4.5
*
ジェシカがジャグラーズネストにほど近いバー、『ボルガ・ボートマン』で待機していたジャックと合流し、少し遅れて変装したカトーが到着した頃。
イワンは、キングスの連中を引き連れ、ホテルを出たところだった。
足取り自体はそれほど早くない。だが高身長ゆえに歩幅が広く、キングスのギャングたちは歩調を合わせるのに苦労していた。
イワンはちらと背後を覗き、カトーの計画通りの状況に嘆息した。
思えば、クラップスの勝負でも、浅間通りほとんど負け知らずだったのだ。それにリュウが死んだ日、気絶している間に持たされた金は、ボスへのメッセージになった。陸舟で逃げおおせてからしばらくして、ボスの懸けた賞金によって命を拾い、街に戻ってもきた。
そして、気づけば今、カトーを中心に、ミセス・ホールトンに用がある奴だけが残っている。
イワンは自身が三人に紹介したバー、『ボルガ・ボートマン』を一瞥した。
おそらく店内では、いとこの店主が監視カメラを使って、キングスの連中を引き連れ歩く姿を、三人に確認させているはずだ。
……カトーは、いとこの店がキングスのアジト近くにあると、知っていたのだろうか。
だとしたら、カトーの、偶然と必然の間に横たわる深い溝を紙一重まで接近させる手腕は、いったいどこで身につけたのだろうか。
イワンは首を振って、考えるのを止めた。考えるのは苦手だった。考えるのはボスやカトーに任せておけばいい。自分が貸すのは躰だけでいいのだ。
「おい、あんた。どこまで行くんだ? ブラッドリーの事務所ってのは?」
男の声で、イワンは我に返った。ほとんど無心で歩いていた。
「聞いてるのか? もし俺たちを騙してるってんなら――」
「もうすぐそこまで来てる。黙ってついてこい」
どうやらホテルでの対応は、客の目があったからこそのものだったらしい。ひとたび夜の街中に出てしまえば、ギャングとしての本性を現す。
しかし、イワンにしてもそれは同じだ。違うのは、身内以外への攻撃性と、義理への意識があるかどうか。念のため事務所前の人通りを確認し、安堵の息を吐く。
ブラッドリーによる人払いは上手くいっている。通りに出ている人数はまばらで、普段の半分もない。
イワンは鉄柵を押し開け、男たちを事務所の裏手へと招き入れる。
「おい。本当に大丈夫なんだろうな?」
「そんなに怯えなくていい。そっちは十人以上いる。こっちは一人だ」
「十人じゃない。二十人だよ。事務所の外も囲ませてもらうからな」
「十人以上といった。お前、バカなのか?」
イワンは正面から男のバカ面を拝んだ。ギャングの下っ端はみな同じ顔に見えた。
後ろに続いて事務所に入ってきたのは六人だけで、残りは懐に手を入れ、階段下からイワンたちを見上げていた。おそらく、狭いところに多人数で押し掛けても射線が重なり戦いにくくなると教育されているのだろう。
その証拠に、持ち込む武器に長物はなく、見たところ拳銃程度しか持っていないようだ。数の暴力どうにかなると思っているあたりは、とてもギャングらしいとも言える。
イワンは二階の応接室に男たちを通した。
葉巻をくゆらせ待っていたブラッドリーは、振り向きざまに言った。
「金は持ってきたのか?」
「お前だけか? カトー・ナカサキはどこだ?」
「グッドマンは賞金稼ぎと一緒だよ。案内してやるから、まず答えろ。金は」
「金、金、金、うるさいんだよ、ケチな高利貸しの分際で!」
男の怒声に、イワンは眉を跳ね上げた。
しかし、ブラッドリーの射抜くような目が、動くな、と命令を出している。
「……一階に押し込んである。ついてこい。ただし、一人だけだ」
「俺らに命令できる立場かよ?」
言うなり、キングスの六人が懐から銃を引き抜く。
「ここであんたをぶっ殺したっていいんだぞ? そしたらあの女は俺たちで――」
「やめてくれ。聞きたくもない」
まず間違いなく、男たちの受け取り方とは違う意味で、だろう。
ブラッドリーはゆっくりと両手を挙げて言った。
「一階の扉を開けるには俺の音声がいる。それと――イヴァンナのもな」
「へっ……ブタの浅知恵ってやつか」
「それにしちゃよく考えてるだろう?」
俺が考えてるわけじゃないからな。
ブラッドリーは口の中だけでそう呟き、イワンを連れて廊下に出た。男たちは全員が後に続こうとして、なぜ一人だけだと言ったのか誤解してくれた。
「おいデブ。お前少し痩せた方がいいぞ? その内廊下に詰まって餓死しちまう」
イワンは小声でブラッドリー「ボス」と言った。まだ早い。
ブラッドリーは首を左右に振りつつ答えた。
「餓死する前には痩せるだろうが。バカなのか? あんたは」
「あ?」
声と同時にブラッドリーは後頭部を銃口で小突かれた。
ブラッドリーは黙って両手をあげ、階段を下り始めた。狭い階段は丸々太った巨体で埋まり、後に続くイワンの高身長が、男たちの視界を遮る。
なんとか覗き込もうと首を傾けた男に、イワンは一言「やめろ」と告げた。
総額一万ダラー近い金をかけた人体改造・整形手術を経ても、すでに怒りの頂点に達していたイワンの瞳は、男を黙らせるのに十分な鋭さがあった。
階段を下りきるかどうかというとき、ブラッドリーがジャケットの裾をまくった。
――合図だ。
イワンは素早く静かに手を伸ばす。
ブラッドリーの分厚い背中の肉の狭間で、M一九一一が光を吸い込んでいた。
銃口の先には細長い筒のような
減音器とジャケットで、背中に保持していたのだ。
イワンの手がM一九一一を握る。
その動きは男達の目の高さからは見えなかった。狭く薄暗い階段で、前方視界はイワンの後ろ頭と広い背中で塞がれていたのだ。
イワンはふいに足を止めた。
男たちは「おわ」と声をあげてつんのめる。イワンの背中に左手をつき、銃を握った右手は壁につかれた。
遊底を引いたイワンは、拳銃を腰だめに構えて振り向いた。背中に手をついていた男が支えを失い落下を始める。銃口はその後ろ、もう一人の男を狙う。
発砲。まるで両手を叩いたような音がした。
「ぷっ」
胸の中心点に被弾した男は吹き出したような声をあげた。
イワンは先にバランスを欠いた男の胸倉を掴み引き倒しつつ、もう二回引き金を絞った。
階段を転げ落ちる音が盛大に響くなか、喉、鼻頭の順に四五口径の弾丸を受け止めた男は、衝撃そのままに仰向けに倒れた。
階段を転げ落ちた男が、必死になってイワンに銃を向けようとしている。
しかし、
「ぶぁがっ」
それは成らなかった。
ブラッドリーの全体重――一二六キログラムが乗った
まるでいつもそうしているかのように、イワンが階段に埋め込まれた頭を狙って発砲した。一発。二発。吐き出された黄銅色の薬莢が壁にぶつかり、軽やかに鳴った。
「ボス。多分、上の連中には気付かれた」
「お前に言われんでも分かってる! さっさと来い!」
ブラッドリーはドスドスと靴音を鳴らして、階段を飛び降りた。扉を引き開け滑り込む。
後に続いたイワンが扉を閉めた瞬間、強烈なドアノックがあった。銃声に気付いた仲間がやってきて、扉目掛けて乱射しているのだろう。
しかし、気にする必要はない。扉は階段側からみれば木製だが、内側から見れば厚さ二センチ近い鉄の塊なのだ。
「さてと。あとは花火をあげるだけだな」
「ボス。新しい事務所は――」
イワンが泣きだしそうな声で言った。分からないでもない。チンピラだったブラッドリーが裸一貫でエクス・マイアミに来たのは、もう十年は昔の話だ。イワンを拾ったのが六年前。金を貸しつけたバーの店主に紹介されてすぐに雇って、一年後にリュウを拾って、ずっと同じ事務所でやってきた。
「短いようで、長いような。長いようで、短いような。難しいもんだな」
「ボス」
「それ以上言うな。あとはグッドマンの野郎が上手くやるのを祈るだけだ」
「そうじゃなくて」
「あ?」
「外を囲まれてたから、急がないと」
刹那、居室の外壁、つまり事務所本来の入口が鉛玉で叩かれ、やかましく鳴った。
ブラッドリーはイワンをどやしつけた。
「それを早く言わねぇかバカ野郎!」
「でも、ボスがそれ以上言うなって」
「そう言う意味じゃねぇ! バカめ! ベッドをひっくり返せ!」
「了解! ボス!」
言うなり、イワンはダブルサイズのベッドを引っぺがした。床下に脱出口がある。繋がる先は地下下水道であり、抜け出る先はすでに決めてあった。
床板を数枚張り合わせたような蓋を開け、イワンが穴に飛び込んだ。すぐにブラッドリーも続いて、蓋を閉める――寸前。
「でっかい花火といこう」
ブラッドリーは握り込んでいた棒状の赤いスイッチを押し込んだ。カトーの手も借り事務所中に仕掛けた爆薬の、タイマーを起動したのだ。
二人は足元の懐中電灯を手に取り、駆け出した。
待ち合わせ場所は『ボルガ・ボートマン』だ。
仕事は終えた。あとはノアの大洪水を待つだけとなる。
その前に、大花火があるが。
ブラッドリーは時計に目を落とし、叫んだ。
「耳塞いで口を開けろ!」
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