4-48 白いキツネはカミサマの使い


 目を開くと、真っ先に目に入ったのは天井の木目だった。手足の感覚から、布団を掛けられていると分かった。電灯はついてないけど辺りは明るい。夜は明けたのだろう。


 しかし体を起こそうとすると、動かない。正確に言えば、手足が動かない。感覚はあるのだが。頭は動かせるから、きっと手足だけに何かされている。


 動かないと言うと拘束が真っ先に頭に浮かぶけど、今回の場合は力すら入らない状況だ。後は……キツネの姿のままだ。意識を失ってもヒトの姿にはならないらしい。



 まあ、現状を分析するとしたらこんなところだろうか。ここがどこかは分からないが、少なくともロッジや図書館のような僕が訪れたことのある建物じゃないはずだ。



今は何もできない。果報は寝て待てとも言うし、二度寝でも――



ピシャン!


 再び眠りに落ちかけた意識は、障子が開くような音に引っ張り起こされた。



「……あ、起きた?」


 イヅナの声だ。 なんとか動く頭をどうにかしてイヅナを見ようとするも、限界がありイヅナの姿はチラチラと視界の端に映るだけだ。


「イヅナ、体が動かないんだけど、どういうこと?」


 そう問いかけると、ふふ、と笑う声が聞こえた。


「えーと……なんて言えばいいのかなぁ? 私の能力ちからについては知ってるよね?」


「記憶を操るとかなんとか、ってやつ?」


 そんな風に言われてはいるものの、サンドスターに影響を与えられたりと……いや、もしかしてサンドスターは本当に……? ――じゃなくて、どこまで影響を及ぼせるのか不透明な能力だ。……手足が、記憶をどうにかして動かなくなるものだろうか。


「そう! それを使ってぇ……その、『無意識』ってとこ、かな? そこに『手と足が動かせない』って何度も言い聞かせて、つまり暗示だね!」


「じゃあ、勘違いしてるだけ……?」


「うん、そういう感じ」


 ここまで応用が利く能力だったのか。確かに『記憶』……人の内面に干渉できるんだ、生半可な能力じゃないに決まってる。


 でも、勘違いしてるなら何とかこっちも暗示の力で動かせるようにできるのではないか?


「……ん、ぐぐ……!……ダメだ」


「無意識の深い深い所に暗示をかけたから、ちょっとやそっとじゃ解けないよ?」


 イヅナは、僕の心の中を読んでいるかのように的確な言葉をかけた。


「なんで、こんなこと?」


 そう聞くと、イヅナは「なんでそんなこと聞くの?」と言いたげなポカンとした表情を数秒の間浮かべていたが、やがてそれは不気味なほど明るく穏やかな微笑みへと変わった。……いや、至って普通の笑顔だったはずだ。しかし僕の目には、不気味に見えていた。


「だって、ノリくんは私の大事な大事な『カミサマ』だもの、絶対に、誰にも渡しちゃいけないの」


 『カミサマ』……またそれだ。イヅナの記憶の中でも出てきた覚えがあるけど、具体的にどんなものなのかよく知らない。


「その『カミサマ』って何度も聞いた言葉だけど、一体何なの?」


 イヅナは目を閉じてしばらく思案し、こう答えた。



「カミサマはね、いっちばん大事な、人とか、物とかで……ただ大事なんじゃなくて、他のどんな”もの”よりも大切な、他の何に代えてでも守んなくちゃいけないものだよ」


「……どういうこと? それが、『カミサマ』である必要なんてあるの?」


 イヅナは質問の意図を測りかねたようで、戸惑いつつも一応答えは返してくれた。


「カミサマ、って呼び方に疑問があるの? ……呼び方なんてどうでもいいんだよ、要はそれが、世界一大事ってだけだから、だから『カミサマ』は絶対で、私にとってそれはノリくんなんだよ」


「絶対……?」


 だったら、それのためになら、何をしてもいいのか、どんなことでもするつもりなのか?……他の誰かを傷つけたとしても?


「うん、だから、何か困ったことがあれば何でも言って? 私が解決してあげる」


「何でもって、そんなこと……」


 僕の顔を覗き込むイヅナの目は至って本気だ。頼めばなんでもやってくれるに違いない。それが、ひどく恐ろしいことに思えて。


「おかしくないよ、だって私は『白狐』だもの、ノリくんも知ってるでしょ?」





「――白いキツネは、カミサマの使いなんだからさ」


 カミサマの、使い……


「ね、お願いがあるなら、遠慮せずに……なんでもしてあげる」


 ……あはは、イカれてる。どんなことでもするだなんて……しかもそれを狂言やパフォーマンスではなく、本当にやると思わせるほどのことを、イヅナはしてきた。


 どうすれば、この状況を変えられるのだろう。……何か、恐ろしい覚悟が必要なのではあるまいか。イカれた決意を抱かなければいけないんじゃないか。








 ……待てよ、本当に何でもしてくれるというのなら、



「……じゃあ、さ」


「うん」


「じゃあ、手足を動かせるようにしてくれるかな?」


「……え?」


 聞こえなかったのかな? だったらもう少し大きな声でもう一度……


「ええええぇぇぇ!?」


 言おうとしたところにイヅナの絶叫が割り込んできて、やむなく黙っていることにした。


 するとイヅナは忙しなく腕を掴み自分を抱きしめるような姿勢をとったり落ち着きない仕草を見せながらブツブツと独り言を始めた。


「そ、そんな、確かになんでもしてあげるって言ったけど……で、でも、動かせるようにしたら逃げられたり、ああ、でも約束しちゃったぁ……うぅ……」


 前言撤回、やるといったらやるだけの覚悟はあるけど、イヅナは少し律儀すぎる。ここまでのことをするなら不都合な要求は押し殺すだけの思いを……って何を考えてるんだ。



 しばらく一人で悶えていたイヅナはようやくまともに話せるようにはなった。


「うぅ、じゃ、じゃあ暗示を解くけど、その……逃げないでね?」


 目に涙を溜めてそう言う。


「…うん、わかった」


 今はこう答えておこう。当然僕にも別の目的があるから当分は逃げないし、こうしなければこの場が収まらない。


 イヅナが僕の額に手をかざした。何かが頭の中に流れ込んでくるように感じ、やがてそれが言葉であることに気づいた。



 『動かせる、動かせる……』と声が延々と頭に中に鳴り響き、しばらくして本当に手足が動かせるようになった。しかし同時に、『飛べない、飛べない……』という別の声も聞こえてきた。恐らくは、キツネの姿でも飛ぶことが出来ないようにイヅナが新しい暗示をかけているのだろう。


 飛べないのは不便だけど、手足が動くならまあ文句はない。


「よい、しょっと……」


 ようやく自由に動かせるようになった手で体を起こし、足でゆっくりと立ち上がった。


「…………」


 イヅナは不安そうにこちらを見つめている。僕が逃げないか、本当に疑っているのだろう。


「……ほら、これで、どう?」

「ぁ……」


 とりあえず、イヅナを軽く抱きしめてあげた。これで信用してくれるとは思えないけど、気休めにはなってくれるとありがたい。




 イヅナから離れて自分の姿を改めてみると、服が変わっていることに気づいた。


 昨日は洋服を着ていたが、今はイヅナが着ているものによく似た白い生地に所々赤や別の色のアクセントが入った特徴的な和服になっている。言うなれば、神社に仕えている人が着るような。


「あれ、この服は……?」


「ここにあった服だよ、寝てる間に着替えさせてあげたの!」


「そ、そう……」


「それと、体も綺麗にしておいてあげたよ!」


「……そう」


 どこまでやったかは聞く必要あるまい。聞きたくもない。余計な方向に話が発展する危険がある。どこまでやったかは……イヅナのほんのり赤くなった顔からおおよそ予想がつけられる。


 しかし今はキツネの姿だ。イヅナを見ても分かるように、この姿は和服と非常に相性が良いように思える。少なくとも前に来ていた服よりはよく似合っているのではないかと、そう思う。


「えへへ、その、とっても似合ってるよ、ノリくん」


「…あ、ありがと」


 着付けはしっかりしている、イヅナが得意だったかあるいは何か超能力でも使ったか、どちらにせよ着心地もいいものだ、結構気に入っている。





 ……何をしよう。何か大切なものを忘れてしまっている気がするけど、多分今考え込んでも分からない。一度座って、イヅナにもう少し詳しく話を聞くことにしよう。



「イヅナも座って、ちょっと尋ねたいことがあるんだ」


「うん、なんでも聞いて?」


「なんでセルリアンを送り込んだの?」


「うぇ!? いきなり……?」


「いきなりも何も、一番の疑問だよ」


「わ、分かるでしょ?」


 見当はついてるけど、実際にイヅナから聞かないと納得できない。それくらい荒唐無稽な考えだ。……できることなら否定してほしいくらいに。


 僕が一言も発さずイヅナをじっと見据えていると、イヅナは観念したように口を開いた。



「ぷ、プレーリーの方は分かるでしょ? その、ほら、あの時の……!」


 そう話すイヅナは歯ぎしりしている。よほど腹立たしかったのだろう。しかし……


「あ、言い忘れてたんだけど、その時僕がのは、ここ、右のほっぺただよ」


「あ……え?」


 あっけにとられたようで、ぽかんと口を開けている。少しして我に返り、

「そ、そう……でも、その……ダメ、ダメなの! 許せない!」


 許すとかどうとか、イヅナはそう言う立場にはいないと思うんだけど……まあ一応の方も聞いておこう。


「で、雪山は……?」


「き、キタちゃんが、ノリくんと、ゲームで仲良く遊んでて……ずるい……」


 なんだろう、子供を相手にしている気分だ。実際に、イヅナが目覚めたのは2年位前のことだ。もしかしたらほぼ子供と同じような精神年齢なのかもしれない。



「……イヅナ」


「私がノリくんを連れてきたのに、なんでキタちゃんばっかり……」


「そもそもその割に、どっかに行っててあまり一緒に過ごせてなかったじゃん」


「それは、このお屋敷のお手入れをしてたからなの!」


 屋敷……そういえばこの建物はどこにあるんだ? ジャパリパークのあの島の中にあるのか? ジャパリパークの中の別の島に連れていかれた可能性は0じゃない。


「屋敷か、ここはどこ?」


「うーん……それは秘密♪」



 とても楽しげにそう言われた。知られたら困る場所……となれば島の中の可能性が高いか。

 島の中なら、博士たちにも手出しができる。だからどこにあるか知られたくない、と考えるのが道理だけど、推測の域を出ない。


 そうだ……この屋敷とやらを調べて、何があるのかを知りたい。



「ねぇ、この建物を見て回ってもいいかな? どんなものがあるのかなー、って気になるんだ」


「どうして?」


「どうして、ってどういう……」


「欲しいものがあるなら、持ってきてあげる。食べたいものがあるなら、作ってあげる。知りたいことがあるなら、できる範囲で教えてあげる。この部屋から出る必要なんてないよ?」


 とどのつまり『外には出るな』ってことなんだ。困ったな、せめて一人になる時間がないと行動を起こしにくくなってしまう。


 とにかく今は、少しでも外に出られるように交渉しよう。この機会を逃せば外に出るチャンスが当分掴めなくなる恐れも十分にある。


「なんで、そこまでしてくれるの? 僕のことは、僕でできるよ」


「……今更聞くの? ふふ、いいよ、ノリくんのためなら何度でも言ってあげるから」




 イヅナがこちらに一気に詰め寄り、腕を大きく開いて、僕に飛びついて抱き着いた。そして、耳元で――


「大好きだよ、ノリくん」


「……あ……ぁ」


ああ――











――最悪の気分だ。


 誤解のないように言っておくと、イヅナが嫌いだとか、この状況が気持ち悪いとか、そんな感情は一切抱いていない。


 しかしこの感覚はそう、少し前にオオカミさんと漫画について話していた時に感じたものと同じだ。キタキツネが温泉に入ってきたときに覚えた感覚と同じだ。


 イヅナにではない、自分にでもない……誰にも、何にも向けられていない、嫌悪。




 訳がわからない。理由なんて分かりっこない。


 ただ、ただただ……気持ち悪い。



 イヅナが僕から離れた。いや、僕がイヅナを引きはがした。なるべく優しく、だけど。


「……ノリくん?」


 イヅナは僕の様子を不思議に思っている。また、顔色が悪くなっているのかもしれない。


「ああ、今は調べものとかいいや。ちょっと、寝たいな」


「う、うん……大丈夫?」


「……多分」


 イヅナが僕に声を掛けている。僕を心配してくれている。だけど、その声は聞こえない。何を言っているか分からない。



 そのまま布団に潜って、眠気のままに目を閉じた。


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