第1話 決意

 ──この世はあまりにも不平等で、理不尽だ。


 街灯の灯りと、荘厳な家々から漏れる暖かい光に照らされた、幸せの溢れる街道を、下を向き暗い表情のまま、とぼとぼと歩くルトは、もう何度目になるかわからないそれを強く嘆いた。


 生まれながらに決まると言って良いその人の身分と一生。


 国の為、そして自身の財の為にも、何よりも戦闘力が必要となるこの世界においては、その差はあまりにも顕著であった。


 そう、体内に魔力というものを保有し、それをあらゆる力へと変化させ使用する魔術師として生まれるか、霊者イギアと呼ばれる存在から力を借り、魔術師よりも明らかに強力で特異な力を有する纏術師てんじゅつしとして生まれるか──はたまた、そのどちらの力も持たない、ルトのような《無能》として生まれるか。


 その人生を左右するような、理不尽で明確な差の前には。


「…………ハァ」


 幾度となく吐かれてきた溜息を、さも当たり前のように吐く。


 よく、溜息を吐くと幸せが逃げるとは言うが、幸せの感じられない、灰色の日常を送っているルトにとっては、マイナスが更にマイナスになろうが、特に関係のない事であった。


 と、そのままトボトボと歩を進めていると、街の雰囲気が少しずつ変わってきた。


 先程までの見るからに値の張りそうな家々とは違い、明らかに安く買えそうなボロボロの家屋が増えてきたのである。

 同時に街灯の数も、家屋から漏れ出る光もが目に見えて減り、薄暗い雰囲気が周辺に漂う。


 しかし、ルトはそれを気にした様子もなく更に歩を進めると、数分後にある家の前で止まった。


 そこは他の家々と比べても明らかに小さい家であった。どう見ても1人暮らしを想定して作られたであろう見た目。


 が、その見た目のオンボロさは他の家屋と対して差はなく、またどこか生活感の感じられる雰囲気があった。


 ──そして、そんな家こそが、ルトの住処であった。


 ルトはその全貌を一度目に収めると、建物同様木で出来たドアを開け、その中へと入る。


 と、同時に「ただいま」と呟くも、返ってくるのは静寂な部屋に響く掛け時計の針の音のみ。

 その規則正しい機械的な音から、部屋にはどこかもの寂しげな雰囲気が漂っていた。


 しかし、この静けさは毎日のものである為、ルトは特に気にした様子もなく、部屋の奥へと進んだ。


 何とも見慣れた場景が目に映る。


 簡素なベッドに、これまた簡素な机。そしてあいも変わらず機械的に時を刻む掛け時計。

 おおよそ家具と呼べるものはその程度しかない何とも寂れた自室、その全貌であった。


 ルトは更に歩を進める。

 そしてベッドの前に立つと、力を抜き、重力に任せる様にベッドへと倒れ込んだ。


 ボフッという音と共に、目にギリギリ見えるかどうかといった埃が空中へと舞う。


「………………」


 ルトはそのまま数十秒程じっとした。

 その数瞬後、突然勢いよく身体をひねると、そのままベッドの上に仰向けになった。

 同時に、よく見知った天井が目に映る。


「……まずいよなぁ」


 そしてそのまま、つい先程ルトが見事なまでに敗した序列戦を思い出す。


 アルデバード王国唯一にして、最高の術師養成機関であり、現在ルトが通っている王立アルデバード学園。


 その学園にとって、そして卒業後の進路にとって、何よりも重要なのが戦闘力である。

 そしてその戦闘力を測る為、毎月行われているのが、この序列戦である。


 内容は至って簡単で、勝利数が同等の人間の中でランダムに組み合わせを作り、戦わせる。

 それを繰り返していき、1年毎にその年の順位をつけていくというものである。


 そしてその順位は、術師によって構成され、国内最高の就職先と言われている、術師団に入団を希望する際に、1つにして最高の判断基準として利用されるのだ。


 つまり、入学から出来るだけ多くの勝利数を稼ぐ事が、術師団、中でも上位に位置する術師団への入団、そしてその先にある莫大な富と名声の獲得に向けた道なのである。


 しかし、現状のルトはどうか。


 現在行われた序列戦は5回。そしてその内ルトが勝利を収めた回数は0回である。

 要するに現在、ルトは序列戦において最下位という立ち位置にいるのだ。


 これでは、術師団に入団できるかわからない。


 いや、ルトにはそれ以前の問題があった。


 それには、王立アルデバード学園の退学制度が関係している。


 退学制度とは、序列戦において半年間で1勝もあげられなかった生徒は、その時点で退学が決定するという制度である。


 現在のルトの戦績は5戦0勝5敗。そして半年の間に行われる序列戦は僅か6回。

 つまり、ルトは次に行われる序列戦で確実に勝利しなければならないのだ。


 纏術どころか、魔術すら使えない《無能》なルトが、圧倒的な力を有する魔術師や纏術師相手に──だ。


「…………次こそ、勝つんだ」


 しかし、ルトの心は折れてはいなかった。いや、こんな所で折ってはいられなかった。


 そう、ルトには明確な目標があるのだ。

 そしてその目標の達成に、術師団入団は必須条件なのである。


 つまり、幾ら戦闘力という面において、他の生徒と大きな差があり、安物のしかし長年使い続けた相棒でもある短剣しか攻撃手段がないのだとしても、


「……こんな所で負けられない」


 のだ。


 ルトは強くそう口にすると、仰向けのまま右手を上げ、拳をギュッと握った。


 そして数分後、懐寂しい中、近場にある屋台で安売りのパンを1つ買うと、水でふやかしながらそれを食し、すぐにベッドへと横になった。


 今後に対する不安と、しかしそれよりも大きな決意を胸の内に秘めながら。


 ◇


 早朝。未だ薄暗い空の下、小さな荒地の中に、1人の少年の姿があった。


 短剣を手に持ち、白髪を揺らしながら機敏に動くその少年は、現在序列戦において絶賛5連敗中のルトである。


 短剣を片手に、斬撃を繰り出しては、ステップで移動をする。再び繰り出しては……のそのくり返し。


 まるでその場に相手がいるかのように行動するそれは、ルトが毎日のように続けている、いわば日課の、戦闘シミュレーションであった。


 しかし、そんな戦闘シミュレーションだが、最近ルトはどうにもマンネリを感じていた。


 というのも、先程からわかる様にシミュレーションの名を冠しながら、相手が居ないのである。


 だからといって、魔物と呼ばれる駆除対象の生物と戦おうにも、家と魔物の生息域を行き来するだけで時間がかかってしまい、戦闘する時間が無くなってしまうのである。


 これでは、短剣を扱う事について、動きの最適化は図れても、人間との戦闘における動きの最適化を図ることはできない。


 そしてそれは、《無能》のルトが、序列戦を勝つ為に何よりも必要な対人経験を積むという事が、実質不可能であるということを表していた。


 魔術師でも、纏術師でもどちらでも構わない。

 ただ一緒に戦闘訓練をしてくれる誰かがこの場に居てくれたら。


 そう願うも、現実はそう甘くはなく、今まで学園で過ごしてきて、しかし誰1人としてルトに構おうとする者は居なかった。


「……変化が欲しいな」


 一連の動作を終え、ふっと息を吐いたルトは、未だ薄暗い空を眺めながら、ポツリとそう言葉を口にした。


 仮に自身の相手をしてくれるような人間が現れなかったとしても、せめて今のこの現状が大きく好転するような何かが欲しい。


 一人で過ごす孤独感を埋めてくれるような何かでも、《無能》と蔑まれ、嘲笑される自分の不甲斐なさを吹き飛ばしてくれるような何かでも良い。


 意識からでも、力からでも、人間関係からでも良い。


 ただただ、現状を変えてくれるような『何か』が欲しかった。


 ──その為には、やっぱり自分から一歩を踏み出さなきゃダメなのかな。


 ルトは思う。


 やはり変えたいとただ願うのでは無く、変えたいからと動かなくては、この現状を打破できるような何かは見つからないのだろうか。


「……それが、僕にできるのかな?」


 わからなかった。


 ただ、序列戦5連敗、そしてあと1敗で退学という立場に立って、ある意味ではやっとルトという人間の『弱さ』を知ることができて、そこで初めてこのままではダメだと思うことができた。


 ただ実直にトレーニングを行い、恵まれない環境でも諦めず行動するだけではまだ足りないのだと思う事ができたのだ。


「……できる。できるさ。僕なら、絶対に」


 今までのままではダメだという事に気づけた。

 それも、次の序列戦まではまだ1カ月近く時間を残した今、だ。


 これだけ時間があるのならば、少しは変わる事ができるのではないだろうか。


 ……ではこれから何をしようか。

 そう考えるも、今この時間では、戦闘シミュレーションを除き、特にこれといってやれる事はない。


「……よし」


 なら、今は今できる事をやるまでである。

 ルトはそう考え、フッと息を吐くと、再び戦闘シミュレーションを開始した。


 ◇


 幾ら早起きしたとは言え、これから学園で講義がある為、日課の早朝トレーニングは出来ても1時間が限界であった。


 ルトは最後に一撃短剣を繰り出すと、すぐに短剣を納刀した。そして額に滲んだ汗を右手で拭う。


 そしてすぐに簡単に荷物をまとめると、帰路に着いた。


 家に着いてすぐに、ルトは家の裏へと移動した。


 多少の隙間があるそこには、この小屋とも呼べる程の小さな家を住処にできた訳があった。


 円形に組まれた石の中に溜まった水。

 澄んだ、見ただけで涼しげな雰囲気を与えるそれは、魔術が使えず、お金もあまりないルトが生活できた由縁でもある──井戸であった。


 紐の繋がれた桶を垂らし、井戸の水を汲む。


 そして人差し指をつっこみ、水温がいかほどかを確認すると、その水を全身に浴びた。

 動き、火照った身体には、その水温が堪らなく気持ちの良いものであった。


 その後すぐに身体を拭うと、制服を身に付ける。いつ着ても、そのまるで貴族が着るような高尚な制服には慣れず、思わず背筋が伸びてしまう。


 が、だからといって「この制服は僕には合わない!」と制服を叩きつけ、学園を休むなんて事は絶対にできないので、ソワソワしながらも、それを我慢した。

 そして、


「……いってきます」


 と、ルトはあいも変わらず静まり返った部屋に向け、小さくそう口にすると、家を飛び出した。


 視界がぐっと開け、外の景色が目に映る。


 やはりいつも通りボロボロの家々がルトの視界に飛び込む。


 しかし、今日はどうしてだろうか。


 何故か、屋外の景色から、いつものような陰鬱な雰囲気が感じられなかったのだ。


 それは雲一つないスッキリとした晴天のおかげか、それとも単に思い違いか。


 理由も何も全くわからないが、いつもより明るい様に思える周囲の雰囲気に、ルトはどこか晴れやかな表情を浮かべた。


 そして、今日は何か良い事でもありそうだと、漠然と思うと、一度ニコリと笑みを浮かべ、そのまま学園へと向かった。

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