第57T話「別離」

 第五十七T話「別離」


 ーーバキィ!

 ーーガコォォ!

 ーードカァ!


 俺たちは殴り合う。


 当初は慌てていたてるも、その光景を目を丸くして傍観していた六神道ろくしんどうの者達も……


 やがて黙ってその景色を見守るようになった。


 「はぁはぁはぁ……」


 何度目かの殴り合いの後、地面に這いつくばり大きく胸を上下させる俺。


 「……」


 西島 かおるは相変わらずポケットに両手を突っ込んで、そんな俺を見下ろすように立つ。


 そしてーー


 ザッザッザッ……


 二歩、三歩……至って普通に歩を進める男は俺に近づきーー


 ガッ!


 項垂れていた俺のつらを無理矢理上向けるように、鷲掴んで上げさせた。


 「…………」


 俺は抵抗できない……さすがにもう気力も体力も限界を……


 ーー越えすぎていた


 「っ!」


 同時に少し離れたところで息をのむ少女の気配がする。


 ギリ……ギリギリ……


 俺の顔面を鷲掴んだアイアンクローは、まさに万力の如き剛力で俺を締め上げる。


 「くっ……」


 「…………」


 ギリギリ……


 「うっ……かはっ……」


 「…………」


 ギリリリ……


 「が…………は……」


 「…………」


 俺の意識が限界を迎えようとした時だったーー


 「…………幕だな」


 ーー!?


 鋭い眼光の男がボソリと呟く声が聞こえたかと思うと……


 ーートンッ


 俺の身体からだは後方へ軽くつき押され、そのまま俺は二歩ばかり後退し、ペタリと尻餅を着いてしまっていた。


 「…………か……おる……さん?」


 地ベタにペッタリ尻を着き、間抜けな顔でその男を見上げる俺。


 「…………」


 眼光鋭くとびきり柄の悪い男は無言で……俺を見下ろしながら、再び雑な動作でポケットに両手を突っ込む。


 「五百万ってとこか……どうだ?森永」


 そして、そう言葉を発すると、離れた位置で栗色の神の毛先をカールさせたショートボブが愛らしい少女を抑えていた、サングラスで小太りの服装の趣味がすこぶる悪い舎弟に問いかける。


 「そうですねぇ、一桁違いで三本以上は固いと言いたいところですが……容姿は言うこと無しの超上物でもこの性格じゃぁなぁ…………まぁ妥当だと思いますよ」


 そして森永はサングラスを少し下げて、上の隙間から見える濁った両目で少女の身体からだを舐めるように眺め、値踏みしながら答えた。


 「??」


 そして当の商品……超上物だが性格に難ありと鑑定された少女は、大きめの少し垂れぎみの瞳をパチクリとしばたたかせていた。


 「ふん、なら完済じゃねぇか……運があるな、折山おりやま


 そして西島 かおるはポケットに突っ込んだ両腕を何やらその中でモゾモゾとさせる。


 「か、かおるさん!?それは!?」


 なんだか納得し合う裏家業の男達に、地ベタの俺は慌てて真意を……


 「阿呆ぅが!テメェの借金と合わせても完済だって言ってんだよっ!」


 そして男は間抜けな俺にそう怒鳴りつけた。


 「…………」


 ーーなん……なんだ……かんさい?……何が?……俺の借金が?……いまさら?


 思いも寄らない言葉が耳から入り……俺は大いに混乱していた。


 ーーあり得ない……借金完済?俺の?俺が背負ったバカ親の借金が?


 ーーない!ない!


 極道ヤクザからする借金なんてゴールの無いマラソンだ。


 生かさず殺さず……高利を返すだけで元金は決して目減りしない永久奴隷契約……


 俺はそれを承知で背負った。


 子供の俺はあらゆる救済手段を拒んで……”親の借金それ”を背負った。


 それは俺が……


 馬鹿な……屑で最低な親でも、その拘わりにしがみつくための……ためだけの腐りきった負の鎖、虚構の絆……


 「……いや……それは……かおるさん……俺は……」


 それにそもそも”いっせいかい”が俺をこんな簡単に逃がすわけが無い。

 使い勝手の良い、折山おりやま 朔太郎さくたろうという愚かな駒の存在を……


 「…………」


 西島 かおるはそんな困惑する俺の顔を相変わらず無言で見下ろしていた。


 そして……


 ーーチャリン、チャリーーン!


 「っ!?」


 突然俺の目の前に数枚の紙幣と小銭が無造作に投げ捨てられた。


 それは眼前から見下ろす、とびきり柄の悪い男が両手をポケットから投げ出してばらまいたモノ……


 「いつまでづらを晒してるんだテメェ、借金と差し引いた分の金だ」


 俺は再び地面に散らばる”それ”を見る。


 「…………」


 何の変哲も無いこの国の通貨、それを珍しい物を見るような顔でじっと見る。


 「折山おりやま、テメエの借金は完済済みだって言ってんだよ、このド阿呆がっ」


 ーー借金……完済……


 ーーそんなことはとうの昔に分かってる……既にそんな額なんてとっくに返せているはずだって……


 ーーだが、それでもなんだかんだ言ってむしり取り続けるのが極道ヤクザじゃ無いのか?


 俺の頭の中は、俺を支配し続けた男の訳の分からない行動にますます混乱状態に陥っていた。


 「折山おりやま……てめぇは今日限りで破門だ」


 西島 かおるという男にしては珍しく静かな口調で告げる。


 「は……もん……?」


 「地元の名士、六神道ろくしんどう相手にこれだけのことやらかしたんだ、てめぇなんざ飼ってたらこっちにもとばっちりが来るだろうが」


 忌々しそうに吐き捨てる男の目は何故だか穏やかな色をしていた。


「……」


 俺のよく知る、西島 かおるという男は無愛想、不機嫌、傲岸不遜を絵に描いたような男だ。


 誰にも屈せず、へつらわず……唯々我が道を行く男。


 相手が誰であろうとも自身のやり方を変えるはずが無い。


 ーーなのに?


 ーー破門?なんだそりゃ……大体俺はもともとヤクザじゃないし……


 「…………」


 ーーそもそも、さっきのは何だ?わざわざ”あれ”をやるために此所ここに来たのか?


 ーーいや、そんなわけが無い……だったら何故?……なぜ……


 「…………ふんっ」


 未だほうけたままの俺を置いて、西島 かおるは鼻息を鳴らすと森永を促して俺に背を向けた。


 「か、かおるさん!?」


 俺は思わず叫んでいた!


 ーー何故だろう?……そうしてしまっていた


 「…………」


 去りかけた男の足が止まる。


 だが西島 かおるは背を向けたままだ。


 ぐちゃぐちゃの俺の頭の中は色々な感情や思考が渦巻いて……


 寧ろ空っぽになった俺は、その男を呼び止めておいて、そのまま思考停止フリーズする。


 ーーただ去りゆく男の背中だけが視覚情報として俺の脳味噌に流れ込む


 好むと好まざるに関わらず見続けた背中……

 どん底の昔からどん底の今まで見続けている背中……


 俺に畏怖と嫌悪と最低と最悪を実践し、そしてトコトンまで付き合ってくれた男……


 その背中が俺の目の前から去るとき、俺は言葉が出てこないのに、その背中を引き留めようとしていたのだ。


 「かおるさん!……西島 かおるさん……あの……あの……俺は……今まで……」


 「朔太郎さくたろうっ!」


 「っ!」


 俺の言葉を遮る西島 かおるの一喝!


 今まで何度もドヤされた怒鳴り声……しかしそれはいつもと少し違って……


 なにより一度も呼ばれたことの無い呼び方に俺は思わず言葉を無くしてただその人物を見ていた。


 「テメェはトコトンけ……折山おりやま 朔太郎さくたろう……じゃぁな、こんじょうだ」


 「っ!」


 終始背を向けたまま、それだけを言い残し去って行く西島 かおるという男。


 俺は、折山おりやま 朔太郎さくたろうは、理由は解らないが……


 何かがひとつ終わったと感じていた。


 ーーそれは喜ばしいことなのか?

 ーーそれは悲嘆することなのか?


 それともどうと言うことは無い只の一つの経験でしか無いのか。


 ーー解らない……でも、きっとこれは忘却していく事なのだろう

 ーー新しいものを手に入れた俺にはもう、必要のないもの、でもそれはきっと必要だったという証でもあるのだろう……



 「…………」


 校外へ向かって歩いて行く二人の人影は……もう小さくて、月明かり程度では確認でき無いほどになっていった。


 「なんていうか……良かったんだよね、借金無くなって?」


 いつの間にか傍に来た少女が、自信無げに尋ねる。


 ーーそう……か……俺はもう……


 しかし解放されたというか、自由への喜びというか……そういう感情は不思議と微塵も俺の中には無かった。


 「さくたろう……くん?」


 そして、未だ既に去った男達の方角を見ていた俺は、きっと難しい顔で黙り込んでいたのだろう、少女は戸惑ったままの瞳で俺を見上げていた。


 「…………西島 かおるっていう……男はな……」


 「?」


 俺はいったいなにを話そうとしている?


 実のところ、それは自分にも解らないが……


 後にこのときの事を振り返って解ったことは……


 ーーきっと俺は思ったんだろうな


 「相手が例え王様だろうと総理大臣だろうと……決して退かない男だ」


 「え?……えっと、でも、そうしたら……」


 ーーそうだ、あのひとはそんな理由でこんな事はしない……だから……


 「…………」


 俺の視界には誰も居ない暗がりが……あのひとが去った暗がりがある。


 「…………」


 「…………良い人なんだね」


 その俺の横顔を何故か優しく見守りながら、てるがしみじみと言う。


 ーー?


 思いもよらない言葉……俺は目を丸くする。


 「良い人な訳無いだろ、極道ヤクザだからな……それは絶対無い……けど……」


 勿論反論するが、俺はどうも勢いがつかない、なんだかそれも違う気がする。


 「えっと……あれだ……てる、俺は……」


 「うん……なんだか解るよ、”朔太郎くんキミ”の顔を見てるとね、ふふふ……」


 「……」


 しどろもどろになる俺を眺めるてるの顔は終始穏やかな表情だった。


 「………………そうか」


 頭の中で瞬時に色々と試行錯誤した俺だが、結局口をついて出たのは、そういう類いの素っ気なく短い言葉。


 途端に傍で俺を見上げる垂れ目気味の大きな瞳は楽しそうに細められ、てるは年相応の多感な少女らしくコロコロと笑っていた。


 「…………」


 ーーだから……俺は思ったんだろうな


 ーーこの少女には……守居かみい てるだけにはそれを知っておいて欲しかったのだろう……と


 「ふふふ……あははっ……すごく朔太郎さくたろうくんらしいね、ほんとう……」


 そして、てるは笑いながらもしゃがみ込んで、地面に散らばった現金を拾い集めだした。


 「……えぇとぉ……全部で二万四千五百六十七円」


 全て拾い終わった彼女は、それを丁寧に小さい両手の平に乗せた形で俺に差し出した。


 ーー二万四千五百六十七円……

 ーー半端な金額だ……どんな計算をすればこうなるんだ?


 「……わるいな」


 俺は差し出された紙幣と硬貨を無造作に掴んでポケットに入れる。


 「どうするの?そのお金」


 てるはさりげなくそう聞いて来る。


 「……おまえ子供の頃、欲しい物とかあったか?」


 そして俺は彼女に逆に問いかける。


 「な、なに?藪から棒に……うーん、あんまり思い出せないかな?」


 それは、特殊な幼少時代を過ごした二人には余り縁の無い内容の会話であったのだろうか?……てるは急には具体的な答えが浮かばないようだった。


 「……俺はな、実は……”ふぁみこん”……欲しかったんだ……昔」


 「へっ?」


 俺は多分……てるが抱く、現在いまの俺からは想像も出来ないような、キャラに無い内容を打ち明ける。


 「ふぁ……み?」


 案の定、てるは目を丸くしていた。


 「”ふぁみこん”?……”ふぁみこん”ってあの……ピコピコする?」


 そして少し間を置いてやっと聞き返してくる。


 「昔な、”ふぁみこん”のゲームソフトをいっぱい遊ぶのが夢だったんだよ、俺は……」


 「そ、そうなんだ……」


 てるはやっぱりそれが想像できないようで、終始驚いた顔だった。


 「こ、子供の頃は結構普通だったんだ……」


 聞きようによっては大変失礼な感想を述べながら、それでも、ちょっとだけ嬉しそうにこちらを見る少女。


 「俺の子供の頃はアレだったから、夢のまた夢だったけどな……」


 「うっ……」


 そして俺は、その場の空気をちょこっとばかりヘヴィな言葉でぶち壊す(わざとだ)


 「……で、現在いまのお前ならどう使う?」


 そうしてもう一度、今度は少しだけニュアンスを変えて彼女に聞き直した。


 「……そうだね……だったら、だったら、わたしは……”デジカメ”とかかなぁ?」


 「カメラ?」


 ーーアクセサリーとか服とかじゃ無く?


 機械音痴そうな彼女からの言葉は、それはそれで少し意外な解答だった。


 「わたし、スマートフォンとか持ってないから」


 そんな俺の顔を見て察したのか、彼女は補足する。


 そういえばそうだった、てるの携帯は旧式の格安ガラケーだ。


 「ああ……それは俺もだ」


 しかし、まぁよく考えれば、それさえ持っていない俺も同じようなものかと同意していた。


 「うん、私たちかなり特殊だよね、だから写真とかも全然ない」


 ーー確かにな……必要なかった……在るとしたら学生証の写真か、せいぜい裏世界の指名手配写真くらいか?


 「今まではね……そんな物、欲しいって思ったこと無かったけど……あの、ね……これからは……その……いろいろと残したいかなぁ……とか?」


 チラリチラリと意味ありげな瞳で俺を見るてるという少女。


 「……てる


 彼女の視線を捕らえた俺は真剣な視線を返す。


 「あ……」


 視線が絡み合った途端、ボッと頬を染めて俯く少女。


 西島 かおると別離したばかりの俺を気遣ってからか、彼女は表向きはいつも通りにしていたのだろうが……


 今夜はとにかく色々とありすぎて……


 お互いの頭の中はとても整理しきれない様々な感情が絡み合って、結構な状態だったはずだ。


 そんな中での、不意打ちに近いシチュエーション。


 「てる……お前……」


 「う、うん……」


 てるは頬を染めたまま、落ち着かなくも何かを期待した乙女な瞳で俺を見上げていた。


 「”ふぁみこん”を”ピコピコ”っていうのな?」


 「なっ!?」


 「いや、だから”ピコピコ”って……そんなのお母さんくらいしか聞かな……」


 「う、うるさぁぁーーいっ!!馬鹿!バカ!ばか太郎っ!」


 思い切り肩すかしを食らったてるは別の意味で顔を真っ赤にして俺を睨んでいた。


 「なんなのよーー!この、さくたろうっ!さっきまで泣いてたクセに!」


 「泣いてなんか無いぞ」


 「泣いてたね!絶対、あの横顔は、ぜーったい心の中で泣いてたよ!わかるよ、わたし!」


 言い返そうと必死な彼女だったが、俺はそれを笑って余裕タップリに受け止めていた。


 ーー

 ー


 ーー二人の外れ者が並んで歩く


 その極道しょくぎょうには似つかわしくない”学び舎”という場所から堂々と去って行く二人。


 「兄貴ぃ……さくのやつ、奴なりに役に立ってたとは思うんですよ、だから餞別ならもうちょっと色を付けてやったら良かったんじゃ無いですかぁ?」


 西島 かおるを追いかけるように従いながら、小太りサングラスの森永という舎弟は、彼の柄に無いような気遣いの溢れた内容の話で兄貴分に問いかける。


 ーー二万四千五百六十七円……なんとも半端ながく


 「森永……」


 西島 かおるはそこで急に立ち止まった。


 「ウスッ!」


 森永も同様に立ち止まる。


 「そこの自販機でタバコ買ってきてくれや、あと、金も貸しといてくれ」


 「金?……兄貴?」


 不思議そうに兄貴分を見る森永。


 西島 かおるは、ばつが悪そうにそっぽを向く。


 「…………」


 彼の懐は予期せぬ出費でスッカラカンであった。


 「ははぁ、兄貴は……朔太郎やつよりずっと不器用ですね」


 そう言い残した後、森永はにやけた顔で自販機に走る。


 ーー普段通り不機嫌そうな背中で立つ柄の悪い男


 その極道スジでは鬼のように恐れられ、かつの如く嫌われる……西島 かおるは不機嫌が服を着て歩いているような外道として有名な男だ。


 「…………いてぇ」


 独り立つ、とびきり柄の悪い極道は、左足首をジッと見下ろしてそう呟いた。


 「兄貴ーーっ!いつもので良いですよねぇぇっ!」


 遠くから舎弟の小太りサングラスが叫んでいた。


 ーー西島 かおる……いつも不機嫌そうな彼の口元は……今日は心持ち愉快そうにほころんでいたのだった


 第五十七T話「別離」END

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