第5話 誘拐

 懐かしい夢を見ていた気がするが、なんの夢だったのか思い出せなかった。酷く頭が痛くて、視界がぼやけていたので夢のことなんかに気をかけてはいられなかった。


 二日酔いだった。昨日の記憶がほとんどない。そもそもあれからどのくらい経ったのか分からないので、飲んだのが昨日のことなのか分からなかった。


 体が揺れていることに気づき、タクシーの中にいるんだと分かった。でもシートの上に頭をのせているにしては、妙に柔らかく温かった。


「お、起きたね」私の顔を覗き込み、笑顔でそう言う先生が目の前にいた。


 私は先生の膝の上で寝ていることを認識し、酷い屈辱を与えられた気分になった。起き上がろうとしたものの、先生が私の額を抑え「無理をするな。そのままでいいよ」と言った。本来ならその手を払いのけ、無理にでも離れるべきだったが、二日酔いでそんな気力もなくなってしまった。


「すいません、先生。私そんなに飲みすぎるほうじゃないんですけど……」


 一応迷惑をかけてしまったことに対して謝った。


「いいんだよ。無理矢理飲ませた私も悪かったし」

「……」

 ふざけんな、と叫びたい衝動を、叫んだところで頭痛がして終わるだけだという不毛さで押し殺した。

 もういい、あとは帰るだけなのだから。あと少し我慢さえすれば、それで終わる。楽になれる。

 ……なんか死に際の言葉みたいなことを考えてしまった。


「あれ、今ってどこに向かっているんですか?」先生に私の住所を教えた記憶は無かったので、私は迷いなく進み続けるタクシーを不思議に思った。

 寝たままの態勢で窓の外を眺めてみたが、ここがどこなのか分からなかった。


「あれ?覚えてないのかい?私たちは旅行中で、今埼玉に向かっているよ」年も考えず先生はピースをして言った。

「意味が分かりません」

「昨日の夜、暇だったら旅行にでも行こうか?って聞いたら「行きまあす。先生大好き!」って」

「嘘をつかないでください!」そんな心にもないことを言うわけがない。たとえ拷問されたって言ったりしない。


「まあ、いいじゃないか。向かっているのは、それはそれは素晴らしいお屋敷なんだよ。しかもタダさ」

「お屋敷?タダ?なんですかその怪しさ満載の言葉は……」

 そう言うと、先生はハンドバックから白い便箋を取り出した。そして寝たままの私にそれを差し出した。


「一週間前、私の古い知り合いである東城東寺さんという人がね、亡くなったんだ」

「それはそれは……」知らない人の訃報を聞いても、私は特になにも感じなかった。それよりも、なんで突然こんな話をしているかが気になった。


「その東寺さんの一人娘、東城箒ちゃんがね、別荘に人を招待しているんだ。それが招待状だよ」


 私は便箋を開き、中を見た。綺麗な字で日付と場所が書かれていた。


「食事も出るし、立派なお屋敷のようだし、何より君も――招待されている」

「え?」私は驚いて手紙を見た。最後のほうに「予てより先生がお話しされていた生徒さん。あの方も連れて来て下されば幸いです」と書かれていた。


 その瞬間、私は全てを理解した。

 先生との再会も、酔い潰されたことも、全てこの人の作戦だったのだ。

 最初から私をこうして誘拐するつもりで、私を駅で待っていた。あの時逃げられなかった時点で、私は先生の手の平の上だったのだ。


「先生、コンビニに寄って貰ってもいいですか?水を買いたいんです」

「構わないよ」先生はそう言うと、運転手に「あそこにとめてくれ」とお願いしてくれた。


 コンビニについた私は一目散にタクシーから出た。このまま買い物をするふりをして逃げ出そうと考えたのだ。

 コンビニのATMの前に立ち、カードを挿入してお金を下ろそうとした。家に帰るにはお金が足りなかったのだ。しかし、預金残高は社会人の口座とは思えないほど貧困していた。


 そうだった。仕事を辞めたのにお金がないから、私は明日からどうしようかと悩んでいたんだった……。


 私はなけなしのお金で水だけを買い、大人しくタクシーに戻った。

 先生はにやにやと馬鹿にするような笑みを浮かべていた。


「気分はどうだい?」

「最悪です」


 色々な意味を込めて、私は吐き捨てるように言った。

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