二章 森の神殿へ

森の神殿へ 1

 通路の突き当たりの扉には、アシュレイ・セルダの名が刻まれている。

 だが、扉の向こうにその名の主は居ないだろう。夜も更け日付が変わってからしばらく過ぎたこの時分、勤務を続けているのは夜警を任された者たちがほとんどで、聖騎士団の頂点に立つ男にはそのような役目が下されるわけもない。

 人目を忍び、足音を殺してここまでやってきた男は、蝋燭の炎に照らされる団長の名前を横目に、突き当りよりひとつ手前の扉に手をかけた。その扉にもやはりプレートがはまっており、こちらにはロメール・イルタスとの名が刻まれている。この聖騎士団において、アシュレイ・セルダに次ぐ地位を持つ人物だ。

 男は扉を叩く事も声をかける事もせず静かに扉を開け、暗い通路よりもなお濃い闇の中でぽつりと輝く蝋燭に、視線を落とした。

 蝋燭一本だけでは、広い部屋を照らし出すには明らかに光量が不足している。足元は未だ暗いままで、部屋の構造や家具の配置を詳しく知らない男は、不安を覚えながら歩むしかなかった。唯一頼りになるのは、蝋燭の向こうにぼんやりと浮かび上がる人影のみだ。

 慎重に一歩ずつ、手探りで、足を擦るようにして、男は人影へと近付いて行った。蝋燭の灯りが自身の顔を照らすようになって、ようやく男は足を止める。寒々しい闇の中で、僅かに感じる炎の熱は、身を焦がす熱にも感じられた。

「どのようなご用件でしょうか」

 一礼してから問いかけると、人影は無言で肯いた。わずかに身じろぎし、影は男に背中を向ける。

「来月出立となる森の神殿への物資輸送任務の件だが」

「はい」

「隊長であるエア・リーンと、彼が率いる第十八番隊の中から三名が選ばれた。その中にお前の名も入っている」

 振り返った影は、音もなく自らの手と羊皮紙を机上に置いた。

 揺らめく橙色の灯りは、歳を重ねた男の手と、その下に刻まれた文字を照らし出す。補給任務に関する命令書には、堅苦しくかつ簡素な文章の下、四名の名前が記されていた。

 その中に、隊長であるエア・リーンと自分の名前を確認した男は、ゆっくりと顔を上げる。闇の中に浮かぶ影の表情はよく見えないが、視線が交錯したような気がした。

「約二ヶ月ほどの行程となるが、その間、エア・リーンの監視を怠らぬよう心がけよ」

 男は静かに息を飲んだ。炎に炙られ熱を持った空気に、胸を内側から焼かれる感覚がした。

「エア・リーン隊長に、何か不審な点がございましたか」

「逆に聞こう。この数ヶ月間、彼の部下として過ごす間、何かしら気付いた点は無かったか?」

 男は命令書を指先で撫でながら、闇の中に視線を投げた。

 今年入団したばかりのエア・リーンが武術大会で優勝し、隊長に任命されたのは今から4ヶ月ほど前の事で、その間特別な任務は無く――輸送任務への準備期間のようなものであったので――大神殿の警備や訓練の中でのみ時間を共にした。その短い時間で男がエア・リーンに対して抱いた印象は、「少々口下手な所はあれど面倒見の良い人物」といったところだ。

 彼に剣技の稽古を受けて、みな一様に腕を上げた。真面目だが歳若い事もあってか部下に息苦しさを与えるほどではないし、出自のせいか突然の出世に気取る事もない。逆にこちらに気を使っているのではないかと思うふしもあるほどだ。

 良い上司を得たと同僚たちが話しているのを幾度か聞いた事もある。男も同僚たちに同意しており、不審に思った事など一度としてない。

「特にありませんが」

「そうか」

 影の指は不機嫌そうに机を叩いた。爪と木が奏でる音は、闇色に染まる部屋の中に響き渡る。

「杞憂であれば良いのだが……気になる点があってな」

「ライラ様に関わる件、でしょうか?」

 影は重苦しく肯いて男に応えた。

「エア・リーンの出身はレータ村となっている。調べさせたところ、確かにエアという名の農夫が三年半ほど前までレータ村に居た事になっている。だが」

 影は一息置いてから続けた。

「ギィ村を知っているな?」

「リリアナ様ご生誕の地――リリアナ様が砂漠の女神となるまで過ごされていた地ですね。聖騎士団がリリアナさまのお迎えに上がった際、私も隊の一員として赴きましたので、覚えております」

「そのギィ村からも三年半ほど前、エアと言う名の少年が消えている。少年は、リリアナ様の婚約者だったそうだ」

「まさか……あの少年が?」

 蘇る記憶の中から、影が語る少年を探し出す事は容易だった。当時少年の名を聞いたわけでも、婚約者だと説明されたわけでもないが、リリアナが迎えの馬車に乗るまで、いや、馬車が走りはじめてもなお、泣き叫んでいた少年の印象は強く残っている。

 少年は生命の全てを声に託し、命を燃やしながら泣いているようだった。許される事ならば駆け寄り、助け起こしてやりたいと思った。馬車を止め、リリアナを彼に返してやりたいと。男だけではなく、あの場に居たすべての者が、一度はそう考えたに違いない。けして許される事ではないために、誰ひとりとして彼を助けようとはしなかったが。

 意図的に忘れようとしていた苦い感情が蘇り、男は胸を押さえた。できる限り早くもう一度記憶を封印しようと、記憶の中の少年と直属の上司とを素早く比べ、首を横に振る。

 やはり、同一人物とは思えなかった。まだ成長の余地を残した少年であった事を考慮しても、たった三年半でこれほど変われるとは思えない。

「雰囲気も体格もまるで違います。エア・リーン隊長に比べればはるかに小柄でしたし、他の農民たちとまったく差のない、剣も振るった事のないような少年でした。三年半の時間が経過しているとは言え、同一人物とは、とても」

「その少年の顔は覚えているか」

 否定の言葉に上乗せされた問いかけに、男は再び記憶を呼び起こす。

 泣き叫ぶ少年。声は覚えている。擦り切れそうな叫び声だった。常に静かなエア・リーンからも想像もつかない、感情の強い声だった。

 しかし顔は思い出せない。彼の慟哭は痛々しく、振り返る余裕がある限りは、けして目を離せなかったというのに――そもそも、あの泣き叫ぶ少年の顔を、自分は見たのだろうか?

「申し訳ありません。顔は思い出せません……印象は、かなり違うと思いますが」

「そうか。三年半では、ただの農民を聖騎士団に入れるよう鍛えるに時間が足りなかったのかもしれんな。ならば、無関係な人物を利用しているのか」

「エア・リーン隊長が係わっている事は、間違いないのですが?」

 男は素直な疑問を口にした。

「判らん。現時点で確実なのは、レータ村に『彼』の手がかかっている事のみだ」

 男は喉を鳴らし、それまで羊皮紙に触れていた手で己の唇を撫でた。

 闇の向こう、窓の向こうから、強い風の泣き声がする。風は深い闇と共に、男の不安をかきたてた。

「リリアナ様の元婚約者の経歴を査証するためかと考えたが、確かに無理がありすぎるかもしれんな。本当に誤魔化す気があるのならば、出身地だけではなく名前も変えるか」

「そう思います。ですが、おっしゃる事は了解いたしました。隊長の動向にはできるかぎり注意いたします」

「頼んだぞ。これは大陸の未来のためなのだ。そして――」

 男は肯いた。みなまで言われなくとも、判りきっている事だった。

 深く礼をし、影に背を向ける。闇に慣れはじめた目で扉までの道を迷わずたどり、扉を開いた。

 往路では薄暗かったはずの蝋燭の明かりが、不思議と眩しい。男は目を細め、再び足音を殺し、道を進む。

 胸元で作った拳に、自然と力が篭った。

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