18 偏りを嫌う神


 記憶が抜け落ちたことが気になり、トキネにポケベルで連絡したら、思いのほかすぐに連絡がついた。連絡してから1時間後にファミレスで待ち合わせた。


「元の世界の記憶がないのよ」

「……と言いますと」


 坂戸は由加里と話していた内容をそのまま説明する。


「そういうことはよくあります。世界が違えば人間も違いますし。ましてやクローン人間じゃありませんからね」


 トキネはきっぱりと答える。すかさず坂戸が突っ込んだ。


「よくあっちゃ困るのよ。大事な大事な記憶なの」

「私に聞かれても困ります。私はただの『見守り人』ですから」

「だから何よ。関係ないでしょ」

「申し訳ございません。見守るだけですから」


 坂戸は舌打ちをしたくなる気持ちを抑え、熱くなった頭を冷やすべくお冷やを額に当てつつ聞いた。


「……言い方を変えるわ。私みたいに未来から過去へタイムリープをすると、頭とか体に何か影響があるの?」

「はい。タイムリープを行えば、何かを失ったり何かを得る可能性があります。これは当たり前のことなのです。また、人間は忘れる生き物です。坂戸さんに質問ですが、今まで起きた出来事を全部憶えていますか? 生まれて今に至るまでの記憶はありますか?」

――馬鹿みたいな質問をしてきやがるわ。


 坂戸は怒りを押し込めた目でトキネを睨(にら)み、黙って首を横に振った。憶えているはずがないし、当たり前な質問過ぎて答える気も失せたのだ。


「そうですよね。あったら、神に等しい存在です。ああでも、ご両親がまめにノートや日誌に様子を書き留めておいてある可能性も捨てきれませんね」


 トキネが生真面目に抑揚(よくよう)なく淡々と話しているからだろうか、聞こえようによっては煽(あお)られているようにも取れた。怒りのボルテージがどんどん上昇していく。


「申し上げておきますが、記憶の欠けは私たちの落ち度ではありません。何千面とあるそろわないルービックキューブのごとく、世界は無数に存在します。中には坂戸さんにとって必要な記憶をすべて憶えていて、なおかついるべき人が存命しており、その人を中心とした人間関係が円滑に進んでいる桃源郷(とうげんきょう)のような世界も存在するでしょう。いわゆるルービックキューブがすべての面がそろった世界です。しかし、その世界に行ける可能性は限りなくゼロに近いと言えます。砂漠の中で一粒だけのダイヤを見つけるほうが簡単かもしれません」


 坂戸は憮然(ぶぜん)として吐き捨てた。


「夢も希望もないわね」

「例えば神様という存在がいたとしましょう。私が観てきた限り、どんな人にも楽がある分苦も与えます。楽ばかりの人生、苦ばかりの人生は絶対にありえませんでした。どうやら神様は偏(かたよ)りを嫌うようです」

「だからって、大事な人を死なせてることが許されるわけないでしょ」

「その通りですが、人の生き死にはわからないものです。ここにいる坂戸さんも1分後には死ぬかもしれないし、過去に若くして事故か病気で死んでいた世界も当然存在します」

「倉本監督の死を甘んじて受けろって言いたいわけね」

「そこまで言ってはいません。忘れてはいませんか。使命を達成すれば願い事が叶うのですよ」


 何を言ってもトキネには柳に風であるようだ。坂戸は大きくため息をついて、頭を掻いて見せた。


「……そうだったわね、ごめん。アンタと話してると頭が黒い感情で熱くなってしまうことがあるの。要はわき目を振らず使命達成に邁進(まいしん)しろってことね」

「極端かつ乱暴な言い方をすれば、そうなるでしょうね。そのほうが早く倉本監督に会える可能性が高いです」

「なるほどね」


 トキネとは頭を使う話をするためと、頼んでおいたクリームソーダにようやく一口手をつけた。ちなみに、トキネはすでに5杯目に手を付けている。坂戸は溶け切ったバニラアイスをストローで混ぜつつ、用意してきたもうひとつの質問をする。


「過去の人間の性別が変わったりするの?」

「ありえますね。おじいちゃんがおばあちゃんに、おばさんだった人がおじさんになったりします」

「その際名前も変わってたりもする?」

「変わったりもします。タイムリープした人の知人にこのような人物がいれば、名前の響きや字面などでわかるようになっています。まったく違う名前になっているというのは、まずありえません」

「金谷政――今は仲正弥だけど、政にも当然もうひとりの自分がいるのよね」

「もちろんです」

「男だったらわかりやすいんだろうけど、性別も逆だったら大変よね。ちなみに、身長が変わったりもする?」

「身長どころか見た目もがらりと変わる人もいます」

「うわぁ……なおさら大変じゃない。まさに砂漠の塩ね」

「そう思うのはタイムリープした人間だけですけどね。その世界の人間からすれば、おかしいことはひとつもありませんから」

「いちいち一言余計よ」


 坂戸が刺々(とげとげ)しさを隠さずにたしなめた。話していて疲れが溜まるしイライラする。何回か会って話をするうちに、トキネがどんな性格がわかってきた。わかってきたのはいいが、どうやら苦手な分類な人物のようである。ただでさえ髪で隠れているのに伏せ気味の目に、影のある表情、抑揚のない話し方、一言居士(いちげんこじ)……挙げればいくらでもあった。


――ったく、一言居士はこれだから嫌なのよ。


 心で悪態をついてみたものの、トキネも坂戸のことをどう思っているかはわからない。こちらみたいに悪意が上回っているのかもしれない。乏(とぼ)しい感情の仮面の下の本心はトキネ自身しかわかりえないのだ。それに、有益な情報を持っていることを考えると、乱暴な言葉遣いや態度を取るのはあまり得策ではない。一応、相手が人並みの感情を持ち合わせていると思っての対応である。利用できるものはある程度の歪(いびつ)な理由であったとしても、利用していかなければ生き残れないだろう。特に、こんな胡散(うさん)臭い奴が存在したと知った今では、元の世界以上に一寸(いっすん)先は闇なのだから。


「すみません」


 相変わらず目を見ない謝罪だ。


「そんなに私が怖いのか、気に食わないのか?」


 そう言いかけたがぐっと飲み込んだ。


「もういいわよ」


 1万円札をテーブルに叩き付け、坂戸はイスを蹴って店を出た。

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