16.祝言
安政六(一八五九)年 冬
勝太はあの試合の後、勇と名を改めていた。
正式に近藤姓を継ぐのは襲名披露を行ってからということで、今はまだ島崎勇と名乗っていた。
そんな勇の襲名披露準備の一環か、試衛館はめでたい話に沸いた。
「え、縁談!?」
さくら、歳三、総司、源三郎の四人は同時に声を上げた。
「ほ、本当なんですか小島さん!?」
さくらは素っ頓狂な声を上げて言った。昼食時だったので、皆驚きのあまりむせこんでしまった。
かつて周助にキチとの縁談を取り付けた小島鹿之助が、今度はなんと勇への縁談話を携えてやってきたという。
「ええ。私の知人でよい所にお嫁に行ければと希望している方々がおりましてな。今日はこれから近藤先生と若先生に詳しいお話をということで参ったのです」
「へ、へぇ…そうなんですか…」さくらは絞り出すようにそう言うしかなかった。
「ええ。それでは私はこれで」
小島はにっこりと笑うと、周助の部屋の方向へ消えていってしまった。
「知ってたか?」さくらは他の三人に尋ねた。
「いや。今初めて聞いた。それでさっき若先生は大先生に呼ばれてったんだな」源三郎が答えた。
「驚きました。けど、若先生も確かに四代目を継ぐなら身を固めないといけませんもんねぇ」総司は存外落ち着いている。
「そうだな。どこかの行き遅れさんと違って勝っちゃんには必要なことだ」歳三がちらっとさくらを見た。
「どういう意味だ」さくらはキッと歳三を睨みつけた。
「待てよ」さくらは先ほどの小島の言葉を反芻した。
「小島さん、『方々』って言ってなかったか?」
周助の部屋に呼ばれていた小島は、招き入れられると周助、勇と対面した。
「いやぁ、小島さん、本当にありがとうございます。こいつももうすぐ四代目襲名なもんで、独り身というのも示しがつかねぇと思ってましてね。うかうかしてたら三十路を迎えてしまうしと心配してたとこだったんですよ」
がっはっは、と周助は嬉しそうに笑った。
「ええ。どの方も良家の子女ばかりです。きっと若先生の気に入る方が見つかると思いますよ」
「小島さん、子女ばかり…とは…」勇は小島の言葉尻が気になり、おずおずと尋ねた。
「ああ、若先生には申しておりませなんだ。今回、島崎勇殿の妻にと希望しておる娘は五人いましてね。皆気立てのいい子ですよ」小島はにっこりと笑った。
当の勇は、その人数に驚いて「そ、そんなにいらっしゃるんですか…」と小さく返事をするしかなかった。
だが、実際の見合いの日取りの話など詳細が決まるに連れ、勇は身の引き締まる思いになっていった。
――妻を娶れば、いよいよ一人前。四代目を継ぐんだ。
勇の脳裏に、さくらの顔が浮かんだ。
――さくら、おれはお前の分まで頑張るからな。
かくして、勇のお見合いが始まった。その形式は、日を分けて五人と会った後に勇が気に入った人を選ぶというものである。
すでに四人との見合いを終えた勇は、五人目の女性と近藤家の客間で対面していた。
「こんなに代わるがわるお見合いするなんて、さすが若先生。隅におけませんねぇ」
総司は嬉しそうに言うと、客間の方向を見た。
見合いの件については蚊帳の外であったさくらたちは食事をしながら勇の見合いについて話あっていた。
「隅におけないとかそういうことではないだろう。あの女子たちの親御が話を持ってきたんだから」
「なんださくら。ひがんでんのか」歳三がいたずらっぽく笑った。
「なぜ私がひがまねばならんのだ」
「だってお前、色恋沙汰だの浮ついた話だの、何にもないまま三十路だろ?」
「まだ二十六だ」
「どっちみちもう年増だ」
「なんだと…!!」
この時代、さくらの歳では結婚適齢期はとっくに過ぎている。
さくらの脳裏に少しだけ、十二年前の周助の台詞がよぎった。
『勝五郎、お前、うちの養子にならないか。さくらの婿養子だ』
「まあまあ、二人とも、そのへんにしておけ」源三郎が仲裁し、さくらと歳三の会話は終了したと同時に、さくらは我に返り食事を続けた。
「それにしても、若先生は今までの四人については、いまひとつ、と言っていたな」源三郎が不思議そうに言った。
「へぇ、そうなんですか。そういえば、若先生ってどのような女子が好みなんでしょうね?」総司が言った。
「そもそも、今までの四人はどのような女子だったのだろうな」さくらが素朴な疑問を投げかけた。
「あ、私、ひらめいちゃいました」総司がにやっと笑った。
客間には周助、キチ、勇の三人が並び、向かいには五人目の見合い相手の娘、その両親が座っていた。仲介役の小島も同席していた。
「近藤先生、こちら松井家のお嬢様、ツネさんです。お父様の
「それはそれは。うちの勇にはもったいないご身分で」周助は仰々しくお辞儀をした。
「島崎勇と申します。今日はわざわざお越しくださいましてありがとうございます」勇もお辞儀をした。
「ツネと申します。よろしくお願いします」
ツネはか細い声でそう言うと、表情ひとつ変えずに頭を下げた。
そして、隣の部屋では、さくら、源三郎、歳三、総司が中の様子に聞き耳を立てていた。さらに襖を少しだけ開け、総司が先頭になって中を覗き込んでいた。
総司の「ひらめいた」とは、勇の見合い相手をのぞき見することだった。
今までの四人は見逃してきたが、せめて五人目は見てみたいという気持ちは皆一緒だった。
もちろん、はしたない真似ではあるのでバレないように四人で結託していた。
「おい、総司、見えるか」歳三がコソコソと言った。
「そうですね…色白みたいっていうのはわかりますけれど…」
「歳は?」さくらが尋ねた。
「うーん、二十歳は超えてそうですね…姉先生と同じくらいかもしれません…」
「な、なんだって…ぐっ!」驚いて声が大きくなりそうになったさくらの口を源三郎が塞いだ。
「総司、俺にも見せろ」歳三が総司を押しのけた。
「確かにな…」歳三の表情が曇った。その顔には、「自分なら選ばない」とはっきり書いてあった。
「ど、どれどれ」さくらと源三郎も隙間に近づき、中の様子を見た。
「な、なるほど…」源三郎も言葉を濁した。
「うむ。
「ちょ、姉先生!」総司が慌ててさくらの口を塞いだ。
「誰もはっきり言わなかったことを…!」源三郎が恐れおののいたような顔をした。
歳三はおかしそうに声を殺してくっくっと笑っていた。
「それでは、本日はありがとうございました」相手の母親と思しき女性の声が聞こえ、さくらたちは静かになった。
「こちらこそ。わざわざご足労いただきありがとうございました」キチが丁寧な調子で答えた。
反対側の襖が開く音がし、相手方の親子は帰っていった。
しばらくの沈黙の後、さくらたちの目の前の襖がガラッと開いた。
「お前たち、聞こえてたぞ」勇が上から見下ろすように四人を見た。
さくらたちはといえば、突然のことに驚き、全員尻餅をついて間の抜けた顔で勇を見た。
「わ、悪ぃ、勝っちゃん、総司がどうしても気になるっていうから…」
「ちょっと、私を人質にするんですか!?歳三さんも、姉先生も源さんも現にこうしてついてきてるじゃないですか?」
「そうだ歳三、大人げないぞ」さくらが同調した。
「さくらも別の意味で大人げなかったがな…」源三郎がぽつりと言った。
「まったく。みんなそんな真似をしなくともいずれ正式にお披露目するから」勇がため息交じりに言った。
「へ?」言われた四人はぽかんと口を開けた。
「あの女子に決めた」勇は満足そうに言った。
「なんで、だって年増…」さくらの口を再び源三郎が塞いだ。
「うん。あの人は確かに年増で醜女だ」勇がはっきりと言った。
「そんなにはっきり言わなくても…」総司がぽかんと口を開けた。
「なんでまた…?」歳三が不思議そうな顔で勇を見上げた。
「歳のことはあまり気にならない。普段からさくらで見慣れてるし」
「おい」さくらはもう年齢ネタに飽き飽きしていた。勇は無視して続けた。
「ほら、美人が道場に出入りしていたら、皆が稽古に集中できなくなるだろう。それに、美人は浮気をしやすいと言うしな」
「そんな理由で…」勇以外の四人は驚き、ただじっと勇を見るしかなかった。
そして翌年の春、諸々の準備が整い、勇の祝言が執り行われた。
婚礼衣装に身を包み、まんざらでもないといった勇を見つめ、さくらはキチの隣で祝い酒を煽っていた。
女として、ツネが少しだけ羨ましい、と思わなかったわけではない。
だが、どこかに嫁いで子を成してという普通の女としての幸せとは別の道を自分は選択したのだ。後戻りする気は毛頭ない。
それでも、何かもやもやした物が胸に渦巻くようなすっきりしない気持ちでいた。それをごまかすように、さくらは飲み慣れない酒を飲み続けた。
「よっ!若先生!おめでとうございます!」総司も、普段飲まない酒に酔っ払い、場の空気を乱す。そんな総司を源三郎がなだめている。
さくらはその光景を見て、ふっと微笑んだ。
ふと勇の方に顔を向けると、その隣に座るツネと目があった。ツネは笑顔のひとつも見せることなく、会釈するように首を動かした。さくらもつられて会釈になりきらない会釈を返した。
――愛想のない嫁さんだな。大丈夫なのか?
そんなさくらの心配をよそに、婚礼にかこつけたどんちゃん騒ぎは日が暮れるまで続いた。
勇とツネは酒宴が終わったその夜、勇の部屋で向かい合って正座していた。
「あの、なんだかあの場だとがやがやとしていてちゃんとお話することもできませんでしたが」勇が切り出した。
「おれは、あなたとこれから仲良くやっていきたいと思っています。この先天然理心流の宗家とこの道場を継ぐことになりますから、いろいろと大変な思いもさせるでしょうが、何かあったらなんでも相談してください」
「相談なんて…私は、旦那様に付いて行き、支えていくのが務め。旦那様が不自由しないよう、しっかりお役目を果たして行くつもりにございます」
さすが武家の娘はしっかりしているな、と感心すると同時に、勇は初めてツネとちゃんと会話をしたなと感じた。
「うん。ありがとう。…これから、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願い致します」
ツネは三つ指をついて頭を下げた。
勇はそんな妻の姿を見て、にこりと微笑んだ。
一方、さくらは酔いを覚まそうと誰もいない道場の縁側に横になって寝転んでいた。
今日は晴れの日だからと一張羅の振り袖を着ていたが、大きな帯と久々にしっかりと結った島田髷がすこぶる邪魔であった。もはやそんな着物も髪も崩れるなら崩れてしまえと、さくらは夢と現の狭間にいるような、眠るような起きているような心地でぼーっとしていた。が、突然の物音に飛び起きた。
「うわっ」
起き上がって振り返ると、歳三がそこにいた。
「なんでお前がここに」さくらが言った。
「水を汲みにだ。総司が潰れて寝てっからな。道場通り抜けた方が井戸が近いだろ。お前こそこんなとこで何してんだよ」
「私は酔い冷ましにな。風が通り抜けて気持ちいいぞ」
歳三はハァ、と息をつくと「ったく、どいつもこいつも慣れねぇ酒がぶがぶ飲みやがって」と言ってさくらの隣に腰掛けた。
「別に、そんなに飲んだ訳じゃない」さくらはポツリと言った。
「飲んでただろうが」
「そうか…そうかもしれないな…」
「いやに素直だな」
「酒のせいかな」
さくらはぼんやりと月を見た。月はちょうど半分欠けていた。
「きれいだなぁ」
歳三はふとさくらの横顔を見た。酒が抜けきらないのか、普段しない化粧のせいなのか、頬が赤くなっている。
「なんでそんなに飲んだんだよ」歳三が再度聞いた。
「ばかやろう、そんなのめでたいからに決まってるじゃないか」
さくらは少し黙ったあと、ぽつりと言った。
「勇は今頃、ツネさんといるんだなぁ」
「当たり前だろ。あの二人は今日から夫婦だ」
「うん。そうだ。そうだな」
歳三はもう一度さくらの頬を見た。今度は月明かりに反射してきらりと光った気がした。
「…泣いてるのか?」歳三は驚いてさくらを見た。さくらの涙など、見るのは初めてだった。
さくらは一滴の雫を拭うと、何事もなかったかのように微笑み、歳三に言った。
「ばか言え。私は武士になるのだ。泣くわけがなかろう」
歳三はふっと笑うと、ごろんと仰向けに倒れた。
「お前、勝っちゃんのことが大好きなんだな」
「なっ」
さくらの頬がまた少し赤くなった。また「ばか」と言うかに見えたが、さくらは歳三の言葉を否定はしなかった。
「…うん、そうだな。ずっと一緒にいたから。少し、寂しい」
「ははっ、酒の力はすげえな。お前がこんなにしおらしくなるなんてよ」
歳三はまたさくらの横顔を見た。赤みがかった頬にまた一粒の涙が光っているのを見て、ほんの一瞬息を飲んだ。
一呼吸おくと、さくらに話した。
「俺も勝っちゃんと約束した。武士になるって」
「私もだ」
「俺たち二人で、勝っちゃんを武士にするぞ」
「うん。そうだな。それで三人で、武士になろう」
さくらはにこっと微笑んだ。
そんな笑顔を見るのも、歳三にとっては初めてのことであった。歳三は、ふっと笑い返した。
――明日になったら、こんな話したこと、こいつは忘れてるかもな。…まあ、いいか。
内心で、そう独りごちた歳三だったが、ドサッと音がしたので見やると、さくらがばたりとその場に倒れていた。
「おい、さくら、しっかりしろ」
「ん~…勝太ぁ……」
くそ、こいつも潰れやがった、と歳三は水汲みを諦めてさくらを抱き上げた。
――女の割に重いな。やっぱり、普段から鍛えているからか…
そんなことを考えながらさくらの部屋まで歩いていると、さくらが腕を歳三の首に回してしがみついてきた。
「くそっ、本当に重ぇな…」
「歳三…」さくらが目を閉じたままむにゃむにゃと歳三の名を呼んだ。
「ありがとう…」
歳三はさくらの寝顔に目をやった。
「だったら自分で歩けってんだ」
それでも歳三はそのままさくらを部屋まで送り届けた。
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