45.大坂力士乱闘事件(後編)


 島田から知らせを受け、さくら、勇、源三郎が住吉楼に駆けつけた時には、あらかたの決着がつき、力士たちはその場を退散したあとだった。力士側には死者一名、怪我人五名という犠牲が出ていた。壬生浪士組側では、総司、山南、野口が痣や打撲といった軽傷を負った。 

 これは決して壬生浪士組の大勝利、と手放しで喜べる状況ではない。

 相手は刀を持たない力士たち。そして武士ではない。そういう相手を斬ったとなれば、火の粉はこちらに降りかかってくる。

 不逞の浪士との揉め事ではなく大した罪もない力士との揉め事で、壬生浪士組を預かっている会津藩の顔に泥を塗るわけにはいかない。勇、さくら、山南、総司の四人はすぐに奉行所に向かった。

「山南さん、あなたがついていながらどうしてこんなことに……」勇は少し呆れたように言った。

「面目ありません」

「山南さんは悪くないですよ。力士たちが住吉楼に押し寄せてきたので、お店に迷惑がかからないようにと遠くに引き寄せたんです」

「勇、起きてしまったことはもはや仕方がない。かくなる上は、会津様に迷惑がかからないようにどう取り繕うかだ」

「島崎先生、なんだか土方さんみたい」

 勇が「総司、笑い事ではないぞ!」と一喝すると、総司は少ししゅん、としたように黙り込んだが、すぐに素朴すぎる疑問を投げかけた。

「そも、どうして近藤先生や島崎先生が尻拭いに行くんですか。元を辿れば、芹沢さんが相撲取りをったのがきっかけなのに」

「確かに、あの場で芹沢さんは手を出すべきではなかった。話し合いで穏便に済ませていればこんなことには……」

 山南が再び自責の念にかられてしまったようなので、さくらは何か言わなければと思いつくまま「山南さんのせいじゃありませんから」と言葉をかけた。

 総司の疑問は、的を射ている。勇も、さくらも、山南も、気持ちは同じだった。 

 ――わかっている。芹沢さんの豪傑ぶりは壬生浪士組に必要だし、実際剣を取らせれば隊内で右に出る者はない。尽忠報国の立派な志も、新入隊士らを惹きつける統率力もある。何よりも、芹沢さんは母上の仇を取ってくれた、命の恩人だ。

 さくらは、自分でも無理矢理に芹沢の良いところを挙げていることに薄々気づいていた。が、今はそのことについて深く考えるのはよそうとも思った。

 自分の感情に任せて新見を降格にしたり、さくらを手籠めにしようとしたりといった我の強い一面も、今までは隊内のこととして済んでいた。

 しかし、今回は他所との悶着を引き起こし、上司たる会津藩にも迷惑が及ぼうとしている。火消しは早急にせねばならない。

「総司」さくらは先ほどの問いに答えるべく口を開いた。

「ここは、素面しらふの者が行かねばならぬ」

 それ以上でも、以下でもなかった。

 芹沢が、近藤が、と言っている場合ではない。壬生浪士組全体の沽券に関わることなのだ。

「まあ、それはそうですけど」

 総司は納得していないような風に口を尖らせた。四人は小走りで奉行所へ急いだ。

 昼間の浪士を突き出すべく立ち寄ったばかりの奉行所に、勇とさくらが戻ってきたことに与力の内山はひどく驚いていた。

「近藤殿、島崎殿。このような夜更けにいかがなされた」

 今回の乱闘騒ぎの話は、まだ奉行所の知るところではなかったようだ。先手を打てたのは運がいい。もしも力士側が先に奉行所へ駆け込み、ある事ない事含めて壬生浪士組側を糾弾したら、こちらの立場が危なかった。

「内山様、つい先ほど、住吉楼付近にて力士との諍いがございました。私が把握している限りでは向こうは即死一名、怪我人五名。すでに退散しているため、正確な人数は不明です」

 現場にいなかった勇が淡々と事実を述べることで、その話は他人事のような、客観性を持った話のように聞こえた。

 会津の顔に泥を塗らぬためには、あくまでも非は向こうにある、という理屈で押し通すしかない。

「なぜそのようなことに」内山は当然、そう尋ねる。

「向こうの力士が、当方局長・芹沢に狼藉を働きました故、無礼打ちに致しました。それを逆恨みした力士たちが、我々に襲い掛かったものです」

「やむなく応戦した結果、そのような有様となりました」さくらが勇の弁を援護し、懐から顛末書を取り出し内山に手渡した。

 橋を渡ろうとした時に道を譲る譲らないで揉めた、ということについては上手く煙に巻いた書き方をした。あくまでも「先に向こうが狼藉を働いた」の「狼藉」を大げさに強調したい。

 その時、俄かに表が騒がしくなった。

「通せ!」

「待たれよ!与力殿は今別件で取り込み中だ!」

「うるさい!よくも、よくも熊次郎を!」

 言い争う声はだんだんと大きくなり、隣の部屋で激しい物音が聞こえたかと思うとあたりは一瞬静かになった。

「しばし待たれよ」

 男の声が聞こえ、やがてさくら達のいる部屋の襖が開いた。 

「内山様。小野川部屋の小野川秀五郎と名乗る男が来ていますが」

 まさか、とさくら達の顔は青ざめた。そんな四人をよそに、内山は「相わかった」と言うと立ち上がった。

「向こうの話も聞いてこようではないか。ここで待っておれ」

 内山が部屋を出ていき、ぱたんと襖が閉まると、さくらはすぐに「まずいぞ、勇」とつぶやいた。勇は「うむ」とわずかに頷き同意した。

 隣の部屋といっても、襖一枚隔てられているだけだったので、内山と、小野川と名乗った男の会話は容易に漏れ聞こえた。

「与力様。私は小野川部屋親方、小野川秀五郎と申します。うちの力士が、熊川熊次郎と言うんですが、ミブなんとかいう浪士に斬られましてん!」

「それは穏やかではないな。落ち着いて詳しく話してみよ」

 内山は、あえて今隣の部屋に「ミブなんとかいう浪士」がいるとは言わずに言い分を聞くということを選んだ。さくら達は針の筵に座るような気持ちで小野川の言葉を待った。

「ミブ、壬生浪士組、と名乗る浪人どもが、うちの藤吉という力士に殴り掛かったんです。それで、仇を討とうと徒党を組んで立ち向かいにいったら、こっぴどく返り討ちにあったいう顛末で……先に藤吉を叩いたのはあっちや。それに、こっちの得物えものは棒。それなんに真剣で斬り捨てるなんて……」

 この話を聞けば、誰もが力士側に同情するだろう。だが、内山の着眼点は違った。

「なぜ、その藤吉とやらに斬りかかったのであろうな。壬生浪士組は」

 小野川はうっと声を詰まらせた。

 さくらは、最初に事の顛末を聞いた時に山南が言っていたことを思い出していた。

『身分から言えば、あの場で道を譲るべきだったのは確かに向こうでした。先に橋を渡り始めたのは我々でしたし。だが、向こうももし大名お抱えの力士だとしたら、いくら会津藩お預かりとはいえ、こちらの身分が霞む』

 そう、相手の身分によっては、風向きは一気に悪くなる。浪人も、力士も、ピンからキリまであるのだから。

 小野川はぽつ、ぽつと真実を話し始めた。つまり、発端は力士側が道を譲らなかったからだということだ。

「なぜ譲らなかった」

「そやかて与力様、相手は壬生浪士組なんて聞いたこともない浪人風情。会津?の預かりやなんや言うてましたけど、そんなもん口から出まかせやさかい」

「だ、そうだが。近藤殿」

 えっ、とまさかこの段になって話の矛先がこちらに振られるとは思っていなかったさくら達は面食らったが、勇は意を決したようにふう、と呼吸を整えると、つかつかと襖に近寄った。がらりと開け、小野川と思しき恰幅の良い男に向き直ると、勇は深々と頭を下げた。

「申し遅れましてあいすみませぬ。私は会津藩お預かり壬生浪士組局長、近藤勇と申します。私が居合わせたとあっては思いの丈をお話になれないであろうという内山様のご配慮もあり、隣室で黙ってお話を伺っておりました」

 小野川は言葉を失い、口をぱくぱくさせながら勇を見つめた。

「そ、そんなら、本物……?」

 内山はこくりと頷き、小野川にとうとうと話し始めた。

「いかにも。巡業で大坂や京を離れることも多い小野川さんたちは知らなんだでしょうが、この方々は京都守護職会津侯の下で働くれっきとした治安維持部隊、壬生浪士組の皆さんです。近藤殿の後ろに控えるは、副長の山南殿、副長助勤の島崎殿、沖田殿でございますぞ」

 これを聞いた小野川の顔は青ざめ、畳にこすりつけんばかりに深く頭を下げた。

「こ、これは、手前どもが飛んだご無礼を……!無礼打ちにされても仕方のないことでございます」

「頭をお上げください。我々とて非がないわけではない。熊次郎さんのことは残念、そして申し訳ないことをしました」

 勇も頭を下げた。

 会津の預かりになったことで身分としては今や士分の末端にある勇が、相撲部屋の親方に頭を下げるなど、本来なら異例中の異例の事態といえる。だが、勇はまだ、壬生浪士組として大して手柄も上げていないからと「私は武士だから云々」などと威張るようなことはしなかった。

「そ、そちらこそ頭を上げてくだせえ。怪我をした他の者らもじき回復しますよって」

 申し訳ない、いやいやこちらこそ、のやりとりが二往復したところで内山が間に入った。

「どうだ。この件は、双方和解。どちらともお咎めなし、ということで如何か」

 死傷者を出してはいたが、これ以上の揉め事で傷口に塩を塗られるのは御免だと考えていた両者は、この提案に二つ返事で同意した。

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

 勇と小野川は内山に礼を言い、この事件は解決を見た。


 こうした勇たちの尽力によって、今回の一件が直接会津藩の顔に泥を塗ることは免れたが、事実は事実として会津藩に伝えられた。

「うむ……芹沢か……」

 容保は、頭を抱えた。

 浪士組としては和解しているのだから、会津藩がさらに事をかき乱す必要はないという結論は出ていた。が、どうにも嫌な予感がした。その予感のまま、先手を打つよう指示を下そうかとも思ったが、現段階では「様子を見よう」と思いとどまった。


 一方で、まさに雨降って地固まる。壬生浪士組と小野川部屋はそれ以来、協賛して相撲興行を打とうという計画をする程に親密な関係を築いたのだった。

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