十三 救出
その時、暗くなって行く視界の隅に、水の中を近づいてくる二つの黒い影が映った。
その影は俺のところまで泳いで来ると、体を縛っている蔓をブチブチと引きちぎり、それから俺の手を取って川岸まで引っ張って行ってくれた。
「がはっ……、うぶ……げぼーっ、げほっげほっ……。はあっ…はあっ……」
陸の上に引っ張り上げられた俺は、肺の奥まで吸い込んだ大量の水を吐き出した後、川原の砂利の上にゴロリと横になった。
「はあ、はあ……。す、すまねえ。また助けられちまった」
「やあ、大丈夫かい?」
相変わらずの、のんびりしたしゃべり方。影の正体は、あの河童の兄妹だった。
「ぶはあーっ。な、なんとかな」
「狼さんはせっかちだなあ。丸太を担いだまま、泳いで川を登ろうとしたのかい?」
そんなわけあるか。
「人間の兄さんの
だから……。いや、待ちきれなかったってのはその通りだな。
「ああ、マリモちゃんに早く会いたくてよ」
「えっ? えへへ……そんな……狼さんたら…。やだ……ん」
あ、しまった。つい、いつもの調子で普通の女を口説くみてえな軽口きいちまったよ。
「あっそうだ! 狼さんお腹すいてるでしょ! お魚持ってきたよ!」
いきなりだな。
まあでも、こないだから何も食ってなかったっけ。遠慮なくいただくとしよう。
「あ」 ズボッ。
俺が「ありがとう」の最初の一文字を言いかけて大きく口を開いたところに、マリモがでっかい魚を突っ込んできた。
「はいっ、どうぞ召し上がれ!」
召し上がれじゃねえっ!
「ごぶ! んんっ、んんーっ!」
喉の奥まで押し込まれた魚が、口の中でビチビチと大暴れする。
「どお? おいしい?! おいしい?!」
マリモはニコニコと俺に笑いかけながら、魚の尾を掴んで更にグイグイと押し込んでくる。
やめろ! 死ぬ!
俺は無理矢理その手を跳ね除け、魚を吐き出した。
「げぼっ、げえーっ、げほっげほっ」
このやろう、殺す気か!
この仕打ちにはさすがの俺も我慢ならねえ。
マリモをキッと睨み付け、ようとしたのだが……。
その俺を見降ろしているマリモの顔がぐしゃっと歪み、ポロポロと涙をこぼし始めたのを見て、逆に慌てた。
「うぅ……。狼さん……、お魚おいしくなかった?」
「やっ! ちっ、違うんだ! そうじゃなくて!」
「マリモのこと、嫌いになっちゃった?」
「違う違う! そんなわけないだろ! だからそうじゃなくてだな!」
「なあマリモ。人間はな、そういう食べ方をしないんだよ」
「えっ?」
横からイヅナ兄さんが口添えをしてくれた。
兄さん! あんたホントに頼りになるな!
「そそ、そうなんだ! 人間は魚を生きたまま丸飲みはしないんだよ!」
「そうなの? じゃあどうやって食べるの?」
「つっ、つまりだな。煮たりとか焼いたりとか」
マリモが首を傾げる。
「ニタりってなに? ヤイたりって、火で焼くの? なんで?」
「そりゃあおめえ、その方が美味いから……」
腕を組み、ますます首を傾げるマリモ。
「そんなの、焦げ臭くて気持ち悪くて、食べられないよ?」
うーん。やっぱこいつらって、火は使わねえのか。
焼くのは知ってるみてえだけど、鍋を使って熱い湯で煮るなんて想像もつかねえんだろうな。
泣き止んでくれたのはいいけど、これどうやって説明しよう。
よし、こういう時はだ。
「まあ、そういうもんなんだよ」
これで済ますに限る。
「ふーん、変なの」
とりあえず納得はしてくれたようだ。よし。
「じゃあじゃあ! 狼さんはマリモのことが嫌いになったんじゃないんだね!」
「おうともよ」
「やったー!」
ホッ。
相手は河童とはいえ、やっぱ娘っこに泣かれると弱いな。
これも男の
「じゃあ狼さん、これなら食うかい?」
イズナ兄さんが、懐から山ぶどうを出してきた。
「おお、こりゃ大好物だ」
と言うほどでもねえんだけど、生魚に較べりゃずっとマシだ。
「そりゃあよかった」
なんかごめんな。それにマリモちゃんもごめんよ。
「兄さんの狼さんの兄さん、それも焼くの?!」
「いや、これはこのままで」
「えっそうなの? ふーん、変なの」
ああうん、そうだよね変だよね。
なんか、人間であることの自信がなくなってきちゃったな。
「マリモ。そっちの魚、もったいないから食っちまいな」
兄さんの言葉に、マリモは「うん!」と元気よく返事をする。
そして、俺が吐き出した魚をヒョイと摘みあげると、「あーぐっ」ごっくん、と。
うっひゃあ、腕くらいもある
なるほど、食い物ひとつにしてもこれだもんな。人間と化け物が付き合うってのはなかなか難しいもんだぜ。
こりゃあ、イズナ兄さんの恋路の方もけっこう厳しそうだぞ。
「ところで狼さん、体の具合はどうかね?」
そんな余計な心配を余所に、兄さんの方は俺の体を気遣ってくれる。
「いや、それが参っちまってな。おかげ様で手足はなんとか動くようになったんだが、胴体が固まっちまってまるで動かねえ……って、あれ?」
しゃべりながら無意識に起き上がろうとしたら、何故かすんなり出来ちまった。
「おっかしいな。さっきはピクリとも動かなかったのに。はは、丸太に潰されたのが効いたかな」
「そうかい、そいつは良かった。じゃあこれはもういらねえかな」
そう言ってイヅナは、いつの間にか手にしていたぶっとい棍棒をポイと投げ捨てた。
あれでいったい何をするつもりだったのかは、この際聞かねえことにしよう。
「どれ、ちょっと見せてもらっていいかい?」
「おおう」
そういや、自分でもまだ傷口を見てなかったな。
「うわあ、こりゃひでえな」
衣をはだけると、帯のようなまっ黒い筋が一本、どてっ腹から背中までぐるりと一回りしてやがる。
「わあっ! 狼さんかっこいい! トラみたい!」
いや、一本縞の虎なんて聞いたことねえが。
「ああ、あと少しだな。もう一回、薬付けとくかい?」
「おお、そうかい。そいつは有難えや」
「じゃあ裸になって、うつ伏せに寝てくれ」
「はいよ」
と、素直に衣を脱ぎ捨てて、川原に寝っころがる。
「じゃあ、マリモ」
「はーい! 狼さんの兄さん、絶対にこっち見ちゃ駄目だからね!」
へえ、マリモちゃんがやってくれるのか。
にしても、見ちゃ駄目って何で? やっぱ薬の秘密だけは見せるわけにはいかないってこと?
河童の秘薬か。
さて、いったいどんな感じなのかね。
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