第3話 乾杯
先生に案内されて入ったお店は、カップルや若い女の子たちで埋め尽くされていた。性格上、こういった煌いていて華やいでいる場所には極力近づかないようにしていたので、私の動きはとてもぎこちないもになっていた。
「なあに、ドレスコードが必要な店ではないんだ。そう緊張しなくてもいい」
先生はまたも私の心情を見抜き、そんなことを言った。でも今回は不快な気持ちにはならなかった。先生の動きもまた、ぎこちないものになっていたからだ。
「先生こそ」私は今までの仕返しとばかりに、精一杯の卑しい笑みを浮かべて言った。
それから二人とも、忙しなく動き続ける店員さんを呼び止めることができないまま、ただ茫然と立ち尽くしていた。
そんな奇妙な私たちを不振がって、目があった店員さんも声をかけてくれなかった。
「よし、じゃんけんで決めよう」先生は妙に座った堂々とした目で言った。
「なにをですか?」
「どっちが声をかけるかだよ」まるでナンパの相談をする男の人みたいなことを言われた。
「そんなにこういう場所が苦手なら、どうしてこんなおしゃれな場所を選んだんですか」私はあきれ顔を隠さずに言った。
「実際来てみると、こうも場違い感が出るとは思わなかった」
多分ほかの人の目には、そんなに浮いている二人組には見えないのだろうけれど、自意識過剰をこじらせた、社会不適合者の私たちにはそんなことは関係なかった。
私はそれを理解できてしまったから、そこからは先生を責めることは出来なかった。
そして、最初はぐーとお互いに言ったところで、お店にいる店員さんの中でおそらく最年長と思しき女性が声をかけてくれた。人数を聞かれ、二人と答えると笑顔で席に案内してくれた。
立ち尽くしていたのは二分程度の時間だったのに、私には数十分に感じるほどの苦痛だった。多分先生もそうなんだろうと思った。
何はともあれその地獄から解放された私は、席に座るなり肩を脱力させてため息をついた。
「君は昔からため息ばかりだな」
昔とはもちろん高校時代のことだろう。何気ないそんな言葉も、先生が私を研究しているから言えた言葉なのだと思った。
先生はビールを二つとトマトチゲ鍋を注文した。そしておもむろにタバコを咥え、慣れた手つきで火をつけた。
「先生はまだ教師を?」
「もちろん。君はどうなんだ?大学を卒業してからはどうしている?」
「社会人ですよ、先生と同じです」私は咄嗟に嘘をついた。今日の朝社会人ではなくなってしまったのに。先生に馬鹿にされることを、私は全力で拒んだ。
「そうなのか。駅で君を見たときは、仕事も辞めてしまったしこれからどうしようか、と考えているように見えたんだがね」
先生の嘘を見抜く才能は、最早才能の域を超えていた。超能力とも言うべきそれは、私にとって酷く不気味に思えた。
私は先生の不気味さに苦笑いを浮かべ、話を誤魔化した。
その時ビールが二つ運ばれてきた。小麦色に光る泡だった液体は、見るだけで疲弊した私の心を癒してくれた。
「ま、こうしてまた再会したのも何かの縁さ。乾杯しようじゃないか」
先生は冷たい瞳を私に向けて、ビールを持った。私もビールを持ち「たまにはこんな日も悪くないか」と思った。
不覚にも、先生を前にして、そんなことを思ってしまった。
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