3.2

 アタシの使っている陸舟は少し大きくて目立つから、小さい街では外に隠すようにしている。

 陸舟は専用の鍵がなければ浮き上がらないし、帆も立てられないし、なにより通電できないから心配いらないのだが、面倒ごとは避けられるなら避けたいからだ。


 なにしろアタシの双胴型陸舟『空飛ぶ駝鳥フライング・オーストリッチ号』は、アタシを陸舟船員見習いとして雇ってくれたエイハブ船長――本名不詳――から受け継いだ大事な船なのである。

 船幅は四五フィートほどで、通電すると他の陸舟より地表高度が十インチは高くなる。船体もすごく細長く、かたくて、しかもエアロピアサー型の船底を備えた、特別なカッコイイ陸舟なのだ。


 とってもすごい陸船だから、いつだって誰かが奪おうと狙ってくるし、同時に目立つ。

 そして、いつだって他の陸舟よりもお役立ちなのである。

 アタシは中々追い付いてこないグッドマンを待つ間に船に飛び乗り、双胴をつなぐ甲板デッキ上の充電用ソーラーパネルを対貫通・衝撃装甲板の下に格納し始めた。次いで鍵をメインパネルに差して、通電を始める。ウィンド電力セイルを引きだし、あまりに遅いグッドマンを待った。


 鈍足のグッドマンは体中の水分を汗に変換しながらやってきて、空飛ぶ駝鳥号の船体に手をついた。まだ浮き上がらせていないというのに、船体に上る元気すらないらしい。ちょっと吐きそうだな――と思ったときには吐いていた。


「アタシの船の上で吐かないでよね」

「すこし、やすませて、くれると、ありがてぇんだが?」

「無理。急がないと」


 言って、アタシはグッドマンの襟首をつかんで引き上げた。ぐえ、とか、ぶぎゅ、とかちょっと変わった悲鳴を上げつつ、グッドマンは甲板上で空を仰いだ。かと思うと、自分の荷物を漁って、道中ずっと後生大事に持ってたお酒の瓶を取りだした。

 きゅきゅきゅとコルクを捻って開栓し、一口呷った。


「吐いたばっかりなのに、よくそんな不味いものを飲めるよね」

「ほっとけ。それよか、急ぐんじゃねぇのかよ。おっさん死んじまうぞ」

「言われなくても分かってる。なんでそうエラそうなのさ、あんたは」


 帆を立ててるとき、アタシは油断してたんだと思う。気付いたら口にしてた。


「ところでグッドマン」

「なんだよ」

「あのおじさんなんだけどさ」


 何を聞こうとしてるんだろう、アタシは。そう思いつつも、手は勝手に動いてた。

 メインパネルから浮力調節用のハンディコントローラを外して、お尻のポケットからパスケースを取り出した。新聞記事から切り抜いた白黒の写真が入ってる。無精ひげで仏頂面の、デスハンドジャック。何度も見たから分かってる。なのに、なんでアタシは、グッドマンに確認をとろうとしてるんだろうか。

 グッドマンはコルク栓を瓶に押し込み、古びた布バッグに押し込んだ。


「あのおっさんが、なんだって? おれに聞くんでいいのか?」


 汗だくグッドマンは青白い顔をしていて、それでも無感情な笑顔をつくってた。

 ムカつく。アタシの頭の中身を見透かしてるみたいな言いようだ。拾ってあげてから今日までの間、グッドマンは『ときたま』こうだった。いつもじゃない。ただ『ときたま』こうして、カッコをつける。

 バカでイカれたギャンブラーのくせに、それが腹が立つほど似合ってた。

 アタシはなんだか悔しくて、毎度そうしてきたように、言葉を切った。


「ただの独り言。いちいち突っかかってこないでほしいね」

「気を付けた方がいいぜ、ジェシー。独り言が増えたら気が滅入ってる証拠だ」

「うっさい! 考えなしの向こう見ずハイ・ローラー!」

「そういやあのおっさんも、おれをそう呼んでたな! もう影響受けたのか?」


 グッドマンは高らかに哄笑し、盛大に咽た。それでも笑おうとしている。

 だからアタシは、ハンディコントローラーで浮力をいきなり最大にしてやって、グッドマンを黙らせた。陸舟が浮き上がる瞬間、慣れていない人間は舌を噛むのだ。ましてやアタシの自慢の空飛ぶ駝鳥号の浮き方は、人を黙らせるのに最適なのである。


 陸舟のメインセイルが風をは取り込み、地表すれすれを疾走していく。

 さすがに街を構成できるだけあり、気候が安定している。建物の背が低いのもあって、通りを吹き抜ける風が細い。四〇ノットを出すのが精いっぱいだ。

 それでも砂は乾燥していて抵抗は少ないし、風向きだって悪くない。問題は――、


「おいこら! ジェシー! バカかお前! この船じゃ通りに入れねぇぞ!?」


 やかましすぎるグッドマンだ。自分の関与できない事象に怯える小心者め。いつでも『ときたま』のグッドマンならいいのに。


「大丈夫! 捕まって!」

「あ!? どこに捕まれってんだよ!」

「どこでもいいから捕まっとけって言ってんの!」


 叫びながら、アタシは右舷の船体浮力を上げた。船が傾き、


「うおおおおあああぁぁぁぁぁ!?」

「うっさいバカ! アタシを信じろ!」


 陸舟が浮き上がる。普段はなかなか感じられない躰の重心ってやつを意識する。

 かつて地上を這い回っていたという四輪でいえば、片輪走行だ。双胴船だから片胴航行。船体幅四五フィートで道幅が一〇ヤード、五〇度は倒さなきゃならない。


「バカ! ジェシー! 帆はどうすんだよ!」

支柱マストのことなら、大丈夫だよ!」


 再びハンディコントローラーの操作をする。浮力を上げて、とうとう船は地表から浮き上がった。支柱が建物の屋根に接触しないギリギリまで上げる。


「飛んでる! 飛んでるぜ、ジェシー! ははははっ!! おれと死ぬ気かっ!?」

「黙ってろって! こっちも必死なんだから!」


 グッドマンって奴は、本当にどうかしてると思う。こっちときたら、死に物狂いってやつだった。地表から三フィート以上浮かせたまま陸船を走らせるのは、さすがに初めての体験だ。降ろし方を間違えれば、空飛ぶ駝鳥号でも乗員ごと粉々になってしまうかもしれない。


 斜めに傾いた双胴船が、第六ニューイングランドの通りを翔る。

 高度が上がってより強い風を受け、抵抗が減る。船は五〇ノット近くまで加速している。アタシは震えるほど興奮しながら、強い風に耐えようと左目を閉じた。

 右のバイオニック・アイだけが事態を克明に把握する。視覚から得られるありとあらゆる情報が脳に雪崩れ込んでくる。前方に少し変わった光景。ズームする。


「樽、転がしてる?」 


 気付いたら、アタシはそう呟いていた。通りに転がる死体の間を、ジャックが――今はまだファーマーと偽名を語っている伝説の賞金稼ぎが、寝かせた樽を転がしていたんだ。

 薄ら笑いで甲板にへばりついていたグッドマンが、ヤケクソ気味に叫んだ。


「はははははっ! 見ろよ! あのおっさん、樽転がして貯水塔に向かってンぜ!」

「見りゃ分かるよ!」

「バカだ! バカだよ! 分かるか!? 俯角ついて狙いやすくなんのによ!!」

「黙ってないと舌噛むよ!」


 そう叫びながら、アタシはハンディコントローラーを操作した。

 右弦側の船体だけ浮力がさらに増えて、双胴船はほとんど横倒しになる。アタシとバカは甲板上に張ったロープを掴んで、重力と向かい風に立ち向かう。

 曲芸じみた航行ができるのも、船体ハルのすべてが電導ナントカ性重金属で構成されてる空飛ぶ駝鳥号ならではだ。きっとそうだ。


 ――アタシもやったのは初めてだけど。


 電動機が唸りをあげて支柱の角度を調整する。高度減少。軟着陸は不可能だ。

 薄ら笑いで、でも目だけは輝かせているグッドマンに、アタシは叫んだ。


「手ぇ伸ばして、おじさん拾って!」

「ぎゃははははっ! 任せろ! 気狂いマッドジェシー!」


 グッドマンはオカシくなった笑い袋みたいに爆笑しながら、足をロープに絡ませた。身を乗り出す。豪胆だ。今は『ときたま』なのかも。

 グッドマンは、そのままファーマーという名を騙るジャックに叫んだ。


「おっさん! 手を伸ばせ! 拾うぞ!」


 振りむいたファーマーことジャックの表情を、アタシのバイオニック・アイは逃さず捉えた。恐怖と、困惑と、ある種類の後悔が混じったような顔をしていた。端的にいえば、度肝を抜かれた顔をしていた。

 陸舟の高度が下がる。左舷側の胴、横っ腹がわずかに地表を擦った。急激にかかる速度減衰。


「取った!」と叫ぶグッドマン。


 アタシは迷わず高度をあげた――んだけど、


「ヤバい! あげすぎた!」


 操作量を間違えた。結構な速度が出ていて、しかもマストは甲板に寝ているようなもので、焦っていたのだ。しかもまずいことに、マストを立てる操作もしていた。

 さらに最悪だったのは、小さな新たなる澄風が、そのとき吹いた。


 空飛ぶ駝鳥号が、その名を誇るかのように飛翔した。

 アタシと、青ざめた顔で爆笑しているグッドマンと、ファーマーと名乗るジャックをぶら下げたまま。

 ともかくラダーを動かした。空中で船の傾きを水平に近づけないといけない。まるで一秒が一〇秒にも一〇〇秒にもなるような、長い、とっても長いフライトだった。


 一際高くそびえる貯水塔を掠める。バイオニック・アイが暢気な光景を捉えた。

 作業員と思しきおじさんが、キャットウォークで昼寝していた。もしかしたら無慈悲な太陽に焼かれてしまったのかもれしれない。


 どちらでもいい。

 街の外を目指して建物を飛び越えていくアタシにとって、貯水塔の片隅で黒い金属塊を抱きかかえて寝転ぶ誰かは、心底どうでもよかった。

 古ぼけた木造の家々を飛び越え街区から飛び出す。といってもあばら家の立ち並ぶ集落だけど、船の下を高速で流れていくそれらを見ると、アタシはどうしても興奮してしまうのだった。


 アタシは帆が受ける風を頭の片隅に置きつつ、浮力調整に全力を尽くした。

 数多の障害を飛び越え、空飛ぶ駝鳥が着陸する――。

 僅かな衝撃。速度減衰による後方からのG。違う。慣性のベルトコンベアに降り遅れたアタシらの躰が、投げ出されそうになっているのだ。


 必死に支柱と帆の角度を制御して、みんなを慣性ベルトに再び乗せる。振り落とされないようにしがみつき、浮力を押さえた。暴れ馬のように傾く船体を水平に戻して、速度も落とす。

 顔を上げると、前方に岩がいた。ぶつかったらお前をバラすと脅してきている。

 アタシは強面の岩に遠慮して、メインシートをしっかり握って、甲板上を駆け抜けた。片手間に舵を操作し、進行方向を変えていく。セイルの受ける風が変わる――。


「頭下げて!」


 言うと同時に頭を下げて、メインシートを引っ張った。セイルが新たな風をはらんで膨らみ、横桁ブームが殺人的速度で甲板上を横断する。

 グッドマンとファーマーを名乗るジャックの頭上を横桁が走った。

 メインシートの圧力が手にかかる。複数の滑車を介していても、体重をかけないと持っていかれそうな力だ。がんばって耐える。


 船体が再び傾き、不愛想な岩を避けるように旋回していく。

 メインシートの加重がさらに強まる。それでも耐える。

 速度が、少しずつ、落ちはじめた。

 とりあえず、二人が振り回される横桁のキツい一撃ブーム・パンチをもらわなくてよかった。


「さいっっっっこう! だぜ! ジェシー!!」


 ……ジャックはともかく、グッドマンが船から落ちれば、もっとよかったのに。

 陸舟が通常の航行速度に戻るころ、アタシは安堵の息をつき、グッドマンは高らかに笑いながら船外へ嘔吐し、ファーマーことジャックは帽子をかぶりなおした。

 そして、小さな声で「助かったよ。ミス・ジェシー」と言った。


 アタシは心の中だけで歓喜の叫びをあげた。両手を握りしめて踊ってた。心の中で。

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