第六十九話:引きこもりの腹



第六十九話:引きこもりの腹




 ソファでくつろぎながら音声端末を起動する、素晴らしく満たされた午後のひと時。


 ゴーグルはテーブルの上に放ったまま、仰向けに転がった自分の腹の上に乗っかった、オレンジ色の端末を叩く。


『今日の目玉ニュース! ドグマ公国とガルマニアの国境近くで、大型のグリフォンの目撃情報が相次いでいます。世界幻獣保護機構は現在調査中であると――』


 読み上げられる最新ニュースは、数百年も前に絶滅したグリフォンの目撃情報。そのいるかもわからないグリフォンを巡り、黄金を求めるドグマ公国と、グリフォンを国の守護獣として祀るガルマニアの軍事衝突。


『続けて、古代の貴重な書物がラングリア北部の遺跡で発見されました。映像は大部分が破損していますが、この光をラングリア政府は精霊と認定。捕獲した精霊は、今日未明に施設を爆破して逃走したとのことです――』


 数千年前の、諸暦の頃の書物が遺跡から見つかったという大ニュースに、それを守っていた精霊が捕獲され、そして次の日には施設に多大なる被害を与えて脱走した事件。


(精霊って、絶滅してなかったんだ……)


 世間は精霊の再発見に騒いでいて、今まで謎の生命体だとか、微生物の亜種だと言われていただとか、色々と簡単な知識のおさらいをしてくれていた。何となく聞き流していき、次に未成年者による繁華街の出入りが活発になっているという社会問題も聞き流す。


 外に出る予定は無いので、知ったことじゃない。次に、あんぐらの正規サービスが一週間後に決定したというニュースが流れ、聞き流しかけて慌ててがばりと起き上がる。


(一週間後……?)


 テストプレイの説明の時には、一か月以上は様子をみたいと言っていたのに、一体なにがあったのか。


『――そのため、利用者の安全を第一に考えて欲しいですね。VR関連の問題は今後どうなっていくのか。今夜の特集をご覧ください――』


 国からの圧力があるだの、未だ明かされぬ未知のサーバーについてだの、安全面での抗議も殺到しているらしい。明日には公式会見をすると言っているが、はたしてどう釈明するのか、と音声ニュースは滑らかな声で告げていく。


 おいおいおい、途中でサービス停止とかやめてくれよ、と思いながら起き上った身体を戻し、ログインを待つ昼下がりの穏やかさに舞い戻る。

 弥生ちゃんとの契約が終わり、晶石や精霊の雫を手に入れ、自分のもう一つの身体は宿屋で眠りについている。

 音声端末が読み上げる時刻を聞いて、後数時間でログイン出来ることを再確認。もうしばらくは微睡ながらニュースと戯れようと、見えずとも開いていた目を閉じる。


 続けて流れていくのは世界のニュース。砂漠の国、ドミナスで暗黙の下、長く続いていた奴隷制度を撤廃するために各国に働きかけている藤堂とうどう博樹ひろきと、同国のかつての奴隷の旗頭、エドガルズ・B・リュネスとの公式対談について。

 両者共に、かつてその身に刻まれた奴隷の焼印を消さず、長きにわたって奴隷制度に意見をしている人達だった。藤堂による、呼びかけの声が流される。


『――ドミナスだけではなく、どの国家でもこれを忘れてはならないんです。軽々しく大丈夫だとは言えません。――人は一朝一夕に、変われる生き物じゃないんですから』


『――と、藤堂さんは言っているわけですね。確かに忘れないことは重要です。しかし奴隷制度など既に過去のことです。それよりも最近、お子さんを外に出さない――』


 続けて評論家の意見が続き、その声に嘲るような色が読み取れたことに眉を潜めた。所詮は、元奴隷の言うことだとネット上でも蔑む人はたくさんいるが、似たような声色を聞いて取れる。下品な奴、と内心で呟いて、別のニュースに切り替える。


『世界の祭り! 今日はアドソワールにて開かれる大規模な書籍祭しょせきさいについてです!』


 北半球の歴史古き島国、アドソワールでは大規模な祭りがあるらしい。本の祭典と呼ばれるその祭りに、世界各国から無類の本好きが集まるのだとか。


 珍しい書籍や写本なども集まるらしく、今年の目玉は何といっても、先日発見された、精霊によって守られていた諸暦の頃の書物だとか。中身を見ることは叶わないらしいが、即行で展示の約束を取り付けたらしく、異例の速さでの一般公開となった。


『――緊急速報です。先程、ドグマ公国は声明を発表。グリフォンの殺害は示唆しないものの、黄金は保護するべきものであるという発言に、ガルマニア側が強く遺憾の意を表明。一触即発の状態となっており……』


 続けて、国境近くに出現したとされるグリフォンについて発表されたドグマ公国の声明が問題視され、グリフォンの血に塗れてでも、黄金を奪取するのではないかと不穏な話が続く。ガルマニアが許さないだろうが、このままでは衝突は避けられないようだ。


『守護獣、ガルメナの名の下に宣言する! 黄金を求めてのグリフォン殺害は許されない! 剣を抜くのならば戦いあるのみ!!』


 地を揺るがすような軍人の声がスピーカーから響く。ガルマニアの宣言には、信仰に裏打ちされた絶対の意思が込められていた。

 もう思い馳せるにも遠い昔。十数万年前にハブグリフォンの黒変種、ガルメナが君臨したとされるガルマニアでは、グリフォンは絶対の力と富を象徴すると同時に、国を守る守護獣として認識されている。

 いくら国境近くで目撃したとはいえ、そのグリフォンを血祭りに上げようという、お隣のドグマ公国は何を考えているのか。

 勇猛果敢として知られる国だが、蛮勇と紙一重だという印象を受ける。同じくガルマニアも普段は戦争を軽々しく宣言するような国ではない筈だが、何かパフォーマンスとして必要な部分もあるのだろう。意識的に宣言をニュースに流しているような節があった。


 どの問題も、日本からは遠く離れている事だけが幸いだ。穏やかではないニュースの内容に溜息を吐きながら、再び指先で端末を叩く。

 切り替えた先は話題のお手頃ランチメニュー。カルボナーラなるものが紹介され、その得体のしれない未知の食物に思いを馳せる。卵とクリームのパスタと言うものの、どの単語も理解できるが、あれをどう組み合わせると黒コショウが合うようになるのかわからない。

 今度会った時、アンナさんに聞いてみようと思いながら空腹でもない腹をさすった。胃のあたりを撫でながら、指先が埋まる感触にざぁと少し青褪める。


(……ぷよった?)


 指先が捉えた脂肪の感触。運動をしないツケが回って来たのかと慌てるが、気が付かなかったふりをしてそれを流す。いやいやいや、まだ大丈夫だ。大丈夫。

 そうだ、サボっていたラジオ体操の時間を増やせばいい。そうだ、自分の肉体はVRにも反映されるのだ。もし何かあった時や、もしピンクなことがあった時に腹がぷよっているなど由々しき問題だ。いや、そもそもピンクなこと自体……、


『相棒! 大ニュースです!』


(……別に何も考えてないよ!)


 タイミング悪く、天真爛漫な声が暗い部屋に響いた。思わず出ない声でそう叫ぶも、喉から声が出ることは無い。空気を震わせることなく喉は沈黙を貫き、部屋にはルーシィの底抜けに明るい声が響く。


『あんぐらの正規サービスが一週間後に開始されます! ルーシィちゃん大忙しで相棒とご一緒できません!』


――大忙しなのに、なんでこっちに顔をだしてる?


『ぶっちゃけちゃえばサボりですね!』


 タブレットにがりがりと書き込んだ言葉を受けて、ルーシィが拳を振り上げている幻が見えた。声だけで動作が予想できるのもどうかと思いながら、ソファに再び脱力し、がりがりとタブレットに文字を書き込む。


――さっきニュースで聞いた。何があったの?


『ちょおっと圧力がかけられたみたいですねー。神様は必死みたいで、さっさと既成事実作って押し切るつもりみたいです』


――無茶なことするなぁ。


 大丈夫なのかなそれ、と続ければ、自称サボり中のルーシィは余り深刻なふうでもなく、さらりと問題なしですと答えてみせた。まあ、ルーシィがそう言うのならばそうなのだろうと、こちらも溜息と共に話を流す。


『それよりも、忙しくて相棒のお供が出来ないほうが問題ですよ! 次の公式イベントまでルーシィちゃん出番ないじゃないですか!』


――家に出没するから、自分はそんなに寂しくないけど、と返事をすれば、それはそうですけどぉと不平不満をぶちぶちと漏らすサポート妖精。

 ログアウトする度にちょいちょい勝手に端末を起動しては喋り倒し、適度なサポートをして去っていくから、本当に寂しさは無い。


――寧ろ、うるさいからしばらくお手伝い頑張れ?


『なっ……! そんな! 相棒までそんなことを!?』


 特に戦闘中邪魔、とさっくり言えば、ルーシィは大打撃を受けたようでわぁわぁと喚き出す。だってうるさいんだよ、あのキンキン声。戦闘中は特に肩――つまり耳の後ろに陣取るので、これがまたうるさいったらない。


――それで? 他に何か情報は?


『他……他はですねぇ、ぐす。えっと……あ、そうです! テストプレイヤーの皆さんは、正規サービス開始後はエアリスに居辛くなると思うんで、準備はしておいたほうがいいですよ!』


 ちょい秘密の情報です、と言うルーシィはそれ以上は教えてくれるつもりはないらしい。とりあえず、一気にプレイヤーが増えることで宿屋が足りなくなるとか、色々環境が激変することで問題も出てくるのだろう。

 いちゃいけない、というわけでもないようだが、居辛くなるのは確かなようだ。今後の方針を緩やかに考えつつ、タブレットに文字を書きながらだらしなくソファの背凭れに足を引っ掛ける。


 懐かしくも無いルーシィの声を聞きながら、腹の上のつるりとした端末と、若干ぷよる腹を撫でた。


 これはほんとに……ヤバいかも。




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