十九 挨拶



 蓬子よもぎこが目を覚ましたのは、昼近くになった頃だった。

 五日も寝ていなかったというのだから、ひょっとしたら今日は一日中起きねえかもと覚悟していたのに、こんな二時ふたとき程で起きるとはちょっと意外だった。

 まあ、おかげで俺は助かったけどな。

 なにしろ、俺はその間ずっとこいつを抱えたまま床の上に座りっぱなしで、 ケツが痺れて堪んなかったんだ。

 逃げようにも、こいつときたら袖をがっちり掴んで放そうとしねえし。

 ホント、何なんだよこいつらは。


「んじゃあ、名主みょうしゅんとこへ挨拶しに行くぞ」

「んー、みょうしゅう? ふあわわわ……」


 目をこすりながら、大きな欠伸あくび

 こいつもこうした仕草は、ただの娘としか見えねえんだけどな。


「んー、挨拶かあ。なれば、身支度を整えねばならぬなあ。んっ、よしっ!」


 蓬子はすっくと立ち上がると、井戸の方へと向かった。


「おいおい、そんなかしこまったもんじゃねえから」

「何を言うか。こんな汗まみれ泥まみれの恰好で出向いたりしたら、撫子姉さまに恥をかかせることになるではないか。

 ぬしも顔くらい洗ったらどうじゃ」


 そう言いながら真っ裸になり、井戸水をザンブとかぶって、布きれで体をこすり始めた。


「出来れば香を炊き込めたいところじゃが、贅沢は言っておれぬな」


 何が香だ。どこのお姫様だよ、田舎娘のくせに。

 と見ている内に、頭もガシガシと洗い、体を拭き上げる。

 それから、頭陀袋から新しい巫女服を取り出した。

 衣を身に着け、袴を穿き、髪にもしっかりと櫛を通し、紅まで引いたうえに、贅沢はぁとか言っときながら首筋にペタペタと香油らしきものを塗り付けている。

 呆れるほど慣れた手つきで身支度を整え終えると、そこに出来上がったのは、都の大社にでも仕えているような実に綺麗な娘巫女だった。

 すんげえ。

 パチパチパチ……。思わず拍手が出た。


「なんじゃ?」

「いやあ、大したもんだ。ホントにどっかのお姫さんみてえだぜ。お見逸みそれした」

「そうか? これくらいどうという事もないが」


 澄ました顔で、襟元を整える。


「さあて、じゃあ行くか」

「うむ!」


 言うや否や、蓬子はダッと走り出した。


「コラ待て馬鹿娘! その恰好で走ったら台無しだろうが!」

「あ……」


 ピタッと止まり、バツ悪げにこちらを振り向く。


「えへっ」


 やっぱし本性はそっちか。見栄張ってカッコつけてただけじゃねえか。



 ――*――*――*――



「撫子の妹の、蓬子と申しまする。以後、お見知り置き下さりますよう」


 蓬子が床に手をついて、深々と頭を下げる。

 小っちぇえ童っ子とは思えねえ程の、丁寧だが堂々とした挨拶っぷりだ。

 こういう所はさすが撫子の身内だな。外面がいいったらありゃしねえ。

 ま、どうせすぐに化けの皮が剥がれるに決まってるけどよ。


「おおー、撫子さんそっくりだなあ」

「いやー、めんこいこと」

「撫子さんはまだ戻ってねえだども、暫くすれば来るべから、ここで待ってるがええだよ」

「はい、有難う御座いまする」


 ニコッと笑う蓬子に、爺婆どもはもうデレデレだ。あーやれやれ。


「腹減ってるべ。もう昼だで、飯にすんべえ」

「はいっ」


 てな感じで、近所の百姓連中も集まって、皆で和気あいあいと飯を食っていた時だった。


「あんちゃん! あんちゃん! あんちゃん!」


 一人の餓鬼が、屋敷に飛び込んで来た。


「ん?」


 来たのは、最初に村に来た時に案内してくれたあの餓鬼だ。

 最初は無愛想な奴だと思っていたのだが、あの時はただ警戒していただけらしく、実はよくしゃべる奴だった。

 名は金太という。


「あのさ! あのさ! あ……っ」


 勢いよく入ってきた金太だったが、俺と一緒に振り返った蓬子と目があった瞬間に、石のように固まっちまいやがった。


「どしたい、金太?」

「あ、あの……」


 一方の蓬子はというと、箸を咥えたまま、キョトンとした顔で金太を見ている。

 あーあ。

 ほらほら蓬子、お前がそんなに見つめるから、あの野郎真っ赤になっちまったじゃねえか。

 まあ無理もねえか。今のこいつは、見た目だけならちっちゃな京美人と言ってもおかしくねえくらいの可愛い子ちゃんだ。

 見た目だけだけどな!


「ああこいつはな、撫子の連れで蓬子ってんだ。蓬子、こいつは金太だ」


 蓬子は一度俺の顔を見上げてから、再び金太を見てニッコリと笑いかけた。


「そうか、我は蓬子じゃ。よろしくな、金太」


 金太はもう顔から湯気が出そうな勢いで、「よ、よろ……」と蚊の鳴くような声を漏らすのが精一杯だ。

 その様子を、周りの爺婆たちがニヤニヤしながら眺めている。

 ったくもう、しょうがねえなあ。


「おい金太、何か用事があったんじゃねえのか?」

「え? あっ、そ、そうだ。

 あのね、あんちゃん! 川原で河童様が、あんちゃんを呼んで来てくれって!」

「河童?!」


 蓬子が声を上げる。途端に金太がまたもや真っ赤になった。


「お、そうか。あんがとよ金太。じゃあちょっと行ってくっか」

ろう! 狼よ! 河童というのは本当か!」

「なんだ、お前も行きてえのか?」

「行きたい、行きたい! 我も河童が見たい!」

「そうか。じゃあ一緒に行くか」

「うんっ!」

「あ、そうだ。名主さんよ、ちょいと済まねえが」


 立ち上がりかけてふと思い付き、名主に声をかける。


「なんだね?」

「酒を少しばっかり分けてくんねえかな。

 いや実はさ、河童の長老さんが酒飲みらしいんだが、こないだは手ぶらで行っちまったからよ。

 土産に持ってって貰おうかと思って」

「ああ、そんならお安い御用だ」


 さっそく名主に貰った大徳利をぶら下げて、屋敷を出る。


「んじゃ、行ってくるぜ」

「行って参ります」


 蓬子がお辞儀をすると、爺婆たちは大喜びで「行っといでー」と手を振った。


「ん? 何してんだ金太、行くぞ」


 俺は、戸口で爺婆と一緒に見送ろうしている金太に声をかけた。


「えっ? オ、オイラも?」

「たりめえだろ、お前が案内してくれねえでどうすんだよ」


 なんてね。へへ……。


「金太! 一緒に行こう!」


 蓬子が、金太の手を取った。


「えっ……、え……」


 固まる金太の手を引いて、蓬子が意気揚々と歩き出す。これじゃあ、どっちが案内してるのか判らねえな。

 まあ、いいんだけどよ。面白れえから。


「んじゃあ、オラも一緒に行くべ。こないだの鯉の礼もしなくちゃなんねえしな」


 そう言って立ち上がる佐助爺さんと、ニヤリと笑みを交わす。

 あんたも好きだねえ。


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