第8話 集合

 私は目を覚まし、死ねなかったんだなあと落胆しながら目を擦った。そして左手につけている洒落っ気の欠片もない地味な腕時計を見た。かなりの時間寝ていた気がしたが、三十分くらいしか寝ていなかったらしい。多分久しぶりに熟睡したから長く眠った気がしたのだろう。


 私は天井を見ながら、二年という歳月過ごしている自分のマンションを思い出していた。広くはないし、物も少ないし、特に楽しむ要素はないけれど、なんだかんだ落ち着く我が家を思い浮かべた。私を表すような地味な部屋だけど、あれはあれでいいもんだ。


「帰りたいなあ」

 そう呟いて虚しい気持ちになっていると、誰かが私の部屋のドアをノックした。


「どうぞ」

 私は上体を起こし来客を出迎えた。


「あ、すいません。寝ているところでしたか?」

 入ってきたのは葛さんだった。どうやら私の髪が乱れているのを見てそう思ったらしい。

「いえ、ちょうど今起きたところです」

 私はてぐしで髪を整えながら答えた。


「お休みのところ申し訳ないのですが、お客様が全員お揃いになられたのでよろしければ大広間においでください」

 葛さんは無表情ままそう告げた。

 私は「分かりました。すぐ行きます」と答えた。葛さんはほっとしたような顔をして、先に大広間に向かった。

 私はハイヒールに履き替え、心にある外面用のスイッチを入れ、ドアを開け大広間へ向かう。


 大広間に入ると先生と箒ちゃん以外に三人の人間がいた。黒いスーツを着た男性、学ランを着た高校生くらいの男の子、車椅子に座る髪の長い女性がいて円卓を等間隔で取り囲んで座っている。私は初対面の人間を見て少し緊張した。


 余っている席に座ると、学ラン姿の高校生が小さく手を振ってきた。私の警戒心を解こうとしているのか無邪気な笑顔を浮かべている。私も一応大人として笑顔で小さく手を振って応えたが、おそらくぎこちない笑みになっていることだろう。


 葛さんは大広間の隅っこにある、おそろく給仕室に入っていった。そして予め用意していたのか、すぐ人数分の麦茶がのったお盆を持って戻ってきた。それを丁寧に皆の目の前に置く。高校生は葛さんにも笑顔でお礼を言っていた。あの高校生はどうやら私より社交性があるようだ。


 飲み物が全員に行き渡ると箒ちゃんは静かに口を開いた。

「さて、皆様お揃いになったところで今回の会の説明、そして自己紹介といきましょうか」

 箒ちゃんは楽しそうに両手をぱちんと合わせて、首を傾げて可愛らしく提案した。


「私は東城箒といいます。ご存知の方もいるかもしれませんが、私の父、東城東寺はとある企業の代表取締役でした」

 肩書が過去形であることに、疑問を投げかける者はいなかった。

「先週父が死に、残された莫大な財産は私の手に入ることになったのですが、そもそも恵まれた人生を生きる私にそんなものは不要だと考え、この屋敷だけ受け取ることにしたのです」


 勝者故の余裕。私は自分の心の矮小さを感じるとき、そう言って誤魔化す。心の広い人間は恵まれているから欲を持たないだけで、別にその人の才能のおかげでそうなっている訳ではない――と自分を納得させている。でもそれは、恵まれない人生を生きながらも、それでも人の為に生きている人間を見ると簡単に砕かれてしまう考えだ。だからこれは、この言い訳は、単なる願望なのだといつも思ってしまう


「私はこの屋敷を受け取るにあたり、ただ住むだけでは詰まらないと思ったのです。ですから私は自分の成長のため、生前父が称賛していた人物を招待し話をしてみようと思いました。それが皆様をご招待した理由です」

 箒ちゃんは最後ににっこり微笑んで、「この屋敷にいるときはどうか親しみを込めて、下の名前をちゃん付けで呼んで下さいね」と言った。


 箒ちゃんが説明と自己紹介を終えると順番に自己紹介をする流れになった。

「じゃあ、おそらく僕が一番年上でしょうから僕からしましょうかね」

 やれやれといった感じで、箒ちゃんの右隣に座るスーツ姿の男性が言った。

「僕は四宮史郎といいます。一応は医者で東寺さんが病床に伏している時に会ったことがありますが、はっきり言って東寺さんが僕を称賛していたとは考えられないですね」


 それを言うなら私こそそうだ。私は会ったことさえないとないのだ。


「まあ、一応年長者としてここでの生活で困ったことがあれば頼ってください」

 ちょっと面倒くさそうに、けれど決して頼られることを嫌がっている感じはないくらい爽やかに史郎さんは言った。


「では次は私ね」

 今度は本当に心のそこから面倒くさそうに、史郎さんの隣にいる車椅子に座る女性が言った。

「私は江木階真理という者です。職業は画家」

 職業を聞いて私は江木階真理という名前を、雑誌で見たこと思い出した。確かかなり有名な人だったと思うのだが、どんな絵を描くのかは分からなかった。


 しかし、こんな私が名前を憶えているというだけでも、彼女の知名度が凄いことを物語っていた。


「こんな体をしていますから何かと迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」


 そう言う真理さんを見て、ならばどうして介助の人を連れていないのだろうかと疑問に思った。有名な画家ならお金に困っているからということはないだろうし。


「大丈夫ですよ。ここにいる間は葛さんがお手伝いをしますから」

 箒ちゃんがそう言うと、真理さんは箒ちゃんの傍らに立つ葛さんを見た。葛さんは「何かありましたら気軽にお申しつけ下さい」と一礼した。

「お、次は私かな」


 私の右隣に座る静喪先生が自己紹介を始めた。


「私は高校で生物を教えている教師です。名前は海坂静喪です。うーん他に言うことはないなあ。あ、年齢でも暴露するかい?」

 私は冷ややかな視線を先生に送った。


「教え子に睨まれたからつまらない話はここまでにしとこうかな」

 先生はそう言って口を閉じた。次は私の番だ。私は深呼吸をしてから話し始める。


「私は宮岸舞といいます。職業はえっと……無職です……。今回なぜ私が招待されたのかは本当に謎なんですが、とりあえず皆さんに迷惑はかけないように気を付けます」


 社長令嬢、医者、画家ときて、無職であることを話すのはとても恥ずかしかった。


「俺は紫外理久。職業はまあ高校生だな。俺もそっちのお姉さんと同じで、招待された理由は分かんないな」

「それはあなたが特別な存在だからですよ」


 箒ちゃんは本当に嬉しそうに可愛らしい笑みで言った。


「父もあなたの活躍を新聞で見てとても感心していたんですよ」


 高校生で新聞に載るということは将来有望のスポーツマンとかだろうか?しかし見た目から感じる印象は、スポーツマンとは少し違った。


「私はあなたが解決した数々の難事件のお話を、是非お聞きしたいと思ってお呼びしたんです」

 難事件――解決。私はその単語を聞いてやっと思い出した。彼は偶然事件現場で居合わせ、その場で警察に捜査協力を行い解決に導いた天才高校生だ。テレビで得た知識を思い出すと、確か五つの事件を解決したんだとか。


 正直、彼は私と同じで場違いな人間だと思っていた。どうやらそれは彼も特別な人間らしい。

 結論として、この場で浮いているのは私だけらしい。でも私はそんなに悲しくはなかった。


 孤独なのはどこにいても変わらないことを、私は知っているから。

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