守り人の地 10

 無数の星が夜空に煌めいていた。

 雲ひとつない静かな夜空は輝きに溢れて美しく、見る者に静かな心地良さを与えてくれる。何も考えず、ただ見惚れていたいほどだ。

 しかし今は明らかに、何も考えずにいられる状況ではない。カイは腰から下げた剣の柄をいじりながら、徐々に視線を落としていった。

 均等に間を空けて立つ、帯剣した男たちの背中が視界に入る。

 ザール城の要でもある主塔の最上部に待機しているのは、カイを含めて6人だ。3人の神の御子と、その護衛隊長である。護衛隊長たちは正三角形を描く形で、カイたち守るように立ち、あたりを警戒していた。

 カイたちは特にやる事がない。中心部にわざわざ用意された椅子に腰掛け、時が過ぎるのを待つだけだ。

 魔物狩りをしていた時は不規則な生活を送る事もあったが、大神殿に来てからは確実に寝ている時間帯であるため、あまり退屈すぎると眠くなってしまう。「見張りくらい手伝わせてくれよ」と先ほど頼んでみたが、ハリスとジオールは厳しい顔つきで、ルスターは笑顔で、「いけません」と言い切るのみだった。

「本当に、今日来るのか?」

 椅子に座ったままでいる事に疲れたカイは、立ち上がって体をめいっぱい伸ばした。

「魔物の狙いがあたしたちなら、ね。相手は絶対、明日にはあたしたちが帰っちゃうって情報を掴んでるから」

 リタは強気な笑みを浮かべ、胸を張った。

「なんでそこまで情報が広まっている自信があるんだ?」

「ためしに聞いてみたら、庭師見習いの男の子まで知ってたから。やっぱ、さりげなく情報を広げるには、おしゃべりな女の噂話が一番だよね」

 いつの間にそんな事を企んでいたんだ、と質問を挟む余地もなく、リタは続けた。

「あたしたちを呼び出すためにこんなところで頑張ってるって事は、セルナーンまで攻め込むだけの力がないって事でしょ。しかも、放っておいても2ヵ月後の視察にくるのにわざわざ今呼びだそうと考えたって事は、選定の儀よりも前にどうにかしたかったって事じゃない? 今回帰っちゃったら、選定の儀までに再びあたしたちがくる可能性は低いから、だったら今日か明日の日中までにあたしたちを始末しないといけない。昼間か夜かって言ったら夜じゃない? 向こうは元気だし、こっちの、特に遠征してきた人たちは、疲れてるしね。しかも、手配がはやいジオールのおかげで、明日には増援が到着してしまうから、余計に気が逸るはず」

 どうやら、カイがただランディの死を嘆いている間に、リタたちは色々と考え行動していたらしい。さすがだな、と感心する反面、仲間はずれにされたような寂しさが胸中に湧き出でて、カイは顔を背けながら苦笑した。

「魔物たちからすると、けっこう際どい賭けになる気がするんだが、どうしてそこまでして俺たち神の子を狙うんだろうな。いや、俺はまだ狙われていないんだが」

「神の御子、だからではないでしょうか」

 申し訳なさそうに答えたのはルスターだった。警戒を怠るわけにはいかないため、カイたちに背中を向けたままだが、話は聞いていたらしい。

「我々聖騎士団が、エイドルードの意志に従い、御子をお護りし、魔獣の力を得た者と戦う事を当然としているように、魔物たちは、魔獣の意志に従い、魔獣を守り、エイドルードの力を得た者と戦う事を、当然としているのでしょう」

 それが生まれついでの宿命なのだと続けるルスターに、ジオールが意見を重ねた。

「おそらく魔獣やその眷属は、封印が弱まった事で、エイドルードの異変に気付いているでしょう。すでに失われた事にも気付いているならば、尚更です。御子を亡き者にすれば、未来の魔獣の解放が確実となる。それは、魔物たちにとって自由な世界が訪れると同意です」

 身の危険と責任の重さを改めて思い知らされたカイは、ため息を吐きながら、重く感じる頭部を片手で支えた。

「魔獣や魔物が、エイドルードがどうやってこの大地を救おうと考えているのか、知ってるって事ですかね?」

「判りかねますが、どちらにせよ、御子を狙う理由が失われるとは思えません」

「まあそうですよね。本当は俺たちが直接何かをするわけじゃないですけど、知らなければ、俺たちが何かをすると勘違いして当然の状況ですから。でも、なんて言うか、どちらにせよ、俺たちを殺したい理由にしかならない気がするんですが」

「どういう意味?」

 強い興味を抱いた顔をして、リタが口を挟んできた。

「だから、今――リタの言葉を借りるなら、選定の儀の前だな。それまでに俺たちを始末しなければならない理由がない気がする。2ヵ月後の視察の時でも、来年の視察の時でも、いつでも良さそうじゃないか?」

「じゃあやっぱり、色々知ってるんじゃないの? エイドルードの後継者だか、新たなる神だか知らないけど、とにかく子供が産まれてしまったら、魔獣たちにとってやっかいな事になるのは明らか。選定の儀の前にあたしたちを始末すれば、やっかいな存在が生まれないのは確実。判っててやってると思えば、自然でしょ」

「そうだなあ……」

 カイは腕を組んで考え込んだ。

 リタの説明に納得していないわけではない。その通りだ、と力強く肯ける程度に納得できている。しかし、まだどこかがひっかかっている。正体が知れないそれを、口で説明する事は難しく、カイは深い思考に落ちていった。

「どうやって知ったのか……は、たいした問題じゃないか?」

「ほぼエイドルードに匹敵するだけの力を持ってたからこそ、魔獣は封印されたんでしょ? 何を知ってたとしても、あたしは驚かないけど」

 カイは鈍い動きで肯いた。

「エイドルードが決めた事を知ってるって言うなら、俺も感覚的に納得してしまいそうな気がするんだけどな。でも、選定の儀が来月だって事を決めたのは、地上の民の誰かじゃないのか? 『どんな事でも知る事ができるだけの力が魔獣にはあるんだ』と言われてしまうと、納得するしかないけどさ」

「とりあえず、それで納得しておけば? 色々考えるには、すでに遅い気がする」

「確かにな」と答えたカイの視界の端に、揺らめく炎が映った。

 ハリスだった。左手に持っていた松明を高く掲げ、闇に残像で描くように炎を躍らせている。一定の動きをもう一度繰り返すと、松明を床に落とし、剣を抜いた。剣を抜くのは、ジオールやルスターも同時だった。

「魔物が来たようです。シェリア様、リタ様、カイ様も、ご助力お願いいたします」

 ハリスの呼びかけに、交戦的な笑みを浮かべて立ち上がったリタは、袖をまくりながら夜空を見回した。

「今の変な動きは何?」

「合図です。間もなく城中の兵士や騎士が戦闘態勢に入るでしょう。同時に、非戦闘員は自室あるいは指定されている広間に避難するようにと指示が伝わっているはずです」

「非戦闘員のふりをした魔物が徘徊したらどうするわけ?」

「許可なく部屋の外に出た者は、魔物の手先の疑いがあるとの名目で拘束します。抵抗した場合は、神の名の元に処刑もありえます」

「そう。じゃあ、一番警戒すべきなのは、戦闘員のふりをした魔物の手先なわけだ」

 背中合わせに立ったリタとシェリアは、ほぼ同時に白い腕を振り上げ、可憐な声を響かせた。かつてのカイには理解できなかった神聖語の呪文。今のカイでもはっきりとした意味は判らないが、聖なる雷を呼び寄せるためのものだと理解できた。

 双子であるからか良く似ている、けれど明らかに種類が異なるふたつの声が、同時に呪文を完成させる。

 空からふた筋の雷が落ちた。

 雷鳴に魔物たちの断末魔の叫びが混ざり、静かな夜に響き渡る。人に恐怖を与えるその音をかき分け、空を切って飛び込んで来た最初の魔物を、一刀両断したのはジオールだった。

 間髪入れずに再び紡がれる呪文を聞きながら、カイは矢を番えた。近付いてきた魔物は護衛隊長たちが切り捨て、遠くの魔物たちにはリタとシェリアが裁きの雷を振らせる。カイの役目は、中途半端な距離まで近付いた魔物、近付いて来ていながら剣が届かない高い位置に待機する魔物を、打ち落とす事だった。

 羽の自由を失った魔物が落ちてくると、別の魔物を切り捨てたばかりのルスターが止めをさす。断末魔の叫びも、返り血も、気にする様子もなく、すでに命を失った魔物に背を向け、新たな魔物を貫く。

 普段は穏やかで優しいルスターの鋭い剣士としての一面は珍しく、余裕があれば見学したいくらいだったが、カイは空中に目を向け、立て続けに矢を放ち続けた。

「これ、魔物が尽きるまで続けるのか? 敵の数も知らずにこんな事はじめるのは、無謀だと思うんだけどな。俺たちの体力は無尽蔵じゃないんだぞ」

「ええ、まったく、カイ様のおっしゃる通りです」

 戦いながらカイに答える余裕がある者はハリスしかいないようで、彼は魔物を叩き伏せながら言った。

「隊長であるお前が他人事のように言うな。お前が考えたか、少なくとも承認した作戦だろう」

「事の早期終了を願う、働き者の部下がおりましたもので、承認せざるをえなかったのですよ。長期戦はこちらが消耗するばかりで不利だと思っておりましたし、どの魔物もいずれはザールの民と戦う事になるでしょうから、ならば我々が1匹でも多く倒しておくべきだと考えれば、働き者の部下の想いを無下にもできず」

 力強い左腕で剣を振り払いながらジオールが口を挟んだ。

「嫌味か?」

「嫌味のつもりはありませんよ。ただ待っていたずらに疲労を重ねるよりは有効だと、私も思いましたから。いざという時が来ても、責任逃れはいたしませんから、安心してください」

「今の台詞は嫌味のようだな」

「否定いたしません」

 魔物を切り捨てたハリスとジオールは、刃に纏わりつく魔物の血を、剣を振り下ろす事で払い、息を整えながら構え直した。

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