己が為に、刺はある―2―


 瀧本咲夜。クラスで一番の人気者──なんて事はもちろんないが、もし彼女が何かしら困っていたら、誰もが我先に手を差し伸べるくらいには常に存在を気にされている。

 無意識下で。

 潜在意識で。

 本能によって。


 何故か?それは彼女の隠し切れないΩが───ひしめくα供を、否応無く惹き付けてしまうからだ。


 だがしかし、もし本当に困った事になったとしても。膝をつき、あちこち擦りむき、泣き叫び出したくなったとしても。痛さを呑み込み、彼女は、必ず立ち上がる。誰の助けも借りず。誰かに気付かれる前に。誰が見ても自然に。絶対に……誰にもように。

 一人で。

 ひとりで。

 独りで。


 何故か?それは彼女が、Ωで───どうしようもない、“嘘”を吐き続けているからだ。




【 逆境の中で咲く花は、どの花よりも貴重で美しい。 - Walt Disney 】




 人は皆、心の岸辺に手放したくない花があるらしい。それは逞しい花じゃなく、儚く揺れる一輪花なんだとか。ああ、何度聞いてもグッとくるイイ言葉だ。人の弱さをこれでもかと切なく詩的に表している。だからこそ、咲夜は心に決めたのだ。──アタシはその、逞しい花側の人間になるのだと。


「はぁ、厄介な事になったとは思ってたけど……」


 訳あって、そんな咲夜は今、二階フロア階段の影でその身を小さくさせていた。そろそろと廊下を覗き込み、好き勝手行き交う人の流れに目を凝らしている。


「まさかあの人が、そこまで有名人だったなんて……」


 時刻は昼休みのやや後半。溜息とも深呼吸とも取れないボヤきと共に、咲夜は、クラスメートによる休み時間に入る度に勝手に始まったありがた〜〜〜〜〜〜〜い授業を思い出す。もちろんその中身は【竜峰天華】、引いては生徒会執行部がどれ程凄いかなどという賛美ばっかりで、正直聞き続けるのは辛いところもあったが……気付けばどんどん増えてゆくギャラリー、そして一向に収まらないその盛り上がり様に、さすがの咲夜の首筋にも冷たいものがツゥ……と流れて。


 ──アタシ、想像以上にやばい人に目ェ付けられたんじゃん……

 この時、咲夜は確信した。このままでは、我が青春に平穏の二文字は訪れない。アタシの目標達成の為に、平和な学園生活は必要不可欠なのに。普通の女の子になれかけているのに。どこにでもいそうな平々凡々の少女だとなのに……!


(そういえばさっき加島先生も、あの人の名前出したらあっさり引き下がってくれたし、やっぱり凄い人なんだ。……いや、だけど!朝の一件が意味不明なのは変わらないし、ちゃんと話して、謝って、そんで……もっかい、アタシに関わんないでってお願いしよう)


 気障ったらしい言葉を連発されたあの時は、正直、恥ずかしさのあまり屈辱の敵前逃亡してしまったけれども。冷静になれた今なら、きっちり筋を通して話せるはず───


「そんな所でどうしました?」

「ひゃいっ!?」


 ガツン! ……がしかし、突然背後から誰かに声を掛けられ、肩を跳ね上げた拍子に壁に強かと額をぶつけてしまった。あまりの痛さに、普段通りの咲夜からは考えられない程の苦悶の呻きデスボイスが漏れ出す始末。


「…………ぅぐぉ」

「だ、大丈夫ですか?ごめんなさい、驚かせてしまって……!」

「あっ大丈夫です」

「え!?ですが今、凄い音が……」

「音だけです、はい、全然、はい」


 ……本音を言うと今すぐ腫れをさすって自分を労わってやりたいところだったが、ある事情から他人に弱味を見せる訳にはいかない咲夜は、身体ごと振り返りつつ、お得意の作り笑いの維持に努めた。と、そこで初めて相手の姿を視界に捉え、微かに眉根がぎゅっと寄る。


「ああ、やっぱり赤くなってるじゃないですか!」


 オロオロと心配そうに見つめてくる碧。新緑色三年生のスカーフ。透明感のある肌色。丁寧な言葉遣い。アッシュグレーのロングウェーブ……


「もしかして……小鳥遊先輩ですか……?」

「え?はい、そうですが……?」


 やっぱりか……と咲夜は内心で白目になりかけた。クラスメートらによる授業が早速活きた事に感謝すべきかどうなのか……実は、竜峰天華と同じくらいか、それ以上に名が挙がったのがこの【小鳥遊來夢】だったのだ。一発でその人とわかったのは何度も繰り返し特徴を教えられたからであったが、きっとそうじゃなくても。ほら、本人を目の前にすれば、こんなにも“何か”が違う。なんてったって生徒会長サマなのだから。


(ああ、こりゃモテて当然だわ……)


 現実逃避したい思考を抑え、授業内容を想起する。そういえば今朝、挨拶運動の列の中で見かけたような気もしてきたし、そもそも生徒会長なら入学式の時に在校生代表として何か話していたはずだ。と言っても正直あんまり覚えていないが……。さて、資料か何かを抱えているし、もしかしたらこの階の生徒会室か職員室に用があったのかもしれない。そんで、学年は違うけど、寮が同室で竜峰先輩と仲が良いらしい。…………いやそれってマズくない!?


(絶対向こうの味方じゃんっ!!)


「あら?……そういう貴女は……」

「え?」

「……やっぱり!チャンスの女神!」

「……はい??」

「ああごめんなさい、こっちの話でして……おほん。その、今朝、天華──生徒会の二年生とお話しませんでしたか?」

「……!!」


 ぴし。笑顔の仮面にヒビが入った。

 何故それを知っているのだろう。やはり、既に天華と何かしらのコンタクトを取っているのか……?


「ね、しましたよね?」

「え、ええ……まあ」

「……! そうですか!ふふふ」

「……あれ? あの……本人から何か聞いてないんですか?」

「ああ、それが、どうしてか全然メッセが返ってこなくて……あ、いいんですいいんです!後でいくらでも本人から聞けますからね」


 それを聞いてひとまず安心した咲夜だったが、それでも何となく察してしまった。そう言う來夢が本当は、今すぐ詳しく聞きたくてウズウズしているのが、初対面ながらも。いや、そのニコニコ顔を見れば誰でも同じかもしれない。とりあえず、根拠も無く明るい結末を信じ切っているのが明白である。咲夜は、気まずさと申し訳なさと居た堪れなさで、ス……と視線を下方に逸らしながら後退した。


「あ……それでは、私はこれで……」

「待ってください。ここに何か用があったんじゃないんですか?」

「それは……でも、やっぱりいいかなと思いまして……」

「天華ならA組ですよ?」

「……ありがとうございます」


 勘が鋭くて助か……困る。それを知れたのは有難い……?けれども、内容が内容だけに出来れば隠密行動をしたかったのだが……。


「ああ、上級生の階を歩くのは少し怖いですよね、わかります。では、一緒に行きましょうか」

「え!?い、いいですいいです!」

「大丈夫ですよ。私も職員室に軽い用がありますので、ちょっとしたついでだと思ってもらえれば」

「……そういう事では……っ」


 焦る咲夜をヨソに、來夢は嬉しそうに咲夜の手首を掴んだ。適当にお茶を濁して立ち去ろうとしていたツケを喰らった咲夜の仮面に、がっつり深い亀裂が入る。


「ほら、そうじゃなきゃ、後で私があの娘に怒られてしまいますから!」

「わ、わっ、待ってくださ……」

「──何してるのよ」


 今にも連れ去られそうになっていた、その時。死界から怒気を孕んだ声が聞こえたがしかし、その真意には気付かず、顔を上げた二人は同時に──両極端なテンションで──その名を呼んだ。


「天華!」

「ぅわ、竜峰先輩……」

「……道理で匂いが騒がしいと──」


 独特すぎる言い回しで姿を現した、全ての元凶。竜峰天華は、一度はその熱視線で真っ直ぐに咲夜を射抜いてから───


「ちょうど良かった!今貴女を───」


 朗らかに話し出した來夢と咲夜を、目に見えない速さでズバッと引き剥がした。


「エッ」


 と同時に、何が起こったかわからないまま、引き寄せられるようにして天華の懐に納められる咲夜。気付けば今度は天華に手首をしっかり握り締められている。華奢な見た目からでは想像出来ないくらいの力強さだ。ちょっとやそっとの抵抗では離れられそうになく、咲夜はあんまりな展開に目を回しそうになった。


「……見損なったわ、來夢。まさか貴女がこんな節操無しだったとはね」

「……はい?」


 ぎぬろ……と、その眼に鈍い光を宿し、恨み言を連ね始める天華。その姿はまるで獲物を天敵から奪われまいとする黒豹のようだ。がしかし、言っている事はひたすらにハテナである。


「従姉妹として、いえ、一人の友人として恥ずかしく思うわ」


 余程頭に血が上っているらしく、トンチンカンな事を責め続ける猛獣の意図をようやく理解した來夢の綺麗な顔から、一気に血の気が引く。


「………誤解です」

「ああ……やっぱりここは“ミヤさん”にもしっかり叱ってもらわないと……」

「NO!!だから誤解ですってば、天華!?」


 目に見えて狼狽える三年生。聞く耳持たぬ二年生。殊更ギョッとするのは一年生。


「どうしてここでミヤさんが出て来るんですか!私はただ、彼女を2-Aに……」

「放送委員の子に頼んで校内放送してもらうから」

「Wait、天華……お願いですから、あの人に余計な誤解を招かないでください……!貴女は知らないからそんな簡単に言えるんです、ミヤさんが本気で怒った時の恐ろしさを!」


 身震いしてまで訴える來夢のその必死さは、何が何だかといった状態の咲夜にさえゾクリと響くものがあった。何なら、クラスメートから聞いた二人の評価よりも、今この場で聞いた“ミヤさん”に対する興味と畏怖の方が俄然勝る。───っていやいや、そんな事よりも今は………!


(あああ、これ以上ヒートアップしないでよ……!)


 再度言うが、咲夜の望みは平穏な学校生活である。何事も無く、当たり障り無く、普通の日常を過ごせればそれでいい。波乱万丈なんて以ての外!順風満帆バンザイ!


(それなのに、こんなとこで騒いだら……)


 元々ざわついてる昼休み中とは言え、この調子じゃ誰かに見つかるのも時間の問題だろう。そうなったら……確実に終わる!色々なものが!

 焦った咲夜は早急に事態を収束させるべく、勇気を振り絞って言い合う二人に割って入った。


「本当なんです、竜峰先輩!先輩に会いに行こうとしてた私を、偶然通り掛かった小鳥遊先輩が案内してくれようとしてただけなんです!」

「…………そうなの?」

「そうです!ねっ?たか───」


 後ろを振り返ると、それはもうぶんぶんと幻聴が聴こえるんじゃないかというくらい大きく頷きまくる憐れな上級生の姿が。


「……という事なので、あんまり怒らないであげてください」

「……本当?」

「は、はい。本当です」

「……そう。嬉しい……私に会いに来てくれただなんて」

「え……? アッはい」


 危なく「そこ?」とツッコミかけたが、それはぐっと喉奥に押し込んで。咲夜は、壊れかけの仮面でコクリと肯定してみせた。それだけで天華の気迫は随分と柔らかくなり、背中に伝わる緊張も緩む。

 ……これについて、嘘は言っていない、が……そんなに嬉しそうな顔をされると、さすがの咲夜にも罪悪感が…………南無。

 しかしながら、少しずつ天華の扱い方がわかってきたのは僥倖だ。αに流された(と咲夜は信じて疑わない)彼女の弱点はこのΩ自分。今後の事を考えると心苦しいが、今は來夢の為にもこれを利用するしかない。アタシが下手に出て、とりあえずその訳のわからない怒りを治めてもらって───……


「……瀧本さん、おでこどうしたの?」


 真後ろから「The End──」的な絶望を感じた。

 が、それに対してコンマ一秒で応えた咲夜の返答は以下の通りである。


「体質です」

「体質?」

「今みたいにビックリしたりすると私、おでこが赤くなるんですよ」

「聞いた事ないけど……」

「私もです」

「えっ?」

「まあまあ!とにかく落ち着いてください。ほんとに何でもありませんから」

「……わかったわ。瀧本さんがそう言うなら」


 驚く程ケロリと引き下がった天華にホッと胸を撫で下ろす。同タイミングで背後から尋常じゃない感謝の波動を感じ始めたが、まあ別にそれはいいとして……


(……駄目だ、一気に力抜けた)


 一旦出直そう。もう体力、気力共にすっからかんだ。とてもじゃないが、今から二人きりで重めの話をする気にはなれない。


「あの……すいません。お昼休みも終わりそうですし、そろそろ戻ります」

「え?天華と何か話があったのでは?」

「話?」

「あぁ。でも大した話じゃないので」


 軽く笑って、「また来ますから」と会釈した。それがいつになるかは見当もつかないが、社交辞令というのは総じてそういうものだろう。顔を背け、階段を降り始めた瞬間、緊張の糸を切った咲夜の目から……感情が失せた。

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