1月12日 少しだけオカルトの話をしよう
はい、それは隠秘学です。
ドーモ、雪車町地蔵だ。
突然だが、マジックとオカルトの共通点はなんだろう。
答えは、どちらも秘密にするものだということだ。
マジックには必ずトリックがある。
トリックがなければ、それはマジックではなく奇跡になってしまうからだ。
そうして、往々にしてマジシャンが語るのは、トリックを知ってなおマジックを楽しめるものこそ、マジックを好きでいられる人間だということだ。
無邪気に無垢に、奇跡を楽しむのは決して悪いことではない。
けれども、隠されたトリックを知ってなお、夢や好きという感情を失わないのなら、それはもはや愛なのだ。
これは、オカルトにも言えることだ。
オカルトとは、奇跡を意味する言葉ではない。
あくまで、今のところなんだか証明できない事柄、に対するレッテルだ。
つまり、オカルトにもトリック──論理は存在するのである。
論理が役に立たないというのも、それはそれで論理なのだ。
酷く子どもっぽい仮令を出すが、火の玉の正体は土中の燐であるとか、幽霊の正体見たり枯れ尾花であるとか、これを聞いてこどもだましだと思うような方には、あまりオカルトが向いているとは言えない。
それを踏まえたうえで、別の理由を探すもの。
受け入れたうえで、楽しいと思えるものだけが、オカルトを愛していられるのである。
幽霊や超常現象が実在するかどうかはわからない。
実在したら、それはもう科学の領分なので、オカルトは関与できないからだ。
わからないなりに考察を巡らせ、楽しむ。
目撃したことを隠匿し、秘密にして、その上で学べるようにする。
怪力乱神を語らず。
語りえないことには沈黙しなければならない。
理解できないことを秘密にし、一部の同好の士だけでその秘密を共有することこそ、オカルトの本分なのだ。
ご意見はいくつもあるだろうが、どうかこの辺りを一考したうえで、オカルトや科学と付き合ってほしい。
でないとどうにも、世の中ってのは生きにくいものになってしまうから。
以上!
(おまえはオカルティストなのか)
(いえ、残念ながらそれほど詳しくはないです)
(じゃあ、なんだ)
(通りすがりの、オカルトマニアですかね……それでは、アデュー!)
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