31. 歴戦者の後悔

「あー。風呂はいいやねぇ……」

 お湯につかったグレウスさんが、そんな感嘆の声を上げたので、「同感です」と答えた。


「自宅に風呂を備えている所なんて、そうそう無いからな。いいご馳走だ」


「そうなんですか?」


 この異世界に来てから、ユイさん家や、旅の宿屋とかで、ちゃんと風呂には入れていた。なので、地味にカルチャーショックだったりする。


「ユイちゃんよりも前の代から、風呂で鍛冶のアイデアをひねり出すってのが大事な儀式だったらしくてな。そのへんには集中的に金をかけたんだそう……」

 と言うグレウスさんの声が、小さくなって、スッと消えた。


(ん?)


 流れる水の音。

 排水のしやすい、露天風呂。


 ユイさん家は都市部ではなく山間にあるので、山の上から流れる沢から、水を引いていた。火はそもそも、鍛冶のため、金属を熱して溶かすのに使っている。


 そう考えてみるとこの家は、お風呂を設置するのに都合の良い条件が、揃っているように思えた。


 キイン!

 カイーン!


 と、工房のからの音が、この露天風呂まで聞こえてくる。ワァン、ワァン、という小さな残響をまとって、流水音に染み入る。


「精が出るねぇ。昔と変わらねぇ音だ。さすがはユリウスの娘だな」

「ユリウス?」


「あ、ああ。……すまん」

 と、グレウスさんは自身の坊主頭をピシャリとはたいて、なぜか歯切れ悪く謝った。


 ◆


 汗を流すだけでササッと上がり、飲み直すことになった。


 鍛冶の師匠であるユイさんが工房にこもっているのに、こちらはお酒。正直気が引けるけれど、「2人で飲んでて」と言ってたし。客人のもてなし的な意味もあるからなあ。


「くあー! 傷に染みるなぁ。風呂も酒もよ」


 『歴戦者』グレウスさんは、本当に傷だらけだった。


 元居た世界に「漆塗り」という技法がある。お椀とかの漆器ってやつ。

 漆を塗って乾かして、さらに上から塗って乾かして……を繰り返す。


 歴戦者はまるで、それを「傷」について実行したかのような。

 傷ついて、治して、その上からまた傷ついて……。みたいな。


「ヨージ、お前もだいぶ、冒険者っぽいガタイにになってきたな。鍛え具合とか、傷とかがな」


「僕のは傷というより、恥の上塗りですよ」

 と答えたら、グレウスさんは「あ? なんだそれ?」と言って、きょとんとしていた。


「このトゲトゲのモーニングスターは、実用新案ユーティリティモデルを取っている」とか言ってた露店商に、ボコボコにやられた話をしたら、グレウスさんの笑いは僕の想像以上に豪快だった。


「それは良かったな、ヨージ」

 と、グレウスさんは目を細めた。


「何がですか」

 詐欺師っぽい店員との、あの恥ずかしい一件以来、周りの人の『買いかぶり』の目と、何ら能力を持たない実際の僕との間のギャップに、苦しめられているというのに。



 身の丈にあわない高評価なんて、無い方が幸せなのかもしれない。



 グレウスさんは、大きな木の樽の栓を抜いて、木製カップへとワインを注ぎ、僕用のカップに「乾杯」よろしく軽くぶつけてからそれをあおり、そして再び口を開いた。


「無貌の装備は『あこがれ』を力に変える。慢心すると力を貸してくれないんだよな。鼻っ柱折られて転ぶなら、お前みたいに早いうちが良い。……俺みたいに、1番大事な時にやらかしちまうと、取り返しがつかないから」


(あの時、装備をやけに重く感じたのは、僕が調子に乗ってたからなのか……そんな落とし穴があるのか……)

 そう思いつつ、僕はどもった。

「あの……」

 

 なんて言っていいのか。

 グレウスさんには、昔、何があったのかを、聞いても良い感じなんだろうか……。

 歴戦を生き抜いてきた傷だらけの男は、フッと肩を下ろすように弛緩し、話題を転じた。


「大丈夫。痛みを覚えたお前なら、あの装備の力を引き出せるだろ? 自分の駄目な所を認める力もあるからな。それより……鍛冶屋見習いとして、これから大変だぞ?」


「これから?」 

 と返したら、グレウスさんは意外そうな顔をした。


「いや、今日押し寄せた客の中に、アイツがいただろ?」

 と、人差し指を小刻みに上下させた。


(アイツ? 誰だろ……)

 僕が目線を左上に向けて、脳内のキャラクター名簿をペラペラとめくっていると、頭にドンと衝撃が走った。


 ……亀みたいに、頭が体内に埋まるかのような。


 分厚い手のひらで、ドンって。

 グレウスさんは力が強すぎるんだ。軽くやって、この衝撃だもの。

 

「今日の客対応は戦場だったもんな。いちいち相手をチェックしてらんねーか。まあ……すぐにわかるさ」


 その言葉は、予言というか、忠告というか。

 そういう類のものだったんだ。

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