メジェレナの恋

「はあ…」


その日、メジェレナはいつものようにユウカの部屋に訪れながらどこか上の空だった。元々アニメにはそんなに興味はなかったが、今日はいつもにもまして画面を全く見ていない。


「あ~もう、鬱陶しいわね! 見ないんだったら部屋に帰れば!?」


そう声を上げたのはガゼだった。


せっかくのユウカとの時間を邪魔され、しかも気のない溜息を何度も吐かれては気分も良くないだろう。ガゼの苛立ちも無理からぬものと言えた。すると、いつもなら噛み付いてくる筈のメジェレナが、


「そうね…ごめん。帰る……」


と言い残して本当に部屋に戻ってしまったのだった。


「え……?」


さすがのガゼもこれには呆気に取られた。らしくないと言えばあまりにらしくない。


「なによ…気持ち悪いわね……」


そう毒吐きながらも、ガゼの意識はメジェレナが出ていったドアの方に向けられていた。いつもの辛辣な反撃がないと調子が狂う。


「メジェレナさん……」


ユウカも、メジェレナのそんな様子は気になってしまっていた。ただ……


『でも、余計なお節介になったら悪いし…』


そう、リルのこともあり、メジェレナから相談を持ち掛けられてこないのならあまり口出しするのもどうかと思ってしまい言い出せずにいたのだ。


しかしその日を境に、メジェレナがユウカの部屋に顔を出さなくなってしまったのである。




「はっはっは、ようやく諦めたか~」


最初はそう言っていたガゼも、ちらちらとドアの方を何度も見てしまう。そのガゼに向かってユウカは『しょうがないなあ』と言いたげな顔で微笑みながら言った。


「メジェレナさんのこと、気になる?」


「…!? いや、そんな訳ないし! いなくなって清々してたし!」


慌ててそう応える姿では何の説得力もなかった。


そうなのだ。ガゼも、口ではこう言いながらもまったく音沙汰がないことには少し心配になってもいたのだった。


ここしばらく直接顔は合わせられていないが、仕事に行く姿は窓から見られたりしていたし特に体の具合が悪いとかそういう様子も見られなかった。ただ、とにかくどこか上の空な感じで、窓から声を掛けた時には気付かれなかったりもした。


リルの時のようにすぐに元に戻るのであればそっとしておこうとも思ったが、それがもう十日ともなればさすがに黙っていられなかった。


「ほっときなさいよ、もう…」


不満げにそう言うガゼだったが、ユウカと一緒にメジェレナの部屋の前に立っていた。結局は気になってしまうのだ。


コンコンとメジェレナの部屋のドアをノックして、ユウカは声を掛けていた。


「メジェレナさん、ちょっといいですか…?」


自分を案じて部屋を訪ねてくれユウカに、メジェレナも応える。


「実は……」


結論から言うと、メジェレナのそれは、<恋煩い>だった。職場に新しく入ってきた男性のことが気になってしまって、他のことが考えられなくなっていただけだった。


「ごめんね。心配かけちゃったかな…」


申し訳なさそうにそう言う彼女に、


「ううん、大変なことが起こってるとかそういうのじゃなくて良かった」


とホッとした様子のユウカだったが、その背後でガゼは、


『やった~! やったぜ~!! ライバル脱落~!!』


などと小躍りしたくなるのを必死で我慢していたのだった。


もっとも、同性愛寄りのバイセクシャルなガゼのそれとは違ってメジェレナのユウカに対する気持ちは、最初から恋愛感情ではなかったのだ。


ただ自分に対して親しくしてくれて親身になってくれるユウカに対して親愛の情が深かっただけである。それが、気になる男性の出現によりそちらに意識が偏ってしまっただけであった。


もちろん、ユウカに対する親愛の情が失われた訳でもない。ただ、元々あまり器用なタイプではないメジェレナは、二つのことが同時にできなかったにすぎなかった。


とは言え、ガゼにとっては懸念材料が減ったことに変わりはない。自分の邪魔をする者がいなくなってくれるのならそれこそ何よりだ。


『ここはひとつ、メジェレナとその男性との仲が上手くいってくれることを真剣に祈念しよっか~♡』


などと考え、より完全なものとしたいと思ったのだった。


だがその翌日……


「ごめん、いいかな」


そう言ってメジェレナがユウカの部屋に入ってきた。その目には涙がにじんでいた。


「彼、好きな人がいるんだって。フられちゃった…」


『な、なんですと~っ!?』


せっかく邪魔者がいなくなったと思ったのに、たった一日で元の木阿弥とか、ぬか喜びにもほどがある。ガゼがわなわなと震える前で、ユウカはメジェレナを温かく迎え入れていた。


「人の気持ちって、難しいですよね」


そう言いながら、そっと彼女の体を抱き締める。ユウカももう、そういうことができるようになっていたのだった。自分よりずっと年下にも拘わらずそんな風に自分を受け止めてくれるユウカに、メジェレナも甘えずにはいられなかった。


が、それで心中穏やかでないのはガゼである。


『おのれ~! どさくさにまぎれて何をする~!!』


もはや殺気さえこもった眼でメジェレナを見るガゼに、


「ガゼちゃんもおいで」


と穏やかな目で声を掛けた。するとガゼも、納得のいかないものもありつつ、


「う、うん…」


と頷きながらユウカに抱き締められていたのであった。


「私、メジェレナさんもガゼちゃんも大好き。こうしてると幸せな気持ちになるんだ……」




「いいなあ…気持ちが上がる……!」


メジェレナの一日は、朝の音楽鑑賞から始まる。


現在のお気に入りは、レルゼーがリーダーを務めるロックバンド、レルゼリーディヒアのライブ映像だった。


第一〇七六四八八星辰荘は、外見こそ倒壊寸前のボロアパートだが、実際には地球の最新のマンションよりも耐震、耐火、防音性能は高く、部屋の中で爆発でも起こさない限りはその気配が他の部屋に伝わることがない。


しかもドアは、ノックをすることでそれ自体がインターホンの役目をし、部屋の中と外の音を伝えることができるのだった。さらには、敢えて外の音や気配を拾うようにも設定できたりもする。他人の気配がしないと不安になるという者向けの設定だ。


メジェレナ自身はむしろ静かなのを好むので、ある程度は外の音も拾いつつ、部屋の音はもれないように設定してある。


「♪~」


そこそこ大きな音で自らリズムを取りつつ楽しみながら、朝の用意をするという訳だ。


朝食は基本的にトースト。ポップアップ式トースターで食パンを焼きながら、服を着替える。


彼女の勤め先は、日用雑貨を中心に、服やファッション小物、ファンシーグッズなども扱うショップだった。なので着ていく服もそれなりに気を遣う。


二千年も引きこもっていたせいで、最初はすごく苦労した。しかし勤め先の店長がとても優しい女性で、服なども見繕ってくれた。見る者に少しばかりきつい印象を与える彼女の外見を敢えて活かし、ややクールな女性を演出しながらも同時に彼女が内に秘めた繊細さも覗かせる絶妙なコーディネートをしてくれたのだった。


そのおかげでメジェレナは自分に少し自信が持てるようになり、今の職場に無理なく通えるようになったのである。そして今でも、服選びは店長のアドバイスを基にしている。


そんな彼女の職場に、バックヤードでの商品管理担当として<彼>はやってきた。一見すると短髪でボーイッシュな女性のようにも見える中性的な男性だった。しかも物腰も柔らかく、穏やかな青年だった。


「……!」


彼女は彼に、一目で恋をした。こんなことは初めてだった。彼のことが気になって仕事が手につかない。


「そんなに彼のことが気になるなら、きちんとアタックしなさい。その結果がどうあれ、私はあなたを応援するわ」


十日ほど思い悩んだ末に店長にそう後押しされ、彼女は思い切って彼に、


「好きです」


と告白した。


まあ、結果としては、彼にはもう付き合っている女性がいて、メジェレナの恋は儚く散ったのだが、それは彼女自身も驚くほどに清々しい散り様だった。


もちろん悲しかったし辛かったし、ユウカの前で泣いてしまったりもした。それでも不思議と後悔はなかった。彼女が勇気を示したことを店長も、


「立派だったわよ」


と大いに評価し、彼女の成長だと喜んでくれたという。


『メジェレナさん……』


メジェレナの恋は残念な結果に終わったが、これは決してネガティブなばかりではなかった。見かけによらず引っ込み思案だった彼女が一歩成長するきっかけにはなったはずだ。


今は小さな変化でも、いずれは大きく彼女を変えていく可能性がある。他人とまともに会話もできなかったユウカが普通に会話できるようになったように。


そうやって人は少しずつ変わっていくのだ。極端には変わらなくても、それまではできなかったことが一つだけできるようになるとかの些細なことではあっても。


それはユウカも感じていた。


『メジェレナさん、また表情が柔らかくなったのかな……』


と。


元々種族の特徴としてきつい印象のある彼女だったが、それがまた和らいだように感じた。やはり表情一つで随分と雰囲気が変わる。


しかも、


「シュークリーム食べる? ガゼ」


と、笑顔でガゼに話し掛けてきたリするようにもなった。


「な、何よ。甘いもので懐柔しようったってそうはいかないからね!」


それまでのケンカ腰の態度からうって変わったその様子に、ガゼは戸惑わずにはいられなかった。


フられたという点ではガゼのかつての経験とメジェレナのそれは同じだったかもしれないが、真っ向から告白してきちんと聞いてもらえた上で納得できる理由があって断られたメジェレナと、どろどろに拗れてその上で策謀を巡らせても結局ダメだったガゼの差なのかもしれない。


もしくは、仮にも二千年以上年上だからということで、下地はできていたということなのだろうか。


その辺りは本人にしか分からないだろうし、だからメジェレナの方が立派だというものでもないだろう。ただ、より早く気持ちの整理がつけられたというだけのことだ。


それに、ガゼも口ではああ言っているが、メジェレナの変化については決して不快に感じている訳ではなかった。


『なによ…すっきりした顔しちゃって…!』


単に、それまでの経緯もあって素直に受け入れられなかっただけだった。


とは言え、メジェレナの態度が柔和になったことで、ガゼも必要以上に噛み付く必要がなくなったのもまた事実ではある。


『なんか調子狂うなあ……こんなんで突っかかったら私の方がバカみたいじゃん…!』


このことを一番喜んだのは、ユウカだった。ガゼとメジェレナのいがみ合いは、この二人なりのレクリエーションだと思っていても何十年にもわたって心を痛めてきた懸案だったからだ。それが収まってくれるのなら、こんなありがたいこともない。それでも、


「あ、ガゼ! それ私の分!」


「べーっ! 早い者勝ちですぅ~っ!」


などと、お菓子を巡ってやっぱりケンカになってしまっていたりするが。


「ホントよく飽きないね」


呆れながらそう声を掛けるユウカの顔にも、笑顔がこぼれていたのだった。




『人はどうして恋をするのかな……?』


ユウカはそんなことを考えていた。


『ここに来るまでは、私には一生、関係のないものだって思ってたな。私が恋をするのもそうだけど、身近な誰かが恋をしてそれに関わることになるなんて思ってもみなかった……』


かつてはその気持ちが全く理解できず、自分には縁の無いものだと思っていた。今でも決して理解できてるわけではないし果たして自分に必要なものであるかどうかは分からなかったが、ガゼやメジェレナやキリオやヌラッカやリルを見ていて、決して不要なものだとも思わないとは感じられるようになっていたのだった。


『ちょっと困ったことになることもあるけど、人を好きになる気持ちって、いろんな形で自分を満たしてくれるって気がする』


思えば、レルゼーと知り合ったのも彼女がユウカのことを好きになってくれたからだし、マニとリリの親子喧嘩だって、あの二人の場合はマニが娘であるリリのことが好きであれこれ心配してしまうからこそだった。恋愛に限らず、人が人を好きになることはとても深いものだと素直に思えた。


『私もいつか、恋愛として誰かを好きになったりするのかな…


ガゼちゃんが私のことを<恋愛>として好きだっていうのは分かってる。でもまだ、私の気持ちとしてガゼちゃんのことをそういう目で見られない……


ごめんね、ガゼちゃん』


今も自分の膝の上で一緒にアニメを見ているガゼの頭を撫でながら、ユウカはそんなことを思っていた。こうしているとどうしても、ガゼのことは<可愛い妹>という感じしかしないからだった。年齢はガゼの方が少し上だが、見た目的にも言動的にもやはり妹としか思えなかった。


これが今後もずっと続くことなのかどうかは分からない。二千歳を超えるメジェレナですらいまだに成長の途中だというのを見ると、もしかしたらいつかはガゼをパートナーとして見られるようになることもあるのかもしれない。でもそれは、そうなってみて初めて分かることなのだろう。


『だから今は、まだ、この状態のままでいたいかな……』


とユウカは思った。ガゼをこうして膝に抱いてそのぬくもりや重さを感じつつ一緒にアニメを見て、そこにメジェレナもいてというこの関係を続けたいと。


焦る必要はない。ここでのユウカの人生は、まだ始まったばかりである。何度失敗してもいいし、何度新しいやり方を試しても構わない。ここはそれができる世界なのだ。


『ガゼちゃん、メジェレナさん、大好き。このアパートのみんなのことも大好き。ここを出て行ったヘルミさんのことも、今なら大好きって思えるよ。


みんな、これからもよろしくね』


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