5-62 その心、火気厳禁につき
ロッジに入ると、ほとんどいつも通りの光景が広がっていた。
かばんちゃんとサーバルがジャパリまんを食べ、アリツさんは部屋をあちこち駆けずり回っている。オオカミは原稿を仕上げているみたいだ。
唯一違うのはキリンで、彼女だけロッジにはいなかった。
後から聞いたところによると、”みずべちほー”に泊まり込みで修行に行っていたらしい。
全く、相変わらずの熱意だなと感心させられる。
入ってきた僕たちに気づいたサーバルが、ジャパリまんを口にくわえて両手にジャパリまんを持って駆け寄ってきた。
「はふっ……もぐもぐ、
「ありがと、でも飲み込んでから喋ってくれないと、何言ってるか分かんないよ?」
僕の言葉を聞いて、サーバルは勢いよくジャパリまんを飲み込んだ。
勢いあまって喉に詰まらせあわててかばんちゃんに水を求める様子は、傍から見ると賑やかで微笑ましい光景だった。
「ハハ、サーバルは変わらないね……ところでコカムイくん、一ついいかな?」
「ああ、キタキツネのこと? 『行きたい』って言われたから連れてきただけだよ」
この一言だけでオオカミは何か心当たりを得たらしく、所謂『いい表情をいただいたときの顔』でキタキツネに向けて問いかけた。
「へぇ……一体どうしてだい?」
「ふぇ、ぼ、ボクは別に……」
「ふ、ふふふ……恥ずかしがることはない、さあ、話してみたまえ」
その質問はキタキツネにとって痛いところだったようで、フルフルと小刻みに首を振りながら後ずさりし、そっぽを向いて逃げ出してしまった。
「おやおや、怖がらせてしまったかな」
「……程々にしてね」
「心配はいらない、心霊現象に深入りしたら碌な目に遭わないと知っているからね、引き際は心得ているさ」
「そ、そっか……」
キタキツネのあの反応は心霊現象とは違うと思うけど、まあ物の例えだろう。
僕としても深入りされたい事情ではないから、早めに見切りをつけてほしいものだ。
でもせっかくキタキツネが遠出したんだから、ロッジに籠っているのは味気ない。
一緒にどこかに行こうと思ったけど、本人がいないところで進めるのもよくないか。
そう思った僕は、キタキツネが戻ってくるまで適当に雑談をすることにした。
「今日は図書館で何を?」
「きつねうどんっていう料理と、あと紅茶を飲んだくらいかな」
「あ、うどんって言う料理は一度本で見ました! ……その時は断念しちゃったんですけど」
「紅茶! そうだよ聞いてよかばんちゃん、私の紅茶にむぐっ!?」
流れに乗ってとんでもないことを口走ろうとしたから、ハンカチで口を覆った。
別にクロロホルムとかは含ませていない。
「はいはい、それは喋っちゃダメだよ」
「むぐ、んぐー!」
「えっと、何かあったんですか?」
「あー、気にしないで、大したことじゃないから」
「はあ……そうですか?」
若干不審に思っているようだけど、それ以上の追及はしてこなかった。
「それよりも、かばんちゃんは最近どう? ……えーと、この島の外のこととか?」
話を逸らすつもりっだったが、言っているうちによく分からない話題にしてしまった。
「外……行ってみたいとは思ってるんですけど、少し怖くて」
「……海のセルリアンのことだね」
僕は直接見たことがない。だけど、かばんちゃんは勇気がある部類に入る。
そのかばんちゃんが怖いと言うくらいだ、並大抵の存在じゃないのだろう。
「……イヅナは何か知らない?」
「うぇ、私? ……あー、そっか」
あの時船を運転していたのは僕にとり憑いたイヅナだ。
話に聞くアクロバティックな運転もイヅナがしたものだから、彼女に聞けば何か手掛かりがつかめるかもしれない。
「でも、本当に突然だったから……えーと、確か腕がいっぱいで、本当に早く動いて大きくて、でも”石”は水面に出してなかったよ」
「やっぱり、水が平気ってなると段違いに厄介だよね」
いつかは、そいつと対峙することになるかもしれない。
それまでに、どうにかそいつを退治する方法を見つけなければ。
……駄洒落じゃないよ。
それと今更ながらに気づいたが、キタキツネが曲がり角の陰に隠れ、顔だけを出してこちらの様子をうかがっている。
「……キタキツネ?」
「…………」
何も言わずに、キョロキョロと辺りの様子を確かめている。
その目線がオオカミに合うと、ビクッと飛び跳ねて頭も隠してしまった。
「はっはっは、随分と警戒されているようだね」
「他人事みたいに言ってるけど、オオカミさんを怖がってるよ?」
「うーむ、別に食べたりはしないけどねぇ……」
それでも待っていると、トボトボと、時折オオカミを見て尻込みしつつもこっちに来て、迷わず僕の隣の椅子に座った。
……オオカミから遠い方の椅子に。
「ふふ、なるほどねぇ……」
「怖いよ、助けてノリアキ……」
オオカミの仕草にますます怯えたキタキツネは、僕の腕にしがみついた。
オオカミは得意げに微笑み、イヅナはそれを忌々しげに見ている。
「と、とにかくさ、明日から何するか決めようよ、ずっとロッジにいても暇でしょ?」
「……別に」
そっぽを向いたキタキツネに、これ以上ないくらい無愛想に返された。
あれ……これはつまり、外に出たくないってことかな?
「えぇー、じゃあロッジにいるの……?」
「……ノリアキが一緒にいれば、散歩くらいなら」
どうやらキタキツネにロッジから離れるつもりは無いらしい。
まあ、キタキツネがそう言うなら、ロッジでゆっくりするのも悪くはないか。
今まではゆっくりできると思った途端に新しいトラブルが舞い込んできた訳だし、これくらいは別に構わないだろう。
「ダメダメ! そんなのダメに決まってるって!」
すると、意外にもイヅナから文句が飛んできた。
「……休んじゃダメなの?」
「え、ええ? なんでノリくんまでキタちゃんの味方になってるの!?」
味方というより、キタキツネの意見に思うところがあったり、それもそうかと納得させられたりしただけ、なんだけど……
「ノリくんをたぶらかすなんて……! こ、この女狐ぇ……」
イヅナが小声であらぬ誤解をささやいている。
というより女狐って……あはは、イヅナもじゃないか。
「でも大丈夫、私が目を覚ましてあげるからね……?」
しかしイヅナは立ち直りも早いようで、けろっと元の表情に戻ると、キタキツネと同じように僕の隣の椅子に座った。
むしろ、なぜ今まで隣に座っていなかったのか、という方が不思議でならない。
「イヅナちゃん、おかしなこと言ってる。そっとしておいてあげよ?」
キタキツネはこれが好機とばかりに掴んだ僕の腕を引っ張って、イヅナから離れるように促した。
「そういう訳にもいかないよ」
何にせよ、ロッジに引きこもるのも良くないしなあ、どうにかキタキツネの興味を引くことが出来れば良いんだけれど。
ゲームなら言うまでもなく興味を持ってくれるに違いないんだけど、そう上手くは……いや、名案がある。
少なくともキタキツネを連れ出すことにおいてなら、これ以上ない殺し文句があるではないか。
「研究所に行こうよ、あのゲーム、研究所から取ってきたんだよ。まだ何か残ってるかも」
「ゲームが、あるの……!?」
予想通り、大きく食いついてくれた。
最近の出来事のせいで幾分かキタキツネの印象が揺らいでしまったけど、ゲームが好きという点だけは今でも疑う余地がない。
「詳しくは知らないけど、他にもゲームソフトがあるかもだよ」
「じゃあ、行ってみる……!」
まんまと釣られたキタキツネ。ともあれ、これで研究所にもう一度行くことが決まった。
今度は、前に読めなかったものをどんどん読むことにしよう。
さて、話しこんでいるうちに随分と遅くなってしまったようだ。
「じゃ、そろそろ寝ようかな……」
「ノリくん寝るの? だったら――」
「イヅナも、また明日ね~」
「……はーい」
事あるごとに一つの部屋で寝ようとしてくるから、油断も隙もありゃしない。
寝てる間に忍び込んだりはしてないから、そこはありがたいけど、まさか僕が起きる前に抜けだしたり……してないよね、そう信じたい。
「キタキツネも、おやすみ」
「おやすみ、ノリアキ♪」
キタキツネはやけにウキウキだ。
こんなにはしゃいでいたら、今日の夜は眠れないんじゃないかと不安になる。
……ま、眠くなったら寝るよね。
今この場で一番眠気を催している僕は、早足で部屋まで行き、布団をかぶって眠りについた。
――そして、これはコカムイが眠りについた後のロビーでの出来事である。
ロビーに残されたキタキツネは、椅子に座り足をゆらゆらと交互に揺らしていた。
同じく残されたイヅナはコカムイがいなくなるとすぐに部屋に行ってしまい、かばんとサーバルも同様に”みはらし”へと向かってしまった。
そんなこんなで、今ロビーにはキタキツネとオオカミだけがいる状況だった。
アリツカゲラは……ロッジのどこかにはいるだろうが、今からの話には関係のないことだ。
「みんな行ってしまったようだけど、キタキツネくんはまだ寝ないのかい? 」
「……オオカミさんはどうなの?」
キタキツネはオオカミの質問に答えずに聞き返した。
体をオオカミに向けておらず、まだ警戒していることが窺える。
「私は、もう少しこれを描いてからにするよ」
「……でも、紙が裏返し」
ゲームで鍛えたのかどうかは定かではないが、キタキツネは洞察力がそれなりにあるようだ。
キタキツネの指摘する通り、オオカミは先ほどから原稿の紙を裏返しにしていて、続きを描くつもりはないように見える。
「ハハハ、キタキツネくんは目ざといね、キリンくんの助手になってもらいたいくらいだよ」
冗談交じりにオオカミは言葉を返した。
「……ホントは何がしたいの?」
「なに、大したことじゃない、キミと話がしたいんだ」
「……!」
オオカミの言葉に、キタキツネは大きく反応した。
所々体をこわばらせて、息を呑んでオオカミの次の一言を待っている。
「緊張しなくていい、少し、コカムイくんについて話そうじゃないか」
コカムイの名前を聞いて、キタキツネの目の色が変わった。
さらに毛を逆立てて、今にもオオカミに飛び掛かりそうな気迫だ。
「ふふ、キミは素直な子だね……」
およそ殺気と言っても過言でない視線を浴びながらも、オオカミは何でもないように話を続けている。
しばらくして必要ないと悟ったか、キタキツネから放たれる威圧感は鳴りを潜めた。
オオカミはそれを待っていたかのようにすかさず口を開いた。
「単刀直入に聞こう、キミは、コカムイくんをどう思っている?」
「ど、どう……?」
おそらく、キタキツネにもコカムイと過ごして感じるところはあるだろう。
しかし彼女は、その感情を一言で表す言葉を知らない。
ましてや、今までの殆どを二人きりの宿で過ごしてきたキタキツネが、その言葉を知り得るはずはなかった。
「答えにくいならそうだ、どんな気持ちになったかとか、何をしたいと思ったか、とか。バラバラでもいい、聞かせてほしいんだ」
オオカミがキタキツネにこんな質問をしているのも、別に適当な相手を選んだわけでないことは分かると思う。
オオカミはキタキツネがロッジに来てから今までの時間のうちに、彼女がコカムイに対して特別な感情を抱いていると感じ取ったのだ。
それは普段からネタを探す貪欲さゆえか、あるいは今描いている漫画の内容ゆえか、ともあれこの短時間にここまでの結論にたどり着く彼女には称賛を送りたい。
キタキツネも、何とか自分の中の語彙を駆使して、質問に答えている。
「その、ずっと一緒にいたい、一緒にいると、ポカポカする」
「ふむ……じゃあ、イヅナくんについてはどう思う?」
「そ、それは……」
「答えにくいかい? いいんだ、正直に、ね」
オオカミの言葉を聞いてもしばらく葛藤していたが、そのうちに覚悟を決めたのか彼女はゆっくりと語り始めた。
「……ノリアキが、イヅナちゃんと仲良くしてるのを見るの、やだ」
「ほう……?」
「だから、嫌なことした。紅茶に、すっぱいものを、入れた」
この答えには、オオカミも驚かされた。
キタキツネが、彼女自身の想いを自覚しないまま、ライバルを傷つける行為に走っている。
では、彼女がその想いを自覚したら?
……好奇心と恐怖心が、オオカミの心の中でせめぎあった。
キタキツネの心は、火のついていないカンテラだ。
誰かが火を点けてやることで、彼女は明かりを手に入れる。
その明かりで道を照らし、その思いを成就させるために進むのだ。
……しかし、そのカンテラに入った油が揮発油だったら?
火を点けた途端爆発的に燃え上がり、そのとめどない炎は周囲はおろか本人さえも焼き尽くしてしまう。
道の終点にいる、コカムイでさえも。
しばらくの間、オオカミは考えに考え込んだ。
時間にして数分、しかし彼女にとっては数時間に感じられただろう。
「キタキツネくん、それはずばり、”恋”って言うんだよ」
そして、オオカミは火を点けることを選んだ。
「……こい?」
「そうさ、彼を独り占めしたい、一緒になりたい……そう思う強い気持ちのことさ」
「独り占め……一緒……」
それを聞いたキタキツネの顔は、安心したようなものだった。
キタキツネは、ようやくこの行き場のない想いの名前を知り、その想いの先を行きつく先を手に入れたのだ。
「……ありがとう、オオカミ。今日は、眠れそうにない」
「ハハハ……そうか、体調だけ崩さないように、ね」
キタキツネはおやすみと告げ、部屋を目指しいなくなった。
とうとう、ここに残っているのはオオカミだけだ。
彼女は、裏返しにした原稿をめくって眺めた。
そのページでは、二人の女の子が一人の男の子を巡って言い争っている。
そしてその奥であたふたする自称「恋愛探偵」。
「……決めた。彼の話は、漫画にはしない」
オオカミは彼らの未来を空想し、自分の原稿と見比べて小さく笑う。
「ハハ、事実の方がよっぽど奇じゃないか」
オオカミが眺めている原稿は、まだ完成していない。
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