2.5
「んで? おっさんはどうすんだ?」
手に持ったグラスに酒を注ぎつつ、カトーが言った。俺はなんてクソ度胸なんだと思った。しかし口にはしない。彼の手の上で踊るのはご免だ。
俺は右手に握った相棒の撃鉄を引き起こした。
「どうするかって? それは俺のセリフだよ」左右を見回す。殺気はない。
「逃げるなら今の内だな。俺がお前を追う意味はなくなった」
「なんだそりゃ? そりゃどういう了見なんだ?」
「どうもな、お前に賞金を懸けたミセス・ホールトンの狙いは、俺らしいんだな」
「……だからどうでもいいのか? 随分とキンタマの小さな話だな」
カトーは自分で自分の言葉に吹き出し、飲み込んだバーボンで咽ていた。
俺は目を瞑り、カウンター越しに気配を探った。近づいてきてはいないようだ。
「少なくともお前よりはデカいよ。裏口を知ってるか?」
「おれを殺さないってんなら、教えてやらないでもないね」
「さっきの今で、俺がお前を殺すような男に思えるのか?」
「イエスかノーで答えるなら、信用できねぇ、ってやつだ。分かんだろ?」
俺はカトーのしたり顔が気に入らず、舌打ちした。
「殺すならお前のバカ話を聞いちゃいないだろ? そっちこそ少しは頭を使え」
「交渉成立と受け取っておくよ。そこのバーテンの死体、その右手の奥だ」
「じゃあ先に行ってくれ。後ろからついてくから」
「なんだよそりゃ。普通は銃を持ってる奴が先に行くんじゃねぇのか?」
言いつつ、カトーは何かを探すようにキョロキョロと首を振った。手を伸ばし、カウンターの下から古臭いポンプ式の散弾銃を取った。使われなかった防犯装置だ。
カトーがポンピングすると、薬室から弾が一発飛び出し、転がった。鼻を鳴らす。
「んじゃ、おれが先に行くから、おれのケツを舐めるようについてきな」
「ふざけるのも大概にしろ。俺はお前のケツに四四口径の鉛玉を突っ込めるんだ」
「どうせ不発さ。おれにはベルヌーイ様がついてるからな」
「数学者の苗字に興味はない。さっさと行け」
カトーは小さく肩を竦め、ガラス瓶の破片だらけとなった床を這うようにして歩きだした。どうやらカトーという男は、ベルヌーイなる神に本当に命を賭けてしまっているらしい。
何に起因するオカルト信仰なのかは知らないが、どんなに薄い確率であっても人の三倍は勝てるという信仰が、彼に無茶苦茶な芸当をさせるらしい。
カトーは一人勝手にガサガサ進み、角を曲がった瞬間、立ち上がった。
「角度が悪ぃ!」
「なんの話だ!?」
叫びつつ、俺も後に続いて走った。
瞬間、頭のすぐ左側を弾が抜けていった。音速を容易に越えて飛翔してきた弾丸が衝撃波を作り、俺の脳を揺さぶった。よろめきながらも足だけは回し続けた。カトーが裏口扉を蹴り開け飛び出す。止まった。
ベルヌーイとやらを信仰する馬鹿野郎が、せっかく拾った散弾銃を足元に投げ捨てる。
「待ってくれ!」
素早く両手をあげた。ハンズ・アップ――降伏の印だ。
俺は音を立てないように進み、壁に背をつけた。
「てめぇはどうでもいい! もう一人はどうした!?」
激高する男の声がした。得物が下がる瞬間を安普請の壁越しに探る。
俺は一拍の間を取り、銃を構えながら躰を出した。予想通り、目も向けずにこちらを指さす薄情者のカトーの姿があった。その視線の先に、駆け出そうとして仕方なく
俺は迷わず
「かぶぁっ」
男の叫びと銃声が混じる。同時に、俺は――おそらくはカトーも、息を呑み込んだ。
まともに右フックを食った三流ボクサーのように吹き飛びかけた男の腹を、山刀が突き破ったのだ。刃渡り二十五インチ近い肉厚の刃が、血脂に濡れて光っていた。
男が絶命しているのを確かめるかのように、刃が捻られた。次いで、股間に向かって切り下げられる。哀れにも男の股下丈は一〇インチも伸びた。息さえ途絶えさせなければ女には不自由しなかっただろう。もっとも、長い足で口説き落としたところで、肝心のモノは真っ二つだが。
男の躰が一八〇度開脚を披露する間に、俺は撃鉄を起こした。
しかし、引き金を引く必要はなかった。
そこにいたのが、女で、少女としか言いようがなかったからだ。
「……間に合った、みたいね。……と、あんたは……?」
少女は走ってきたのか、息苦しそうに肩を上下していた。掠れているが、若々しく、そして気だるげな色が乗った声だった。
撃つべきか、銃を収めるべきか。俺は迷った。
少女は少々荒れている短い黒髪を掻き上げた。浅黒い顔にベッタリと返り血がついている。細い輪郭と形のいい目鼻が台無しだ。
俺は、俺を見据える左の黒い瞳と、完全に機械化され青白い光跡を残す右の瞳に、目を奪われた。全身に夥しい古い切創があるにも関わず、見る者にそれを忘れさせるほどの強さがあった。
それと、もうひとつ。
瞼と頬には、瞳を跨ぐ縦二本の傷痕。おそらく、十年ほど前についた傷痕だ。
その傷のせいで、俺は素直に名乗るのを躊躇した。
眼光の鋭さはたったいま死線を超えてきたからで説明がつく。顔につけられた古い痕も、このご時世、内陸部ではよくあることだ。どんな美人でもほんの少し運が悪いと、不本意にも醜い傷をつけられてしまう。
しかし無数の切創が全身を覆い、それらがおしなべて同時期につけられたであろうものであるならば、俺はある可能性を考慮しなければならない。
少女は、かつてサイコ野郎――レイザー・ブリッグスから、俺が救出した娘かもしれない。もしそうだとしたら、名乗るわけにはいかない。少女にとって俺がヒーローであるにしろ、親の仇であるにしろ、名乗ればややこしいことになるに違いない。
判断に迷う俺を見かねてか、カトーがこちらを指し示しつつ、口を開いた。
「大丈夫だよ、ジェシー。こいつはお前の好きな賞金稼ぎ様って奴だ。名前は――」
「ファーマーだ」
俺は直感に従い、偽名を名乗った。
「賞金稼ぎだ。そしてどうやら、お前さんが切り殺した男の的(ターゲット)でもあるらしい」
ジェシーと呼ばれた少女の、形のいい眉が歪んだ。
「あんたが狙われてたって? ファーマー? 聞いたことない名前だね」
「そうだろうよ。もう引退してたところを引っ張り出された、
「引退してた骨董品?」
ジェシーは右手に握る山刀を、風を切るようにして振り下ろした。刀身にこびりついていた血が、白茶けた大地に深紅の曲線を描きだす。
少女は何かを思案するように一瞬だけ視線を外し、すぐにこちらに向き直った。
「おじさん。〝デスハンド〟って賞金稼ぎを知ってる?」
「……知ってるよ。デスハンド・ジャックだろ? レイザー・ブリッグスを殺した」
答えつつ、俺は偽名を使った甲斐があったことに、ため息をつきたくなった。
「いまじゃ、もう、デッドマンズ・ハンドだがな」
一拍か二拍か、とにかく少しの間を置いて、ジェシーは困ったように小首を傾げた。対照的にカトーはニヤリと唇の端をあげ、俺とジェシーを見比べた。
「おいジェシー〝デッドマンズ・ハンド〟のジャックってのは、有名人なのか?」
デッドマンズ・ハンドと口にするとき、これ見よがしに両手をあげてダブルクォーテーションまでつけた。腐ってもギャンブラーということか、カトーは若いのにワイルド・ビル・ヒコックの最後の
「デッドマンズ・ハンドじゃなくて、デスハンド」ジェシーは露骨に眉根を寄せて、苛立たしさを隠そうともせず、首の骨を鳴らした。
「伝説の賞金稼ぎで、アタシにとっての恩人で、レイザーを殺した男」
「なるほど。陸舟の女船長ジェシー様の憧れの人ってわけだ」
言いつつ、カトーは興味なさげに肩を竦め、散弾銃を拾い上げた。どうせ撃つ気はないだろうに。しかし伏せた俺の名を明かさず、負い目を利用するつもりもないらしいのは、認めてやってもいい。なかなか気持ちのいいやつだ。
――恩人か。
俺はまだ高い太陽を見上げ、口の中だけで呟いた。
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