十三 暴威

 

 女達の攻防はなおも続く。


「おぬしは何故、あの化け物に味方するのじゃ?

 おぬしの魂は清浄とはとても言えぬが、あ奴ほどには穢れてはおらぬ。さりとて術によって操られているとも思えぬ」

「何が解せぬか。好いた男子おのこに尽くすは女の本懐であろ?

 王は、生に飽き絶望に暮れていたわらわに、まだ見ぬ世界を見せてやると言うてくれた。蛍火なる新しい名もくれた。

 よわい千年の生を以て、初めて惚れた男じゃ」

「なんと、千年も生きたか! その末にあの男と出会うたとか!

 なるほど得心した、もはや訊くまい!」


 その言葉が終わると同時に、撫子の体が二つに分かれた。

 いや、三つ四つ五つ……。

 無数の撫子が幻の様に現れては消え、消えては現れる。

 一方の蛍火も同じくおぼろな姿となり、其処彼処で撫子と激しく撃ち合った。

 屋敷の中に嵐のような風が吹き荒れ、俺達を包んでいた靄糸の雲もあっという間に千々に切り裂かれて消えちまった。

 これは……、本気の神速で戦っているのか。


「この場は私に任せよ! 行け!」

「応よ!」


 撫子の言葉に、俺と大将が先に向かおうと身を翻す。その目前に蛍火が現れた。


「行かせはせぬ!」


 かさずそこに撫子が立ちはだかる。


「やらせるかっ!」


 四方のふすまは粉々に吹っ飛び、女達は複数の部屋を縦横無尽に行き来しながら激しくぶつかり合った。


ろう、行くぞ」

「応!」


 大将の虎気が大きく膨れ上がる。俺も全身を月光で包み、一気にこの場から飛び出そうとした。

 その時……。


「時は至れり! もはや何を図ろうとも手遅れじゃ!」


 突然、蛍火が諸手を上げて歓喜の声を放った。


「なにっ?」

「何だと?」

「むっ」


 全員が動きを止める。

 蛍火の声に続いて、足元から微かな振動が伝わってきた。

 と思う間もなく、その揺れは立っていられないほどの激震となり、屋敷全体を揺るがした。

 地面だけじゃねえ。

 大気までもが正体の判らねえ重圧に締め付けられ、その悲鳴が耳鳴りとなって訴え掛けてきた。

 何かが、途轍もなく巨大な何かが迫って来ると……。


「いかん! 皆の者、身を隠せ!」


 言うや否や、撫子が床をガンッと踏みつける。

 その衝撃で部屋中の床板が一斉に跳ね上がり、俺達は足場を失って床下へと落ち込んだ。


「うおっ」

「なんと」

「伏せよ!」


 俺達だけでなく、蛍火までもが土の上に這いつくばる。

 その直後に津波のような撃風が屋敷を襲い、頭上の建屋を一時に吹き飛ばして行った。


「ぐううっ」


 指先を地面に突き立て、さらわれそうな体を必死で押さえつける。

 嵐は長くは続かず、やがて小さなつむじ風を残して消え去った。

 だがその後に残ったのは……。


「なんだ…こりゃあ……」


 立ち上がった俺が目にしたのは、見渡す限りの倒木と瓦礫の連なり。

 都の公家屋敷とも見紛う絢爛豪華な御殿は跡形もなく破壊され、森も山も無残な荒野となり果てていた。


「いったい何が起こったというのだ」


 大将も立ち上がりながら呆然と声を漏らす。


「与一よ、あれを」


 撫子が指差す方に目をやると、山肌のそこ彼処に、突然の嵐の犠牲となった侍達の無残な姿が散らばっていた。


「全滅だな。致し方あるまい」


 さして感慨も無さげに大将が言い放つ。まあ、最初から味方とは思っていなかったようだからな。

 だが俺は、『殿を頼むぞ』と笑いかけてきたあの侍の顔を思い浮かべずにはいられなかった。

 あいつは、無事だろうか。


「きゃはははははっ! 見たか! 地球王の絶なる技、魔修羅の極なる力を!」


 荒野と化した山中に、蛍火の嬌声が木霊する。


「魔修羅だと?! じゃああの野郎はとうとう、龍神の逆鱗を見つけちまったってのか!」

「その通り!

 見よ、あれこそ龍の首の根に突き立てられた一筋の矢。もはや貴様らが如何に足掻こうと、龍神の怒りを鎮めることは叶わぬ!」


 蛍火が彼方の空を指さす。

 その先を見ると、遠く連なる峰々のはざまから一筋の黒煙が立ち昇っているのが目に入った。

 一瞬、先日の土煙と同じものかと思ったが、その姿形は以前目にしたものとは明らかに違う。

 毒茸のような不気味な形状に加え、内側から高熱を発しているのか、黒煙の隙間から覗く赤黒い光が血塗られたような禍々しさを漂わせている。

 あれが魔修羅の……。てことは、さっきの嵐はあれの爆風だったのか。


「くっ」


 龍神の苦悶が俺にまで伝わってくるような気がした。

 もしこれがこないだ見た幻覚の通り、撫子にも届いていたとしたら。

 だが黒煙をじっと見つめる撫子の固い表情からは、その内面を窺い知ることは出来なかった。


 荒野となり果てた屋敷の跡で、俺達は無言で蛍火を取り囲んだ。

 こうなっちまったらもう、女相手だなんて甘いことを言っている訳にはいかねえ。覚悟を決めるしかねえようだ。

 だが今にも打ち掛かろうと狙いを定める三人の鋭い視線を、蛍火は傲然とした笑みで受け止める。

 刀を抜き放ち、互いの得物を振り上げようとしたその時、俺達の周りにドドドッと音を立てていくつもの影が降り立った。


「むっ」


 現れたのは、数頭の狼だった。

 それもただの狼じゃねえ。野牛とも見まごう巨大な体躯に、それを支える巨木の如き四肢。剥き出しの牙は、熊をも一撃で屠る鋭さを見せる。

 この尋常ではない形貌には、見覚えがあった。


「来たか、狼王」

「ガオウッ!」


 銀毛に包まれたその姿は威厳さえ漂う。

 付き従う者等も、いずれ劣らぬ堂々たる巨躯を誇る。中には狼王よりも更に一回り大きい者までいた。


「ガルルルッ」「ガウッ」「グオッ」


 狼達は殺気立った様子で俺達を取り囲んだ。いや待て、二手に分かれて蛍火と那須の大将に牙を剥いている。


「ふふ……」

「ぬ?」


 蛍火はともかく、大将の纏う殺気に当てられちまったか。


「おいちょっと待て。落ち着……」


 俺が声を掛けるより早く、一頭が蛍火に飛び掛かった。


「ガオウッ!」


 だが蛍火は目前に迫る脅威に動じる素振りすら見せず、うるさげに手を一振りするのみ。

 その一瞬で巨狼の体はバラバラに刻まれ、血飛沫と共に女の足下に散った。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る