第52話 不穏なる者達の嘲笑・惑い

※三人称視点で進みます。


「おい、アヴェル……!! アヴェル!! 入るぞ!!」


「…………」


 光の侵入を拒むかのように、御柱の息子たるアヴェルは暗い部屋に一人きりでいた。

 料理に詳しくない漆黒の髪の青年がオタマを手に部屋へと踏み込んで来なければ、ずっとこのまま静寂の中に引き籠っていた事だろう。

 

「アヴェル!! 今日のお昼はアリューの一番無難で失敗しないスクランブルエッグと、お外で買ってきたふかふかのパンですのよ!! とっても美味しそうなんですの!! スクランブルエッグ以外は!!」


「お姫~……っ、お前なぁっ! ヴァルドナーツの抜けた分を、つか、家事全般請け負ってる健気な俺の努力になんつー事言ってんだ!! デザート抜きにすんぞっ!!」


「むぅううっ!! 横暴ですわ!! 職権乱用ですわぁっ!!」


「……はぁ、マリディヴィアンナ。それ、使いどころが違うから。……アリュー、身支度を整えたらすぐに行くから、マリディヴィアンナの世話を引き続きよろしく」


 何日ぶりだろうか。仲間の賑やかな声を聞いたのは……。

 母と同じ人格をしている使いの言葉に導かれ、アヴェルがアレクディース……、御柱のアヴェルオードの許を訪れ、その魂を奪ってから……、何日が過ぎ去ったのか。

 アヴェルの記憶では、三日以上は過ぎているという自覚はあった。

 だが、せっかく隙を突いて奪ってきた御柱の魂を……、アヴェルはまだ、その身の内に取り込めていない。美しい蒼の輝きを纏う御柱の魂。それを手に入れてから、奇妙な事が起こり始めた。

 寝ていようと、寝ていなくとも、頻繁にアヴェルの前に現れる白昼夢のような光景。

 豊かな自然の恩恵を受けた、彩りの鮮やかな花々が咲き誇る、楽園のような世界。

 自分とよく似た子供が、時に無垢な笑顔で、時に、寂しげな、泣き出しそうな顔で、何度も、何度も、この目に映りこんでくる。

 特に、夜、眠りに就いたり、昼間に居眠りをした際には、もっとハッキリと、子供の声や姿が鮮明になって、よくわからない光景を映し出す。

 最初はその子供の様子を眺めているだけだと思えば、途中からは自分の視界が子供の視点になっていたり……。自分とよく似ているが、自分ではない子供が、誰かに話しかける声も、自分の口から紡がれているような気までして……。


「ふぅ……。何なんだろう……」


 アヴェルは身に着けていた服をその場にポイポイと適当に脱ぎ捨て、バスルームに向かい始め……、ふと、何かがおかしい事に気付いた。

 振り向いた先に見える、乱雑に散らばった衣服の類。

 いつも綺麗に片付ける事が好きなアヴェルにとって、不可解な光景だ。

 あぁ、そうか、きっと変な夢や白昼夢やなんやかんやで疲れが溜まっているからなのだろう。

 アヴェルは深く考え出す事をやめ、服を拾って綺麗に畳んで寝台の上に置いた。

 

「これでよし、と」


 そう、こうやってきちんと片付けるのが自分の性格だ。

 血塗れの肉塊などは自分の目に入らないところであれば放置で構わないが、こういう日常の物に関しては、片付けなくては気が済まない。

 だが……、何故だろう。アヴェルは自分が脱ぎ捨てた服が散らばっているのを見て、また奇妙な感覚を覚えた。いや、……なんだか、前にもやっていたような、と。

 既視感のようなものに近い気がするが、まぁ、いい。そんな事よりもさっさと身体を清めよう。

 個人用のバスルームに足を踏み入れたアヴェルは目を瞑り、頭から熱いシャワーを浴び始める。

 

「はぁ……」


 どうにも気が進まない。

 愛おしい母親の声を届けに来る使い、母親の影が命じた事。

 奪った御柱の魂を自分の魂とひとつにし、強き神の力を手に入れろという指示。

 最初は母親の手助けになるのならと了承し、行動もしたが……。

 降り注ぐ湯の雨を浴びながら、アヴェルは俯いて瞼を開けた。

 その両手を目の前に固定し、美しい蒼の煌きを宿す結晶……、御柱の魂を呼び出す。

 神にはそれぞれ、個神(こじん)の象徴となる紋様があり、又、表現の違いはあるが、花を意味する何かが含まれている、と、そう聞いた事がある。

 ……誰から? 母親から? ……いや、違う。こんな情報、自分は今まで知らなかった。

 自分の魂の形さえ見た事がない上に、自分以外の神々のそれも、見るのはこの御柱のものが初めての事。


『……、お前は俺の息子だから、魂の形はとても似通っているだろう。だが、いずれ……、俺の役割を引き継ぐ時には』


「……の、……魂、と、僕の、魂、が……、……に、なる、……から」


 何故、あの騎士の、御柱の声が頭の中に響くのか。

 何故、寂しげな声音が向けられている相手が自分だと、そう、思うのか……。

 御柱、アヴェルオードの魂の輝きに触れていると、自分の存在が揺らぐような気が、して……。

 アヴェルは両手に抱いていた魂を視界から消し去り、目の前の壁を乱暴に叩きつける。

 

「うる、さいっ……! 何なんだよ、何なんだよ、お前はっ、……僕、はっ!」


 御柱の魂を手に入れてから、意味のわからない奇妙さばかりに頭を悩ませられている。

 まるで呪いの道具でも押し付けられているかのようだ。

 所謂、ノイローゼ気味と診断されかねないアヴェルの精神的疲労具合は酷く、ふと逸らした彼の視線が捉えたものも又、自身を苦しめるものでもあった。

 鏡に映った、自分の顔。大人の姿になった、……あの御柱と、よく似た面差し。

 

「くそ……っ!」


 鏡面に抉り込まれたアヴェルの拳から、生々しい赤が伝い落ちていく。

 痛みも何も構うものか。この、呪われた日常が終わるなら、幾らでも苦痛に身を晒してやる。

 だが、アヴェルが何度鏡を打ち付け、粉々に砕こうと……、全ては無駄な事だった。

 何故なら、御柱の魂を奪い、それを手にした時から……、彼は、真実と向き合う重要な鍵を手にしてしまったのだから。

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