EPⅣ×Ⅱ【博物館見学《museum×tour》】

 人気のない博物館はどこか清浄な空気を佇ませていた、と表現したかったユーナからすれば警察の慌ただしい動きは些か邪魔であった。

 右往左往とまでは混乱は広がっていないが、広い博物館を走らないように速歩きで動き続ける男達の汗と臭い。夏場という悪条件のせいで、辟易したくなる密度の濃い空気が充満している。

 下手に窓を開けて湿気を入れるわけにもいかず、有名画家であるラフィエルの展示区画コーナーへと足を運ばせる。所々階段があるが、カナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアにとっては平地と変わらない。


 左肘掛けの操作盤に文字を打ち込み、車輪を手のように変形させる。骨組みが人間の手のような骨格を形作り、指先部分は黒いゴムが滑り止めとなって機能する。

 二本の金属製の腕によって車椅子が移動する光景に、ジューダスは十字架を強く握りしめている。別に悪魔の所業ではなく蒸気機関の賜物なのだが、慣れない者からすればどちらも変わりないのだろう。

 階段を上り終えた後に再度操作盤に文字を打ち込み、通常形態の車輪に戻すカナン。他にも様々な仕掛けが組み込まれているのだが、全てを把握しているのはカナンと製作者であるマグナス・ウォーカーくらいだ。


「ラフィエルはロマリア教国出身の画家やけど、その美しい絵画に国境はないっちゅーことでクロムシェル道路ロード入り口に近い部分に展示されてるんや」

「近くにはドレス展示もありますわよね。そこも見ましょう。入り口通路を挟んだ先の和国と蓁国の美術品も気になりますので、後ほどそれも」

「俺様は二階の鉄工芸品展示も行きたいぜ、姫さん。喫茶室カフェが休みなのがつまらねぇよな。あそこ三つくらいあるのにもったいねぇ」


 どう考えても観光客のような会話をする三人に、ジューダスは声をかけようか迷う。それ以上にサウス・レンジントン博物館の内装の細かさに焦っていた。

 何度歩いても覚えきれそうにないほど細かい階段や展示室、さらには半地下と呼ばれるように階段による上下運動のせいで方向感覚が鈍るのである。

 中庭から見て赤煉瓦の建物にカフェが設置されているため、その反対側から博物館へと入った。先に待っていたのは左右に広がる通路だが、そこも彫刻展示を行っている。


 真っ直ぐ進めば土産物屋、通り過ぎた先はクロムシェル道路に続く入り口だ。右に行けば和国や蓁国の展示室、左にラフィエルやアスルム国にドレス展示室が配置されている。

 そこだけでジューダスは迷いそうになるのだが、それらを取り囲むような通路にはさらにルランス王国やアイリッシュ連合王国を含めたヨーロピアという範囲の展示が広がっている。

 クロムシェル道路から入って中庭の右横一階は催し物を行う公共広場ホールが開けており、そこから二階に上がれば宝石展が開催されている部屋に着く。そこに竜の心臓ドラゴンレッドは飾られている。


 二階は通路が主体であり、そのほぼ全てが展示室代わりである。鉄工芸品からアイリッシュ連合王国の文化を展示する通路に向かえる。

 一番外周と言える通路では陶磁器などが飾られており、他にも国立美術図書館に創作室や銀製品まで広がっていく。ジューダスは何度も眺めては折りたたんだ地図を再度広げる。

 現在ユーナ達と歩いているのは土産物屋の前だ。開催している特別展に合わせた土産がよく並ぶのだが、今は怪盗騒ぎのせいで閉店となっている。


 内装はと言えばそれこそ展示によって様変わりするので、どんなに弁舌を尽くしても語りきるということはない。先程までの彫刻展示廊下は細長い落ち着いた佇まいだったが、クロムシェル道路からの入り口に向かう今は違う。

 丸い白天井には日光を取り入れるための天窓があり、入場客が最初に目にする広場ホールでは天井の丸窓から植物が瑞々しい振り子のような芸術品モニュメントが頭上に飾られている。

 その美しさに見惚れていたジューダスだったが、気付けばユーナ達三人はさっさとラフィエル展示区画へと足を運んでいる。慌てて追いかけて、思い出したように声をかける。


「カナンくん、先程の闇取引市場の話だが……ここにはカーストコートと呼ばれる贋作の展示室があるはずだ。それと関係が!?」


 世界各国の有名な美術品や石膏像の贋作が集まる場所。そこには最早現在には残っていない本物の姿を後世に残す物も飾られている。

 精巧な贋作には価値が生まれる。それを証明する部屋でもあり、貴重な遺産を伝える手掛かりでもある。しかしカナンの話を聞いたジューダスとして、そこに別の意味があるのではないかと疑念を抱く。


「え? いや別に。全く関係あらへんよ」


 しかしまたもやあっさりとジューダスの言葉を否定してくるカナンに対し、再度博物館の床を転んだ拍子で滑っていくジューダス。器用なことだと、ユーナは思わず拍手した。


「特定の展示室がどうとか、そういう問題でおさまらん話やからなぁ。それよりも博物館の構造を把握して、想定できる逃走ルートを何通りか確認せんと」

「そ、そうだな……今は怪盗オルビットが優先だが……この博物館は広すぎるだろう!? 一日で見て回るなどは無理だ!!」


 ジューダスは慌てたようにカナンの鼻先寸前までに館内地図を見せつける。そこにはジューダスが書き足したせいで潰れて見えなくなった部屋記号も存在していた。

 使いすぎて紙が擦れてしまい、それでも生乾きのインクが残っているので、何度も広げては重要な事柄を忘れないように書いた努力の跡がある。それだけ本気で仕事に挑んでいる証しだ。

 ロンダニア万博で披露された展示物だけでもかなりの量ではあるが、それからさらに増えている弊害ともいえる。見る方からすれば嬉しい悲鳴だが、怪盗騒ぎが起こっている今では本物の悲鳴である。


「いやでも逃走ルートというか、侵入ルートは限られているんや。というのも宝石は紫外線、つまり日光に弱いやん」

「し、がい? まさか呪いなのか!?」

「ああうん、とりあえず宝石によっては日光を浴び続けると変色することもあってな。その美しさを保つためには展示室の環境を整える必要があるやろ?」


 カナンは説明しながら鼻先に突きつけられた地図を柔らかく手に取る。それを膝上に広げ、ユーナやアルトにも見えやすいように話を続ける。ただし壮大な誤解を招いた紫外線については放置した。

 指先で二階の宝石展を開催している位置をなぞる。四角に囲まれた部分の中央で行われており、そこを取り巻くようにいくつもの展示がある。中庭の横となる部分にも一本通路が挟まっている。

 宝石展示室も改装によっては位置が変わるが、必ず窓がない部分に場所を作ることが鉄則に近い。今回は特に竜の心臓ドラゴンレッド展示のために入念な管理が行われていた。


「せやから館内侵入した後、どう足掻いても通路や展示廊下を走る必要があるんよ。聞いた噂では怪盗オルビットは展示物の破損や建物破壊はしていない、とか」

「その通りだ! 何度も出し抜かれた憎き怪盗だが、そこら辺は奴の美学らしくてな。目的の物を盗む以外での余計な犯罪は起こさない。私が保証しよう!!」

「美学……素敵な言葉ですわね。なんだか会ってみたくなりましたわ」

「はぁっ!? 姫さん、そりゃなんでもチョロすぎるだろう!?」


 予想外のユーナの怪盗に対する好感度上昇に、アルトは慌てたように余計な口出しをする。顔面に打ち込まれそうになった白魔法込みの正拳突きをアルトは首を動かすだけで避ける。

 あまり暴れるとドバイカムに怒られてしまうため、舌打ちしながらもカナンの説明にもう一度耳を傾ける。賑やかな助手二人の奇行に対し、カナンはどこか面白そうに笑う。

 その表情が気に入らなかったアルトは一気に不機嫌になるが、下手にこの問題を引きずるとカナンがからかいに来るので口を閉ざすしかないのであった。


「どうにも不思議なのは、怪盗オルビットは鍵開けに関しては無敵だ。どんな鍵も奴の前では赤子当然でな、窓破壊は免れているが金庫でさえ意味をなさない」

「へぇ……そりゃあ面白い話や。これはマグナスんにアレを頼んでて正解だったかどうか……見物やね。とりあえず怪盗の逃走ルートはこれで絞り込めるわけやん」

「宝石展示室には窓がない。蒸気灯スチームライトも駄目らしいぜ。いざという時に蒸気管が破壊されたら、絵画は全部濡れちまうとかでな」

「よって蝋燭を主体とした灯りと、自然光で館内を照らしているようですわね。開館時刻も夕方までですし、閉館後は警備で巡回しているようですけど……まさかその時の灯りも蝋燭なのかしら?」


 蒸気灯の明るさに慣れた身としては、蝋燭の頼りない明かりで暗くなった広い博物館を歩くというのは心許ない話である。月明かりが射し込まない場所となれば尚更だ。

 ぼんやりとした蝋燭の灯りに照らされた彫刻を下から覗くことを思うと、一瞬だが大袈裟に驚きそうだ。移動する最中、硝子窓の向こうで太陽が輝く下で動き回る警察達を眺める。

 少しずつ館内の灯りの方が主張していくと、窓硝子に浮かぶのはユーナ達の薄い顔だ。透ける姿はまるで幽霊のようだが、鏡で見慣れた顔に今更驚くことはない。


「幽霊なんて窓に映った自分の顔と見間違えたのではないのかしら?」

「それも一理あるなぁ。ちなみにこの仕組みは光の反射と屈折率によって、劇場では手法トリックとして……」

「探偵の豆知識講座はいいから、早く展示物を見てルート予想しようぜ。奇抜おっさんは怪盗について他に知っていることはないのかよ?」

「奇抜……私かね?」


 困ったように首を傾げるジューダスに対し、アルトだけでなくユーナやカナンも迷わずに頷く。どうやら赤と黄色と緑を混ぜ合わせた上に青い鳥が飛んでいるネクタイの柄を普通と思っているようだ。

 ただしアルトは別の意味も含めて人の名前を勝手に呼ぶことも多いため、安心はできない。カナンなどはそのままだが、ユーナの場合は蛙の姫からきているという由来がある。


「そう、だな。かれこれ追いかけて二十年。それすらも先輩である上司から継いだ仕事だが……老けないんだ。背格好は……アルトくんによく似ているよ」


 老いない。それくらいならばすぐに思い当たる節はある。白魔法だ。魔力を人体に作用する魔法であり、これを習得することで体の状態を最高に維持できるのだ。

 今では白銀砂の貴婦人の功績で無資格の一般人でも白魔法を扱える。赤魔法や青魔法を覚えるとなると魔導士の資格が必要だが、白魔法はその利便性と最高位魔導士が手掛けた形態化による普及が著しかったのである。

 ただし不老はわずかに叶えても、不死には届かない。魔力が多い者ならば時を止めたように姿を保つことができるが、平均程度というと緩やかに老けていく。さらには風邪を含めた病や毒には太刀打ちできないのである。


 おかげで今も借家ギルドホームでは美形双子が熱と咳で動けなくなっている。ちなみに最初に季節外れの風邪をひいたのはユーナであった。

 二百年近くは少女の姿のまま生きているユーナでさえ、病関係と無縁ではいられない。病床にいるユーナに対し、馬鹿でも風邪で倒れるのかと言って熱を上がらせた犯人はアルトである。

 見えない報復となったのか次はアルトが風邪にかかり、その流れで双子のチドリとハトリへと感染していったのである。自称執事のヤシロは余計な手間を増やすなと少しだけ怒っていた。


「俺様くらいの背格好てことは十代から二十代の外見か。他に特徴はないのか?」

「緑色の服を着ているな。貴族服と軍服を合わせたようなへんてこな格好で、背中には天道虫のような二又に別れた丸い赤マント……そうそう! ずっと気になっていたんだが、君!」

「わたくしですか?」

「怪盗オルビットは帽子もかぶっていてな、緑色のベレー帽に君の髪飾りとよく似た雰囲気の赤銅の天道虫飾りがあるんだ!」


 ユーナの紫色の髪に付けている黄金蝶の髪飾りを指差し、ジューダスはどこか納得したように頷く。ユーナは少しだけ動揺したように目を丸くする。

 クイーンズエイジ1666のロンダニア大火。そこで用水路の流れ着いた先で泣いていた赤子であったユーナを、拾い上げて育てたのが最高位魔導士の一人である黄金律の魔女グランド・マリヤだ。

 その黄金律の魔女から聞いた話では、ユーナ自身の手掛かりは赤子の胸の上に置かれていた黄金蝶の飾りだけなのである。それさえもロンダニア大火の騒ぎによって偶然に手に入れた物かもしれない。


 なにせロンダニア大火では多くの者達が逃げ惑い、少しでも火の手から財産を守ろうと川に家具や宝石箱を投げ入れたという。赤子であったユーナもそういった理由で川に落とされたと推測できる。

 しかし黄金律の魔女が親を探しても見つかることはなく、ユーナが見える位置に黄金蝶の飾りを付けていても名乗り出る者は二百年以上現れない。ここまで来ると親は死んでいると諦めるだけだ。

 代わりに残った謎が一つ。黄金蝶の飾りは劣化しないのである。一応手入れはしているが、ユーナがどんなに暴れて大怪我しても、黄金蝶の飾りだけは汚れるだけの無傷のままだ。


「それと腰に装備している……剣かな? 怪盗オルビットも似たような武器を持っていたよ。と言っても、奴がそれで殺人や破壊を行ったことはないがな」


 さらにジューダスはユーナの革ベルトで固定されている杖刀を指し示す。それにはユーナだけでなく、アルトやカナンも目を丸くした。

 魔力を吸う破滅竜の杖刀。それは材料から鍛冶師に至る全てが『破滅竜レリック』によって作られた物である。ユーナに贈られた特別製の『逸品ジェム』だ。

 納刀している時は触れた者の魔力を吸い続けるが、抜刀すればユーナは『破滅竜レリック』の魔力全てを扱えるのだ。それは下手したら世界を壊せる可能性があることを知る者は少ない。


 しかし鞘から抜いて『破滅竜レリック』の魔力を扱うと、急に体に流れ込んできた魔力に体が悲鳴を上げる。具体的に言うと三日間は筋肉痛に悩まされるのである。

 それが美しくないという理由でユーナが抜刀を嫌がる。相当の理由がない限りは絶対に本気を出さないのであった。補足すると、普通の人間は杖刀に接触するだけで貧血のような眩暈を起こして倒れる。

 よしんば触れても平気な人間がいても、抜刀して流れ込んでくる魔力に体が耐え切れなければ破裂する。これは白魔法でも起こりえる事態で、人体爆発事件は今でも新聞で取り沙汰にされているほどだ。


「……もしもわたくしと同じ『逸品ジェム』を持っているとすると、かなりの魔力量ですわね……上位魔導士よりも手強い相手ですわよ」

「え? まじかいな!? って、ユーナん、怪盗が所持している武器が杖刀と同系統やと、どうして魔力を吸うってわかるん?」

「そういう契約ですから。魔法は魔力と法則で『力の根源レリック』に繋がります。けどこれは契約、もしくは約束。そういったもので『異世界レリック』から逸脱する品なのです。しかし維持費用と言いますか……魔力を与え続けないと世界から弾かれてしまうのです」

「よおわからんけど……万物に魔力が宿るように、それにも魔力を宿していないと所持が難しいっちゅー話なん?」


 カナンのまとめにユーナは微妙そうな表情で頷く。というのも、杖刀のような『道具ジェム』を持っている相手と出会うこと自体が稀なのだ。

 そしてそんな相手に限って無限に近い魔力を保有していることや、そうでない場合は違法な方法で魔力を供給して騒ぎを起こしているので、大体は戦って『問題の原因ジェム』を破壊するしかないのだ。

 こういった流れのため、ユーナ自身も『逸品ジェム』の破壊の仕方と基本しかわからない。さらに言えば『逸品ジェム』という呼称さえもユーナが勝手に名付けた物だ。


「姫さんと共通点が多いねぇ……」

「あとは変装の達人という点だ。老人から子供、美しい貴婦人にまで化けるのだ! おかげで奴が怪盗をしている際の顔さえ本当なのか不明だ」

「ちなみに怪盗を行っている時の顔ってどんなん?」

「赤茶の長い髪を尻尾のように揺らしていてな。しかし一番はあの夕焼けのような瞳だろう。焼き付いて離れない色とはああいう物かと思う。それ以外は普通の少年というか、青年だな」


 少しだけ戸惑いながらジューダスは説明する。おそらく二十年以上追いかけている相手が少年かどうかも怪しいからだろう。そしてそれだけ正体がわかっていてなお、捕まらないという事実。

 カナンが少しだけ笑みを深くする。獲物を見据えた猛禽類のような眼差しは鋭い。カナンはどうしても真実を追い求めたくなる性分であり、謎の怪盗は最上の餌と言えた。


「しかし奴の恐るべきところは摩訶不思議な手段で我々を欺き、その隙に宝を奪うという手腕だ!!」

「魔法かなにか使われたのですか?」

「それが……我が国の魔導士でもわからないと言い張る始末でな。せめて魔法の総本山であるアイリッシュ連合王国の最高位魔導士に意見が聞けたならば……」


 悔しそうに拳を握るジューダスに対し、ユーナの表情が固まる。横ではアルトが肩を震わせて必死に口を塞いでいるが、効果はあまりない。


「さ、最高位魔導士でも、ほら、その……黒魔導士の方もいますし、あてにするのは……」

「私はどうにも魔法に疎くてなぁ。黒魔導士は無資格だったな。しかし……前から疑問なのだが、紫魔導士とはどういう意味なのだ?」


 墓穴を掘り進んでいくような心地を味わいながら、ユーナはそれとなくカナンに視線を送る。残念ながら私立探偵も肩を震わせていて役に立ちそうにない。


「資格剥奪寸前の魔導士に注意色として付けられるのです……ええ、わたくしのように」

「ああ、そういえば君は紫魔導士だったね? しかし他の者達は鉄や銀というのに、何故紫魔導士だけは水晶となるのだい?」


 痛いところを的確についてくるジューダスの顔は純粋な疑問しか浮かんでいない。それが逆に心苦しいユーナは頭の中で必死に内容を整理していく。

 一番重要なのはジューダスに最高位魔導士である紫水晶宮の魔導士の正体、つまりユーナが隠していることを知らないという点だ。最悪の問題児の代名詞と言える二つ名は、たとえ女王から文字を頂いたとしても公言するのは美しくないという考えがある。

 なんとか冷静に、そして平然と。最悪の問題児である自分の正体を悟られないように説明するため、ユーナはにこやかな笑顔になる。ただし彼女の本性を知っている者からすれば珍しすぎて鳥肌が立つ類の笑顔だ。


「それは当時紫魔導士であった者が、ロンダニア万博、つまり水晶宮博覧会にて女王の危機を救ったのです。それで紫水晶宮となり、それまで中位や上位の区別がなかった紫魔導士に最高位が与えられたのですわ」

「ほう。そういえば水晶魔導士や紫水晶魔導士と名乗った者は聞かないな。赤銅魔導士や銅魔導士は多いのは知っていたが、そういうことか」

「今でも紫魔導士というのは数少ないのです。というのも大抵は資格を失って黒魔導士になるからですわ。資格剥奪されず、されど紫の名前がつく魔導士は捨てるには惜しい、というところですわね」

「なるほど。つまり君は将来有望ということか!! 期待しているぞ、若い少女よ!!」


 輝く瞳でユーナに期待を向けるジューダスの前で、耐え切れない笑い声が二つほど響いた。カナンとアルトは声も出なくなるほど腹が痛い様子で、下手したら床に転がりそうな勢いである。

 若い少女と呼ばれたユーナの笑みもひきつけを起こす。ジューダスの与り知らないところではあるのだが、ユーナの実年齢は百を超えている。確実にジューダスより年上の、老婆として扱っておかしくない年齢だ。

 真実を知らないジューダスは声も出さずに奇怪な行動している二人に困惑の視線を向ける。ユーナは仕方なくジューダスの背中を押し、前へと進ませる。


「とにかく!! 今は博物館見学ですわ!! それにほら、館長挨拶とかもあるでしょう!? そろそろ足を動かさないと!」

「う、うむ……そうだな。では再度歩き始めるとしようか」


 ユーナに無理矢理背中を押されているジューダスは、少女と思っている相手からのとんでもない力に驚く。しかし魔導士なのだから、白魔法を使っているのだろうとすぐに思い当たる。

 目に涙を浮かべたアルトは咽ながらもカナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを押し進めていく。カナンはまだ笑い足りないらしく、喘息のような呼吸で息を吐き出していた。

 とりあえず後で大笑いしている二人は叱っておこうとユーナは心に誓う。年齢の話は女性に対してするものではないだろうと、どこか見当違いな怒りを抱いていた。




 適当に一通り見て回ったユーナ達は二階の宝石展示している区画の前まで来た。しかしジューダスが中には入れないと首を横に振る。

 少しでも怪盗から守るために入り口を固く閉ざしており、その両脇にルランス王国の警察二人組と、アイリッシュ連合王国の警察二人組を見張らせている。

 計四人での警護体制と、不定期ながら小まめな巡回班により、怪盗の変装による侵入を防いでいる。怪盗が予告時間を違えたことはないが、今回も同じとは限らない。


「ちなみに君達も博物館から外出するのを禁止とさせて頂く。下手に外に出られて怪盗が変装して侵入されると困るからな」

「それが良いとは思うんけど……なあ、アルトんが食べていた冷凍乳菓子アイスクリームの店って博物館の外やん?」

「ああ、そうだけど……なんだよ食いたくなったのかよ? 明日も出店してたら奢ってやろうか」

「いや……まあ僕の杞憂ならええんやけど、あの肌に突き刺すような冷気は普通の製氷機じゃ無理や……というと、あれを使うしかないとなると、そこから繋げてあれも……」


 一人で呟き始めたカナンだったが、その声を遮るような元気な声がジューダスを呼んでいる。曲がり角から速歩きで近付いた若い警官は、手に分厚い資料を抱えていた。

 赤髪にそばかすが残る純朴そうな顔の警官は、まるでボールを持ってきた犬のようであった。布地の帽子はまだ新品で、サイズが合わないのか何度も頭からずれているのを手で直している。

 その背後からもう一人、金髪に碧眼の細身の警官がやってくる。こちらはどことなくやる気がなさそうであり、制服もだらしなく着崩している。


「ジューダス警部! 頼まれていた資料です!!」

「ありがとう。そうだ紹介しよう。私の部下のマルコ・ヘッターだ。やる気に満ち溢れた新米でな。もう一人はバンケット・ダストン。やる時は結果を必ず残す有能な男だ」

「マルコです! 警部だけでなくアイリッシュ連合王国の警察や探偵と共に怪盗を捕まえるなんて、感激であります!!」

「どーも、バンケットです……はあ。アイリッシュ連合王国に来たら綺麗な逢国美人とお近づきになりたかったのに、ここは女も頭も身持ちも堅くてなぁ……」


 元気に挨拶する赤髪の警官マルコとは正反対に、やる気のない金髪の警官であるバンケットは溜め息をついている。

 ユーナとアルト達もつつがなく自己紹介を終えた後、カナンはジューダスからマルコが持ってきた資料を受け取る。そこに書かれていた内容を眺め、覚えるように字を指でなぞっていた。


「バンさん! 駄目ですよ、今回は特別派遣によるお仕事なんですから! それにほら、目の前に少女とはいえ女性が……」

「あ、俺ペタンコ体型は範囲外なんで」

「──ゆらゆらと」

「姫さん!! 本当のこと言われて怒ったからってその魔法はまずぃどわっぁ!!!?」


 使い慣れた破壊力満点の魔法を使う代わりに、それを止めようと一言多かったアルトに対して蹴りを入れようとした。それも身軽に回避されて失敗する。

 杖刀で殴ろうかとも考えたが、さすがに他国の警察の前で武器を使うのは心証が良くない。盛大な舌打ちを鳴らした後、人を殺せそうな視線でバンケットを睨む。

 しかしユーナのことを全く知らないバンケットは目の前で欠伸を零すだけであり、見知らぬ警官相手に拳も出すわけにはいかずに低く唸る。


「こら、バン! ルランス王国の警察代表として来ているんだ! 粗相のないように、女性には優雅エレガントに接するべきだ!!」

「そうは言いますけど、アイリッシュ連合王国なんて飯は不味いし、国民性は頭が固いし、それに歴史的に考えても仲良くとかそんな……」

「バン!! 口にしていいことと悪いことがあるぞ!! 今のは不問にしてやるが、次に不適切な発言を出した場合は容赦しないぞ!!」

「ひっ……す、すいません……ジューダス警部、許してください……」


 破裂しそうな大声で怒鳴られたバンケットは肩を萎縮し、上目遣いでジューダスの顔色を窺う。まるで飼い主に許しを求める猫のような顔だ。

 ちなみに近くにいたユーナ達もその怒鳴り声で耳の奥が痛くなっていた。一人だけ例外なのは資料を読むのに没頭しているカナンくらいである。


「部下が失言をしてすまない。どうにも慣れない国で気が荒立っていてな……」

「いえ、いいですわよ。服装飾ファッションや料理においてルランス王国は確かに優秀ですもの。わたくし達の仲間にもルランス王国出身者がいまして、最初は我が国の文化に驚いたそうですから」

「そう言って頂けると助かります。では私はこれから部下達の様子を確かめに行きます。また御用があれば気軽に声をかけてください」


 丁寧な対応で去っていくジューダスの背中に若い警官二人はついて行く。マルコは少しだけ振り返り、軽く一礼をしてきた。

 どこも人間関係で苦労しているようだと思う矢先で、カナンは読み終えた資料を機械仕掛けの車椅子の収納庫にしまう。場所としては座席下の空間だ。

 箱のような形なのは様々な仕掛けを格納するのと、少しでも手荷物を減らすための収納庫があるからだ。ユーナからすれば無駄に機能的という矛盾した言葉を使いたくなる構造だ。


「さて、ジューダス警部のおかげで一つ目の課題はクリアしたし、次は館長に挨拶やね。コージんとドバイカム警部に中継ぎして貰わんと」

「じゃあいい男である俺様が探してきてやるよ。姫さん達は資料室……国立美術図書館前にいろよ」


 返事も聞かずにアルトは素早く歩いていく。カナンの負荷を減らすために同じ二階にある近場の資料室を選ぶあたりが、素直じゃない性格だ。

 それに気付いているカナンとユーナは視線を合わせて苦笑する。おそらくこんな光景をアルト本人に見られたら、顔を真っ赤にして言葉を幾つも並べながら勢いで誤魔化しただろう。

 あまり宝石展示室前にいるのも気まずいため、ユーナはカナンの機械仕掛けの車椅子ギミックチェアを押していく。やはり通路には暗幕によって隠された絵画が手押し車の上に乗っている。


「随分と多くの絵画を廊下においてますわね。しかも大型ばかり。しまう場所がないのかしら?」

「常に増築や改装を増やしている上に、展示数も鰻登りらしいからなぁ……でもこれは確かにおかしいし……ちょっと見てみよっか」


 茶目っ気のある笑みを浮かべたカナンが近くの暗幕に手を伸ばす。しかし次の瞬間、耳を塞ぎたくなるほどの怒声がユーナ達のいる廊下に響き渡った。

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