61.跡を継ぐもの

 勇は朗らかな笑顔を見せ、さくらを部屋に迎え入れた。何の用だろうと思いつつも、さくらは勇の目の前に腰を下ろした。

「さくら、久しぶりだな。どうだ監察は」

「詳しく調べた方がよさそうなことを掴んだ。あとの塩梅は土方副長に任せるさ」

「そうか。じゃあその話は後でゆっくり聞くとして……実はな、さくらに相談があるんだ」

「相談?」

「近藤家に、養子を取ろうと思ってな」

「……は?」

 さくらはわけがわからず、穴のあくほど勇を見つめた。

「どういうことだ?なぜ急にそのような話になる」

「まあ、そう思うのも無理はないよな。ほら、これ」

 勇はそう言って、さくらに一通の書状を手渡した。さくらが手に取って見てみると、それはキチからの手紙であった。「近藤勇様 島崎朔太郎様」と書いてある。姉弟宛てに近況を尋ねる手紙だ。

「ツネからの文には、たまは元気でやっています、とかそういうことが書かれていたんだが、母上のそれは、なんだ、その、なかなかお怒りのようでな」

 さくらはざっと手紙に目を通した。確かに、表面上は「ご活躍をお祈りしています」といったような内容だが、読んでいると「家をほったらかして何をやっているんだ」という本音が透けて見える。

「確かに、最初はすぐ江戸へ戻るつもりだったものが、ここまで長引いているしなあ。……で、それが養子と何の関係がある?」

「京に来た時点で、おれ達はいつ死ぬかわからん戦いの日々に身を投じることになったわけだ。もしもだ。おれやさくらが突然死んだらだよ。たまもまだ小さいし、近藤家が貧窮することは目に見えている」

「そうかと言って宛てなんかあるのか」

 勇は「実はな」と切り出して、谷千三郎の名前を挙げた。

「谷、千三郎……?」あまりにも予想外の名前が出てきたので、さくらは呆気にとられた。予想外すぎて、ほんの一瞬「はて誰であったか」と思う程であった。しばらく黙り込んだあと、さくらはぽつぽつと疑問点を口にし始めた。

「谷千三郎といえばあの三兄弟の末弟だろう。なぜまた。それに、養子に取るということは江戸に行かせるということか?」

「いや、今まで通り新選組隊士として働いてもらおうと思っているが」

「それでは意味がない。私も勇も千三郎も皆死んだら同じことではないか」

「それはそうだが……」

「それに、養子ということは、理心流の五代目も継がせるのか?私はあやつがそこまでの使い手とは到底思えぬが」

「五代目は、また別の話だ。ひとまずは、近藤の家を守るための話だ」

「それなら」さくらは、一呼吸間を置いた。

「総司が適任だ。近藤家の跡取りにも、理心流の五代目にも」

 こんな形で、この台詞を口にしてしまったことに、さくらは自分でも驚いていた。「四代目は逃したが、五代目は必ず」と江戸にいた頃は確かに思っていたが、今「総司を五代目に」という言葉は、しっくりと、自然にさくらの口から出てきたのだった。

「もちろん、総司にそれは話してみた。そうしたら、あいつ何て言ったと思う?」

『姉先生を差し置いて、そんなお役目には付けません。それに、近藤先生も姉先生も、私が生きている間に死んだりしませんよ』

「総司が、そんなことを……」さくらはじんわりと目頭が熱くなってくるのを感じた。だが、すぐに我に返り勇にじとっとした視線を投げた。

「だからといって、なぜ谷さんのとこの千三郎なんだ。適しているといえばせいぜい年若いってことくらいで……」

「その年若いっていうのが大事なんだよ。近藤家の将来を託すんだから、如何様にもうちの家風に馴染んでもらえる方がいい」

「うちに家風なんてご大層なものがあったかねえ」

「あれはなかなか気持ちのいい若者だ。稽古にも熱心だし。それにだ……」

 勇は何か言うのが憚られるのか、こめかみのあたりを掻いて口ごもった。

「谷家と言えば、備中松山藩の名家の出だ。親戚になっておくのは悪い話じゃない」

「ああ……」

 さくらは気の抜けた返事をしてキチの手紙に視線を落とした。

 家柄重視。勇が身分の件で辛酸を舐めてきたことを知っているだけに、それを非難することもできないが。思えば、ツネを娶った時もそうだった。もちろん、不器量ゆえ稽古の邪魔にならないという理由も真実だったろうが、彼女の出自の良さに目がくらんだのも間違いないだろう。ツネは、本来なら到底勇と釣り合うような身分ではなかったのだ。器量さえよければ、どこぞの旗本にでも嫁ぐことができただろう。

 とは言え、である。さくらとしてはすぐ首を縦には振れなかった。

「反対、と私が言ったらどうする?」

 勇はまさかそんなことを言われるとは思っていなかったとでも言わんばかりの顔をした。

「……跡取りを取るのは構わぬ。だが、谷千三郎が相応しいかどうかは別の話だ」

「さくら……」

「私とて、今すぐ是も非も言うことはできぬ。だが……」

 さくらは、その先を言う代わりに、立ち上がった。

「な、なんだ?」と当惑している勇に、さくらは「茶を淹れてくる。お前も飲むか?」と尋ねた。

「お、おう」 

 勇の返事を聞くか聞かぬかのうちに、さくらは部屋を出た。

 

 食事時を外れた台所は、誰もおらずひっそりとしていた。さくらはぼんやりと考えながら、しかし手はてきぱきと動かして土瓶を火にかけた。

 ――もうとっくに、近藤家の主は勇なのだ。本来、私が養子の問題に口出しできる立場ではない。だがそれでも、勇は、私に一言言ってくれた。私を、近藤家の身内として……

 父・周斎の顔が思い浮かんだ。病がちで臥せっているという。今すぐ命がどうこうというわけではないらしいが、歳も歳だしどうなるかわからない。

 ――父上、どうしましょう。私は、どこに向かっているのでしょう。

 島崎姓を名乗り、跡継ぎの心配もせず、新選組という場で男なのか女なのかよくわからない立ち位置で剣を奮っている自分は、随分遠くまで、近藤家の蚊帳の外まで、来てしまったような気がした。だが、普通に考えて自分が子供を産まない以上、結局勇の子供が跡を継ぐことになるわけで。それが、養子か実子かの違いというだけだ。

 ――総司は?

 総司は、どう思うのだろう。自分よりも、さくらが相応しいと言ってくれた。それなのに、ぽっと出の谷千三郎がその座に納まると知ったら。

 さくらは、お盆に土瓶を乗せ、少し迷ったが、空の湯飲みを三つ乗せて台所を出た。


 総司の部屋の前を通ると襖が開け放されていて、中で総司が一人で刀の手入れをしていた。ちょうどいいとばかりにさくらは声をかけた。

「姉先生、戻ってたんですか」総司は屈託のない顔で笑った。さくらが「入っていいか?」と尋ねると、総司はどうぞどうぞと言うので中に入って座った。

「総司。勇から聞いたか。その――お前を養子にしたいという話」谷千三郎の名は出さずに、どこまで話せるだろうかと思いながらも、さくらは切り出した。

「ああ、その話ですか。お断りしましたよ。だって姉先生が適任ですから」

「それは知っている。だが、私は勇の姉だ。あやつの次の代として生きていくことはできぬ。それに――」さくらはなんとなく総司の刀に遣っていた視線を、総司の顔に向けた。

「お前たちと共に戦い、新選組の一員として京の町の人たちや公方様をお守りしたい」

 口にすると、その思いは、決意は、さくらの中にすとんと収まるような心地がした。

「だから、それを踏まえて、もう一度考えないか?」

「二言はありませんよ。それを聞いて『じゃあやっぱり』なんてカッコ悪いじゃないですか」

「で、では……私でも総司でもない誰かが、近藤家の養子になるとしたら?」

「近藤先生が決められたのなら、私がとやかく言う筋合いはありませんよ」総司は柔らかく微笑んだが、一瞬その目から笑いが消えた。その次の総司の台詞を聞いて、さくらはニヤリと笑った。

「よし、行くぞ総司。勇のところへだ」

「え、ちょっと、何かあったんですか?」

 さくらがすっくと立ちあがると、総司は慌てて刀を鞘にしまって付いてきた。


 さくらは勇の部屋の前に到着すると、「入るぞ」という声をかけるやいなや襖を勢いよく開けた。

「なんだ、時間かかったな。って、総司?どうした」

「さあ。島崎先生に連れてこられただけで」

「勇。先ほどの話は、総司も聞くべき話だと思う。独断ですまぬが、連れてきた」

 さくらはお盆を置くと湯飲みにお茶を入れ始めた。それぞれを手渡したが、勇はきょとんとした顔でさくらを見つめるだけだった。

「なんだ。さっき私に話したことをそのまま総司に話せばよい」

「え、ああ、そうだな」

 さくらがずずっとお茶を飲んでいる間に、勇は総司に話して聞かせた。養子として、谷千三郎を考えていると。総司は驚いたような表情を見せたものの、黙って話を聞いていた。

 話が終わると、さくらが口を開いた。

「勇。近藤家の主はお前だ。私も総司も、今や新選組の副長助勤として公方様や会津公のお役に立つことを務めとしている。勇が決める跡継ぎに、とやかくは言わぬ。だが」

 さくらは、勇の目を真っすぐに見た。

「近藤家の名に泥を塗るようなことをしたら、私か総司が、斬ってしまうかもしれぬ。そのこと、肝に銘じておけ」


 総司が、先刻さくらにこう言ったのだった。

『近藤家の恥となるようなことをしたら、斬ってしまうかもしれません。いいですよね?私は十年以上近藤家を見てきたんですから』


 勇は、さくらの目を見ると、「うむ。わかった」と頷いた。

「さくら、総司も、ありがとう。早速、本人にも話してみようと思う」

「それと、私からは頼みがある」

「頼み?」

「勇の息子にするのは勝手だが、私が私の甥として認めるのはやつの人となりをこの目で見極めてからにしたい」


 それは、ほんの少しのさくらの意地だった。

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