第二十六話・半:逃げ道

 


第二十六話・半:逃げ道




 録音機を2つ置き、中くらいのテーブルに向かい合わせに座る2人。

 互いにまずは礼をして、それから徐に話を切り出す。


「では、よろしくお願いします」


「はい、こちらこそ。記事に使う部分は一部……でしたっけ?」


「そうですね。スペースの分だけ出来るだけ入れますけど」


「ははは、お仕事熱心ですねぇ」


「では、対談形式で載せますので、このまま話を始めましょうか」


「いいですよ。では何からお話ししましょう?」


「そうですね、まずは……VRがもたらす社会現象。現実からの逃避というのはどうですか? 陵真さんが思った通りにお聞かせ願いたい」


「おや、私を責める気ですか?」


「いえいえ、そんなことありませんよ。ですが私はいつも納得がいかないんです。VR法の規制により、18歳未満は〝ホール〟の使用は禁止されていますが、それでも若者達――まあ最近の若者の定義は多岐に及んでいますが、この際40くらいまでは一気に若者に入れてしまいましょう――その現実離れは酷くなる一方で……」


「……」


「……私はねぇ、それが現実からの〝逃げ〟にしか、見えないんですよ。年寄りの妄言だと言われてしまえばそれまでですがね、おんなじ意見の人は意外にも多いんです」


「……」


「だんまりを決め込むVR関係者は多かったが、アンタみたいに笑う人は見た事がありませんね。私は真剣に聞いているんです。法規制もしっかりしている、分別のない人はそもそも機械の入手が出来ない。例え手に入ってもログインは無理――――でも問題はそこじゃないでしょう」


「……」


「逃げでしょう――逃げだ! それ以外に言い様がない。彼等は例外なく現実に不満を抱き、問題を抱え、致命的な思いから逃げている。現実から逃げる〝ただ楽しいだけの楽園〟を、作り出した責任を貴方達はいつも知らないと言う!」


「……」


「でもそれってどうなんですか? 問題と向き合うことの無い〝逃げ道〟を作っているんじゃありませんか? そんなことをしているということに、貴方の良心は――」


「――――ですよ」


「……はい?」


「――逃げ道なんて、ないんですよ」


「……」


「生きている限り、どこにいたって。その思考が止まらぬ限り」


 ――――逃げ道なんて、どこにも存在しないんですよ、と。


 囁くように言う陵真に、壮年の男はその言葉の真意を求めて黙り込む。


「現実だろうが、夢だろうが。問題を抱えていない人などいません。そして、その問題は必ず自分についてまわる。何時如何なる時も、泣きたい時も、嬉しい時も、死んでその思考が止まるまで一生ついてまわるんです」


「そりゃあ、そうでしょう。あたりまえです。私が言いたいのはゲームというファンタジーな世界にどっぷり浸り込むことで、その決定的な問題から――」


「本当に忘れられると思っているんですか? 辛い記憶が忘れられると? 本当に“たかが”ゲームで、そんな芸当が可能だと?」


「それは――貴方達がそう謳っていたんでしょう! VRは素敵な夢だけを見るのと同じと!」


「確かに、それはVR業界における謳い文句ですがね。それだけが全てじゃありません。夢とは言い得て妙ですが、VRが本物の夢と同義では無いことは知っているでしょう?」


「それでも実際に……」


「そうですね。確かに彼等は今、逃げているんです。目を背けて、辛いことから逃げ出して。私達はその辛いことから逃げ出す人生の“余白”を作っているんです」


「……そうです。向き合うべき問題から逃げ出した者の吹き溜まりが、今のVRという世界で」


「――――問題から逃げ出す理由がわかりますか?」


「……」


「辛いことから、泣きながら逃げる気持ちがわかりますか?」


「……」


「理由を語らずして結果だけを、〝逃げ出した〟という部分だけを切り取ってはいませんか?」


「しかし……それが事実です」


「逃げ道なんてないんです。彼等はいつか、自分の問題にぶち当たる。かつて泣きながら逃げ出した、辛いことに直面する日が必ず来る。生きているなら、ね」


「……」


「――自殺率、多いでしょう。不死薬が出回り、かなり増えた。理由は何となくでもわかります。不死薬を煽った〝最近の若者〟には、逃げ道がないんですよ。今の人類は、昔は誰もが持っていた生き物の特権を失ったんです」


「……平等に来るはずの、死」


「それがない人にとって、今抱えている問題は大岩のように重く膨れ上がってしまう。未来は延々に続き、果てが無い。抱えてしまった問題を、いつか来るはずだった死によって消すことはできない」


「……死による救済がない現実世界は、人に束の間の逃げを許さないと?」


「せめて死ぬまで我慢すれば。そんな言葉が人々の心の奥底にあったんだと思います。でも今はそれがない。事故死や病死は減らないものの、肉体の衰えによる死は随分と減った。逃げ道がないんです、作るしかないでしょう? 例えそれが倫理に反する――」


「――自殺という手段であったとしても?」


「それよりは、ましだと思うんですよね。今の世界は」


「明確に自殺者の数が減ったというデータはありません」


「数人がそれで思い留まるなら別にいいです。そこまでする義理は本当にありません」


「……話を変えます。何故、ただのRPGではなく、MMOという人と人とが関わる世界にしたんですか。束の間の逃げ道を作るだけというのなら、それこそ今でもいくつか出ている、1人用のゲームでもよかったんじゃありませんか?」


「――そりゃあ、貴方。わかりきったことでしょう」


「……」


「おや、わかりませんか?」


「わかりません」


「あー……まあまあ、そんなに怒らないで下さいよ。ええ、簡単ですよ。何、単純です」


「だからなんですか」


「だからですねぇ……泣いて逃げ出すほどの問題が、1人でうじうじ悩んだ程度で解決できるわけないでしょう」


「…………はあ?」


「だってどうしようもないでしょう? 大体、1人で悩んで考えた程度で解決するなら、問題から逃げ出したりしないんです。逃げ出すほどの問題っていうのは、誰かが手を引いてくれて、誰かが声をかけてくれて、誰かが背中を押してくれて、誰かがそっと抱き締めてくれて、誰かが大丈夫って勇気づけてくれて、誰かが負けるなって励ましてくれて――――それでようやくちっぽけな勇気が芽生えて、問題解決にたった1歩だけ踏み出すものです」


「それで、それだけして――たったの1歩ですか。ただそれだけ?」


「ただそれだけ、です」


「誰かって……誰が? 見ず知らずの他人が助けてくれるわけないでしょう。ネットの世界ですよ? バーチャルとはいえ所詮は……」


「ええそう、ただの他人ですね。それにしたって、目を見て話を出来る世界を、従来のMMOと比べてもらっちゃ困ります。誰が? って……そりゃあ、まだ見ぬ誰か以外にありません」


 まだ名も知らぬその〝誰か〟が。


 大丈夫と言ってくれて、負けるなと励ましてくれて、背中をそっと押してくれて、優しく手を引いてくれて、ぎゅうと確かに抱きしめてくれて――やっと、それで。


「たった1歩が踏み出せるんです」


 小さいけれど、でも確かな。たったの1歩が踏み出せる。


「MMOにした理由なんて、ただそれだけしかありません。存分に色々なものと関わって、関わって、関わって。それで得たものが無駄だなんて言わせません。たった1人の心を救うのに、どれだけの心が必要か。私は身を持って知っています」


「……貴方自身が、人の心に助けられたから?」


「泣きじゃくって逃げ出した先で救われた気分なんて、どうにも言葉になりませんね。そうですね。ただ自分のエゴのためにやっているのかもしれません。成功するかもしれないし、しないかもしれない。逆にもっと打ちのめされて、後ずさってしまうかもしれない」


「……それでもやめる気はないと」


「やめませんよ。誰かと関わらない世界など、終わっている世界です。ゲームだろうが何だろうが、きっかけになるなら何より良い」


「私は……逃げだと思いますよ。自分の問題は、自分で解決するべきです」


「そういう人も、いるでしょうね」


「……カットはしません。そのまま掲載させてもらいます」


「ええ、どうぞ。では今回はここまでですね」


「まだ聞きたいことは沢山あるんで、また来ます。では」


「……」


 席を立った男を見送り、陵真はそっと目を閉じる。何が正しいのか、間違いなのか。そんな明確な線引きは、世界には存在してくれない。

 正しくなく、間違いでもなく、そうして世界は広がっていく。


「関わることで変わることって……あると思うんですけどねぇ」


 自信はあった。だからやった。なら自分はその答えを見守るべきだ。

 陵真はそっと目を開き、録音機のボタンに手をかけて、そしてぷつりと電源を切った。




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