャはすでにジュオンから続けて白魔法について学んでおり、横ではユイレンがトオとリリカルから魔術について習っている。若さ溢れる少女二人は目の前の問題に対して真剣に取り組んでおり、介入して茶化す雰囲気ではない。

 古い記憶の中で笑っている妹。それとよく似た髪型と性格のカローリャ。しかしそっくりというわけではなく、瓜二つということもない。だからこそ別人として扱っていたつもりなのだが、無意識にも妹のように接していた節があったかもしれない。

 ユーナはあえてそれをきつい言葉で注意し、その裏を感じ取ったカローリャが話を聞きに来た。打ち明けた後は、どこか腑に落ちた感覚が残っている。自分は妹に無茶してほしくなかったのだ。その優しい言葉を死んだ彼女に伝えたかったのだと、今更ながらに気付く。


「……困ったな。俺っち三十路過ぎってこと言いにくくなっちまった」


 倍以上歳が離れている少女に慰められた事実に、少しだけ気恥ずかしくなったミディアは機械油で汚れた手で自らの青い髪を掻いてしまう。それをユーナに見咎められ、風呂に入ってこいと居間から追い出されるのに一分とかからなかったのは別の話である。




 七月二十三日の花火大会。その日こそ人魚を食べるに相応しいと笑う貴族の男は気付かない。影の中から男の言葉を耳にしていた執事の少年がいることに。夜空に花火が咲く夜、全てが動き出す。大量の始末書の予感に、コチカネット警察署で徹夜続きによる缶詰め状態のコージは背筋を震わせた。

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