第18話 眠る姫の傍で語らう幼馴染
――Side アレクディース。
「で? ……何をした、アレク」
「いや、……その、……すまなかった」
俺のせいで意識を失ってしまったユキが再び眠りに就いてから二時間……。
ウォルヴァンシア王国に帰還し報告を終えたルイが戻って来た。
そして、顔を真っ赤にして魘されているユキを見て開口一番これだ。
いや、責任は勿論、俺にある……。ユキへの愛しさが抑えきれず、不安に震える柔らかな唇に触れたいと願った俺の罪だ。今度は、力の補給ではなく、……愛を求めて動いた。
冷ややかにグサグサと刺さってくるルイの視線は容赦がない。
俺を部屋の隅に追いやり、自分がユキの傍を陣取って診察を行っている。
「少女期の娘に無理をさせるなと言っているはずだがな? いい加減に学んでほしいところだが」
「すまない……。これでも堪えている方なんだが」
「言い訳はいい。……問題はない、か。アレク、暫くユキの事はそっとしておけ。身体の休息もだが、心の癒しも必要だからな」
「あぁ……」
俺と同じく、神としての覚醒を果たしているとわかる、目の前の幼馴染……。
ルイに任せておけば、ユキの事は安心だとわかっているが……、同時に不安でもあった。
今目の前にいるのは、狼王族として生まれた頃からの幼馴染であり親友。
しかし、神であった頃は……。
俺に対し言いたい事や、不満もあるだろうに、ルイは何も言わない。
ただ、以前と同じ事を口にするだけだ。ユキはいまだ少女期の不安定な存在。
必要以上の負荷をかけるな、それだけを繰り返す。
それがある意味で、得体の知れない不安を俺の中に芽生えさせている。
「ルイ……。俺に対して言いたい事はないのか?」
「だから、さっきから注意しているだろう? 少女期のユキにお前やカインの愛は多大な負荷となる、とな。それに気を付けて行動していれば何も言う気はない」
「違う。……俺は今、神としてのお前に聞いているんだ」
「……特に、何もないが」
そんな訳がない。どんなに時が流れ、過去の記憶が薄らいだとしても、ルイが俺に対して不満や怒りを抱いていないわけがないのだから……。
むしろ、殺したい程に憎まれているはずだ。それなのに、何もないフリをするのか?
ルイは眼鏡を白衣の胸ポケットに仕舞うと、こちらに身体を向け足を組んだ。
感情を読ませない深緑の双眸が、どこまでも冷めた様子で俺の事を見つめている。
「信じられないか? かつて……、俺の目の前でユキを害し、自分勝手な嫉妬と想いの暴走で天上を乱した自身を、俺が許すわけがない、と?」
「覚えてるんじゃないか……」
「当たり前だ。お前と違い、俺の覚醒は完全なものだからな。いや、……唯ひとつを除けば、ある意味で不完全とも言えるか」
数多ある世界を巡り、エリュセードの地に舞い降りた……、異界の神。
災厄の女神の娘、すなわち、今寝台で眠りに就いているユキと地上で出会い、天上にまでやって来た、かつての恋敵。だが、俺の中にルイを疎む感情はない。
確かに、彼女を巡って何かと張り合いはしたが、気の合う友でもあったのだから……。
そして、俺はあの時、二人の仲を誤解し、身勝手な嫉妬に溺れた。
その時の事を覚えているのに、何故何も、敵意や殺意を向けて来ないのか……。
俺にはそれが不思議で、恐ろしくて仕方がない。
だが、ルイが不完全と言っている、その理由がどうにもわからなかった。
今のルイの態度と、何か関係があるのか……。
「遥か昔の事をいつまでも根に持ち、お前に敵意を向けて憂さを晴らす程、俺は暇じゃない」
その言葉に嘘はないようで、ルイは余裕を抱くように笑みを浮かべた。
だが、それでも俺の心は不可解だと繰り返している。
心の底からユキを想い、手に入れる為に動いていたルイが……、俺を恨まない、その訳を。
深緑と蒼が探り合うように視線を交わし、やがて零れ出たのは、諦めの吐息だった。
聞いても教えてくれそうにはない。そして、今のルイに俺への敵意はない。
少なくとも、ユキが悲しむ真似をする事はなさそうだ。
「過去を悔い、反省をし、これからを見据えているお前は成長している。それでいいだろう? 俺がお前を害す事も、これを悲しませる事も、ない。絶対にな……」
「そうか……。だが、何かあれば、遠慮はいらない。俺はお前が抱くあの頃の怒りを、恨みを、いつでも受け止める覚悟は出来ている」
「心配性な奴だな……。それに、たとえ神としての覚醒を遂げていても、俺はお前の幼馴染であり親友だ。その情が消える事もなければ、何が変わるわけでもない。安心しろ」
あくまで、神としての記憶は付加価値でしかないと、ルイは微かな微笑と共に一蹴してみせる。
所詮は遥か昔の記憶、今を生きる自分には関係がないと言わんばかりに……。
確かに、そうかもしれない。今の俺はアレクディースで、目の前の男は、ウォルヴァンシアの王宮医師であり、友である存在。
だが、その昔抱いていた感情は? ユキに対して抱いていた恋心は、ルイの中にないのか?
眠るユキに視線を移した幼馴染の双眸は、保護者的な親しみのある温もりしか抱いていない。
神であった頃、あれ程に強く抱いていた恋情は、どこに……。
(いや、今もルイがあの感情を抱いていたら、カインを相手にするよりも厄介なんだが……)
不安要素が減ったというべきか、それとも増えたというべきか……。
今はそれを気にしているべきではないと思い直し、俺はルイの傍へと寄った。
「アヴェルの事だが……、上手く気配を隠しているようだ。檻も、破られている」
「だろうな。腐ってもお前の神花と力を受け継ぐ息子のような存在だ……。一筋縄ではいかないだろう。……それに関しては、お前に文句をぶつけたいところだがな」
「あの時は、それが一番良いと思えた」
愛しい女神をこの手で害し、眠りに就かせた罪人……。
死ぬ事も許されず、俺に許されたのは眠る事だけ……。
けれど、僅かな眠りはすぐに覚めてしまう。だから、俺は自分の身代わりを創った。
アヴェルオードを継がせる子供を、自分を現実から逃がす為だけに、この手で。
神としての知識や力を扱う方法、必要な事を教えながら幼子と過ごす日々は、どこか充実したものにも感じられた。幼子、……今はその時の記憶がないアヴェルも、俺に懐き、神殿で眠るユキを訪ねて散歩をした事も。
彼女を見つめる俺の後悔と悲しみ、そして、注ぐ愛情の強さを感じていたのか、アヴェルはこう言った。
『この人が、僕の母様なの? そうだったらいいなぁ』
……と。正確には勿論違う。
アヴェルは俺が生み出した、俺の身代わりであり、息子。
だが、心にユキを抱いて生み出したのだから、母、と呼べる存在でもあったかもしれない。
肯定はしなかったが、あの時俺は、アヴェルの頭を撫でた。
自分が逃げる為に生み出した子供を、父として、愛しさを込めて慈しんだのだ。
それなのに……。
「アヴェルは、ディオノアードの鏡を持ち出した神に攫われ、異空間への道連れとなった」
「御柱たるお前の息子だからな……。あらゆる条件下において取引の材料にも、利用するにも、価値があった。天上での記憶は一切ないと見て良さそうだが、どう片を着ける気だ?」
「……説得を試みる。母と慕う者が偽物だとわかれば、利用されていると、気づけば、救う事は出来る」
ユキの寝顔を見ながらそう宣言すると、ルイは足を組み替えて試すような眼差しを寄越してきた。
恐らくは、もうひとつの可能性を、その覚悟があるのか、聞きたいのだろう。
「ディオノアードの核の傍に、長年いた存在だぞ? もしも、説得も出来ず、浄化も困難で、俺達の、ユキの害となる場合は……」
「親として、俺が成すべき事はひとつだ。その時は必ず、俺がアヴェルを止めてみせる」
その命を奪ってでも……。
アヴェルに与えた神花と力の半分、それを、俺の中に奪い返し、息の根を止める。
あの子にも、自身の神花はあるが、その活動を助けているのは、俺の神花と力だ。
それがなくなれば……、その時点で命を奪ってしまえば……、最悪の場合、眠りではなく、消滅の道を辿る事になるだろう。
出来れば、説得に応じさせ、浄化をしてやりたいが……。その可能性も考えておく必要がある。
「子供の反抗期にしては、度が過ぎるているが……、まぁいいだろう。アレク、ユキの体調が戻り次第、ウォルヴァンシアに帰還するぞ。……レイフィード陛下の為にもな」
「陛下? 陛下に何かあったのか?」
「獅貴族の王都に異変があった晩、突然倒れ意識を失った。それ以降、……昏睡状態が続いている」
「離れて大丈夫なのか?」
仮の器を用い、ガデルフォーンの地に向かったレイフィード陛下は、その器には過ぎた力を使い、一度魂にダメージを負っている。その傷も順調に癒えているはずだったが……、昏睡状態とは奇妙な話だ。ルイの話では、レゼノス様曰く、『原因不明』。
だが、何故そうなっているのかは、診てきたルイにはわかっているのだろう。
「覚醒の前触れ、といったところだが……、ユキ同様、あの方は不確定要素を抱く神の一人だ。死ぬ事はないだろうが、暫くは様子見といったところだな」
「そうか……」
お互いに、内心で同じ事を思う。
レイフィード陛下の中で眠っている神の記憶が目覚めれば、どちらも非常に面倒な目に遭いそうな予感しかしない、と。
ルイは騒動の元凶であり、俺は暴走しユキを害し眠りに就かせた存在。
神々の誰よりも、俺とルイを憎悪している……、ユキにとっては心強い守り手。
「そう心配するな。俺達は神の記憶を抱いてはいても、優先されるのは、今生きている俺達の人生だ。神の記憶に食われ、今を塗り潰される事はない」
「いや、レイフィード陛下が俺を憎み、存在を消したいと望まれるならば……、それも正面から受け止める気だ。だが、今はまだ何も片付いていない。せめて、……『悪しき存在』と呼ばれた、哀れな神々の件をどうにかするまでは」
「それがわからない程、陛下は子供ではない。狼王族としての人生も、俺達よりも遥かに長いからな……。状況の判断を見誤る事はないだろう」
穏やかに流れ込む風の気配に肌を撫でられながら、ルイに頷く。
確かに、レイフィード陛下が今自分の負っている立場や周囲への情、責任を放り捨て、俺達に罰を課すとは思えない。ただ……。
「遠回しに嫌味の連撃は飛んでくるんだろうな……」
「その程度で済めば楽だと言えるがな。……だが、今のレイフィード陛下に神の目覚めは」
「ルイ?」
声を低めた幼馴染の様子に眉根を寄せた俺は、数瞬の後にその意味を悟った。
そうだ。……レイフィード陛下は、今余計な負荷をかけるわけにはいかない身。
あの方に何かあれば、それに共鳴して……、『あの方』にも良からぬ影響が出かねない。
「俺の力で覚醒が起こらないように留めてあるが、不確定要素は、色々と仕出かしてくれるからな」
「あぁ……。ユキが調子を取り戻したら、すぐにでもウォルヴァンシアに戻ろう」
ウォルヴァンシア王国が、他国に対し長年隠してきた秘密。
それが、どれほどレイフィード陛下の負担となり、あの愛想の良い笑顔の下に苦労を隠している事か……。帰還次第、陛下の状態を確認した後(のち)に、『あの方』の許に向かう必要がありそうだ。何事もなく、憂いを払えればいいのだが……。
消えたアヴェルと、その仲間達の動向に不安を抱きながらも、今だけは……、そう願いながら、落ち着いてきたユキの寝顔に視線を定める。
「ユキ……」
何故彼女が、恋愛という存在に必要以上の怯えを抱くのか……。
口にはしなかったが、本当は気づいている。
かつて、唯一人の男神を愛し、それを貫き……、失い、壊れた女神。
誰かを愛し、幸せになったはずなのに、災厄の象徴と成り果てた女性。
彼女を母に持つユキからすれば、怯えや恐れを抱いて当然だ。
子の声が届かず、自分の殻に籠り、狂い壊れた母親を目にしたユキは、愛する事の恐ろしさを思い知った……。だから、今でも誰か一人を特別に想う事が出来ない。
それを知っていたのに、俺は、……自分なら彼女の心を癒せると、そう、傲慢にも信じて、彼女を求めた。今でも同じ事なのだが、あの頃と違うのは。
「ルイ……」
誰も出来なかった奇跡を願う事もまた、傲慢なのかもしれない。
けれど俺は、幼馴染であり親友でもある友に相談を持ち掛けた。
ユキの消えない傷を、優しい幸せの色で癒したい。その想いを強く胸に感じながら……。
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