十 突破


 と、崖の上方に目を向けたその時だった。

 その頂に、いくつもの黒い影が現れた。


「来やがったか」


 現れた影達は、そのまま崖を一気に駆け下り、斜面に張り付いている侍の群れに体当たりで突っ込んで来た。


「うおおーっ!」

「怯むな! 押し戻せ!」


 迎え撃つ侍達の怒号が響く。

 だが黒いその影は、崖の縁から零れ落ちるように、次から次へと現れては侍達に向かって突進して行き、連中を巻き添えにして自分もろとも崖下まで転げ落ちた。

 侍達も始めのうちはこれを破ろうと躍起になっていたが、あまりの数と勢いに手もなく押し返されてしまっていた。

 そして影達は崖下に落ちた後も、軍団の中を縦横無尽に駆け回りながら大暴れをし、侍達を大混乱に陥れたのだった。


「あっちゃあ」


 目の前で繰り広げられている何とも無様な光景に、俺達は森のほとりに佇んだまま、溜息を漏らした。


「あーあ。おい与一よ、これはどうにもならぬぞ」

「むう、してやられたな。まさかこう来るとは」


 二千もの精鋭と互角に渡り合う黒い軍団。その正体は、先刻こちらが放った馬の群れだったのだ。


「そういやいつの間にか、いななきも蹄の音も聞こえなくなっていたっけな」

「やれやれ、これに思い至らぬとは迂闊であった。

 人間の兵でさえあれほど容易く虜にされたのだから、馬で同じことが出来ぬ道理はなかったな」

「くふふっ。おぬしの倶利伽羅峠くりからとうげのお返しに、義経の一の谷逆落としで来るとはの。敵もなかなかやるのう」

「笑いごとじゃねえだろ」


 そんな無駄口を叩いている間にも、死人ならぬ死馬と化した軍馬の群れは、元の主人である侍達を相手に死闘を繰り広げている。

 対する幕府の連中も懸命に応戦しているが、何しろ人間相手とは勝手が違う上に、ちょっと突いたくれえじゃビクともしねえ不死身の体だ。

 黙らせるには首と四つ脚を斬り飛ばす以外に手立てはねえし、しかもこの数ときたもんだ。

 こりゃあ如何な二千余の大軍といえど、簡単に撃退という訳にはいかねえだろうな。


「どれ、こんな所で手古摺っておってはそれこそ日が暮れてしまう。こいつらは放っておいて、俺らだけで本陣を目指すとしよう」

「それはいいけど、どうやって?」


 またあれをやる気かよ。

 と呆れ顔の俺に背を向けたまま、大将は何を思ったか弓を手放して背中に背負うと、両手を挙げて大きく伸びをした。


「んんーっ、んっと。さて……」


 そして前方をキッと睨みつける。

 次の瞬間、その全身から怒涛の如き凄まじい殺気が溢れ出して来た。


「うおっ」


 思わず後退りする。

 大将はこの時までもずっと、尋常じゃねえ殺気を垂れ流したままだった。

 漸(ようや)く慣れてきたと思っていたところだったのに、今度はそれを遥かに上回る、殺気どころか狂気とさえ呼びたくなる程の気の嵐が吹き荒れる。


 心臓を握り潰されるような重圧に、息が荒くなるのを感じる。

 こんなのを浴びせ掛けられたりしたら、並の人間では立っていることも出来ねえだろう。

 と、周りを見渡したら案の定、近くにいた偉丈夫達が軒並み地面に倒れ伏しているのが目に入った。

 自分じゃどうにもならねえとか言っときながら、その実こんなとんでもねえものを隠し持っていたとは。

 ったく、油断のならねえおっさんだぜ。

 だが大将はそんなことはお構いなしに、大きく息を吸うと、大混乱の戦場に向かって怒号を放った。


「道を開けよおおっ!!」

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