47話 『弟は優しいお姉さんであり、赤ずきんのお婆さんでもある』

 魔法使いの老婆が、杖を頭上に掲げた。


「さあネズミを馬に変えるよ。魔法の言葉はそうさね~。♪ビビディバビ」

「馬に変えるだって!? おいやめろ、だいたい俺はネズミじゃなくて人間だぞ!」

「歌を邪魔してんじゃないよ! っていうかネズミが喋ってんじゃないよ!」

「痛ぁ! 何をするんだ婆さん!」


 魔法使いの老婆が、ネズミ役である伊吹こうの足を杖で叩いた。


大義姉おおねえ様、このネズミさんとはお知り合いなの?」

「はい。友人です」

「まあ、ネズミさんとお友達だなんて素敵です!」


 どうやらシンデレラの目には、コウが本物のネズミに見えているらしい。

 そんなネズミに、テルミは小声で話しかける。


「しかしコウさんもこの『シンデレラの世界』に来ていたのですね」

「何、ここがシンデレラの!? どういう事だそれは! あっ、その女がシンデレラなのか! っておいおい、ホントかよテルミ! 疑わしき事この上無しだ!」


 コウは大声でまくし立て、物言いたげな目でテルミを見た。

 テルミと違い、主役と関わりが薄いだったコウは、ここが『シンデレラの世界』であると気付きようが無かったらしい。


「本当かどうかと聞かれると、確証は無いのですが。おそらくはそうです」

「そうか! お前がそう言うのならとりあえず信じる事にする!」


 あっさり頷き、ぱちりとウインクする。


「しかし、イトコが言ってた心霊体験ってこれだったのかな!」


 童話本を読んだコウの従姉妹とその友人、六人中三人を襲ったという心霊体験。

 その概要はよく分からなかったが、おそらくはこの『本の世界に入る』という現象の事なのであろう。

 テルミもこの世界に迷い込んだ時から、ずっとそれを考えていた。


「だけど疑問は多いです。これは実際に『本の世界』というものが存在し、そこに僕達が移動させられたのか……それとも以前のコウさんのように、催眠術にかかっているのか……」

「そうだな! 俺も気付いたらここにいて、また勇者になっちゃったのかと思ったぞ! ネズミだったけど!」


 コウは以前、異世界にワープして勇者になった……という幻覚を見せられていた。もしかすると、今回もそれと似たような攻撃を受けているのかもしれない。


「しかしテルミがいて良かった! まで道端にいたのに、急にこの変なトコに来て! でもに恋人に会えるとは!」

「さっき……? すぐ……?」


 恋人という単語は一旦スルーするとして。

 テルミがこの世界に迷い込んで既に数日経っている。だがコウは、ついさっき来たと言う。

 ワープさせられた時間軸が違うのだろうか。それともやはり単なる幻覚なのだろうか。


「ちょいとネズミ! 何をごちゃごちゃ言ってるんだい。早く馬になりな!」

「痛いな! やめろよ婆さん!」


 魔法使いの老婆が、再び杖でコウの足を叩いた。


「さっきも言っただろ! 馬になんかならん! 俺はオンナノコだぞ!」

「それじゃあシンデレラがお城に行けないでしょうよ! ♪さあネズミを馬に変えるよ~ビビディバ」

「♪大義姉おおねえ様~。このお婆さんは、いったいー何をー言っているの~でしょう~?」

「うわっ! なんで歌ってるんだお前ら! このどっかから聞こえる音楽はなんだ!?」


 わあわあと騒ぎ歌いだした一団。

 テルミは少し声を張り、「あの」と歌を遮った。


「もうすぐ普通の馬車と御者さんが来るのですが……」


 そもそもテルミとシンデレラは、この後お城に行く予定だったのである。




 ◇




「おー旨いぞこれ! テルミとシンデレラも食ってみろよ!」


 コウはパーティーの料理を勢いよく食べている。

 その姿を見た女性貴族達が、顔を引きつらせる。


「きゃあネズミ!」

「うっせー! どう考えても俺は人間だろ!」


 テルミ、シンデレラ、ネズミのコウは、城の舞踏会に無事辿り着いたのだ。

 ストーリーが進んだためか、今まで行く手を阻んでいた見えない壁は消えていた。


 結局魔法使いは、「ガラスの靴だけをシンデレラにあげる」という事で妥協した。魔法のドレスも無し。魔法の馬車も無し。


「しかしガラスの靴だけではもう、『十二時で魔法が解ける』という展開になりようがありませんが……どうなるのでしょうか」

「えっ大義姉おおねえ様、何か言いました?」


 テルミの隣にいるシンデレラが言った。初めて見るお城の様子に、目を輝かせている。

 その楽しそうな様子を見てテルミは微笑んだ。


「いえ。今日はパーティーを楽しみましょうね」

「はい、大義姉おおねえ様!」


 とりあえず今は、目の前にいる『不幸になるはずだった少女』が喜んでいるだけで良しとしよう。

 テルミはシンデレラに腕を引かれ、会場内を見て回る事にした。


 などと妹仲良くしていると、



「可憐だ!」



 堂々とした大声がホール内に響いた。

 人垣が割れ出来た道の中で、一人の若い男が両手を上げる。きらびやかな貴族達の中でも殊更派手で輝いている男だ。


「♪さあどいてくれー皆どいてくれー。わたくしを通しておくれー。あの可憐な娘と~僕は言葉を交わしたい~の~だ~」


 男は歌いながらテルミ達の傍へ近付いて来る。


「♪まあ、王子様~!」


 シンデレラも歌った。

 今近付いている人物は、どうやらこの国の王子であるらしい。


「♪キミー、なんて素敵なキミー。今ー心の丘に風が届いた~。それは花びらと香りを運びー、我が胸に豊かな根を張った~」

「は、はぁ……えっ?」


 その男性は、そっとシンデレラの手を取……らず、テルミの手を取った。

 テルミは困惑するが、拒むわけにもいかず、なすがままに手を預ける。


「♪君のお名前を~、教えていただけなーいーだろうかぁ~」

「……こ、こんばんは王子様……僕は、ええとその……」


 そしてテルミは気付いた。『シンデレラの姉の名前』とは一体何なのだろう。

 この数日、気にもしていなかった。名前を一切出さずとも何故か生活への支障が無かったのだ。


「……真奥まおく輝実てるみです」


 仕方がないので、本名を言った。


「♪おお~マオクテルミ~。わたくしの耳が溶けてしまう程の調べだ~! なんと儚げで美しき、女性らしい響きなのだろうかぁ~」

「そ、そうでしょうか……?」

「♪マオクテルミ~ぃ! このわたくしと踊ってくれま~せ~ん~かぁぁぁ~?」

「♪まあ~さすが大義姉おおねえ様~! 王子様に見初められるだなぁんて~! 美しく気高くお優しい~自慢の姉よぉ~」


 歌う王子とシンデレラ。

 テルミは眉をひそめ、小声で王子に耳打ちする。


「あのですね王子様。それは僕じゃなくて、隣にいるシンデレラに言う台詞では無いのでしょうか?」

「♪惚れてしまったものはしょうがないのだ~」


 元も子もない返事である。


「♪マオクテルミ~、そなた、わたくしの妃になりたまえ~!」

「えっ!?」


 歌う王子のプロポーズに、テルミは本格的に困り果ててしまった。



 ちなみにコウはこの騒ぎに気付いていない。


「待てネズミ!」

「ネズミじゃないって! 痛っ! おいやめろよバカ野郎!」


 城の使用人達に追い掛け回され、それどころではなかったのだ。



 そんなネズミは一旦置いておき、問題はテルミと王子様だ。


「……あの、こんな格好してるけど実は僕、男なんです」

「♪またまた冗談を~! さあ結婚しよう、すーぐ! この心の声に従い、今こそそなたと結ばれようぞーっ!」

「いえ、ちょっと待っ」

「♪今夜がハネムーンだー!」

「いや……」


 王子はテルミの手の甲にキスをし、強く引っ張った。


「♪じいや、寝室の用意をっ!」

「♪かしこまりーましたー!」


 無理矢理テルミを引っ張り、奥の部屋へ連れていこうとする王子。

 テルミは足を踏ん張り抵抗するが、意外と王子は力強い。それに、王子を『殴り倒して』逃げるのはさすがに駄目だろう。どうやってこの場を切り抜けよう。無理かもしれない。なんか最近こういうのばかりだ。


 ちょっとだけ涙目になりかけた、その時。



「うおらあああああ! このクソホモ野郎ぉぉおお!」



 王子様が、『殴り倒された』。


 気絶する王子。ついでに殴られる護衛の兵士達。騒然となる城内。


 その乱暴な犯人は、城の警備兵と同じ鎧を着ていた。しかし他の兵士と違い、胸当てはしていない。その大きすぎる胸が収まりきらないからだ。

 黒く長い、絹のように滑らかな髪。子供のように柔らかで白い肌。それに反してグラマラスで艶やかな身体。


「姉さん!?」


 国家反逆の大罪を犯したのはテルミの姉、真奥桜であった。


「テルちゃん大丈夫? お尻は平気?」

「ええと……別にまだ何もされてはいませんが」


 桜はテルミに近づき、身体中をまさぐるように触る。特に尻を念入りに。

 その様子を見て、シンデレラが顔を赤くして怒り出した。


「まあ! ちょっと兵隊さん、男の方がレディのお尻を触るだなんて……! 非常識です!」

「はっ何よこの女。誰が兵隊よ? 誰が男だって? 喧嘩売ってんの? 殴っていいの? 鼻折るよ? よし折る」

「きゃあっ!」


 桜の艶麗ながらも凶暴な目付きにシンデレラは怯え、テルミの影に隠れた。

 テルミは姉をなだめる。


「ここでは姉さんは、おそらく男性の役なのでしょう。周りの皆さんからは男に見えているようです」

「へっ? どーゆー事?」


 テルミは今までの状況を説明した。


「シンデレラの世界ねえ……」


 桜は周りを見回し、怪訝な顔をする。

 いつの間にか武器を持った兵士達に囲まれ、「その御婦人方から離れろ、乱心者!」と言われているが、気にしない。


「ついさっきまで町中の路地で買い物帰りの途中だったのに、気付いたら急にこのコスプレパーティー会場。しかも何故か鎧なんか着ちゃってて。んで、テルちゃんがホモ野郎に襲われてるのを見て、慌てて殴ったんだけど……」


 桜は、倒れている王子をちらりと見た。

 どうやら桜もコウと同じく、今さっきこの世界に来たばかりのようだ。

 城の兵士役。なんとも言えない役柄である。


「それにしても、シンデレラってことは……」


 桜は腕を組み、顔を窓の外に向けた。テルミが姉の視線を追うと、巨大な時計塔が見える。

 その時刻は、


「十二時……」


 大きな鐘の音が鳴り始める。


 シンデレラの『ガラスの靴以外の魔法』が解ける時間。だが、解けるべき魔法はそもそも掛けられていない。

 隣を見ると、シンデレラはきょとんとした顔でテルミを見つめていた。帰る素振も見せない。当然だ、帰る必要は無いのだから。


 これで完全に、本来のシンデレラとは違う結末になってしまった。


大義姉おおねえ様……あの……」


 シンデレラが、おずおずとテルミに話しかけた。

 桜は「はああ? テルちゃんがオネエサマ役なの!?」と驚く。


「何か……今言っておかないと、いけないような気がしまして……」

「何をですか?」


 シンデレラは赤面し、大きく息を吸った。悲しげな音楽が城内に流れる。


「私……♪わたっしは……大義姉おおねえ様のこーとーを~……」


 両手でテルミの手を握り、にこりと笑う。


「愛し」




 ◇




「……あれ?」


 気付くとテルミは、ベッドの中で寝ていた。


「ここは……また、別の世界?」


 薄く固い布団の中で、ワンピース状の質素な寝間着ねまきを身につけている。またもや女性ものの召し物だ。そしてまたもやノーパンだ。

 桜やコウの姿は無い。もちろんシンデレラ達の姿も無い。


 部屋の中を確認していると、乱暴なノックの音がした。


「♪お婆さーん。ワーターシーよ~! 開けてくれないか、おーばーあーさん~。あなたの孫娘~だよ~。とてもキュートで小さく賢い、孫娘~だよ~」


 孫娘というワリに野太く低い声だ。

 テルミはそっと窓の隙間から覗いてみた。


 そこにいたのは、毛むくじゃらで二足歩行の狼。

 大きな口から牙を覗かせ、涎をだらだら垂らし歌っていた。


「……もしかして今の僕は、赤ずきんのお婆さんですか……」


 ここでも当然のように女役。

 テルミは結構傷付いた。

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