第十六章 魔王、魔王、長男、

139話 『魔王と弟』

「今日は三人揃って、随分帰りが遅かったじゃないか」


 時刻は既に夜八時。

 ようやく自宅に帰り着いた弟妹を、空腹に耐えながら庭で素振り中だった祖父が迎え入れた。


「すみませんお爺さん。色々とトラブルがありまして」

「絶賛、トラブル……中……だよ」

「何じゃ、そのトラブルってのは」

「ええと……」


 祖父に問い詰められ、テルミは困った顔になる。

 すると隣に立っているが助け舟を出した。


「町で偶然出会ったオトモダチの家庭のゴタゴタに、ついつい首を突っ込んじゃったのよ。気付いたらこんな時間になっちゃってたわ。まったくもーテルちゃんったら、困った人を放っておけない系ジャスティス男子なんだから!」


 家庭のゴタゴタ。

 九蘭家のゴタゴタという意味では、あながち嘘ではない説明。

 

 祖父は一応納得し、「まあ良いから早く家の中に入りなさい」と三人を促し……

 ふと、桜の顔をじっと見つめた。


「……桜、お前……桜じゃよな?」

「え? 何々おじいちゃん。どうかしたの? 桜かどうかって聞かれても、こんな美しすぎる女子高生が他にいるかしら?」


 そう言ってけらけらと笑う桜。

 祖父は首を少々傾け、


「……ううん」


 と、納得いかない顔で腕を組んだ。




 ◇




「いやー危なかったわね~。流石に肉親にはバレちゃうか~!」

「……ねーちゃんの、真似をするのは……やめ……て」


 莉羅が桜を睨む。

 桜は「ふふっ」と笑い、ベッドに腰掛けた。


 今は夕食後。テルミの部屋に姉弟妹三人が集まっていた。

 ただし姉は現在、大魔王――泥人形に乗っ取られている。


 夕食中の桜は、『いつものように』笑い、『いつものように』喋っていた。

 しかしテルミと莉羅は黙りこくり、同席の祖父も何となく気不味さを感じ黙る。

 そんな重い食卓後に、改めて話し合いの場を設けたのである。


「お願いします。姉さんから出て行ってくれませんか」


 テルミが桜に頭を下げた。

 あくまでも丁寧な物腰。だがその顔には大量の汗が浮かび、首筋は濡れている。

 それに対し桜は座ったまま軽く伸びをし、大きな胸をぷるぷると揺らしながら答えた。


「うーん……それがテルミの『望み』なら、叶えてあげたいトコロだけど。でもダメなんだ。ごめんね。何故なら僕が出て行きたくないからさ」

「……そこを何とか出来ませんか」

「出来ないんだ。残念だけどね」


 率直な拒否。

 テルミは頭が真っ白になる。気付いたら姉の左肩を掴んでいた。

 普段のテルミらしからぬ必死な顔で、桜を――桜の中にいる、得体のしれない存在を睨む。


「姉さんから出て行ってください」

「落ち着きなよ、テルミ」


 桜は右手を伸ばし、テルミの腕を軽くポンとはたいた。

 そして兄と同じく怒っている莉羅を見て、クスリと笑う。


「安心してよテルミ、莉羅。キミ達の姉さんは、今はただ眠っているだけ。魂が消えた訳では無いよ。もし宿主の人格が崩壊すると、僕も体を乗っ取るどころじゃなくなって、心の奥底に閉じ込められちゃうんだ。以前図らずも実証したんだけど……観測者みるものも知ってるよね? まっ、とにかくそうなると困るのさ」


 その台詞を聞き、テルミは莉羅の顔を見た。すると妹は小さく頷く。

 どうやら桜を乗っ取っている者の言葉は、真実のようだ。


 少しだけ安心するが、それでもやはり「一刻も早く姉を取り戻したい」という気持ちは変わらない。むしろ無事だと分かった事で、ますます「助けないと」という想いが強くなった。


 テルミがそう思っていると、桜はベッドの上で横向きに寝転んだ。

 豊満な胸を両腕で挟み強調し、それをテルミへ見せつける。

 その仕草は、まさに桜そのもの。

 口調の真似こそやめたが、未だ動作を『演じて』いるのだ。


「桜はキミ達二人を、心の底から愛している。そんな三人を引き裂いたりはしないさ。何故なら桜が『キミ達とずっと一緒にいたい』と望んでいるから」


 そう言って、再び微笑む。

 一見、綺麗で真っ当な台詞を言っているのだが……テルミと莉羅は、胸が締め付けられる感覚に陥った。



 しかし怒りや落ち込みの感情に、支配されている場合では無い。

 今こそ、幼い頃から武術で培った精神力を発揮し、無理矢理にでも冷静さを取り戻すべきだ。

 テルミは大きく深呼吸し、まずは今の桜を注意深く観察する事にした。



 ……大魔王。


 以前莉羅から見せて貰った記映像とは、どこかイメージが違う。

 もっと豪快なオジサンだと思っていたが。

 実際には何というか、捉えどころが無い青年……いや少女、もしくは少年。男なのか女なのかさえ判断出来ない。一人称は一応『僕』だが、それでも分からない。

 それは桜の姿と声を借りているから、という訳でも無さそうで……



 そんなテルミの考えを見抜いたように、桜は不敵な表情となり、


「ほら、テルミも混乱しているよ莉羅。キミの説明不足のせいさ」


 と言った。


「莉羅は姉や兄へ『桜の力』を解説する時、『大魔王』には触れていたけど、肝心の『先進機能型泥人形ゴーレム』のコトは伏せていたね。どうしてだい?」


 その問いに対し莉羅はしばらく黙っていたが、再度「どうして?」と尋ねられ、渋々口を開いた。


「…………泥人形の存在を、ねーちゃんが知ったら……その『気付き』が……魔力の侵食を、許す……穴に、なってしまう……から」

「そっか。なるほど、それは確かに賢い判断かもね。結局は桜の『怒り』が、こうして僕の侵食を許しちゃったんだけどさ」


 ゴーレム? 人形?

 二人の会話に登場した聞きなれぬ言葉に、テルミは眉をひそめる。


「新たなワードに戸惑っているみたいだね。テルミ」

「…………」


 またもや考えを見抜かれ――いや、まるで心を読まれたようだ。

 テルミは返答出来ず、ただ黙っていた。


 すると桜はベッドから起き上がり、テルミの頬を撫でた。

 滑らかな皮膚。低めの体温。いつもの姉の手。

 テルミは何も反応出来ない。


「明日説明してあげるよ。日曜日だしね。そうだ、三人でお出かけしようじゃないか。姉弟妹きょうだい仲良くさ」


 と言って桜は次に、テルミの首筋に指を這わせる。

 その手付きは、やはりいつもの姉と全く同じだった。

 冷静になろうと努めていたテルミの息が、ぐっと詰まる。目の前が暗くなり……


「あなたは、ねーちゃんじゃ……無い」


 という莉羅の言葉で、テルミはハッと正気に戻った。

 気付くと、莉羅が桜の手首を強く掴んでいる。


「手厳しいね莉羅。でもね、今の僕は桜なのさ。桜の体。桜の声。桜の『力』。何を持って真奥桜と呼ぶのか……ふふっ、鬱陶しい哲学みたいな話になっちゃうけどね」


 そして桜は「まあいいや」と呟き、掴まれていない方の手で莉羅の頭を撫でた。

 莉羅は桜の手を払い、同時に桜の手首を離す。


「とにかく今日はもう休もう。『眠る』って行動が一体どのようなモノなのか……せっかく生身の身体を手に入れたんだ。僕は色んなコトに興味深々なのさ」


 そう言って、桜は部屋から出て行った。




 ◇




 その晩。

 テルミはベッドの中で目を開け、天井を見上げていた。

 カーテンを開けたままの窓から朧げな月明りが差し込み、顔を薄く照らしている。


 今日は色々な事があった。体は疲れ切っている。

 なのに眠れない。


「……姉さん」


 小さく呟く。

 すると、


「テールちゃん」


 聞きなれた姉の声――しかし、何かが違う声――が、耳元で囁かれた。

 振り向くと、ベッドの傍らから桜が顔を覗き込んでいる。

 姉が寝室へ侵入する。それは毎晩のように繰り返している光景。


 だからこそ、テルミの背筋がゾクリと震えた。


「一緒に寝ましょ?」

「……やめてください」

「ごめんごめん。ちょっと揶揄からかっただけさ」 

「…………」


 テルミは怒鳴りたい気持ち、そして泣きたい気持ちをぐっと堪えた。

 すると桜は髪をかき上げ、テルミへますます顔を近づける。

 シャンプーの香りが、テルミの鼻腔をくすぐった。


 そして桜の艶やかな唇が動く。


「テルミは悲しそうな目をするね。とても申し訳ない気分になるよ。でも……」


 桜は指先で、テルミの唇を軽く突いた。


「そんな所も可愛らしい。狂いそうなくらいに愛おしい。僕の中の桜がそう言っている」

「……姉さんの言葉を、あなたが語らないでください」

「あはは、怒らせちゃったかな」


 桜は苦笑して、テルミから顔を離した。


「それより早く寝た方が良いよ。きっとテルミは、僕のせいで眠れないんだよね?」

「……あなたは、姉さんの……」


 その台詞を言い終わる前に、テルミの意識が途絶えた。

 まるで全身麻酔を打った時のように、忽然と眠ってしまったのだ。

 それは勿論、『大魔王の超能力』の仕業である。


「もっと仲良くしようよ。僕らは姉弟なんだからさ」


 そう呟いて桜はテルミに布団を掛け直し、髪を撫で、部屋から出て行った。




 ◇




 テルミは、幼い頃の夢を見た。



 姉と二人きりで遊んでいる。


 冒険ごっこ。

 路地、河原、山。色々な場所へ向かう。


 どんどん先へと進む姉。その後ろを必死に追いかける弟。

 しかし少し距離が開くと、桜は立ち止まってテルミを待っていてくれる。


 そうして辿り着いた、小高い丘の頂上。

 木製の屋根付きベンチに座り、姉弟は手を繋いでいた。


「ねーねーテルちゃん。あたしのこと好きー?」

「うん。あのね、ぼくはおねえちゃんを――」

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