4-41 その束縛は塩の味
赤ボスの案内に従い、サンドスターを保存している建物に到着した。
「……ここ、みたいだね」
それは、一見して山中にあるような小屋のようだった。しかし赤ボスの説明を聞くと,それは地下に広い保存空間が広がっているそうだ。
入口とおぼしき扉には研究所にあったのと同じセキュリティロックが施されていたが、こちらはカードキーだけで解除することができた。ただ、こちらの解除に必要なカードキーの階級は研究所よりも高いので、研究所よりも入りにくくなっているようだ。
扉を開けると暗闇に包まれた階段が奥深く続いている。
まもなく天井の照明が点き、その階段の全貌を照らす。
「じゃあ、行こっか、まず僕が様子を見てくるよ」
「では、後から我々が」
踏み外さぬよう、一段一段ゆっくりと慎重に降りていく。足音が狭い空間に反響し、どことなく不気味に感じられた。
やがて平らな通路に入って再び前へ前へと歩いていく。すると突き当りに、何の仕掛けもない金属の扉があった。その扉には横長の長方形の形をした窓があり、その窓は結露し曇っている。
「よし……んっ?」
開けようと扉を引っ張ると動かない。どうやら電子ロックが掛けられているらしい。一昔前の牢屋に付けられていそうな古臭い扉からは想像もできなかった。
赤ボスが通信してその鍵を外すと、開いた扉の隙間から身震いするほどの冷気が漏れ出した。ふと思いついて扉に触れると、とてつもなく冷たかった。
「っ、寒い……」
扉を開け切って内部を見ると、白いもやがゆっくりと晴れて、吊るされた無数のツタの塊が視界に入った。それらは霜がかかったようにうっすらと白い。
しかし中にはツタが解けて中身のサンドスターが漏れ出しているものや、吊り下げるためのフックから外れて床に落ちているものもある。床は心なしか濡れていて、塩のような結晶もちらほらと見えた。
「これって、溶けてたりしたのかな?」
「研究所ノ停電ニヨッテ、冷房ガ稼働ヲ停止シテイタ影響ダネ」
「な、なんですかここは!? とんでもなく寒いのです!」
「凍えてしまうのですよ……」
様子を見て2人も建物の中に入ってきた。見ての通り寒がっている。
「寒さが辛いなら、外で待っててもいいよ」
「心配無用……なの……です……」
「こ、これくらい、なんのこれしき……」
「……とんでもなく震えてるけど」
「我々も、自分の目で見なければ……」
「そうです……この島の長なので」
あくまで見たいと言うのなら止めないけど、この様子では体調を崩しかねない。
「赤ボス、2人についていてくれる?」
「ワカッタヨ」
赤ボスに様子を見させて、本格的に危なくなる前に外で安静にしてもらおう。後顧の憂いを無くしたところで、本腰を入れて調べよう。
「これは、雪山みたいな空気ですね」
かばんちゃんもやってきた。
「雪山はもっと、綺麗な空気だった気がするけどね」
「ふふ、そうですね」
何かあっても困るし、赤ボスは博士たちの方に遣っている。僕たちも2人で調査をしよう。
「……で、調べるんだけど」
「どこを見ればいいんでしょう……?」
平らな床、天井、等間隔で吊られている植物の塊。その光景が途切れることなくずっと続くように見える。
明かりは床に設置された弱い茶色の光だけで、下手をすれば転倒もやむなし、といったところだ。
壁を伝って進んでも入口以外に扉は見当たらず、体温だけがゆっくりと奪われてゆくのみだ。やがて博士たちとも成果なく合流して、一度寒さから逃れるため、地下の長い通路に戻った。
「サンドスターがあるだけだったのです」
確かに見た目だけではそうだった。しかし、かばんちゃんのボスに内部の解析もお願いしていた。これで、何か見えない物も見つかるかもしれない。
「ラッキーさんの解析によると、中にサンドスター・ロウが入っているものもあったそうです」
「ですが、研究所の情報の再確認に過ぎないのです」
目視も機械による調査も芳しくなかった。ここは基本情報をもう一度確認してみることにしよう。
「赤ボス、この建物の詳しい情報を話してくれる?」
「ワカッタヨ、研究所ト通信シテ”データ”ヲ取得スルネ」
十数秒後、通信が終わった赤ボスによってこの施設の情報が伝えられた。
『この施設は、サンドスターの保存のために造られました。この施設の冷却設備等は、全て研究所にて管理しています。初稼働時から現在に至るまで、セルリアン出現と言ったアクシデントは一切起こっていません。』
「だってさ」
「となると、ここを調べたのは無駄骨だった、というわけですね」
「……暑くなったら駆け込めばいいんじゃない?」
「寒すぎる場所は好みではないのです」
「あはは、そっか」
これ以上ここで手に入れられる情報はないから、さっさと研究所に舞い戻った。
「……これからどうしましょう」
「一通り調べたので、また後日、としても悪くないのです」
「コカムイは、どう考えていますか?」
「そうだねぇ……あれ、ホチキス?」
テーブルの上に、見覚えのないホチキスが置いてあった。
「誰か使った?」
「いえ、我々は違うのです」
「ボクも違います」
「……そう」
研究所のボスにホチキスは預けて、話を続けよう。
「気になると言えば、さっきの説明にあった『アクシデントは起こっていない』って言葉だよ」
「ええ、アクシデントならこの島で散々起こったのですからね」
それって、どのことだろう。僕がここに来てからのことでも心当たりがいくつもあって分からないや。
「ええと、とにかくセルリアンが出てないってところが引っ掛かったんだ」
「確かに、セルリアンが出現した、って資料にも書いてありましたね」
「ですがあの施設からは出ていない、つまり」
「別の建物で出現した、と考えられるのですね」
ここまでは推測で……あとは別の建物がある証拠が見つかれば確実になる。
ここはメインコンピューターさんに聞いてみよう。
「そうなるね……ねえ、この島に、廃棄された実験室、みたいなものはない?」
『……サンドスターに関連する実験室が、セルリアンの襲撃により廃棄されました』
――ビンゴ。
あのセルリアンはきっとそこから出て来たものに違いない。廃棄されたとしても、サンドスターが残留している可能性は十分にある。
「では、向かいますか?」
「いや、やめておこう」
その建物は存在を確認できただけで十分だ。いまさら行っても記録以上の情報は取れないと思うし、セルリアンがまだうじゃうじゃいる可能性もある。行くとしたらハンターの3人に協力を仰ぐことにしよう。
「それより、一度ボートの様子を見に行くよ」
「では、我々も」
「いやいや、僕一人でいいよ、危なくなったら赤ボスを通して助けを呼ぶから」
壊れたボートの観察に4人でぞろぞろと向かっても意味なんてない。
むしろここにある薬品やら機械やらをもう少し詳しく見てくれた方がきっとこれからの役に立つこと間違いなしだ。
「くれぐれも、気を付けるのですよ」
かばんちゃんが研究所に来るために乗ってきたバスを借りて、ボートのある場所までドライブ。といっても運転しているのは赤ボスだけどね。
今回はセルリアンが出てくるなんてこともなく、至って普通にボートを発見できた。
前にキンシコウさんと協力してひっくり返した時と見た目はほとんど変わらない。
……ハンドルが無くなっている以外は。
なるほど、ハンドルを取ってしまえば運転などできまい。というイヅナからのメッセージか。
しかし、それだけではない気がする。イヅナはかなり用心深い。
「赤ボス、内部のスキャンはできる?」
「ダイジョウブ、マカセテネ」
赤ボスの双眸から発された緑の光がボートをスキャンして、その結果が出された。
「どうだった?」
「コ、コレハ、機関部ガ丸ゴト抜キ取ラレテイルヨ」
機関部というと、エンジン回りの機械を全部ということだろうか?
「それはそれは、随分と大胆だね」
「タダ、取ラレタ部分モ綺麗ダカラ、部品ガアレバ直シヤスイト思ウヨ」
大胆かつ、丁寧。ぜひとも見習いたいね。
と呑気に考えていると、すぐ近くから誰かの気配を感じた。よく知る、今一番会いたい人物の気配だ。
「……イヅナ」
「あ……ノリくん」
相手にとってこの遭遇は予想外だったみたいだ。ここに来たってことはボートの確認が目的だろうか。「犯人は現場に戻る」とはよく言ったものだと感心する。
「ノリくん、えっと、そのー……」
「イヅナ、戻っておいで」
「……え」
説得して、ひとまず大人しく過ごしてもらおう。
それから仲良くなればいいし、それに、まだ――
「イヅナの記憶、見せてもらったおかげで、たくさん、ホントにたくさんのことを『知る』ことができた」
「……私のこと、分かってくれたの?」
「……あはは、どうだろうね、でもまだ手遅れじゃないよ、例え外で何をしたとしても、ここでならみんなと仲良くなれるし、ゆっくり暮らしていける。僕も、君も」
宥めるための言葉は、ただそのためだけに紡がれた。
「の、ノリくん……!」
「だから、おいで? 博士たちには怒られちゃうかもしれないけど、それも全部、許してもらえれば――」
僕はイヅナに歩み寄った。腕を彼女の方に伸ばしてゆっくりと。足を取られることのないように。
ただ、油断した。イヅナも、僕に歩み寄る姿勢を見せてくれたから、つい小走りになってしまった。それが、引き金になった。
すこしつまずいた。転びこそしなかったけど、ポケットに入れていたゲーム機を落としてしまった。
落としたゲーム機を、イヅナが拾った。
「……これは?」
「ああ、ゲームだよ、キタキツネにあげたら喜ぶと思って」
「……へぇ、キタちゃんに、ね」
この発言を後悔したのは、少し後のことだった。
当然、今は彼女の地雷を踏みぬいたことに一切気づいてなどいない。
「……そうだ! ゲーム機4つあるんだ、だから雪山で一緒にやろうよ、キタキツネと、ギンギツネも一緒にさ」
「……いらない」
「い、イヅナ?」
「いらないよ……」
イヅナの様子が一変した。先ほどまでの明るい空気はどこへやら、重く、どんよりと、ずっしりと、頭で理解するより先に、感覚が危険信号を発した。
イヅナの顔が見えた。――泣いていた。
「ひどい、ひどいよノリくん、なんでこんなに意地悪するの? なんでキタちゃんと? ぎんちゃんと? 私のこと分かってくれたんじゃなかったの……どうして、どうしてそんなに優しいの? 私だけでいいんだよ、ノリくんは私だけの『カミサマ』なんだよ、取らないでよ! やめて、やめて! なんでこんなことするの、キタちゃんも、アイツも……みんなでゲームしなくてもいいじゃない、私がいればいいじゃない、なんで目を逸らすの? 私がずっと寂しかったって、誰かと一緒にお話したかったって、知ってるはずなのに。……でももう、誰でもいいってわけじゃないの。ノリくんと、ノリくんと一緒にいたいだけ、奪わないで、邪魔しないで!」
聞き取れた限りでは、こんなことを言っていた。
端正な顔は涙に濡れて、抑揚は崩れて、速さもぐちゃぐちゃに変わって、まくしたてるように、時に言い聞かせるように話していた。
しかし、その言葉が僕にも、イヅナ自身にも、はたまた他の誰かに向けられたものでもなく、ただ、壊れた蛇口のように意味もなく言葉だけがこぼれているのだと、そう感じた。
放っておけない。そう直感し、イヅナに駆け寄って手を伸ばした。けれど――
「やめてっ!!」
その手は掴まれず、代わりに突き飛ばされた。
「うわぁ!?」
イヅナの全力がかかった一撃だった。僕は勢いよく飛んで、木の幹に強く頭を打った。
「い、イヅナ……」
奇跡に等しい確率でも、手を掴んでくれたら――そんなバカげた希望を持って、再び手を伸ばした。
けれど、もはやイヅナの目に僕は映っていなかった。
「ダメ、ダメだよ……? 雪山なんかに行っちゃ……危ないよ、狙われてるんだよ……?」
体から力が抜けていく、意識が朦朧とする。赤ボスが助けを呼ぶために、赤く発光しながらけたたましくサイレンを鳴らしているけど、その騒音すらも僕の意識を助け出すことはできなかった。
「悪い子、とっても悪い子……懲らしめてあげなきゃ……ふふふ……」
ああ、頭を打って、僕もおかしくなっちゃったのかな?
意識を失う間際、イヅナの赤いはずの瞳が――
――はっきりと、緑色に見えたような気がした。
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