第四十話:胸熱な設定



第四十話:胸熱な設定




 ナイフを伝い、赤々とした魔力が陸鰐の内側に滑り込む。肺に残った空気を全て押し出し、渾身の思いを込めて唱えたスペルに反応し、世界がその様相を変える。


 システムがスペルを感知、放出された魔力に何かしらの力が作用し、魔力は炎へと姿を変える。陸鰐の内部、魔力の水を押し退けナイフが突き刺さる眼窩から炎が噴き出す。


 僅かに覗いていた眼球が熱により白濁化し、胴体を噛み千切ろうとしていた口からは同じように高熱に焼かれ、白化した舌がだらしなく零れ落ちる。


 噴き出した炎は陸鰐の内臓を焼き尽くし、周囲の水を熱湯に変えていく。血の代わりに陸鰐の内部から噴き出した大量の泡が、その温度と激しさを物語る。


 見ている合間に尾が痙攣し、断末魔のような音を上げながらぐらりと水中でその身が傾ぐ。唯一、水中に散る赤は自分の血の色。控え目に表された断面は現実味がなく、さながらプラスチックの破片のようで。千切れた部分が陸鰐の爪に引っかかったまま離れていく途中、紫の粒子となって美しく散っていく。


(やば、ステータス……)


 欠損した足と傾いだまま離れていく陸鰐を眺めつつも、視界の端に映る簡易ステータスに視線が動く。

 どんどんと減少していくメモリを止めることは叶わずに、水中に漂ったまま既に内心は諦めムードだ。こんな速度で減っていけば、流石に今から外に脱出して軟膏を塗る間もない。


 そういえば初めての死に戻りだなと思いながら目を閉じて、それから世界は暗転した。






















 ――――体力が0になりました。


 死に戻りしますとも、神様に感謝しなさいとも違う簡素な事実だけを告げ、アナウンスは黙り込む。


 目を開けば小さな個室。石造りの天井に、温かみのある光で辺りを照らす小さな蝋燭。大振りな石で全てが形造られた部屋に置かれた棺からむっくりと起き上がり、とりあえず自分の足が元に戻っているのを確認し、次に服装の違いに気付く。


 ご丁寧に着せられていた服はダサいと有名な初期装備。麻の服と、麻のズボンと、麻の靴。

 ぐるりと周囲を見渡せば、二、三度行ったことのあるデパートの試着室にとても似ていた。棺2つ分の広さしかなく、感覚的にはとても狭い。


 これが1人孤独に森の中で死に戻りしたのならば、今すぐ現場にダッシュして荷物を取りに行くのだが、ギリーと雪花がなんとか回収してくれるだろうという期待があるので比較的落ち着いた死に戻り体験を味わっている。


 多分陸鰐は仕留めたと思うのだが、結果的には相打ちだ。先に倒れたのは向こうだから、実際は自分の勝ちだけど。


「……問題は」


 しかし今の問題は勝ち負けでも、装備品の紛失でも、服のダサさでもどれでもない。


「どこに戻ったのかってとこか」


 そう、死に戻りの場所はどこなのかということだ。はっきり言って、可能性は2つしかないが、どちらでも嫌な部分はある。

 “始まりの街、エアリス”であれば現場からクソ遠いし、最寄りの町ならば先程手を振った皆さんが死に戻っているのと同じ場所に戻ったことになる。


 当然外に出ればコンニチワせざるを得ず、そうなった時に教会の中でダメージを受けることは無いかもしれないが、外に出られない等の拘束をされたら非常に厄介の一言に尽きる。


「……さて、まず教会に入ったことも死に戻ったことも無いから、内部構造が想像できないな」


 街ごとに違う可能性は勿論あるが、基本構造も知らなければどうなっているのか予測も出来ない。

 こんなことになるんなら、一度でもいいから教会に行ってみれば良かったと思いつつ、悩んでいても仕方がないので、隠密気分で棺から出てしっかりと立つ。


 千切れた足も問題なく、試しにスペルを唱えてみても発動の気配はない。やはり教会の中はセーフティーエリアになっているらしく、素の状態でこそこそ動かなければいけないようだ。


「……」


 無言のまま、出来るだけゆっくりと扉を開き外に出る。見れば本当に試着室のように一列に扉が並んだ廊下があり、自分は一番端の部屋にいたらしい。


 確かめるように突き当りの壁に触れてみるが、隠し扉とかはあるのだろうか。わからないが、とりあえず誰もいないので長く狭い廊下を歩いて行く。


 布の靴だからか派手に響くような音はせず、出来るだけ静かに歩いていけば突き当りに扉を発見。ご丁寧に覗き穴が設置されたそれを怪しみながらも、折角だからと覗き込めばいるいる、わんさか人がいた。


「う、わー……」


 声を潜めつつも状況は最悪だ。もしかしたら敵さん達ではないかもしれないとか希望を抱いたが、最後に手を振った覚えのある顔が見えてその希望も地に潰える。


 何やらわぁわぁと言い争っているようだし、こんな大人数の中扉を開けて出て行くなんて、究極に気まずい。

 何より、皆さんの死に戻りの元凶は陸鰐であり、その元凶は雪花であり、更にその元凶は自分である。恨みを買っていないはずがない。


 とにかく、いつのまに踏み込んだのか死に戻り場所は最寄りの町だったようだし、上手く脱出すれば出来の良いギリーが何とかしてくれるはず、だと信じたい。


 しかしながら大問題だ。一体どうやって脱出すればいいのだろうか。あの捻くれた運営がこんな状況を考えないとも思えないので、何かしら面白げな脱出方法があるとは思うのだが……。


「……隠し扉説は、ロマンだよな」


 覗き穴から離れ、先程も探した隠し扉説に乗っかってみる。元々、ファンタジーの教会とか胸熱な設定、それくらいないと勿体ないと思っていたんだ。


 教会といえば一枚岩ではないその内部! 戒律を守っているのかあやしい神父に、裏のありそうなシスターと、純真無垢なパターンのシスター! 悪の親玉的教皇とか、お偉いさんとか、上層部の癒着とか!


「あ、楽しくなってきた……っ!」


 元々、暇に暇にインドアとボッチを重ねて、人生の末期を過ごしていた自分にとって、娯楽は非常に大切なものだった。


 ネットサーフィンもなかなかのものであるが、あれは長時間やっていると急に虚しさが募ってつまらなくなるし、音楽もあんまり長時間続けると耳が痛くなってくる。動画の類は滅多に見られないし、高いし、高いし、赤字になるし、家計に優しくないし。長期的に楽しむのならばやはり読書が一番なのだ。


 読書と言ってもAIが読み上げてくれる音声式なのだが、これがまた意外と楽しい。勿論、文字で読んだ方が楽しいのは当然だが、最近の読み上げAIは高性能なものが多く、運良く学習性AIでも回ってくれば、声色を完璧に制御して、ナレーターと登場人物全ての役をこなしてくれる。それも全てサービス精神で。


 熟練の学習性AIは下手な声優よりも感情表現がまた巧みで、つまらないドラマCDよりも臨場感があってこれがまた滾る娯楽なのである。


 もうそれ読書じゃないよとどこかのスレの書き込みで言われたことがあったが、いいやあれも新しい読書の形だと公言したい。


 アニメとか大好きなのに、一話も手が出せない自分にとって、アニメに近い臨場感あふれる読み上げはこれ以上ない娯楽なのだ。

 アニメはあれだ。あれは見ちゃいけない悪魔の産物だ。一話見たら続きが見たくなって、ずるずると続く魔の領域だ。うん、見ちゃいけない。破産しちゃう。


 教会の胸熱な設定も勿論その偏った知識からきているものがほとんどだ。一応そういうことにも興味がある歳なので、たまに読む完成度の高い成人向けの本は非常に何か、こう、面白いものがある。


 一度だけBGMまでつけてくれたAIがいたのだが、あの神とも呼ぶべきAIは今何をしているのだろう。もう一度聞いてみたいものだ。戦闘シーンにいきなり壮大なBGMをぶち込まれた時の感動ったらない。あれはまさしく神作だった。


「と、それよりも隠し扉、隠し扉~」


 歌でも歌えそうなハイテンションで執拗なまでに壁をまさぐり、何か他と違う部分がないかを確かめていく。

 一応、皆さん方がいた方の扉に気を配ってはいるが、見つかったら仕方がないと開き直りつつゆっくりと壁を探っていく。


「あるかな、あるかな。あるといいなー」


 すでに無いとこの気持ちに治まりがつかない程にテンションは上がっているが、勿論ある確証はない。だが無い確証もない。


 なかなか見つからない部分は勿論高得点な部分であり、更にテンションは上がっていく。寧ろこれだけ良い気分なのに、簡単に見つかったら興冷めだ。

 ここはほどほどの難易度と閃きを要する方が楽しい部分だ、と偏った好みを人知れず披露しつつ、執拗な壁チェックは続いていく。


 当然、床も天井も守備範囲。抜かりなく視線を向けつつ、手元の暗さが気になって、適当な部屋から台ごと蝋燭を拝借する。


 真っ暗になってしまった個室には悪いが、簡易ホラーだと思って許して貰おう。手にした蝋燭を壁や床に近付けて、色の違い、質感の違い、ひび割れなどに目を凝らす。


「うーん……ないな」


 何かしら特別な手順が必要でもない限り、廊下にそういった通路の元は見つからない。試しに軽く叩いてみるも、発達している筈の聴覚でも違いは聞き取れなかった。


 仕方なく第二候補の個室に戻り、2つになった明かりの下で捜索開始。自分が目覚めた一番端の部屋からだが、まず壁、天井とチェックして、剥き出しの床もチェックする。

 ないなー、と思った瞬間に閃いて、部屋の半分を埋める棺に注目。無理矢理にずりずりひっぱり、ずらした先にそれはあった。


「……やっばい、これ。テンション超上がってきた」


 1人教会の死に戻り部屋で、あまりの楽しさに頬を染めるという紙一重な図を作り出しつつ、棺の下にあったのだろうこれ見よがしな地下への通路を見つけて狂喜する。


 持ち上げ式の蓋を引き上げれば地下から昇る冷たい風! 寒さだけではない原因にぞくぞくしつつ、喜色満面に地下への階段を手探りで降りはじめる。

 勿論、蝋燭はきっちり拝借し、風で消えないように気を付けながらゆっくりと狭い階段を下りていく。


 暗さと湿っぽい匂い、頬を撫でる不気味な冷たい空気、小さな蝋燭の明かりが臨場感にマッチして、ああこれだからファンタジーは大好きなんだ。


 小さな階段は体感で2階分ほどの長さだっただろうか。蝋燭を持った腕を伸ばしてみれば、うっすらと照らしだされる最後の段。


 しかし良く見ればその下には幾ばくかの距離を保ち床が見え、この上へと続く階段が天井に開いた四角い穴の先なのだと理解する。


 遠いが何かの息遣いが聞こえるし、ここは既にフィールドだと思った方がいいのかもしれない。試しに【隠密】のスペル1つで、揺らぎと共に身体の周囲を魔力が覆う。


 蝋燭を上の段に離して置き、明かりによって存在がばれるのを少しでも回避する。隠密を発動したまま、ゆっくりと無理な体勢で最後の段と壁に手をつき、ぷるぷるしながら頭を出して周囲を確認。


(……地下ダンジョン?)


 前にうっかり見てしまったアニメに出てきたそれにそっくりな様相に、思わず嬉しさと不安で息が詰まる。

 暗視スキルが無ければ何も見えないだろう空間には明かりは無く、遠く獣のものと思われる息遣いだけが聞こえてくる。


 即座に身の危険を感じることは無いし、隠密も発動しているので大丈夫なはずだが、それでも無明の暗闇に人間は恐怖しか感じない。


 設定的に滾っているのは事実だが、まさに実体験している今、そんな夢だけを語れはしない。

 隠密がモンスターにどこまで効くか分からないが、このまま上に戻るのも屈辱だ。どうせ死んでも同じスタート地点に戻るだけ。持ち物も無いしリスクもない。


 明かりはあるだけ無駄なようだし、隠密からはあぶれてしまう。置いていくのが得策かなと思いつつ、出来るだけ音を殺すように最後の段に指を引っかけて、ゆっくりと床に飛び降りる。


「……さて、炎は不味いかな」


 周囲を見渡せば上下左右、小さな坑道ぐらいの広さ。高さは2メートルはあるようだが、明かりの類は一切なく、とりあえずは真っ直ぐな道が続いている。

 目を凝らせば突き当りにT字路があるようだが、基本的には一本道のど真ん中。さてどちらに進むべきか。


「風でいいかな……」


 酸素の概念があるのかは不明だが、こんな狭いところで炎の魔術は使わない方がよさそうだ。酸素が必要なくとも、ギリーがいっていた魔素というものが魔術の発動でどうなるのかわからない。

 響き的に無いと魔法系スキルは発動できない気もするし、大量に魔素を消費しそうなイメージの炎系はこの場では適さない。


 仕方なく、詠唱準備は風の魔術で決定。小さく口の中で詠唱を呟いておいて、いつでもスペル1つで撃てるように準備する。

 隠密スキルを持つ魔術師の基本スタイルだ。隠密を発動したまま小声で詠唱を準備しておき、咄嗟の事態に最大火力で応戦する。


 この組み合わせがあるかないかだけで、出会い頭の戦闘がかなり違う。準備をしていない遭遇戦を最も苦手とする魔術師にとって、初手で即座に魔術を発動できるようにしておくことは必須の手段だ。


 勿論、隠密スキルを持たずとも移動中の詠唱準備は魔術師の基本らしいが、隠密があれば初手の時間を僅かに稼げる。スペルを唱えるだけといっても、そのスペルを唱える時間が最も必要で、重要なのだ。


 残念なことに炎以外の魔術はまだ1つ目しか持っていないし、熟練度もせいぜいが60%くらいなのだが、まあ贅沢は言ってられない。


 こんな時に役に立ちそうな『デザートウルフ』は水の中だし、持てるものはスキルだけ。油断なく隅々にまで目を凝らしつつ、くるくると踵だけで回ってからふらふらと立ち止まる。


 顔を上げ前を見れば、それが自分が進むべき方向だ。


 自分はそっと、脱出への1歩を踏み出した。

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