グッドマン
1.1
「おい、グッドマン! てめぇ金はどうなったんだ! 金は!」
と、いきなりブラドッリーが怒鳴った。肥えたブタにコーデュロイのジャケットとパンツを着せたような男だ。どデカいブラックチェリーの机をキャッチャーミットみたいに膨れた手で叩き、こう続けた。
「お前がスった金は俺の金だったんだ! 分かってんのか!?」
「聞こえてるっつの。ブヒブヒうるせぇんだよ、ブタのくせに」
ブラッドリーは、賭けの種銭を融通してくれた男で、借金取りでもある。
おれはブラッドリーの事務所で、ケチくさい椅子に座らされていた。左隣にはうすらデカいイワンが突っ立っていて、おれを挟んでリュウがボケっとしている。
つい先ほどまで街中を走り回っていたおれは、汗をかくのが馬鹿らしくなり、捕まってみたのだ。決して、ボンクラ二人の足が早かったわけじゃあない。
なぜおれが追っかけられるようになったのかというと、倍にして返そうと思ってブラッドリーから金を借りだし、スってしまったからだ。
借り出した額はごく小さなもので、およそ百五十ダラーだった。一般人の月給に換算したら、まじめにコツコツ働いて一年くらいで返せる程度の、ショボイ額だよ。まぁ利子だなんだと難癖つけられ、話してる間に千五百ダラーになったらしいが。
もっとも、そんな程度の金なら、おれがクラップスでサイコロを握れば、一晩で回収できる。ただ残念なことに、いまではクラップスをやっている店は少なくなって、しかもおれと勝負してくれる奴と言ったら、観光客以外にいなくなっていた。
だから、とりあえずってことで、俺はブラッドリーに懇願した。
「払うっつってんだろうが、あとちょっとの間は待っとけよ。またハゲんぞ?」
元々頭を下げるのは得意じゃないし、なにしろ相手はブタさんである。それに借りた金にしたって、いずれは倍に増やせるんだからと先に半分減らしてみたのさ。
なのにブラッドリーは、あのブタは。
えらそうに、牛革の椅子でふんぞり返っていた。牛の背中に乗るブタがいるかよ。
「待って払ってくれるんだったら待つけどな。てめぇは払うつもりがねぇだろう。俺はいい加減に頭に来てる。分かるか? 頭に来てるんだ」
ブラッドリーはパツパツに張らしたスーツを撫でて、顎をしゃくった。
同時に、イワンがおれの後ろ頭を叩いた。視界がクラクラするほど痛んだ。思わず前のめりになってうめくと、すかさずリュウが後襟を掴んで引き起こしてきた。
うすら馬鹿のイワン・ゼゲロワニコロビッチと、凡愚のリュウ・ディッパーは、コンビ愛だけは一丁前だ。二人同時に胸元から四十五口径オートを取り出した。
M一九一一――百五十年以上前に誕生し、いまだに俺たち国民を腕力で守ってくれてる小さな
脅しのつもりか、イワンのバカが四十五口径オートの
「おい、グッドマン。さっさと払わないと痛いぞ」と、イワンが言って、
「そーだ。じゃないと痛いぞ」と、リュウが言う。
世の中広しといえども、たった二言でバカだと世に知らしめる会話は、こいつらしかできない。薬室から飛び出て床をコロコロ転がる弾丸が物語る。
この人たち、バカです。
いくら
おれは勝手に歪む口を放ったらかして、ブラッドリーに言った。
「おれをぶっ殺したって金は回収できねぇぞ? というか、ぶっ放してケガでもさせてみろ。ちょっとばかしはスッキリするかもしれねぇが、それで終わりだ。金をかき集めてくるのが遅れるだけなんだよ。違うか?」
ブラッドリーは背もたれを破壊する勢いでドッカリ体重を預けた。
「俺はスッキリしてぇんだよ。分かるか? お前が金を返してくれねぇなら、スッキリさせてもらう程度にしか、お前の躰に価値はねぇ」
でぶぅ。とか、語尾につけろよ、バカ野郎。てかまさか、価値ってお前。
と、思ったところで言えるわけでもないんだが、身を乗り出すだけで机がめり込む腹を見て無感情でいるのは無理ってもんだ。
とりあえず焦ってはみた。秒で思った。金を返すアテなんてない。
天涯孤独の風来坊を気取ったせいで、肩代わりしてくれる女はいない。知り合った奴はクラップスで身ぐるみ剥ぐから友達もいない。頼みの綱は親になるんだろうが、おれの親は、噛めば噛むほど吐き気がしてくるジャガイモしか作ってない。まぁ売れ行きは好調なようだし、イワンの奴なら喜んで食べるだろうけど。
だからおれは嘘を吐いてみた。
「いまは払えねぇけど、必ず返す。おれが嘘を吐いたことがあるか?」
「あるな。いまだ。現在進行形で嘘を吐いてる。お前は根っからの大ボラ吹きだ」
カマしたハッタリは秒以下でバレた。が、まだデブラッドリーは気づいていない。おれが嘘を吐くときは、いつだって切り札を一枚残してる。
こめかみの銃口にビビりつつ、おれは鍛えに鍛えた
「おれだって、お前に金を稼がせてやったことがあったろ?」
「どうだったかな。記憶にゃねぇが」
「あるはずだ。忘れたなんて言わせやしねぇぞ? あんたは金蔓を引っ張る天才だ。おれが金を増やせる奴だと覚えていなけりゃ、とっとと
ブラッドリーは、ふむぅ、と鼻を鳴らして腹を撫でた。
バカめ。そこで『ぶひぃ』って鳴くんだよ。と思った。
「てめぇ俺のことをただのデブだと思ってやがるか?」
どういう技術なのかは知らないが、デブラッドリーはおれの心を読んだらしい。
「俺はただのデブじゃない。お前にもう一回チャンスをやるデブだ」
ブラッドリーは腹を叩いて、満足そうにしていた。
気味は悪いがノってくれるんなら話は早い。
「どんなチャンスをくれるんだ?」
「俺が勝負する場を用意してやろうじゃねぇか。クラップスだ。得意なんだろ?」
「もちろんだ。そうやって前も稼がせてやった」
「後ンなって負けたがな。次は負けるのは無しだ。勝ち分だけチャラにしてやる」
話の分かるブタに、イワンとリュウはアホ面を見合わせていた。
――。
ここで、なんでおれがクラップスを得意とするか教えておこう。
おれには確率の神様がついているんだ。名前はヤコブ・ベルヌーイ。ヨハネの兄貴と同じ名前だけあって、やんごとなきご加護を与えてくれるんだ。
なんと、おれは人の三倍ほど、狙った目を出しやすくできているんだよ。
分かりにくいか?
たとえば普通の奴がコインを弾いたとして、表が出るかどうかは五分五分だ。つまり五十パーセントだが、俺は違う。人の三倍だから、五十パーセントを三回分になる。
しょぼいと思われるのは心外だから、敢えて言おうじゃないか。
こいつは、まさに、
クラップスでは
もう分かったか?
出目のパターンは全部で六×六の三六通り。第一投で勝利する出目は一と六、二と五……六と一までの六通りに、五と六、六と五を加えた八通り。確率で言えば約二二パーセントになる。これが普通の奴が賽子を振った場合だ。
しかしおれが振れば別。二二パーセントが三回分。累積確率の話は省かせてもらって結論を言おう。おれは約五二パーセント、つまり常人の二倍以上勝てるのさ。
まだショボイと思うなら、それはクラップスの本質を知らないからだ。
クラップスの第一投で負ける出目は、合計が二、三、十二になるときだ。つまり一のぞろ目、六のぞろ目、一と二の組み合わせと、四通りしかない。
勝つか負けるか以外の出目ならポイントといって、客――つまりおれがもう一度賽子を振る。そして出目の合計が四、五、六、八、九、十なら勝ちとなり、七を出したら負けになるんだ。勝利の確率が跳ねあがったのが分かるだろ。二回振れば六回分、三回振れば九回分、おれの勝ちの目は百パーセント未満で限りなく増加していく。
こっからが大事だ。
クラップスの面白いところは、ポイントナンバーが出てシリーズが始まったときだ。
シリーズが始まると、見ている客も勝負が決するまでの出目に賭けられるのさ。もちろん賭けた目の配当金は期待値に従う。簡単にいえば、出やすい目なら一.二倍の払い戻しがついて、出にくい目なら二倍つく、みたいにな。
たとえば第一投で四を出す。賽子の出目の期待値は一個につき三.五、ふたつ合わせて七になる。だからディーラーが勝利するのは七なんだ。出やすいからな。
言い換えれば、七を基準に出現率は下がり、倍率は反比例する。四の出現率は三六分の三で、倍率は二倍、なんて具合だ。
ところが、おれが振った場合は?
ベルヌーイ試行で八.三パーセントを三回分だ。
たしかに毎回勝てるわけじゃない。けれど勝負を繰り返す程に、ディーラーの設定している『公平な率』を上回っていくのさ。
しかもクラップスは他のギャンブルと違って、客同士じゃなく客とディーラーで勝負するゲームだ。おれも客たちもディーラー側の負けに金を張る。
あとは簡単な話だ。
おれはブラッドリーと一緒に賭場に行き、サイコロを振ればいい。当然ブラッドリーはおれの勝ちに賭ける。賭け続ける限りは金が増え、おれの借金は減っていく。
ついでに人の三倍勝てると言っても確率で負けるから、イカサマを疑われる心配もいらない。あとはディーラーたちの胃が痛くなるまで続けりゃ、それで終いさ。
そうやっておれは街中の賭場で荒稼ぎをしてきたし、ブタに牛革の椅子を買えるくらいの金を稼がせてやった。すごいだろ?
おれには二項分布の神様、ベルヌーイがついてんだ。
――。
……と、まぁ、おれはそんな話をしてたんだ。ブラッドリーに連れられてったカジノバーのカウンターで、肩と背中がガバっと開いた真っ赤なドレスの美女を相手にな。
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