5-59 食後の紅茶を――と共に
さて、翌日僕らは空を飛び、片道数十分の道のりをたどって図書館に行った。
到着したとき、僕が頼んだ食材その他諸々は既にボスたちによって用意されていた。
まあ、置いてある野菜類のほとんどは博士たちが畑から常習犯的に”ちょいちょい”と持ち去っているものらしいのだけど。
昨日のうちにボスを通じて連絡したから、二人は一応の成り行きを把握している。
ボスたちが食材を厨房に運ぶのを手伝い、個別に頼んだ料理の本も準備しておいてくれている。
「よし、準備は万端だね」
「ところで、その『きつねうどん』とはどういう料理なのですか?」
「ええと、確かこの本に……あった」
僕は料理の本の中の『きつねうどん』のページを開いて、その写真を見せた。
「なるほど、これが……これは、前に作った『みそ汁』のような料理なのですか?」
「みそ汁とは違う……かな。スープに浸したうどんっていう麺を食べる料理だよ」
今まで麺類を作ったことが無いから、博士たちも”うどん”がどういう料理か皆目皆式見当がつかないに違いない。
「しかし、『きつね』と付いているのはどういった理由で……?」
「――イヅナちゃんをゆでるんだよ」
「い、イヅナをッ!?」
「だからあれは冗談だってば!」
昨日の発言といい、キタキツネはイヅナを煮たり焼いたりすることにご執心らしい。
許すような態度を見せていたけれど、そのおっとりした様子の裏にある静かな怒りが、隠しようもなく燃え盛っている。
「……キタキツネのギャグはいいとして、本当のところはどうなのですか?」
「それは簡単で、油揚げを乗せたうどんのことを『きつねうどん』って呼んでるだけだよ」
「油揚げ? それは一体……」
「そこは説明すると長くなるからさ、先に作り始めようよ」
――かつて苦労した着火。それどころか誤って消しさえしてしまった。
でも今なら狐火がある。この美しい青の炎を使えば、かまどに火を点けるのなんて朝飯前だ。
度々怪談のネタとして語られ続けた怪異をこんなことのために使うのは少し気が引けた。でもイヅナも前に使っていた気がするし、何だって使いようだ。
「まずはお湯を沸かして……」
お湯が沸くまでには時間がある。それまで薬味のネギでも切ろうかなというところに博士がやってきた。
「お、お湯が沸くまでひ、暇ではないのですか? その……ひっ、きつねうどんの由来の話でも……」
「火が怖いなら無理しなくてもいいよ」
「こっ、ここ、怖くなどないのです、少し……恐ろしいというか……」
「それを、『怖い』って言うんじゃないかな」
ひとまず火の番はイヅナに任せて、かまどから離れて他の食材の準備を始めた。
「何を準備するのですか?」
「薬味のネギと、うどんのつゆに使う出汁の材料だよ」
出汁に使うのは鰹節や醤油やみりん、料理酒など様々あるけど、それを詳しく話しても長ったらしくなるだけだ、博士には『色々使う』で誤魔化した。
すると、博士が瓶の林の中から一つを手に取った。
「これは使わないようですが、何なのですか?」
「それは酢だよ、すっぱいよ」
「本当なのですか」と疑問に思った博士は、小皿に少し酢を注いで、一気に呷った。
「…っ! すっぱいのです!」と露骨に顔をしかめている。
博士が矢鱈大きい声を出したせいで、不思議に思ったキタキツネが離れたところからこちらの様子を窺っている。
博士の顔と持っている瓶を交互に見て、大体のいきさつを掴んだようだ。
「だから言ったのに……使わないから置いといて」
「これは恐ろしいのです、間違えて飲んだりしたら……」
間違えて調味料を飲む事態など到底訪れる気などしないけど、博士はそう思っていないらしく、仰々しい様子で酢の瓶を他の瓶から少し離して置いた。
博士の『恐ろしいものリスト』の中に『酢』が書き加えられた瞬間であった。
「そろそろ茹でてもいい頃合いかな」
お湯はグツグツと煮立ち、見ているだけで熱気を感じ、近寄るだけで蒸気に当てられる。
「うどんの玉は……」
「これだよ、これを……あわっ!」
ざるに入った人数分のうどんの玉持って来たイヅナ。思ったよりも重かったみたいで、バランスを崩してこぼしそうになっている。
「うわわっ……ふぅ、無事でよかった」
「むぅ……うどんなんていいから私も心配してよー」
「どうでもいいなんて言っちゃダメだよ」
このうどんが僕たちの手元に届くまで、沢山のラッキービーストがうどんの素になる植物を丁寧に育てて、それをまたまたラッキービーストが挽いて粉にして、そこからできた生地を打ってうどんにして……
とにかく、今僕が持っているうどんには多くのラッキービーストたちの苦労やアライグマの……アライグマ?
「あれ……なんでだろ」
別にアライグマは関係ないはず、ない……よね。
でも何故か何かがあるような気がしてならない。よく分からないけど今度会ったらお礼でも言った方がいいのだろうか。よく分からないけど。
「……いいや、とにかく茹でるよ!」
ちなみに、博士はやっぱり火が怖くて僕がかまどに近づくと同時に逃げてしまった。
うどんがしっかりと茹で上がったら、水を切って、器につゆを注いでうどんを入れる。
そして第二の主役である油揚げを乗せてその上には薬味のネギを添える。
こうして、きつねうどんは完成するのだ! ……口調が
「じゅるり、これは……」
「新しい方向の料理なのです……じゅるり」
「さあさあ、どうぞ召し上がれ」
「ノリくんも食べるんだよ!」
誰かが食べ始めるのを皮切りに――大方博士か助手だが――みんなうどんをすすり始めた。
……おいしい。僕は気の利いた食レポはできないが、とにかくおいしい。
キタキツネとギンギツネは箸を使えるのかな、という疑問がふと頭をよぎったが、問題ないらしい。
というか前に宿で作ったときにも箸を使って食べていたはずだ。相変わらず僕の記憶力には難があるようだ。
「もぐもぐ、そういえば……んぐ、『きつねうどん』の由来を……ん、まだ聞いていなかったのです……」
「……あはは、飲み込んでから喋ろうよ」
全く、とんだせっかちさんだ。でも、そんな博士を見ていると和む。
「んー、どうやって説明しよう……」
「だったら私に任せて!」
「……イヅナ、いいの?」
イヅナは大きく胸を張って答えてくれた。
「もちろん! 私を誰だと思ってるの?」
確かに、ある意味きつねうどんの由来を説明するにはもっとも適任な存在かもしれない。
そうなんだけど……イヅナの様子がどこか引っ掛かる気がする。
躊躇う理性を抑え付けつつ、イヅナの考えていることをテレパシー経由で読み取った。
『へ、えへ、えへへ……! ここでいい所を見せたら、ノリくん、私のこと褒めてくれるよね! うふ、うふふ、ノリくん……!!』
……そんなことだろうとは思ってたけど。
もう少し、優しくしてあげた方がいいのかな……?
「えっとね、うどんに乗せた”油揚げ”っていうのは、豆腐を揚げて作った食べ物なんだ。油揚げは、古くから人々が稲荷神の使いである狐にお供えしていたものなんだ! あ、元々は鼠の天麩羅だったんだけど……まあそれはいいや、とにかく油揚げは狐に供え続けられてたから、いつしか油揚げといえば狐っていうイメージができたんだよ! だから油揚げを乗せたうどんのことを”きつねうどん”と呼ぶようになったんだ……それとそれとー、なんで油揚げになったかって言うとね、元々お供えしてた鼠の天麩羅の用意が難しくて、簡単な油揚げにしたところ、それが広まっていったんだ。で、なんで鼠の天麩羅かっていうと――」
とにかく早口だった。僕を軟禁していたときにもこれ程のマシンガントークは聞いたことがない。
話は脱線し、稲荷神とその眷属である狐の関係性の話題にまで発展している。
やっぱり『神様』の話だから熱が入ったのか、あるいは褒められたいがためにここまで熱くなれるのか。
……どちらかといえば、前者だと思いたい。
「イヅナちゃん、博識なのね……」
「……へんなの」
「は、早すぎて聞き取れないのです……イヅナ、イヅナ?」
博士の呼びかけもむなしく所謂”トリップ状態”にインしている。
「コカムイ、何とかするのですよ!」
「僕は、聞いてあげてもいいと思うな」
僕の言葉を聞いた博士は大層驚いている。そんなに不思議なことだろうか。
対して博士の隣に座る助手は、博士の様子を見て微笑みながら言った。
「別に、甘やかす必要などないのですよ?」
「でも、今までよくしてあげられなかったからさ、少しは……甘くてもいいかなって」
「……そういうものでしょうか」
助手も、あまり共感はしてくれないようだ。
構わない、今は別にそれでもいい。
イヅナの今までを知っているのは僕だけだから。でも、博士たちにも、話すべきなのかな……
「はぁ、はぁ……ノリくん、その、ど、どうだった?」
「分かりやすかった、いい説明だと思うよ」
「……ぁ! えへへ、照れちゃうな……」
本当に嬉しそう。
――まあ、いいか。僕だけがイヅナを理解してあげるっていうのも、存外悪くないかもしれないな。
「……おほん、前から思っていたのですが、コカムイは料理が中々出来るのですね。外の人間はみんなそうなのですか?」
「うーん、何度も、言うけどね、その……」と言いかけると、博士は例の事情を思い出してくれた。
「あー、お前に聞いても駄目ですね、イヅナは知っていますか?」
問いかけられたイヅナは、ゆっくり首を振った。
「ごめん、私、外の世界で分かるのは神社の周りのことだけだから……」
イヅナの記憶の中では、彼女はほとんど境内から出ていなかった。
周りが近寄らなかったから、自分から近づくことも無くなったんだ。
記憶の中には、イヅナの『寂しい』という感情が色濃く表れていた。
そうこう思い出しているうちに、いつの間にか場の空気はしんみりとしたものに変わっていた。
「ふむ、食べ終わったら何か飲み物が欲しくなりますね」
「では、紅茶を淹れさせるのはどうでしょう、博士」
「ナイスアイデアなのです!」
明らかに突然の提案とやや無理やりな賛成。
ともあれ、二人もこの空気を良しとしなかったらしい。
「じゃあ、僕が淹れてくるよ。茶葉はどこ?」
「私が中から取ってくるのです」と助手が飛んで行った。
助手を待っている間に赤ボスから紅茶の淹れ方を聞いていたら、キタキツネが僕に近づいてきた。
「あ、その……ボクも、手伝って……いい?」
思わぬ提案にキョトンとしていると、自分が変なことを言ったと思ったのかしょんぼりとしながら後ずさりした。
「……珍しい、ね。いいよ、手伝ってくれた方が有難いからさ」
「が、がんばる……!」
助手から茶葉を受け取り厨房に行くとき、なんとなく後ろを見た。
イヅナは不満そうな、妬んでいるような目で、
ギンギツネは愛おしそうな、見守るような目で、
微動だにせず、二人はその対照的な目をキタキツネに向けていた。
思わず、その様子を立ち止まって眺めていた。
キタキツネは僕を追い越したところで、僕が止まっていることに気づいた。
「……ノリアキ?」
キタキツネはその視線に気づいているのかそうでないのか、しかし振り返ることなく進む。
「ううん、なんでもないよ」
本当に平和で、もう何も起きない日常が待っているはず。そう思っていた。
昨日の雪山での光景や、先のキリンとの出来事で、僕は忘れていたのかもしれない。
この島に来てから、僕が目覚めてからずっと……僕が体験してきた日常は、非日常であったことに。
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