06 懊悩する坂戸


 念のため桃未の体調を案じて撮影は明日にしたのだった。

 何を撮影するのかと言えば、与那国桃未という人間を、テレビの媒体(ばいたい)を使っていち早く新後県民に知ってもらうためである。相崎にはそんな狙いがあった。そうすれば、新後県民も受け入れやすく、桃未自身も馴染みやすいのではないかという配慮である。このために夕方の情報番組内に、10分もの枠を相崎には与えられていた。正直、10分じゃ足りなかったが、そうも言っていられない。

 相崎のプランとしては、翌日の午前中に石黒が借りてくれた野球場でバッティングと走塁と守備の撮影。昼前には桃未の恩師である中高の教師へのインタビュー。午後からは天気が良ければビーチで桃未自身へのインタビューを行う。今日の桃未自身へのインタビューが明日に回ったことで、予定がぎっしり詰まってしまった。明後日には新後へ帰らなければならない。明日中に全部撮り終えるか不安なところもあるが、やるだけやるしかなかった。


「わたしが時々手伝ってる民宿が家の近くにあるんすけど、どうっすか?」


 桃未の誘いにそのとき初めて誰も今夜の宿を予約していないことに気づき、そうすることにした。

 セットした機材を片づけて運び直し、さらに桃未の愛車のママチャリも載せ、一路桃未の自宅のある安座間(あざま)へと向かった。

 砂浜でお互い自己紹介したものの、すぐに佳澄と贄に引っ張られ、車内でも民宿に着いてもこのふたりに挟まれて若者らしい流行りの話をしている。同年代でなおかつ口がよく回るせいで話題が尽きず、坂戸は聞きたいことが聞けなかった。少し悶々(もんもん)としつつも、微笑ましい光景に割って入るのは水を差すようで、話題が尽きるのをひたすら待つという大人の対応を取ることしかできずにいた。

 民宿の老夫婦が豊富な沖縄料理と大量の泡盛(あわもり)を用意してくれたおかげで、いい感じにできあがって者もいるし、ベロンベロンに泥酔(でいすい)した人間もいた。飲んでいないのは妊娠している佳澄と、あの日――元の世界の佐渡由加里が金谷政と飲んだとき――以来からあまり飲む気にもならず、セルフ断酒状態の坂戸だけだった。


「坂戸監督!」 


 贄が床で伸びて寝息を立て、佳澄がトイレに行った途端、頃合いを見計らったかのように桃未がこちらのソファにやってきた。酒の効果もあって、テンションが高くなっているようだ。


「ウーロン茶とサイダーしか飲んでないっすけど、もしかして下戸(げこ)なんすか?」


 上戸(じょうご)でもないが下戸でもない。好きなほうだし、ペース配分さえ守っていれば、そこそこ飲めるほうだ。坂戸が飲まない理由は、また自分の身に何か起こってしまうのではないかということを危惧(きぐ)してだった。

 泥酔するまで飲むと、今度は違う世界に飛ばされるんじゃないか――。

 今度トキネに会ったら質問してみなければわからない。回答が得られるまで一滴たりとも飲まないつもりでいた。


「下戸じゃないけど、ちょっとね」


 言ってから、自分のぼかし方のヘタクソ加減に呆れた。飲みたい気持ちがひょっこり顔を出している。泡盛は元の世界で何度か飲んだことがあるが、好物の日本酒とまた違った甘みとまろやかさが好みの味だった。


「ちょっとじゃ飲めるといっしょっすよーもう」

「与那国さんは強いのね。ここに来てからグイグイ飲んでるけど」

「わたし全っ然酔わないんっすよー。じいちゃんも父さんもまったく酔わない人で。きっと遺伝っすね」


 桃未は使ってないコップに泡盛を淵のギリギリまで注ぐ。ちょうどそこにあるイカソーメンを、1本でも投入すれば零れそうなぐらいの表面張力が働いている。


「ささ、ストレートでグイッとやっちゃってくださいよっ。なんだかんだで泡盛は常温のストレートが一番っすよ!」


 グラスを通して向こうで伸びている贄が見える。顔をグラスに近づけ、匂いを嗅ぐ。少しの間昔飲んだ映像がフラッシュバックし、倉本監督と金谷政とチームメイトたちと酒盛りした記憶が甦ってきた。油断すれば涙が込み上げて来そうになる。


「……良い匂いよね」

「はいっ。地元沖縄で作られた龍波(りゅうは)酒造の高級泡盛『龍波』っすから」

――1杯だけなら……大丈夫よね。




 冷気を孕(はら)んだ風が坂戸の体に吹きつける。手で体のあちこちをこすりつつ首を回す。背後には民家の石壁があり、すぐ横には電柱がある。どうやら寄りかかって寝ていたらしい。


――ここはどこだろう。というかいつの間に外に出てきちゃったんだ私……。


 記憶がないほど飲んだのだろう。だが、それにしては頭が痛くないし、二日酔いのような症状が体に出てないのは不思議だった。

 幸い、空は月と満天の星々が瞬き、電灯も所々点いている。寝静まった周りの民家の灯りはまったく点いていないが。

 元の世界では何度か沖縄には来たが、那覇市内中心であって安座間は初めて訪れた。右も左も何もわからずに適当に歩くしかない。


――スマホがあればなぁ。


 時計や地図代わりにもなる便利なシロモノ。しかし、スマホがあったとしても、電波が飛んでないので持っていても無意味である。

 しばらく適当に歩いていると、数百メートル先に黒い人形(ひとがた)のシルエットが電灯の下にいるのが見えた。


――まさか、こんな所にまでアイツがいるの?


 我知らず走り出していた。ここにいる理由と与那国桃未のこと、ほかにも山ほどの質問があるのだ。


「トキネ!」


 伸びた右手がトキネの首の襟を力強く引っ掴む。息が絶え絶えで言葉が喉につっかえを起こしている。


「こんばんは、坂戸さん」


 こちらを振り返ったトキネの顔は相変わらず能面そのもので、ただ坂戸の喘ぐ姿を見下ろしながら何かをかじっていた。


「何を食べてるの?」

「サーターアンダギーです。よければそこにありますからどうぞ」


 トキネの視線の先を追うと、破裂寸前の黒いボストンバッグが地面に鎮座していた。少し空いたチャックの隙間から、今にも飛び出さんばかりにの茶色い無数の楕円が見える。思わず吐き気がした。


「遠慮しておくわ。酒を飲んだあとにサーターアンダギーはヘビー過ぎるわ」

「そうですか」

「どうしてここに?」

「有益な情報を届けに来ました」


 電信柱の陰から大容量タイプの焼酎のペットボトルを持ち上げ、豪快に喉を鳴らす。


「アンタ、酒なんて飲んでた?」

「これ、中身は水ですよ。それより、有益な情報を持ってきました」

「有益な情報ですって?」

「今現在、どこにも所属していない沖縄県内の選手の情報です」


 1人目は渡嘉敷(とかしき)芽衣香(めいか)。長身から放たれるMAX145キロの速球と、打者を惑わすスローカーブが武器の右腕。スタミナが豊富で延長戦も苦にしない。

 2人目は比嘉(ひが)里子(さとこ)。小柄のサイドハンド。ストレートが遅いものの、補って余りある多彩な変化球でバッターの的を絞らせない。

 3人目は仲宗根(なかそね)泉美(いずみ)。やや華奢(きゃしゃ)な体型だが、飛ばす能力は優れている。地肩が強く、サードやライトを守っていることが多い。

「渡嘉敷が離島の座間味村(ざまみむら)。比嘉は同じく北部ですが、美(ちゅ)ら海(うみ)水族館があるほうの本部町(もとぶちょう)。仲宗根は北部の東村(ひがしそん)にいます」

 坂戸は舌打ちをした。3人とも同じ沖縄県内にいるにはいるが、時間のかかる所に住んでいる。蘭が不穏な動きあまりさせない内に新後に帰りたい。チームや由加里のことが心配なら寄り道している時間などなく、さっさと桃未を連れて帰らなければならない。

 が、トキネからの情報を聞いてしまった今、頭を悩ませることになってしまった。全員喉から手が出るほど欲しい逸材たちばかりである。元の世界では、いずれもプロの世界で活躍した選手たちだ。チームに投手が何枚あっても悪いわけじゃない。特に連戦続きの大会では、エースの由加里を休ませられるし、継投で相手に的を絞らせないことも可能なのだ。プラスして一発が打てる打者も欲しかったから余計に頭が痛い。


――惑わしてくれるわね。この小娘。


 サーターアンダギーを絶えずかじっているトキネを睨み、坂戸は懊悩(おうのう)する。


「ねえ、なんで教えてくれたの? 今まで聞かれなきゃ大事なことをきちんと言わなかったアンタが」


 不意に違和感を感じた坂戸は嫌味たっぷりに聞いた。


「たまに情報提供するのも私の仕事のひとつなんですよ」


 トキネが真面目くさった顔で白々した言葉を放った。ツッコむ気も失せた坂戸は、大きくため息を吐いて背を向けた。


「アンタだけじゃ信用ならない。明日、現地の人に聞いてみるわ」

「個人よりチームのことを考えたほうがいいのではないでしょうか?」

「何……?」

「今のチームでは拝藤組には勝てませんよ」


 頭に血が上って堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)が切れた坂戸は、猛然と振り返った。


「アンタに何がわかるって言うのよ!」

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