二章 封印

封印 1

 昨日までの調査報告によると、新たに広がった魔物の活動範囲に生活しているザールの民は、ただひとりらしい。

 城の高層部に位置する会議室の窓に寄り、城下を眺めていた領主ルスターは、遠くに洗濯物を干す人影を見つけると、優しく目を細めた。

 視線をずらせば、大量の果実を積み込んで走る荷車や、工房から伸びる煙突から吐き出される黒い煙も見える。晴れた日のわりに元気に走り回る子供の姿が少ないが、何が起こるか判らない現状に不安を覚えた親がおとなしくするよう指示するのは当然で、むしろそれ以外の事柄において、以前とほとんど変わらない光景が今日も訪れた事に、ルスターは安堵していた。「ただひとり」の存在がなければ、日常が訪れた喜びのあまり、満面の笑みを浮かべていたかもしれない。

 だが、「ただひとり」の存在は、喜びの中に暗い影を落とす。ルスターは近くに誰も居ない事を確認した上で、苦笑いを浮かべた。それから細めた目を町外れの森に向け、固く目を伏せる。

 いくらかの時が過ぎたのち、ルスターが立ち尽くすだけの静かな部屋に、扉を叩く音がきつく響いた。ルスターは音に驚いて顔を上げ、振り返る。「どうぞ」と声をかけると、扉は開かれた。

 姿勢を正したルスターが、懐かしいふたつの顔を温かな微笑みで迎え入れると、相手も同様に笑ってくれた。ひとりは理知的で静かに、ひとりは明るく力強く。

 ふたりの印象は、最後に顔を合わせた日からほとんど変わっておらず、心の内に眠らせていた王都での懐かしい日々が、強制的に蘇った。当時に帰りたいと望むわけではなかったが、夢のような日々の思い出は、ルスターを少しだけ感傷的にさせるのだ。

「ご無沙汰しております、リタ様、ジオール殿」

 印象こそ変わっていなかったが、容姿のほうは年月によっていくらか変化をしていた。可愛らしさよりも美しさが先に立つようになったリタの繊細な美貌は輝くほどで、髪が伸びた事も手伝ってか、やはりシェリアと似ているのだと思えるようになっていた。歳を重ねる事で貫禄が増したジオールを従える様は、絵物語に出てくる姫と騎士のようだ。

「遠路はるばるお越しいただきましたのに、昨晩はご挨拶もせずに、申し訳ございません」

 ルスターが頭を下げると、リタは軽く笑い飛ばした。

「いいわよ気にしなくて。忙しかったんでしょう? それに、おじさんに迎えてもらうより、綺麗な女の子に迎えてもらうほうが、気分いいし」

「ナタリヤは粗相をいたしませんでしたか?」

「奇麗なだけじゃなくて、しっかりしている子じゃない。問題の起こりようがないわよ。それより、ほんと久しぶりね。しばらく見ない間に、『領主様』が板についたみたい」

「板についているかは判りませんが、なんとか今日までやってこられました」

「色々大変だろうから、心労はたまる一方でしょうけど、体は元気そうでなによりね」

 リタは身軽な動きで部屋を横切り、窓のそばに寄ると、先ほどまでルスターがしていたように、城下を見下ろした。

 何気なくリタがこぼした、「前に来た時と変わらないわねえ」の一言は、彼女がかつてザールを訪れてからの約11年間、平和が続いていた証にも思え、ルスターは少しだけ誇らしい気持ちになる。

「そういえばね、ルスター。私、昨日会ったわよ」

「どなたに、でしょう」

「貴方の甥っ子のユーシスに」

 ちょうど気にかけていた存在を匂わされ、ルスターの胸は激しく鳴った。

「報告を受けております。リタ様とジオール殿が、魔物に襲われていたユーシスをお救いくださったと。ありがとうございました」

「別に、お礼を言われたくて話をふったわけじゃないんだけどね」

 リタは窓に背を向け、会議用の机を見る。今日の会議に参加する者を把握している彼女は、迷わず一番前の席を選び、腰をおろした。

 すると、部屋の入り口近くに待機していたジオールが、リタの隣に歩み寄り、ルスターに小さく会釈をしてから席に着く。

 自分も席に着こうかと、数歩踏み出したところで、いてもたってもいられなくなったルスターは、リタに向き直った。

「その……ユーシスは、元気にしておりましたでしょうか」

 リタは考え込んでから答えた。

「そうねえ。ちょっとだけ怪我したけど、私が治しておいたし、問題なく動いてしゃべっていたから、それなりに元気なんじゃない? でも、元気だ、ってはっきり言い切れるほど健康そうには見えなかったかな。アストと同い年の割には、体が小さくて細かったし、顔色もあんまり――って、もしかして、最近会った事ないの?」

 痛いところを真っ直ぐに突かれたルスターは、肯くしかなかった。

「逐一報告を受けてはおりますが、ユーシスがレイシェルと共にあの屋敷に移住してからは、一度も顔を合わせておりません」

「忙しいから? って、その程度の理由で10年も放置するのは、貴方の性格から考えてないわね。じゃあ、領主様が直々に『魔物の子』に会いに行くなんて、領民感情が許さないってところかな? まして甥っ子だもんねえ。どうしたって身内贔屓に見えるし」

「恥ずかしながら、おっしゃる通りです」

 ルスターは口に出さなかったが、本当はもうひとつ理由が存在していた。レイシェルとユーシスを城から追い出した張本人が、自分自身であるとの事実だ。

 もちろん、憎くてやった事ではない。そうしたほうがザールの民の中で生きるよりも幾分ましな生活ができるであろうと思っての事であるし、何より、レイシェル本人が望んだからである。しかし、いくら理由があったとしても、自分で追い出した相手に自から会いに行くとの矛盾を解消できるほどのものではなく、会いに行く事ができないまま、今日に至っていた。

「今はもう、城も、町も、森も、何もなかったみたいに、事件の前のまんまなのにね。一番立ち直りが遅いのって、人なのかしら」

 リタが頬杖をつきながら漏らした言葉に、複雑な想いを抱きながらも、ルスターは表向き素直に肯定した。

「そうかもしれません。私はザールで過ごす日々の中、かつてジオール殿が語られた言葉を、しきりに思い出します」

 ルスターは祈るように、両手の指を軽く絡めた。

「私が?」

「そうです。かつて貴方はこうおっしゃった。『忘却は、神が人に授けた救済なのだ』と。当時の私は、意味を理解したつもりになっていただけで、真実の理解にいたっておりませんでした。ですが、今は、よく判る気がするのです」

「忘れられれば、ザールの民はありもしない恐怖から救われる、か」

「同時に彼らは、寂しい魂の救い手にもなるでしょう」

 ルスターは両手を固く握り締める。込める力の強さが祈りとなって、神に届けばよいと願った。祈りを届けるべき神はもはや空にない事も、地上で生きる神の血族に託すには重すぎるとも、知っていたけれど。

「それに――」

「私がそう言った時、忘れられた者は悲しいと、ハリスは言っていたか」

 突然のジオールの言葉に、ルスターは自身の手元に向けていた視線を上げ、ジオールを見つめる。

「え? ええ、確か、そのような事をおっしゃっていたかと」

「ちょっとジオール、貴方、昨日の事まだ気にしてたの? 歳を食えば食うほど心が狭くなってって……」

「な、なんの話でしょう。私にもお聞かせ願えませんか」

 雰囲気が変わっていないとは思っていたが、ジオールに対する遠慮のないもの言いも、11年前と変わっていないらしい。ルスターはリタの言葉を遮ろうと、咄嗟に問いを投げかけた。

「たいした事ないのよ。昨日、貴方の娘さんが私たちの応対をしたでしょう? その時『はじめまして』って言われた事、根に持ってるのよこの男」

「根に持っているわけではありませんが」

「でも、『はじめて会うわけではないのだが……』って、ちょっと寂しそうに呟いてたじゃない」

 リタは背もたれに体重をかけ、やや気楽な格好になってから腕を組んだ。

「あの子、20歳にはなってないわよね? だったら、最後に会ったのは7歳とか8歳とか、それくらいでしょう? ちょっと会った事がある程度の知り合いのおじさんの事なんて、忘れて当然じゃない」

「馬鹿じゃないの、大人気ない」と吐き捨てるように付け加えて、リタはジオールを睨みつける。もはや弁解する気を失ったのか、相手をする事が面倒になったのか、ジオールは涼しい顔をして、黙って正面を見ていた。

 ルスターは困惑していた。何より、配慮が足りなかった事が悔やまれた。昨晩の自分の元に駆けつけ、殴りつけてやりたい気分だ。

「『ちょっと会った事がある程度の知り合いのおじさん』ではなかったのですよ。ナタリヤにとって、ジオール殿は」

 リタは目を丸くしてルスターを凝視した。

「そうなの?」

「はい。ナタリヤはずいぶんとジオール殿に懐いておりました。一時は大人になったらジオール殿と結婚する、としきりに言っておりましたから。子供の言う事ですし、ジオール殿はすでに既婚者でしたから、誰も本気には取りませんでしたが」

 ジオールは小さく笑った。

「貴公は当時ずいぶんと落ち込んでいたがな」

「そこは、忘れてください」

 かすかに赤面したルスターがわざとらしく咳払いをすると、ジオールは黙り、再び正面を向く。

 リタは意地の悪い笑みを浮かべながらも、いくらかの同情を混ぜた眼差しをジオールに向けた。

「そこまで懐かれてたなら、忘れられてたのは切ないわね。むしろ、『ちょっと会った事がある程度の知り合いのおじさん』のほうが、諦めがついて良かったかしら」

「いえ。本来のナタリヤならば、11年の時を経たとしても、ジオール殿の事を忘れはしなかったと思います」

 リタとジオールの真剣な眼差しが、同時にルスターに注がれた。ふたりとも、「ならばなぜ」といった疑問を投げかけてこなかったが、抱えている事は明らかで、説明すべきかルスターが迷うと、室内に沈黙が生まれた。

 沈黙を破ったのは、突然開かれた扉だった。大なり小なり警戒心を抱いた3人は、一斉に扉に向き直る。

「あ、もう、揃ってたのか。不躾で申し訳ない」

 扉を開けたカイは、突然注目を浴びてたじろいだ。

「どうぞ、お座りください」

 カイとハリスが席に着き、ふたりを迎え入れるために一度起立したジオールが再び着席したのを確認してから、ルスターも椅子に座る。順番に4人の顔を見つめてから、最後に4人を同時に視界に入れると、懐かしさはいっそう強くなった。

 この面々がよく顔を合わせたのは、11年前の、たった数ヶ月間だ。ルスターが生きてきた年数と比較すれば、わずかと言って良い時間。だがその時間は強烈で、ルスターの記憶に今でも印象強く残っている。

 再びこうして集まれた事は喜ばしい。ふと笑みがこぼれるほどに。しかし、同時に寂しい想いを抱かずにはいられなかった。

 原因は判っている。かつてと同じようでいて、空気がまるで違うからだろう。

 思い出の中よりも、ひとり足りないために。

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