ユウカも無事にここの生活に馴染んでいけたようです
翌朝、ユウカはドアをノックする音で目が覚めた。
「は、はい!」
慌てて跳ね起きながら返事をすると、
「ごめん、寝てた?」
とアーシェスの声がドアの向こうから聞こえてくる。
「あ、大丈夫です、今開けます!」
飛び降りるようにしてベッドからドアへと走って鍵を開けて、アーシェスを迎え入れた。
「つい夜更かししちゃったかな?」
完全に見透かされてるのが分かって、ユウカは、
「はい…」
と頭を掻くしかできなかった。
でもとにかく、アーシェスが買ってきてくれたサンドイッチとオレンジジュースで朝食にして、歯磨きをして、着替えて、さっそくアパートを出た。
『これって、リアカーってやつだよね…?』
目の前に置かれていたものを見て、ユウカがそんなことを思う。確かにそこには、いわゆるリアカーと呼ばれる荷車があった。
『もしかしてこれで……?』
まさかと思ってるとアーシェスがその荷車を掴んで、
「これがあったら荷物が増えても大丈夫だよ」
と笑う。それに対してユウカは、
『実物って初めて見た……』
と、地球にいた頃はほとんどテレビの中でしか見たことのないそれに、正直言って戸惑っていた。
そんなユウカにアーシェスが説明してくれた。
「ここではこれが普通なんだよ。ほら、道が狭くて自動車は通れないでしょ。しかも生活に必要なものは全部、歩いていける場所に揃ってるからね。だから自動車を使う人はほとんどいないの」
アーシェスの言う通りだった。食品も日用品も飲食店も衣料品店も病院も娯楽施設も浴場も、すべて徒歩二十分以内に揃っているのだから。地域によっては自動車が使われている場所もあるが、そことて必須ではない。
では、スーパーなどの商品の搬入はどうしているのか? 簡単だ。そういう大量の商品を扱うところには、問屋と直結された転送用のゲートがある。と言うか、ゲートに見せかけたそれっぽい設備があると言った方がいいだろうか。なにしろここはデータの世界。物質が行き来するのではないのだから物理的に移動させる必要はないのだ。
が、日常的な生活の中ではやはりそういう手間をかけた方が感覚的に分かりやすいということもあって、荷車で運べる程度の荷物ならそうするという形になっているのだった。
ちなみにアーシェスが用意した荷車はどこから持ってきたかと言うと、アパートの裏に住人用のものが四台ほど用意されているのである。それを表に回しただけに過ぎなかった。
「じゃ、行こうか」
アーシェスに促されてユウカも一緒に荷車を引いた。
『うう…なんか恥ずかしい……』
最初はそんなことも思ったが、よく見れば同じように荷車を引いた人が当たり前のように行き交っていた。今まで意識してなかっただけで、これまでにも何度も見かけたものだった。
『ホントに普通なんだ……』
中にはロボットに引かせている人もいたが、そういうのは体が小さかったりしていかにも非力そうな感じの人のようだ。だからユウカもすぐに慣れることができた。
「こんにちは、アーシェス」
相変わらず、すれ違う人の多くがアーシェスに挨拶をしてくる。
『アーシェスさんって本当に顔が広いんだなあ…』
彼女の顔の広さは本当にすごいものだとユウカは感じた。自分が同じようになれるとは思わないが、それでもいずれは、
『私も、当たり前みたいに挨拶を交わせるようにはなるのかな…』
とも思った。
なんてことを思っているユウカを連れて、リーノ書房とは逆方向に十五分ほど歩いたところで、アーシェスが不意に立ち止まる。
「ここだよ」
そう言いながら視線を向けたのは、一見するとただの倉庫のような建物だった。するとその時、中からガラガラとシャッターが開けられるのが見えた。ちょうど開店の時間ということだったらしい。
「あ、いらっしゃいアーシェス。新しい子かい?」
にこやかに声を掛けてきたのは、頭に羊のような角を付けた、ややふくよかな感じの中年女性といった風情の人だった。
「おはよう、キャサンドラ。元気そうね」
と返したアーシェスに続いて、ユウカも挨拶をした。
「初めまして。
可愛らしくてしかも丁寧な挨拶に、キャサドラと呼ばれた女性はみるみる相貌を崩した。
「あらあら、これはご丁寧に。そう、ハルマのところで働いてるのね。偉いわ。じゃあ、今日は奮発しなくちゃね。どれでも持っていってもらっていいわよ」
キャサンドラは、残りのシャッターも開けながら嬉しそうに言う。その間にアーシェスが、
「彼女はこのリサイクルショップの店主でカレカドラ・キャサンドラ・アリスリス。ちなみにカレカドラっていうのは彼女のお母さんの名前で彼女の種族の風習でそうなってるということだから、彼女の名前はキャサンドラね」
と紹介してくれた。それに付け加えてキャサンドラが補足する。
「カレカドラの娘のキャサンドラっていう意味よ。私たちの種族は家族の結び付きがとても強いの。ちなみに男の子の場合は父親の名前が先に来るわ」
特に必要な情報でもないが、まあ会話のきっかけとするための<掴み>ということなのだろう。とは言え、ユウカには少々合わなかったようだ。
「おじゃまします」
残念ながら振ってくれた話にうまく乗れなかったものの、それでも気さくな彼女の人柄が伝わってきて、ためらわずに店の中に足を踏み入れることができた。
店の中を見渡すと、いろいろなものが置かれていた。テレビやパソコン、オーディオや生活家電は元より、椅子やテーブルといった家具類も充実してるようだ。
それだけじゃなく、何に使うのかユウカにはさっぱり分からない、不可思議な装置らしきものも置かれていたりする。
リサイクルショップ<満天星>には、中古品だけでなく、型落ちの新品も並べられていた。もちろんそれもユウカなら無料で譲ってもらえるものだ。だから、電子レンジと、炊飯器と、オーブントースターという、食品用の家電についてはそこから選ばせてもらった。と言うかアーシェスが選んでくれた。でないとユウカにはまだそこまで言える度胸がなかったからだった。
それ以外の、ノートPCやスマホ、小さな本棚は中古品で済ませた。年中温暖なここでは、ユウカにとっては暖房器具も冷房器具も必要なかった。
「これだけでいいの? もっとどんどん持ってってもらっていいんだよ」
キャサンドラがそう言ってくれたものの、ユウカは、
「ありがとうございます。でもまだ何が要るのかよく分からないからこれでいいです」
と自分で言えた。これまでの彼女からすれば立派だと言っていいだろう。
するとアーシェスがカードを取り出して、
「これで」
とキャサンドラに手渡した。
エルダー権限で新しい住人の為にリサイクルショップから物品を購入したことを証明するための手続きである。これによってリサイクルショップには<書庫>から代金が振り込まれるのだ。さすがに個人的なおもてなしのレベルを超えるのでこういうシステムになっているのである。
とは言っても、金額的にはそんなに大したものでもない。ここでは中古品を引き取ってもらう時は原則として引き取り料もない代わりにお金がもらえるわけでもないので、販売価格も非常に低く抑えられているのだ。
いや、むしろ、ここのリサイクルショップはあくまで中古品や処分品の仲介を行うところでしかないと言うべきか。だから品物の代金と言うよりは仲介手数料程度のものと言った方がいいかもしれない。
まあそういう細かい話はさておいて、ユウカは、アーシェスとキャサンドラにも手伝ってもらってそれらを荷車に積み込んで、リサイクルショップ<満天星>を後にした。
「じゃあ、また何か必要になったら気軽に来てね~」
そう言ってキャサンドラはにこやかに見送ってくれる。
『すごく親切な人だったな…』
と感じて、ユウカはホッとしていた。
「さてと、これで部屋に戻って運び込めば終わりだね」
アーシェスに言われて、ユウカも、
『いよいよなんだな…私の生活……』
っていう実感が改めてわいてくるのを感じていた。
自分でご飯を炊いて、コンロで料理をして、電子レンジも使って、朝はトースターでトーストを焼いて。まさしく一人暮らしそのもだ。
自室に戻り、電子レンジと炊飯器とオーブントースターがキッチンに並び、小さいとはいえ本棚が置かれ、テーブルの上にはノートPCがあり、これでもう完全に一人暮らしの部屋が完成した。
『これが、私の部屋なんだ…』
自分の部屋を眺め、ユウカは感慨に浸っていた。そんな彼女を見詰め、アーシェスが微笑む。
「あとはもう、何か要るものがあったらその時に買うようにすればいいね」
そう、これからも当分、来たばかりだと分かればもてなしは受けられるだろうが、基本的には自分で暮らしていくことになる。自分で働いて自分の生活を作っていくのだ。でも今日明日は仕事は休みだから、とりあえずは休日を楽しめばいいだろう。
するとユウカはさっそくテレビを点けて、アニメを見始めた。それを見てアーシェスは自分がいるとかえって邪魔かもしれないと感じて、
「じゃあ、もし何かあったら電話して」
と言って帰っていった。リサイクルショップでもらったスマホに、さっそくアーシェスの電話番号が登録されていた。
ここでは電話は携帯電話が基本で、しかも通話は原則無料である。犯罪がそもそもほとんどないので携帯電話が悪用されることもないために身元確認も要らず、中古品でも手に入れればすぐに使えるものだった。
が、ユウカはもともと携帯電話を持っていなかったこともあって、
『あまり使うこともないかな~』
と思っていた。それよりはタブレットのようにネットに使うことの方が多いだろう。ちなみにデータ通信も無料で使い放題である。こんな小さな端末でやり取りできる程度のデータ量など、たかが知れているからだ。
しかし今はノートPCがあるのでそちらでネットをすることになった。テレビでアニメを見つつ、ノートPCでネット配信されているアニメもチェックする。そこには地球でやってるアニメもあった。
厳密に言えばここまで大規模な配信の契約など地球側と結んでるはずもないので海賊放送になるのだが、元より地球からすれば存在そのものが確認されてない<書庫>に対して地球の法律は及ばないし、さらにそういう知識のないユウカがそんなことを知るわけもなく、単純に続きが見られると喜んだだけだった。
そんな感じでさっそくアニメ三昧の生活が始まった。一人暮らしの開放感を味わえる余裕も出てきて、彼女の表情はここに来た時とはもうすっかり別人と言ってもいいくらいだった。
確かにここは暮らしやすい世界だろう。今の自分の状況を受け入れることができる人間にとっては。その点で言えば彼女はそれができる人間だったと言える。
そして月日は、いや、<月>という概念がここにはないのでその表現が適切かどうかは分からないが、とにかく地球時間にして一年以上の時間が瞬く間に過ぎたのだった。
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