2章 第18話 アロンの想い

「ただいま」


「おかえり、アロン」


 思い詰めたような表情のまま呟き、アロンは家へと入る。

 そんなアロンの姿に、カザニアは料理の手を止めると、振り向き首を傾げる。


「……何かあったのかい?」


「…………」


 カザニアの問いに、アロンは玄関の扉の前で立ち尽くし、沈黙する。

 そしてほんの少しの逡巡の後、遂には耐えきれなくなったのだろう、意を決した様子で、その内情を吐露した。


「母さん、実は──」


 序列戦の対戦相手が親友のルトになってしまった事。その事実と、自身の思いを事細かに伝える。


 カザニアは台所から一旦離れ、アロンと向かい合う形で椅子に座ると、彼の話を真剣に聞く。


 そして、アロンが一通り話し終えた辺りで、カザニアは目を伏せると、ゆっくりと大きく息を吐いた。


「──全く、酷い話もあったものだね」


 退学のかかった大切な試合。その対戦相手が、親友の少年とは、何とも救いのない話である。


「…………」


 アロンは俯いたまま口を開かない。

 その姿をチラと見た後、カザニアは続けて声を上げる。


「それで、アロンはこれからどうするんだい?」


「……特訓をして、ルトに勝つ。今までと同じように」


 例え親友相手でもそこは変わらないのだろう。何かに耐えるような表情のまま、しかしアロンは顔を上げ力強く言う。

 そんなアロンに、カザニアは静かに問うた。


「──お前自身の為に、かい?」


「ああ、俺自身の為に」


「いや、違うね」


「…………なにを」


 はっきりとした否定の言葉に、アロンが困惑したように声を上げる。

 そんなアロンの姿をしっかりと目に収めたまま、カザニアは優しく微笑む。


「……なぁアロン。あたしは知ってるよ。なんでお前が学園に入ったのか」


 一拍開け、確信を持ったまま告げる。


「あたしに、家族に楽をさせたいって、そう考えたんだろう?」


「……ッ! 何でそれを……」


 一度も言った事が無かった『夢』。それをあたかも聴いたことがあったかのようにピタリと言い当てる母を前に、アロンは思わず声を上げる。


 対し、カザニアは笑みを浮かべたまま息を吐くと、


「心優しいお前の事だ。そんな事だろうと思っていたよ」


 愛する息子の事である。

 カザニアからすれば、知ってて当然だった。


 アロンが黙ってカザニアの方へと目を向ける。

 カザニアは話を続けた。


「お前の考えはすっごく嬉しいさ。あぁ、何て良い息子に育ったんだろうって、今すぐ抱きしめてやりたいぐらいさ」


 劣悪とは言わないまでも、母子家庭と言う事もあり、それなりに貧しく大変な環境で過ごしてきた。

 しかしそんな中でも、アロンは文句一つ言わず、寧ろ積極的に家事を手伝ったりと常に家族の事を考えて動いていた。


 本当、どこに出しても恥ずかしくない、素晴らしい息子である。


 しかし、そんな素晴らしい息子だからこそ、カザニアは思う事があった。


「……ただ、本当に次の大事な試合を『夢』の為に戦って良いのかい?」


「良いさ。今までも、これからも俺は『夢』を叶える為に戦う。そこを変えるつもりはねぇよ」


 力のこもった強い瞳でカザニアを見る。


「……変えて欲しいとは思わないさ。それにお前がどんな夢を持って、どう生きて行こうと母さんは否定しない。夢を叶える為に戦うと言うのなら、手放しで応援する」


 変えて欲しい何て思う訳がなかった。

 カザニアを、家族を考えて行動を起こす。そんな息子の夢を否定するつもりも更々無い。


 しかし、今回だけは。何としても伝えたい事があった。


 カザニアはこちらへと目を向けるアロンの瞳を真っ直ぐに見つめる。

 そして、一切目を離すことなく、力強くされど優しさの篭った声音でもって、伝える。


「だから……今回はさ、あたし達家族の為じゃなく、お前の……お前自身の為に戦ったらどうだい?」


「俺、自身の為に……?」


『夢』を叶える為に戦うのは、確かにアロンの為だと言えるのかもしれない。

 しかし、それは本当の意味でアロン自身の為に戦っているとは言えないだろう。


 カザニアが続ける。


「もしかしたら今回がルト君と公式戦で戦える最後の機会かもしれないんだろう? そんな大切な一戦なんだ。せめて今回だけでも、『夢』の為では無く、ルト君の親友であるアロン──お前の為に戦ってほしいと、母さんは思っているよ」


「母さん……」


 呟き、過去を振り返る。


 術師団員を目指し、行動を起こすようになってから今の今まで、『夢』の為以外に戦った事があっただろうか。

 勿論、緊急時や街に危機が迫っているような時は、夢以外の事を考え戦う事もあった。


 しかし、それでも自分自身の為に戦った事は無かったように思うし、それで問題は無いと考えていた。


 ……だが、よくよく振り返ってみると、どうだ。

 模擬戦でルトと戦った時も、そしてそれ以外の戦闘でも。夢を追うばかりに、どこか焦ってしまっていたのではないだろうか。


 そう考え、一つ思う。


 ならば、一度夢から離れてみたらどうかと。


 最終目的として夢を叶えるのは変わらないにしても、次戦だけは夢の事を考えずに己自身の為に戦ってみたらどうかと。


 ……思った途端に、どこか気持ちが楽になったような気がした。

 張り詰めていたものが、解きほぐされていくようなどこか気持ちの良い感覚を覚える。


 アロンは先程よりもどこか晴れやかな表情で、カザニアの顔を見つめた。

 そして、力強くしかし柔らかな声音で、


「わかったよ。次の、ルトとの試合は、俺の全身全霊をもって、俺自身の為に戦ってみる」


「そうかい」


 言ってカザニアは微笑み、


「当日は母さんも応援に行くからね」


 そう言葉を続けた。

 対し、アロンは「おう!」と頷き、その後彼は一度部屋へと向かっていった。


 1人になって。カザニアは料理を再開しつつ、小さくため息を吐く。


「……本当に、酷い話だよ」


 退学がかかった試合の相手がよりにもよって親友のルトとは。

 やはり、あまりにも理不尽な展開だとカザニアは思った。


 しかし、ただの一般人である自身に、この状況をどうにかできる筈もなく、受け入れるしかない。


 ならば、せめてもと、カザニアは祈るように、声を上げる。


「……神様。どちらかが退学した時にそれを無くしてくれとは言いません。ただ、せめて今後もうちの息子と、親友であるルト君に幸多からん事を」


 自身の息子であるアロン。

 そして長い間学園に居場所が無く孤独を感じながら過ごしてきた息子に初めてできた2人の親友。


 せめてそんな彼らの行く末が素晴らしいものになるようにと、そう願って。

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