🈕🈑異世界生きもの探訪|スペシャル🈞

狂フラフープ

森の千両役者 エルフ

”エルフは短命である。これに限らず、巷間で語られるエルフの姿は誤解と偏見に満ちている。彼らは我々によく似た姿をしているが、実際には生物としては我々などよりもむしろ鉄蓋虫辺りに近い。大食いで肉を好み、力強く、魔法やまじないを用いない。非常に働き者で、それから、少々下品である。

 人々が彼らに関して誤解していないことがあるとすれば、それは彼らが美しく理知的な、我々の良き友人であるということだ”

          ――マージ・トレヴァー『デクテヴェア大森林のエルフたち』


 エルフ。多くの異界譚で語られる、悠久を生きる森の賢者。


 隠人、耳長、アールヴ、ドヴェルグ。地域・時代によって呼び名は様々に異なれど、神話・英雄譚から寝物語に至るまで、この世界の誰もが知る異界種族の名前である。


 古くは紀元前より語られてきた彼らだが、御伽話の住人としてでないひとつの生物種としてのエルフ研究史は意外なほどに浅く、研究らしい研究が成され始めたのは20世紀に入ってからである。さらに体系的な研究分野として瑕疵なく纏め上げられるのは、驚くべきことに今世紀を待たねばならない。


 これは、長らく欠け続けた一つのマスターピースの存在によるものである。



 現スロバキア領、プレショフ州。かつてポーランドリトアニア同君連合が最大範図を誇っていた時代に建てられた城塞跡にひっそりと佇む閉架図書館の地下三階。


 背の高い書架が静謐に立ち並ぶ、地下とは思えない大空間は、さながらエルフの森とはまた別のおとぎ話に迷い込んだかのようだ。


 その奥深くの書架の一つに、四年間に渡る修復作業を終えたばかりの異界文書が納められている。


 題名は『デクテヴェア大森林のエルフたち』。素朴な作りの革表紙に刻まれた著者の名は、マージ・トレヴァー。ハイネフ簒奪公国イェズリフ朝中期を代表する研究者・冒険家だ。


 現有する異界文書の多くに引用されるその名は、一介の冒険者にすぎなかったトレヴァーが生涯でたった一冊記したこの本により知らしめられたものである。



 ―― ―― ――



 1987年の秋、当時プラハ大学の学生であったダミアン・コストマンは旅先のバンスカー・ビストリツァで路地に打ち捨てられた老人の遺品を譲り受けた。その内の一冊の古びた写本が彼と二人の学生を通じ、10年以上の月日を経て同大学の助教であったバリス・イルハームの手に渡る。彼の検証と解読を経て、ようやく写本は日の目を見ることになる。修復なしでは判読できない程に擦り切れた拍子に刻まれていた書名こそ、『デクテヴェア大森林のエルフたち』。これまで広くその存在を知られながら、断片的な形でしか発見されなかった幻の異界文書だ。


 それまでの定説のことごとくを覆し、後のエルフ研究、ひいては亜人研究の形式に多大な影響を及ぼしたこの歴史的名著は、より後世のエルフ研究に触れた我々の世界でもってすら、非常な驚きと共に迎えられた。



 トレヴァーは、ほとんど人族の訪れることのない大森林深部、エルフの大規模集落で4年に渡り彼らと生活を共にした。


 彼の残した著書『デクテヴェア大森林のエルフたち』 は当初、デクテヴェア大森林を始めとした亜人種領域を巡る紀行文として書き進められている。


 奇妙な植物に奇怪な昆虫。読み物としては魅力的であっても、あくまでも先人の足跡を追う物見遊山に過ぎず、学術的価値の認められない序章に続く一章では、当時人族未踏の危険域とされた大森林深層に迷い込んだトレヴァーが、年若いエルフに命を救われ、交流を得て初めて知り得た知識が散りばめられている。そしてそれは、異界人類が初めて知り得た知識でもあった。



 伝聞とは全く異なるエルフの世界への驚愕も冷めやらぬまま、トレヴァー自身が集落のエルフたちに次第に魅せられてゆく様を見せつけるように、寝物語で語られる姿とはまるで違う彼らの日々が赤裸々に、活き活きと綴られ始める。これこそが、異界の歴史さえ決定付ける異種研究の原点となるとは、トレヴァー自身は露とも思っていなかっただろう。



 エルフの寿命は 30年程度である。これは近縁種と比較すれば非常に長いものだが、それでも人族から見て長寿であるとはとても言えない。


 無論エルフが人知を超えた神秘の存在でない以上、トレヴァーもまた、数千年生きるという巷説に疑問を抱かなかったわけではない。しかしながら集落を訪れて間もないトレヴァーは、人口や生活水準に比して文化の成熟度合いが非常に高いことから、エルフが人族よりも長い期間を生きることには間違いないと結論付けている。


 といっても、現在の常識に照らしても、トレヴァーの結論は決してそう的外れなものではない。寿命の短い種族は後代への継承というボトルネックにより文化的に成熟し得ないというのが当時の定説であり、今現在もエルフを含めた一握りの例外を除いて覆されてはいない。



 エルフに年齢を尋ねるのは禁忌であるという風説――実際にはそのような事実は存在しない迷信から、エルフたちの年齢を知らずにいたトレヴァーであるが、老齢のエルフの葬列に参加した際にその歳を聞かされようやく、その里に自身を越える高齢の人物が片手に余る程度しかいないことに気が付いたのである。


 この点についてトレヴァーが里のエルフたちに聞き回る様子が記されているが、どうやら芳しい答えが返って来ることはなかったようである。そもそもエルフたちの間では、人族からエルフが長命であると思われているということが知られていなかったのである。


 暦や数え年など、多くの要因を考慮した後、トレヴァーの疑念はエルフの里に居ついた初期における違和感のひとつに立ち戻った。


 エルフたちの経験と知識間の奇妙なまでの曖昧さである。


 彼らは父母や祖父母の経験を、まるで自らが見てきたように語る。これは祖霊信仰の一形態や語彙の偏重などでは決してなく、実際に彼らは自身の経験と一部の知識を同一視しているとしか考えられない言動をするのである。


 当初トレヴァーはこれを、エルフが長い年月を生きる弊害であると合点していたが、エルフの年齢を知ったことから、このことが別の要因によるものであることに考え至る。その要因こそ、エルフの寿命に関する誤解と矛盾を紐解く答えであった。



 エルフは変態する生物である。


 そもそも亜人の変態は希少であるが、中でもエルフの行う完全変態は昆虫種としては珍しくなくとも、亜人としては非常に特異である。その唯一かつ最大の理由は、亜人の定義となる高度な知識と文化的蓄積が、変態の過程での脳組織にまで至る再構成に失われてしまうことである。


 逆説的に、変態しながら知識と文化を保つエルフには、蓄積の消失を防ぐ仕組みが備わっている、とトレヴァーは考え、根強い聞き込みと地道な調査によりこの仕組みをつきとめた。


 記憶の継承である。


 エルフが人族より遥かに長い時を生きるという通念は、エルフの集住地が奥深い森の中にあり接触が稀であったことと、もうひとつ、エルフの持つこの特質に由来するものである。


 エルフを含む有核虫種の一群は変態の際、記憶の保持のために特殊な結晶組織が生成される。これにより変態前の知識経験を変態後も引き継ぐことが可能なのであるが、この記憶結晶をエルフだけが複数持つのである。彼らは突然変異により複製されるようになった結晶を他の個体に譲渡することで記憶の継承を行うのである。


 とはいえ蛹化した個体は僅かな過失が生死に関わるほどの無防備な状態であり、通常極近しいもの以外が立ち会うことはない。当然、トレヴァーもまた蚊帳の外に置かれた者のひとりであった。


 よって、着想の裏付けは里の外でのフィールドワーク――エルフと近しい種の比較観察に頼ることとなる。


  これより続く記述こそ後代の研究へと多大な影響を与えたトレヴァーの研究である。綿密な観察と、そこから生み出される帰納的な着想。そしてそれを支える演繹的な証明。亜人研究という種族間戦争の種にさえなり得る難事を前例無しで成し遂げたのは、エルフへの深い理解と献身あってのものだろう。


 多くの亜人がそうであるように、エルフもまた生態的地位の重なる亜種近縁種を敵対視することから、サンプルの確保は容易であった。


 しかし特筆すべきは、トレヴァーの分類の正確さである。彼は過去における複数の亜人との接触から、近縁種同士で行われる淘汰が、ある種普遍的な現象であることを経験的に確信していた。トレヴァーは、他でもない人族同士が相争うことからこれを当然の帰結と論証している。


 当時支配的であった類似異同の差異、外見的な相似よりも発生の過程や四肢の稼働パターン、身体動作の観点から、より系統学的な分類を行っていたという点にトレヴァーの先見性が見られる。


 亜人がすべて人族の近縁種であると考えられていた時代において、この手法はまさに画期的であった。同時に多くの、主に宗教的権威的な理由からの反発を招くこととなるが、それはまた別の話である。



 ―― ―― ――



 さて、本書が正した前述の誤謬とは他に、新たに知られるようになったエルフの生態もいくつか存在する。中でももっとも大きなものはエルフの性別だろう。


 トレヴァーの視点で描かれるエルフの集住地は数多くの少年と成人女性、ごく少数の少女と成人男性から構成されている。これは地域年代に関わらず一定であり、戦争等による一時的・過渡期的なものではない。


 大森林深層ではないが、トレヴァー以前の過去にもエルフの集落を訪れた人族は存在する。エルフの性別が我々と同じく雌雄の二種で構成されることや、その集落の独特な人口構成は既に知られていた。


 年端も行かぬ娘は外には出さず、里の男たちは出稼ぎに行っている。そう理解すればそれほど不思議なものでもないだろう。


 実際の所、生物種としては遠くとも我々と似た姿をした彼らが我々と同じような発生様式をしているという先入観が、トレヴァー以前の彼らをこの説明で納得させていた。


 トレヴァーもまた、この知識について既知であったことを集落来訪以前、序章で述べている。


 しかしながら実際に集落に居着いたトレヴァーが目にした家の中には少女の姿はなく、出稼ぎから帰ってくるのも決まって女たちである。この疑問に関しては、トレヴァーは容易く答えを得ることができた。エルフ自身が同じ質問を多くの他種族から受け付けなれていたのだ。


 この年齢により極端な性別比が入れ替わる不自然な人口構成は、エルフが性転換を行う生物であることを示している。



 エルフはほぼすべての個体が雄として出生する。


 少年期の一度目の記憶の継承を行うまでの期間、彼らは同種同性の個体に対して強い凶暴性を発揮し、耳目や指、手や足を失うまで相争うことも珍しくなく、欠損した四肢もまた蛹化の過程で補われることから、人族とは異なる価値観を持っているようだ。


 こうした競争に敗れた雄が蛹化によって雌へと性別を変えるのである。



 『デクテヴェア大森林のエルフたち』には、トレヴァーが気の弱いエルフの少年に相談を持ち掛けられる一幕がある。


 より強い自己像を持つことで、彼らは本能的に羽化した自分の姿をデザインすることができるのだ。


 トレヴァーの助言の甲斐あって、この少年は無事美しい女性へと羽化を遂げた。

 しかし、すべての個体が穏便に性転換を済ませられるわけではない。


 数は少なくとも性転換時に命を落とす個体は存在し、また争った末に敗北し、多大な負荷のかかる性転換を行って間もない弱った身体で繁殖を行うことで、少なくない個体が命を落とすことになる。


 彼らの女性としての価値は母体としての優秀さ、如何に早い時期に雌へと変態したかで決まる。意外かもしれないが、エルフ同士の生存競争において、美醜はさほど意味のある要素ではないのである。


 エルフにとっての容姿は、喩えるならば人族にとっての衣服――といっても現代的なそれでなく、その価格が年収にも匹敵した時代のそれ――に等しい。彼らの容貌とは、一般的に自身の出自や富貴・立場を表す以上のものではない。時には同じ姿形を親子で使い回すという行為さえ行われる。これもまた、長らくエルフが長命であると誤解されてきた要因のひとつというわけだ。


 では、彼らの美しい容姿は、何のために獲得されたものであるのだろうか。



 答えは交易である。


 人族との接触が稀なことから、エルフは他種との交流を断って隠棲していると思われがちだが、実際にはエルフと亜人との交流は実に幅広い。


 事実、エルフたちの生計の大部分は交易によって成り立っている。


 エルフは体重が非常に軽く、人族には踏破できない険しい道程を経て亜人の集落を訪れる。


 実の所、美しい人族の姿をしたエルフの数はそう多くはない。エルフの姿形が美しいのは間違いではないが、人族から見た美男美女というのは、それほどエルフの里にいるわけではない。


 里に多く見られるのは、美しい鳥人ハーピィの姿に似たエルフ、美しい蜥蜴人リザードマンの姿に似たエルフ、美しい蛇人ラミアの姿に似たエルフ。彼らはそれぞれ多種多様な亜人種から見て警戒心を与えず、好感を抱かせる姿をして亜人種の前に現れるのだ。


 つまり彼らの美貌は、他種に対する色仕掛けのために獲得されたのである。

 とはいえ、トレヴァーはまるで人種の坩堝のような里の光景を構成するすべてのエルフの容姿に対して最大級の賛辞を送っているのではあるが。



 稀に、好奇心から里を出る役割を担う個体も居るものの、集落に残る雌が繁殖を担う以上、このような多種の姿へ変態を果たし交易を担うのは、基本的に性競争に敗れ変態の遅れた個体である。


 皮肉な話、歴史に名を遺した傾国傾城の美女達のことごとくが、行き遅れの年増エルフであったということである。


 とはいえ無論、彼女らの行動は役立たずの産まず女として集落を放逐されてのものではない。他の昆虫社会において生殖能力を持たない雌がそうであるように、エルフ社会において彼女らの役割は、働き蜂ワーカーのそれなのである。



 最後に、エルフには少女や大人の男以上にまったく見かけることのできない存在がいる。


 幼児である。


 エルフの新生児は神聖な存在として集落のもっとも奥深い場所に隠されているとされ、人族はもとより、より交流の深い亜人種たちもまたその姿についての情報を一切持っていない。


『デクテヴェア大森林のエルフたち』は、エルフの里で四年目の冬に命を落としたトレヴァーの遺品として、 いくつかの亜人種の手を渡り彼の郷里に届けられた。

 秘すればこその花というものか、森の美男美女たちの生まれたままの姿を我々が知ることはできない。後の歴史を通じても最もエルフに近づいた人族であるトレヴァーですら、ついに目にすることは叶わなかったようである。



 もっとも、彼の死因と命日の微かな瑕疵、突発的であったはずの死と著書の完成時期の奇妙な符合。


 エルフの語った死が事実であるとすればではあるが。

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